im Wein ist Wahrheit - 11




「嫌いって、随分はっきり言うわね。あんたたちが反りが合わないのは知ってるけど」
「優しさを司る水の守護聖とはいえ、あいつの『争いごとは嫌いです』って言うのを聞くとな、ダメだ、虫唾が走る」
 煙草の煙と一緒に吐き捨てるように告げるオスカーに、オリヴィエはオスカーには分からないように心の中で溜息を吐いた。
 そこまで嫌っているとは、思いもよらなかった。
「俺だってな、争いは好きじゃない。その果てに俺の国は滅びたわけだしな。争いなんざ無いにこしたことはない。そんなことは分かってる。だがな、あいつのは違う」
「どう違うって?」
「そうだな、たとえば……」
 分かりやすそうな例を探して暫時逡巡していたオスカーは、ややして何か思いついたようだった。が、
「おまえ、今度の女王試験の詳細は聞いてるか?」
「何よ、いきなり」
 思わぬ話題の転換に、一瞬オリヴィエは目を見張り、それから思い出すようにしながら答えた。
「詳細は明日聞くことになってるけど、確かどっかの惑星の大陸を育成させるんでしょ?」
「そうだ。二人の候補に、二つの大陸をそれぞれに育成させる。どちらがよりよく大陸を育成し発展させることができるか、つまり、どちらがより巧みに守護聖のサクリアを扱えるか、女王に相応しいか競わせるわけだ」
「それがリュミちゃんとどう……!」
 言いながら気が付いたのだろう、はっとして、眉を寄せた。
「何、まさかそれも……?」
「そうさ。女王命令だからな、承知はしてるが、納得はしてない。互いに競わせて、どちらがよりその座に相応しいか、能力を見極めるための試験だ。それのどこが悪い? だがあいつに言わせれば、それもまた醜い争いだそうだ。そんなことをして傷つけあうのを、二人の間に修復できないようなしこりが残ったりするのを、まして負けた方が深く傷つく様を見たくないんだとさ」
 嘲るような笑みを浮かべて言いながら、短くなった煙草を灰皿で揉み消し、何本目かの新しい煙草に火を点ける。
「人間、生きてりゃいろんなことがあるんだ。傷つくことを恐れて何ができる? できやしない。傷ついて嘆いて、だがそこから立ち上がってより強くなる。実際、俺がそうだ。といっても、本当のところ、自分がどこまで強くなれたか、それは大いに疑問でもあるんだが。もしかしたらちっとも強くなんかなってないのかもしれないとも思うが、それでも、少なくとも俺は、その経験を糧に、自分の進むべき道を見出すことができた。とはいえ、自分一人ではどうにもできなくて、他人の手を借りてのことだったが。
 競い合うことだって同じだ。互いに競うことで自分を磨き、能力を向上させる、それのどこが悪い? 男同士なんざ、時には互いに思い切り殴り合って、それで理解することだってある。本音をぶつけ合ってぶつかり合って、それで喧嘩になったり、それっきりの付き合いになることもあるだろうが、それくらいできなきゃ、実際にするかどうかはまた別問題だが、気持ち的にはそれくらいの思いがなけりゃ、本当に相手を理解することも、自分を理解してもらうこともできやしないと、俺はそう思う。だから争うことが全て悪いとは、俺は思わない。もちろん、戦争は別だ。個人間のいざこざとはわけが違う。戦争は財産を奪い、生命を奪い、全てのものを奪う。その後で生まれてくるものもあるだろう、だが失ったものは返せない、俺の祖国のように」
 そう言って辛そうに目を伏せるオスカーに、オリヴィエは掛ける言葉を持たない。
「……人間は社会的動物だという言われ方をされることもあるが、人が集まれば、そこには様々な感情が生まれる。利害関係も生むだろう。そしてそれは憎しみとか、恨み、妬み、羨望── そういった負の感情を生み出すことにもなる。ある社会人類学者の言葉がある。
妬み(envy)はあらゆる社会に存在し、程度の差はあるにせよ、あらゆる人間の中に存在していると思われる。また妬みは、少なくとも無意識な形で危険で破壊的な感情とみなされている。それというのも、敵意を含んだ妬みは、やがて社会を破壊しうる攻撃と暴力を導く可能性があるからである
 ── と。その最も大きな暴力行為が、国家間の戦争ということになるんだろう。それを如何に回避するかが政治だな。だが人がマイナスの感情を持ってしまうことそのものは、止めようと思って止められるものじゃない。そうだろう? だからあいつの言うことを聞いてると、奇麗事をと、そう思っちまう。どうしても偽善にしか聞こえない。そして争いごとなんて関係ない、さぞかし幸せな人生を送ってきたんだろうと……。これも妬み、かな。だから俺はあいつが嫌いだ」
「成程ね。けど、そんなふうに思っててあの人、試験の方、問題ないのかしらね」
「大丈夫だろう。女王の命令、だからな」
「あんたは?」
「俺? 俺はもちろん自分の務めを果たすさ。たとえ何をどう思っていようと、仕事に個人の感情は挟まない。今までもそうだったように、これからもな」
 ── 問題は、それをどこまで抑えられるか、ってことか。
 オスカーの様子を窺いながら、オリヴィエは歎息した。
「じゃ、あとの三人は?」
「ルヴァは……、学者バカ」
 簡潔に一言。
 確かにそう言えると、オリヴィエは頷いていた。
「ジュリアスは……純粋培養された世間知らずの超エリート」
 言えていると、これまた頷きながら聞く。
「で、もう一つ言わせてもらえば、欠陥人間」
「けっ……!?」
 オリヴィエは口に運んでいたグラスから含んだワインを噴出しそうになって、慌てて掌で口を抑えた。
「ちょ、ちょっと、それどういう意味なわけ?」
「どういうって、説明しろと言われても困るんだが……。完璧な人間なんて、どこにもいやしない。皆、何かしら欠点は持ってる。けどあの人に対して感じるのはそういうことじゃないんだ。守護聖としては、ましてや首座の守護聖としては、おそらく完璧なんだろうと思うが、人間としては、根本的に何かが欠けてるような気がするんだよな。あの人には……人の心の痛みが分からない……。そうとしか思えないんだ」
 先に、あの男── と話に出たのが、ジュリアスのことを言っているのだろうことは見当がついていた。だから普段はジュリアスに忠実に従ってはいても、それは必ずしも本意ではないのだと、今では分かっている。あくまでも表面的なことに過ぎないのだと。だがジュリアスに対する評価としてこんな言葉を耳にすることになるとは思ってもみなかった。




※下線部分について:小松和彦氏の『憑霊信仰論』(講談社学術文庫)に紹介されているアメリカの社会人類学者G.フォスターの論文の一部から、さらに部分的に引用させていただきました。



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