im Wein ist Wahrheit - 9




「あんたからそんな言葉を聞くとは思わなかったわ。……って、オスカー、あんた何してるのっ!?」
「何って……」
 いつの間に取り出したのやら、オスカーは新しいグラスにワインを注いでいた。
「今夜はもうやめときなさいって言ったでしょっ! 怪我してるんだから!!」
 身を乗り出し、声を荒げて制止するオリヴィエを無視して、オスカーは注いだばかりのワインを一気に呷った。
「オスカーッ!!」
「素面でできる話じゃないだろ。それに怪我ったって、大した傷じゃない、こんなの怪我のうちには入らんさ」
「大したことないって、そりゃあんたんとこの執事にはそう言ったけど、結構深いのもあったんだから!」
「こんなのかすり傷ですらないさ」
 包帯を巻いた右手を見つめながら、オスカーは呟くように言う。
「核の炎に焼かれ、放射能の渦に呑み込まれ、そうして死んでいった皆に比べれば、こんなものは傷のうちには入らない」
「オスカー……
「しかも母親や妹、友人たち、同期の連中── 多くの同胞たちが苦しみながら死んでいく時、俺は何も知らずにこの聖地でのほほんと過ごしてたんだ」
 唇を噛み締め、苦渋に満ちた顔を見せるオスカーにオリヴィエは胸が詰まった。
「知らなかったんでしょう? 仕方ないじゃない、あんたが悪いわけじゃない」
 そんな慰めの言葉など何の役にも立たないだろうと、分かってはいたが、オリヴィエは他に言うべき言葉が見つからなかった。
「知らなければ許されるのか? 責任は無いと、言えるのか?」
 俯きながら、震える声で問い返すオスカーに、オリヴィエは答えを持たない。
「それは……」
「誰も何も教えてくれなかった。俺の祖国のことなのに、誰も何も言ってくれなかった。そしてそのことを詰め寄った俺に、ディアは言ったよ、
『いつかは知れることと分かっていました。けれど、守護聖交代という大切な時に、貴方に動揺を与えたくなかったのです』
 とな。それからこうも言ってたな。
『貴方のためを思えば、知らずに済めばそれが一番良かったのですけれど……』
 ── 何が俺のためだ? 本当に俺のためを思うなら、なぜ教えてくれなかった!? 知ったからと言って何かできたわけじゃない、それはそうだ。だからその時にすぐにとは言わない、後からでも良かったのに、なぜだっ!? 何も知らず、正式に守護聖となって、これからこの宇宙を守り育成していくために聖なる女王陛下に仕えるのだと、意気揚々としていた俺は馬鹿みたいじゃないか、まるで道化師(ピエロ)だ!」
 そこまで言って、また新たに注いだワインを乱暴に呷る。だがオリヴィエにはもうそれを止めることはできなかった。止めろとは言えなかった。
「しかも、それだけじゃない。今もはっきり覚えてる、あの男は……」
 ── あの男(・・・)
「『そなたには気の毒だと思うが、与えてやってサクリアをあのような方向にしか活用できぬ愚かな民だったのだ。悲嘆にくれる気持ちは分からぬでもないが、忘れることだ』、そうほざきやがった! 何が愚かな民だ!? 育成と称してサクリアを送り続け導いたという連中に、俺たちがそうなっていった責任は無いというのか? 何も知らず、知ろうとせず、全てを数値で推し量ろうとする奴らに、俺の、俺たちの何が分かるというんだ!? 俺の生まれ育った国だ、あそこには俺の家族や友人たちがいたんだ、大勢の同胞がいたんだ、それを簡単に、忘れろだと? そんなこと、できるものか!!」
 叫ぶように言って、強く握り締めた拳をテーブルに叩きつける。巻かれた包帯に血が滲み出していた。
「オスカー、止めなっ!」
 気が付いて、オリヴィエは一度は脇に片付けた救急箱を手に取って立ち上がった。
「何馬鹿なことやってんの!」
 言いながら包帯を外し、再度消毒して傷薬を塗り、新しい包帯を巻いていく。
 その間、オスカーは何も言わず、俯いたまま黙ってオリヴィエに右手を預けていた。
「オスカー、あんた……」
 ── 泣いてるの?
 黙ってしまったオスカーに不安になって呼びかける。それに応えるように、オスカーが顔を上げた。けれど、もしかしたらとオリヴィエが思ったように、オスカーの顔は涙に濡れてはいなかった。
「……何だ……?」
「……泣いてるのかと、思った……」
「泣く? 俺が?」
 オスカーは自嘲気な笑みを口元に浮かべた。
「……あの惨状を見た時に、涙は流し尽くした。もう、流す涙なんか、残ってやしない……」
 泣かないのではなく、泣けないのだろう。けれど、その代わりに、心の中ではずっと血の涙を流し続けているのではないかと、オリヴィエにはそう思えた。
 そして確かに目の前にあるオスカーの瞳は、悲しんでいる者のそれではない。変わりにその瞳の中にある暗い光は、それ以上の感情を伺わせる。
「オスカー……、あんた、聖地を、憎んでる、の……?」
 オスカーが聖地を嫌っているのは、否定しているのはもう分かっている。哀しみ以上の感情── それは憎しみ、憎悪── と呼ぶ類のものに、オリヴィエには見えた。
「……分かったか?」
 包帯を巻き終えたばかりの右手で前髪を掻き上げながら、暗い嘲りのような笑みを浮かべて、オスカーはまるで他人事のように告げる。
「そうさ、憎んでる。聖地を、女王を、俺を含む守護聖を、そして、聖地というシステムを生み出し、聖地に寄って成立しているこの世界、宇宙そのものを!」
 その言葉に、そこまで、と、オリヴィエは愕然とした。
 この世界がどうなろうと知ったことではないと、そう言ったのは、投げやりなのではなく、本当はどうにかなることを願っているのではないのかと、そんな考えが頭の片隅を(よぎ)った。
 そしてこの男は、その気になればこの世界をどうにかできるだけの具体的な力を、王立派遣軍という武力を保有している。この男が本気になれば、今の王立派遣軍は、女王でも、首座たる光の守護聖でも、他の誰でもない、この男の指示に従うだろう、それがたとえどのような命令であれ。そう、例えばそれが聖地に対する叛乱であったとしても。軍に対して、そこに所属する軍人に対して、オスカーはそれだけの影響力を、確かに持っているのだ。





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