im Wein ist Wahrheit - 10




 王立派遣軍の総司令官は、代々守護聖の内の一人が務めているが、総司令官などといっても、守護聖が直接指揮を執るなどということはもちろんなく、軍主催の式典への出席もまれで、それは肩書きのみの名誉職、言ってみれば紙の上だけの存在のようなものである。
 だが現在その地位にあるオスカーは違う。可能な限り軍の式典には参列している── それも守護聖の正装ではなく、総司令官たる元帥の軍服で── し、外界の任務で王立派遣軍が同行する場合には、直接指揮を執ることもあるのを、他の者はいざ知らず、少なくともオリヴィエは知っている。
 現に、かつてオリヴィエとオスカーが同じ任務で外界に赴き、それに軍が同行した時がそうだった。そしてその際、軍人たちはオリヴィエのことは、敬称を付けて他人行儀に「守護聖様」と呼んでいたが、オスカーのことは、“閣下”と、敬愛の意を込めてそう呼んでいた。
 彼らにとってオスカーは遠い雲の上の存在ともいえる守護聖ではなく、もっと身近な、自分たちと同じ軍人で、敬愛する上官なのだ。
 それはオスカーにとっても同様なのだろう。彼らと共にある間、もちろん任務遂行中は別だが、ずっと穏やかな顔をしていた。聖地にいる時には決して見せたことのない顔だった。無駄な力の入っていない自然体と言える状態というのだろうか。
 その任務の間、まるで自分一人が部外者のようだと、オリヴィエは思えてならなかった。
 そうしてオリヴィエは知っていた。オスカーが聖地を抜け出した先で訪れるのが、女の元だけではないということを。女の元を訪れるのと同じくらいに、あるいはそれ以上に訪れているのが、軍の基地、総司令部だということを。
 以前、一緒に聖地を抜け出して外の店で飲んで遅くなった時、わざわざホテルをとるのもなと引っ張っていかれたのが、王立派遣軍の本部だった。そこにはオスカーのための部屋があって、いつオスカーが訪れてもいいように用意されているとのことだった。
 そして泊り込んだ翌日に目にしたのは、軍服を着込み、総司令官の執務室で報告を受け、あるいは指示を出しているオスカーの姿だった。
 廊下を歩けば、擦れ違う軍人たちは立ち止まって敬礼をしてくる。それに一言二言声を掛けながら、軽く答礼を返す。そうすると、若い士官などは嬉しそうに頬を紅潮させる。彼らにとって、オスカーは憧れの存在なのだろう。
 そんな姿は、とても馴染んだ、全く違和感のない印象を与える。まるで、そここそが彼の在るべき場所であるかのように。
 守護聖として聖地に迎えられる前、王立派遣軍とは全く関係なかったとはいえ、士官学校を出、軍に在籍し、戦場にその身を置いたこともあるオスカーは、軍というものを、軍人というものをよく理解しているのだろう。それが王立派遣軍を掌握するのに役立っているだろうことは否めない事実だ。そしてもう一つ別の側面から言えるのは、オスカーはどこまでも軍人なのだということだ。守護聖として聖地にあるよりも、軍服に身を包み、その場にある方がオスカーにとっては自然なのだと、オリヴィエはそう受け止めた。
 永い年月を共にする聖地に在る自分たちを含めて僅か九人の守護聖よりも、常に共に在ることはできなくとも、王立派遣軍の軍人たちの方が彼にとっては遥かに身近な存在なのだと、そう突きつけられたような気がしていた。
 彼らにしても、彼らが仕えるのは聖なる女王だと分かっていても、もしどちらかを選べと言われたならば、顔を見たこともなければ声を聞いたこともない、話でしかしらない女王などよりも、自分たちを理解し、気に掛け、自分たちの元に降りてきて共に在ろうとしてくれるオスカーを、何の躊躇いもなく選ぶだろう。
 そんな軍に対して、もしオスカーが、彼の集めたデータを公表し、聖地への叛意を促したとしたら──
 そんなことはないと、あるはずがない、起きようはずがないと、そう否定し、けれど憎んでいると言い切るオスカーに、完全には否定しきれなくて、思わず躰が震えるのを止められなかった。
「……ねえ、オスカー……」
「なんだ?」
 オリヴィエの小さな呼び掛けに、オスカーは煙草に火を点けながら応えた。
「さっき、守護聖も憎んでるって、言ったよね。……私のことも……?」
 オリヴィエのその問いに、オスカーは一体何を、という顔をして目を見開いて、それから小さく息を吐き出した。
「言い方が悪かったな……。憎んでると言ったのは、守護聖の誰、ということではなくて、守護聖という存在そのものだ。おまえのことは……」
 そこまで言って、続く言葉を探すかのように一旦言葉を切った。
「私のことは?」
「……いい友人だと、そう思ってる。唯一、本音をぶつけられる相手だと。もっとも、ここまでのことは流石に言えずにいたがな。おまえには迷惑かもしれんが」
 そう言って、寂しげな微笑みを浮かべるオスカーに、オリヴィエはオスカーには分からぬように小さく安堵の溜息をついた。それから立ち上がって、ソファに戻って座りなおす。
「じゃあ、他の連中のことは?」
「他の連中?」
「そう、他の皆のことはどう思ってるの?」
 言いながら、喉の渇きを覚えたオリヴィエは、まだ僅かに震えの残る腕でグラスにワインを注いだ。それを口に運びながら、じっとオスカーの表情を見つめる。
「そうだな……」
 暫く考え込むようにしていたオスカーは、ゆっくりと口を開いた。
「マルセルは、まだまだ子供、だな。ゼフェルは、ひねくれたガキ。守護聖になった時の経緯もあるし、元々素直とは言いがたい性格なんだろうな。けど、アイツのはいわば反抗期のようなものだろう、いずれは落ち着くさ。ランディはゼフェルとは正反対で、純情で、素直だよな。剣筋にも、それが現れてる」
 そこまで言って、オスカーは小さく微笑った。察するに、ランディに剣の稽古をつけてやっている時のことでも思い出しているのだろう。
「ランディは、俺とは違って、正真正銘、女王陛下の忠実な騎士になるだろうよ」
 そう言いながら見せた顔は、つい今し方見せた笑顔とは正反対に、皮肉気に歪んでいた。
「……リュミちゃんは?」
 オリヴィエはそんなオスカーに気付かぬ振りをして、次を促した。
「リュミエールか……。俺は、あいつは嫌いだ。最も、あいつも俺のことを嫌ってるだろうからお互い様、ってやつか」
 オスカーとリュミエールの仲の悪さは周知の事実だ。
 炎と水、強さと優しさ── 相反するものを司る二人は、性格も考え方も対極にあると言ってよかった。だが違うからこそ、相手を理解することができれば、互いに無いものを補い合うことができるだろうにと思うのだが。





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