im Wein ist Wahrheit - 8




「そう、媒体」
 頷きながら同じ言葉を繰り返すオスカーに、オリヴィエは訝しげに眉を寄せた。
 器── という言い方は、理解はできる。確かにある意味、言いえて妙だと。だが、媒体とはどういう意味なのだろう。
 媒体とは、簡単に言えばなかだちをするもの、媒介するものだ。器という言葉の意味するところとは大きく異なる。
「ちょっと待ってろ」
 意味を図りかねているオリヴィエをおいて、オスカーは立ち上がると続きの間の寝室に向かった。
 その背を見送って、オリヴィエはソファの背もたれに身体を預け、前髪を掻き上げながら、大きく息を吐き出した。頭の中に浮かぶのは一言。
 失敗した── と。後悔しているわけではないけれど。
 空いていたグラスにワインを注ぎ、それを一息にあおる。続けざまにもう一杯。
 そんなオリヴィエの前に、戻ってきたオスカーが2冊のファイルを差し出した。
「この辺が分かりやすいだろう」
 何があるのかと、疑問を浮かべながらグラスを置いてファイルを受け取る。
 オリヴィエがファイルを開くのを横目に見ながら、オスカーはソファに腰を下ろし、ファイルと一緒に寝室から持ってきたシガレットケースから煙草を1本取り出して火を点けた。
 深く吸い込んで、煙を吐き出す。何も考えず、またオリヴィエに声を掛けることもなく、その煙の行方を目で追う。それを繰り返し、1本目を吸い終えて2本目に火を点けたところで、オリヴィエの発した声が聞こえた。
「何よ、これ……」
 最初、信じられないものを見たというように、その声は小さく、微かに震えていた。
「オスカー、何なのよ、これっ!?」
 だんだんと声を荒げ、ファイルを開いたまま、オスカーに突きつけながら問う。
 それにオスカーは何の感情も見せぬ瞳でオリヴィエを見つめながら、静かに答えた。
「見た通りのものだ」
「……つまり……」
 オリヴィエのファイルを持つ手が、ぶるぶると小刻みに震えている。そこに示されたものに、動揺を隠せないというように。
「これが……、あんたの説の根拠って、わけ?」
「そうなるな。全てを調べきれてるとは言い切れない。俺が調べはじめる前の分については、確実なものとは言い難いし、それほどはっきりした数値じゃないからいくらでも否定できるがな」
「……何かの、間違いよ。でなきゃ、ただの偶然だわ……。だってそうじゃない、もしあんたの言う通りだったら、この数値の示すものが本当なら、私たちがしてることは……!!」
 言葉に詰まる。それ以上は、声に出しては言えなかった。恐かったのだ。それを口に出してしまえば認めてしまうようで。そうしたら、自分の、自分たちの存在する意味そのものが崩れ去ってしまいそうで。
「……おまえの言う通り、単なる偶然なのかもしれない。俺にだって確信はない」
 テーブルの上に放り出すようにして置かれたファイルを手に取って、パラパラと中を捲りながら、オスカーはオリヴィエの顔を見ることもなく静かに告げた。
「俺は聖地に、サクリアに疑問を持っていた。今のおまえの頭の中には俺の言葉が引っ掛かってる。そんな状態で見るからそう見えるだけなのかもしれない。これを見たのが何も知らない人間だったら、たぶん、俺が考えたようには、そして今おまえがおまえが思ったようには思わない可能性も十分にある。そう思うには、宇宙全体で考えた場合には、本当に小さな数値だからな」
 そのファイルに掲載されているのは、在る惑星における数値の変動だ。
 一つは送られたサクリアの量。そしてもう一つは、その惑星自体と、その周辺地域におけるエネルギー値の変化。
 グラフの中で、送られるサクリアが右肩上がりに増えるのとまさに反比例するかのように、対称的に綺麗に、エネルギー値は右下がりに下降していた。
 確かに、オスカーの言うように小さな数値だ。だが紛れもなくエネルギー値は、送られるサクリアに連動するかのように減少していることをそのグラフは示している。
 それに、オリヴィエはオスカーの“媒体”と言った意味を汲み取った。
 守護聖はその躰の内にサクリアを持っているのではなく、周辺のエネルギーを取り込みそれをそれぞれのサクリアという力に変換して与えることのできる、つまりは媒体としての力を持つ能力者なのだと。
 仮にこれが事実であるとするなら、それはつまり、サクリアを使えば使うほどに、この世界から、この世界の存在自体を支えているであろうエネルギーが失われるということだ。そしてその行き着くところは、崩壊── 。まさに現在のこの宇宙の状態だ。
 オリヴィエは身体が震えだすのを止められなくて、自分で自分の体を抱き締めた。
「……これ、他に知ってる奴はいるの? 誰かに話した?」
 オリヴィエの問いに、オスカーは僅かに顔を上げて唇だけで小さく笑った。
「……言うはず、ないか」
 オリヴィエは言いながら息を吐き出し、それから思いついた。
「ちょっと待って。これ、あんたが一人で調べたわけじゃないでしょう? これを調べた人間は、気付いてるんじゃないの!?」
 点けたまま殆ど吸わずにいた2本目の煙草の火を灰皿で揉み消しながら、オスカーは答えた。
「もちろん、おまえが言うようにいくらなんでも俺一人じゃ調べられないからな。守護聖権限、というよりも王立派遣軍の総司令官として、軍の諜報部を動かしている。科学的なデータ収拾となるとどうかと思ったが、結果は見ての通りだ。軍の諜報部は、情報収集ってことに限って言えば正にプロだからな、王立研究院なんかよりずっと優秀だぜ。おまけに余計な推測が入りこまないからな」
「……じゃあ、軍はこの事実を……」
「まだ気付いてはいないだろう」
「どうして? だって、軍に調べさせたんでしょう?」
 疑問を顔に浮かべて問い質すオリヴィエに、オスカーは苦笑を浮かべた。
「機密を守る一番の方法は何だと思う? それはな、何も知らないことだ」
 オスカーの言っている意味を分かりかねて、オリヴィエは眉を寄せた。
 確かに何も知らなければ秘密が漏れることはない。だがそれでは調査にならないではないか。
「一人で何もかも調べなきゃならない時はそうはいかないが、複数の部署、人間を使って調べる時には、それぞれに独立して横の繋がりをなくして調べさせればいい。何を調べているのかは分かっていても、何のために調べているのか分からなければ、そして同時に調べている他の部分が分からなければ、答えは出ない。ましてこの調査は俺にとってはほんの数年でも、奴らにとってはそうじゃない。代々長期に渡ってのものだ、なおさら全体像は掴めない。後は、それを集めた人間が、つまりは俺がどう判断するか、だ。だから、この館でそれらのデータを纏めている極一部の例外を除いて── そいつらだってどこまで理解しているか、はっきりと聞いたことはないから疑問なんだが── 、少なくとも他のやつらはたぶんまだ何も気付いてないと思う。集めさせたデータは、全て俺のところに上げさせるのと同時に、この館の地下に設置してあるコンピュータ以外の、軍のデータバンクからは削除させてるしな」
「……たいしたもんだわ……」
「俺はただ、教えられたことを忠実に実践してるだけさ。何かをしようと思ったら、そしてそれを成功させようと思ったら、可能な限り全ての情報を集め、それを正確に分析する。いかに情報を握るか、それが作戦を成功させるための鍵だと、そう教わったからな」
「……そういや、あんたここに来る前は軍にいたって言ってたっけ。で、あんたはこれをどうするつもりなの?」
 オスカーの卒のなさに呆れながらも、完全ではないかもしれないが、他に知る者は誰もいないということに安堵しながら、もう一つの疑問を口にした。
「どうもしない」
「えっ? どうもしないって、じゃあ、あんた何のために調べたの!?」
「知りたかったから調べた、それだけだ。けど、そうだな、俺がここを去る時の置き土産にでもしてやるさ。残る奴らがこれをどうするか、それはそいつら次第だろう。俺はそいつらがどうしようと知らない。俺が死んだ後にこの世界がどうなろうと、知ったこっちゃないからな」
 投げやりに吐き出される言葉に、オリヴィエは息を飲んだ。
 とてもこの宇宙を守る、守護聖たる立場にある者の言葉とは思えない。
 たぶん、それはオスカーの本音なのだろうけれど、今までのオリヴィエの知っていた強さを司る炎の守護聖たるオスカーの言葉とは、すぐには信じられなかった。余りにもギャップが大きすぎた。今まで見知っていたオスカーは彼のほんの一面、表面だけ。それもオスカーが意図的にそう見せていたに過ぎなかったのだと、今夜話を聞きはじめてから気付かされはしていたが。それでもこんなふうに投げやりな言葉を聞く羽目になるとは思いもよらなかった。





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