im Wein ist Wahrheit - 14




「そう、俺には通じなかった」
 頷きながら、オスカーは唇の端を歪めた。
「結局、そいつはほどなくして除隊して、故郷に戻ったようだ」
 そこで一旦考え込むように、オスカーは言葉を切った。
「……幼い子供が目の前で母親を殺されて、何もないと思うか? しかも、そうして母親から、生まれ育った土地から引き離されて、見も知らぬところへ、あまつさえ、母親が化け物と呼んだ連中のいるところへ連れてこられて、平気でいられると思うか?」
「……何が、言いたいの?」
 オリヴィエは、喉の渇きを覚えながら問うた。
「以前、ジュリアスが言っていた。昔のクラヴィスはもっと明るく闊達で、執務にも前向きだったと。それがいつしか変わっていったと。で、ここからは完全に俺の推測なんだが……。そうして聖地に連れてこられたクラヴィスが、正常で、正気であったとは思えない。が、その後のジュリアスから聞いた状態から察するに、おそらく誰かがクラヴィスに暗示を掛けたんじゃないかと思う」
「暗示?」
 眉を寄せながらオリヴィエが問い返すのに、オスカーは頷いた。
「目の前で母親を殺されて、精神的に相当のショック状態にあったはずだ。暗示を掛けて落ち着かせ、母親は、公的な記録にあるように、事故死だったのだと思い込ませる── 。だが精神的にもまだ発達途上にある幼い子供にそんな暗示を掛けて、何もないということはない、何らかの影響を与えるのは否定できない。それでなくてもトラウマになりかねないショックを受け、おそらく恐慌状態にあるだろう子供が相手だ。それに、暗示なんてものは絶対的なものではないし、もちろん永続的なもんじゃない。せいぜい十年も()てばいい方らしい。常に暗示を掛け続けているのでない限りはな。だがそんなことをすれば、なおのこと、精神的な障害が出かねない。ましてやそれが強力な暗示であればあるほどに。クラヴィスが変わりはじめた頃っていうのは、たぶん暗示が解けはじめた頃だと思う。暗示が解けて全てを思い出してみれば、母親を殺した連中の中で、母親が化け物と呼んだ存在に、自分も成り果てている──
「その結果が、今のクラヴィス、ってわけか……」
 オリヴィエは大きく息を吐き出してソファに躰を預けると、右手で前髪を掻き上げながら遣る瀬なさそうに呟いた。
「……あくまで俺の推測だ。当たっているとは限らないがな」
「でも当たらずとも遠からず、ってとこだと思うわよ」
 ── だから、同類、ね……。
 全てを失い、たった一人取り残された存在、しかもその陰には聖地の存在がある── そういう意味では、オスカーが言うように、確かに二人は同じだ。
 それにしても、と思う。随分と対象的な二人だと。
 片や、諦めと絶望に囚われ、ただ流されるままに生きているかのような男と、片や、本音はともかく、首座の守護聖の片腕と言われ精力的に動き回る男。だが、見方によっては、オスカーはやはりクラヴィスと同じなのかもしれないとも思う。私生活におけるその過ごし方。女を買い遊興に耽る様は、全てを失った男の諦めにも似た心境が、その底辺にあるのではないかと思わせるものがある。
「……時々思うことがある。もしかしたら、俺もクラヴィスのようになってたかもしれない、ってな」
「あんたが? クラヴィスみたいに?」
 オスカーの呟きに、その姿を想像しようとして、オリヴィエは思い切り眉を顰めた。
「まだ女嫌いなあんたの方が想像しやすいわ」
 とはいえ、それも相当に難しいものではあるが。
 そしてオリヴィエのその台詞に、オスカーは自嘲の笑みを浮かべた。
「ゲンシャー将軍がいなかったら、間違いなく俺はクラヴィスのようになってたよ」
「ゲンシャー将軍?」
「グレゴール・ゲンシャー大将。俺が守護聖になった頃の、王立派遣軍の副指令官だ。故郷のことを知って、俺は何を考えるもなく、ただもうこんなところにはいたくないと、半ば衝動的に聖地を飛び出した。あの時、ゲンシャー将軍と、彼からの命令があったのが大きな要因だったろうが、俺の面倒を見てくれたフランツがいなかったら、たぶん立ち直れなかった。今の俺があるのは、あの二人のお陰だ」
 遠い()をして、手にしたグラスを弄ぶように揺らしながら語るオスカーは、その頃のことを思い出しているのだろう、どこか懐かしそうで、そしてまた、寂しそうだ。
 オリヴィエは、オスカーの言うゲンシャー将軍と、もう一人のフランツという人物のことは知らない。ましてや三人の間にどんな遣り取りがあったかなど、知りようもない。
 だが母星の惨状にショックを受け、茫然自失となったであろうオスカーが、救いを求め、縋るものを求め、自分にとって最も馴染みのある軍隊という組織にそれを見出したのだろうことは、想像に難くない。その時、全てを失ってしまったオスカーには、頼れるものは他には何も無かったであろうから。
 そしてその結果として、現在のオスカーがあるなら、自分はそのゲンシャー将軍とフランツとやらの二人に感謝すべきだろうか、とオリヴィエは思った。絶望と諦めに囚われ、生気を失くしたオスカーなど、想像したくないし、見たくもない。
 そう考えて、ふと、先程から頭に引っ掛かっていたことを思い出して問うた。
「ところで、さっき『ある宙域で引っ掛かることがあって』って、言ったわよね。クラヴィスのことはそこのことを調べていて出てきたことで、最初からクラヴィスのことを調べようとしたわけではないんでしょう? その引っ掛かることって、何なの? まだ、何かあるの?」
「……単に、俺が気にしすぎているだけなのかもしれないんだが……」
「何を気にしてるの?」
 言い淀むオスカーを促す。
「その宙域、というか、具体的に言うとそのクラヴィスの出身惑星に、なんだが、そこだけ、サクリアが送られていない」
「それが?」
 それのどこがおかしいというのだろう。サクリアは常に送り続けられているわけではない。それが望まれた時、必要な時、それに応じて送られるのだから。
「ちょうどクラヴィスが守護聖としてこの聖地に入った頃から、ずっとだ」
 オリヴィエは頭の中でオスカーの言葉を繰り返した。
 クラヴィスが聖地に入った頃から、ずっと── 聖地の時間にしておよそ二十年、それを外界の時間に直せば── 考えて、愕然とした。確かに長すぎる。それほどの間、何もないというのは、自分が知る限り、無い。
「長すぎる、だろう?」
 オスカーの問いに、オリヴィエは、ええ、と頷いた。
「それだけじゃない。周辺地域の人心が、酷く不安定になってる」
「どういうこと?」
「荒廃が進んでいる。分かりやすく言えば、政情の不安定と犯罪発生率の増加。スラム化が進んでいる。そしてそれがクラヴィスのいた惑星を中心にして、僅かずつだが確実に広がり、かつ、増大している。まるで、その惑星から何らかの力が作用しているかのように。長くいればいるほどに、影響を受けるようだな。周辺地域にある軍の基地にいる軍人たちにも、その兆候が少しずつ現れた気配があって……、それで俺は思い切って基地を放棄させた」
「!?」
 基地を放棄させた── その事実に愕然とする。
 軍が基地を放棄するなど、よほどのことのはずだ。
 だが、そのような報告は何一つ受けていない。あるいはジュリアスあたりは聞いているかもしれないが。一体何が起きているというのか。
 単にこの宇宙が老いて終焉が近いからだけとは思えない、女王の力が弱まったためだけとも思えない。何かがそこにあるのだろう。言い知れぬ不安が、オリヴィエを襲いはじめた。





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