im Wein ist Wahrheit - 7




「言ったよな、この聖地の歴史は、この宇宙が創生されてからの時間で考えれば数万分の一にも満たない、と」
 先に言われた時は何を言っているのかと、驚きが先に立った。だが、考えてみれば確かにその通りなのだろうとオリヴィエは思った。先に聖地ありき、ではない。まず世界── 宇宙── があって、その世界の発達の過程の中で、聖地が成立したのだろうと思えるから。
「……ええ」
 しかし、オリヴィエは小さな声で頷くことしかできなかった。
 今、頭の中で警鐘が鳴っていた。これ以上聞いてはいけないと。聞いたら、オスカーに引きずられる、引き返せなくなると。
 だがいまさら止めるとは、聞かないとは言えない。
「聖地の成立以前の世界はどんなだったと思う? 聖地から送られるサクリアによる育成が行われる以前、この世界はどうだったと思う? 何もない、未発達の原始社会だったとでも思うか?」
「さあ……?」
 オリヴィエは首を傾げるしかなかった。
 そんなことは考えたこともなかった。自分が知っているのは、聖地に、女王によって統治されたこの今の世界だけだ。それ以前のことは知らないし、誰からも教えを受けたことも、聞いたこともない。この世界にとっては、聖地と、そこにあるサクリアを操る女王と守護聖たちの存在が前提なのだから。
「聖地が成立する遥か前にも文明はあったんだ。サクリアなんか関係ない、そんなものとは無関係に発達した文明が、人間社会があった。それは残された遺跡が証明している。ところがなぜか、それらは完全に無視されている。現存する遺跡以外には何もない。それらの文明に関する資料はどこにもない。ことごとく何一つとして。遺跡そのものの資料── たとえば、いつ頃のものかとか、大きさとか、そういった具体的はものはかろうじて残されているが、それだけだ。そこにはどんな人々が住み、どんな文明があったのか、本来ならあってしかるべきそれらの考察資料が何もない。なぜかな?」
「…………」
 まさか、といやな考えが頭を(よぎ)る。そんなことあるはずがない、あっていいはずがない、と思いながら、“抹殺”という単語がオリヴィエの脳裏に浮かんだ。
「俺は、消されたんだと思ってる、聖地によって意図的に。聖地が成立し、聖地による支配が確立されていく中で、それらの古い文明は、あるいは呑み込まれ、あるいは淘汰され、そうして消えていったのではないかと。それらが存在するということは、聖地という存在がなくとも文明は発達し、社会が存在しうるということの何よりの証明だ。それでは聖地の存在する意味はない。聖地が確実に世界を支配し統治するには、聖地の存在を否定するかのようなそれらは無用のもの、いや、むしろ邪魔だった。現在はともかく、かつて聖地が成立しその支配を確たるものにしていく過程においては、そうだったはずだ。だから消したんだ。遺跡そのものはいずれも非常に古いもので、それらの星は既に人に捨てられ、住む者も、訪れる者も誰もいない。捨てられて、というのもどうかと思うがな。もしかしたら捨てさせられたのかもしれない。追われたのかもしれない」
 オスカーはそこまで一息に話したあと、喉を潤すために、すっかり冷め切ったコーヒーの残りを飲んだ。
「オリヴィエ、サクリアという力を、どう思う?」
「どう、って……」
「……サクリアを送られた場合と、送られなかった場合と、どう違うと思う?」
 先の問いに答えあぐねるオリヴィエに、オスカーは質問を変えた。
「……育成に、発達に差が出るでしょうね」
「その通りだな。たとえば、ある事を成し遂げるために、十年掛かるとしよう。だがそこにサクリアを送られればそれは短縮されるだろう。半分の五年くらいでできるかもしれない、それ以下かもしれない」
「何が言いたいの?」
「俺はな、サクリアとは言ってみれば、人間が楽をするために得た力だと思ってる。かつては努力して苦労して時間をかけてゆっくりと手に入れていったもの、発達させていったものを、ただ祈ることで手に入れる、100の力が必要だったものが、たとえば半分の50で済む── サクリアを行使することによって、社会の発展を人為的に操作し、管理し、そしてその力を統括することでこの世界を支配する── だがそれは、本当に人間のために良いことなのか? この世界にとって本当に正しいことなのか? 俺は思う、それは本来の在り方を歪めているんじゃないかと」
 そこまで言って、オスカーは大きく一つ息を吐き出した。
「……今まで話したことはあくまで俺が自分で調べたことから、考え推測したことに過ぎない。だからこの考えが当たっているかどうかなんて知らない。だが俺には、この世界の在り方は間違っていると、そうとしか思えないんだ。サクリアの多用は、この世界の調和を図るよりもむしろ、本来あるべき姿を歪めているように思えてならない。そしてそれがこの世界の崩壊を……っ!」
 そこまで言って、しまった、という顔をして、オスカーは言葉を切った。まずったと、前髪を掻き上げながらどうしようかと思いを巡らした。どう誤魔化そうかと。
「……気にしなくていいわよ」
 そんな様子のオスカーに、オリヴィエは一つ息を吐き出しながら告げた。
「オリヴィエ……」
 腕を下ろしてオリヴィエを見ると、オリヴィエは真っ直ぐにオスカーを見つめていた。
「この世界が現在(いま)崩壊に向かってるのは、私だって気付いてるわ。分かってないのは、あのお子たちたちぐらいのもんでしょ。今回の異例の女王試験だって、そのあたりが原因なんでしょ?」
「そう、か。気付いてたか」
「馬鹿にしないでよね」
「馬鹿にしてたわけじゃないんだが、今はまだ内密に、とのことだったんでな」
 オスカーは躰の力を抜いて、大きく息を吐き出した。
「で、あんたはその崩壊に、サクリアが関係してるって思ってるの? この宇宙はサクリアのバランスを図ることによってその調和を保っているって、教えを受けたんだけど」
 オリヴィエは覚悟を決めた。この後オスカーが何を言おうと、約束した通り、最後まで話を聞こうと。オスカーがその内に溜め込んでいるものを全て吐き出させようと。
「俺もそう教わった。だがな、最近の事象を見ると、そうとも言えない」
「……何が起こってるっていうの?」
「時々、(ひず)みが発生してる。その発生する場所には、一つの共通点とも言えるものがある」
「何なの……?」
 本当にそこまで言ってしまっていいものか、オスカーは逡巡した。
 おそらく、自分の他には誰も気付いていないだろう。王立研究院ですら。聖地の在り方に疑念を抱き、過去、聖地が成立した頃から現在に至るまで、可能な限りで全てを調べ上げたからこそ気付いたことだ。
「何なの、言って!」
 オリヴィエは不安に駆られて、オスカーに詰め寄った。一体、今何が起きているというのだ。王立研究院からも、首座たる光の守護聖からも何の報告も受けてはいない。自分たちの知らないところで何が起こっているというのだろうか。
「……共通点というのは、少し違うかもしれないが……」
 躊躇いながらも、オスカーは自分自身に確認するようにしながら言葉を綴った。
「送り込まれたサクリアの量だ。蓄積されたサクリアの量が多い惑星から、まるで順番のように、その周辺に歪みが発生している」
「なん、ですって!?」
 オリヴィエは思わず腰を浮かせていた。
「惑星そのものには異常は見当たらない。だが、歪みが発生しているのは明らかにそういった惑星の周辺だ。俺は、過去から現在まで可能な限り、座標ごとにそれぞれの地域、惑星に送られたサクリアの量も調べた。サクリアを送り続けることによってどうなっていくのか知りたかったからだ。そして最近の歪みの発生する場所を確認していて気が付いた。これは、どういうことだと思う?」
 オスカーの問い掛けに、オリヴィエは答えられず、力が抜けたようにソファに腰を落とした。
「どういうことだ、なんて……、分からないわよ、私には……」
 分からないというより、考えたくない、というのが正しいのかもしれない。今までのことが全て根底から覆されるようで、自分たちの存在も否定されるようで。
「……これも俺の推測だが、俺たち守護聖はサクリアのための“器”という言い方をすることがあるが、器というよりは媒体(・・)なんじゃないかと思う」
「媒体?」





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