「そのことで、何か執務に支障をきたしましたでしょうか?」
首座を務める光の守護聖ジュリアスの執務室の扉を軽くノックして、応えを待たずに開けた夢の守護聖オリヴィエの耳に最初に飛び込んできたのは、光の守護聖の片腕とも言われる、その司る力をそのまま映したかのような緋色の髪をした炎の守護聖オスカーの声だった。
── まずいところに来ちゃったかしらね?
そう思い、そのまま黙って扉を閉めた。もっとも、珍しくジュリアスに逆らっているかの如きオスカーに、一体何があったのかとの好奇心から、しっかり閉めることはせずに、僅かに隙間を空けてのことであったが。その隙間から微かに二人の遣り取りが漏れ聞こえてくる。
「幸いそういったことはないようだな。だが……」
「でしたら、プライベートについてまで、いかにジュリアス様といえど、口出ししていただきたくありません」
「私とて、言いたくて言っているわけではない。だがもう少し守護聖として……」
「お言葉ですが、守護聖としての務めはきちんと果たしているつもりですし、執務に関してならば、あるいはプライベートの問題とはいえ、何か執務に支障をきたしたというのであれば致し方ありません、どのようなご命令にも従います。ですがそうでないのならば、プライベートの過ごし方についてまで、あれこれ指図を受けるいわれはないと存じますが、如何?」
「命じているわけではない、もう少し自分の立場を考え、自重しろと申しているのだ!」
オスカーを前に珍しく感情的に声を荒げているジュリアスに対し、オスカーは冷静に、感情を表面に表すことなく対応していた。
「まして、間もなく女王試験がはじまる大切な時期、女王候補の少女たちがこの聖地にやってくるのだ。その彼女達に対して、そなたがもし……」
「くくっ」
ジュリアスの物言いに、オスカーは喉の奥で小さく嘲笑った。
「オスカーッ!!」
ジュリアスは、オスカーのまるで自分を馬鹿にしたかのようなその態度に、怒りを覚え、思わず拳で机を叩いていた。
「女王候補のお嬢さん方には、きちんとそれなりの対応をさせていただきますよ。たとえプライベートの時間であっても、そのお嬢さん方はほかの女性たちとは違いますからね。そのくらいは言われるまでもなく承知しています。ご懸念にはおよびません。他になければ、本日はこれで失礼させていただきます。では」
まだ何かを言いたいらしいジュリアスに一礼し、元軍人らしい無駄のない動きで踵を返すと、オスカーは足早にジュリアスの執務室を後にすべく扉を開けた。
「はあい」
扉の脇に立っていた夢の守護聖オリヴィエが、片手を上げながらオスカーに声を掛けた。
「随分と珍しいこともあるもんね、あんたがジュリアスに逆らうなんてさ」
そう話し掛けてくるオリヴィエに、オスカーは一瞥だけをくれると、何も答えずにその場を後を立ち去った。
「あら、何も反応なしなわけ?」
いささか拍子抜けしたように呟きながら、オリヴィエはここに来た当初の目的を果たすべく、改めてノックをして扉を開けた。
その日の夜── 。
私室でウィスキーを注いだグラスを片手に、本を読みながら寛いでいたオスカーに、執事のハインリッヒが控えめに声を掛けた。
「オスカー様、オリヴィエ様がおみえでございますが」
「オリヴィエが?」
予定にない来訪者の名を告げられて、オスカーは訝しげに眉を寄せたが、次には、あの件かと、オスカーは頷いていた。
「はあい、オスカー」
了承もせぬうちに、オリヴィエはいつもの派手な出で立ちで部屋に入ってきた。
「珍しくいたわね。今夜も出かけてるかと思ったんだけど。それともやっぱりジュリアスに言われて、自粛したのかしら?」
「必ずしも毎晩出かけてるわけじゃないさ。それに、ジュリアス様に言われたからじゃない。明日は早くから視察に出るんでな、それで控えただけだ」
それは、嘘、だ。確かに明日の視察は事実だが、そういったことがなければ、オスカーはほぼ毎晩、聖地を抜け出しているのが実情だ。
「あら、そうなの」
「で、何の用だ?」
「美味しいワインが手に入ったんでね、一緒に飲もうかと思って」
「それだけか?」
言いながら、オスカーは唇の端を上げて意地悪げな笑みを浮かべた。
「昼間、珍しいものを見たもんだから、ちょーっとばかり気になってね」
「やっぱりな」
そう答えて溜息を一つ。
「いつまでも突っ立ってないで座ったらどうだ?」
たぶん、好奇心を満足させるまでは帰らないだろうと踏んで、オスカーはオリヴィエに、自分の向いにあるソファを勧めた。
言われるままにオリヴィエがオスカーの向い側のソファに腰を下ろした時、いつの間にか退室していた執事が、ワイングラスとつまみになるものを持って入ってきた。そして二人の間のテーブルにそれらを置くと、「ごゆっくり」とオリヴィエに告げて、静かに部屋を出ていった。
それを見届けて、オリヴィエは持参した赤ワインを2つのグラスに注いだ。
片方のグラスを取り上げて、オスカーはワインを口に含む。舌の上で転がすようにして味わってから飲み込む。
「で、何が聞きたい?」
まだ中身の入っているグラスを揺らしながら、オリヴィエが何を聞きたいのか察していながら、あえて尋ねた。
「んー、あんたがジュリアスに逆らうなんて珍しいこともあるもんだと思ってさ、一体何があったのか、って気になったわけよ」
「……別に、逆らったつもりはないんだがな。単にプライベートなことにまで口を挟んでほしくないと言っただけで」
「そりゃ確かにそうだわね。でもそれで、あんたがジュリアスに口答えすることがあるなんて思ってもみなかったわ。ちなみに、何言われたの? ま、だいたいの見当はつくけど。どうせ女性関係のことでしょ?」
「分かってるじゃないか」
笑って応えながら、オスカーは空いたグラスにワインを注いだ。
「守護聖としての立場を自覚しろとの仰せだ」
「で、どうするの? 少しは自粛する気とかあるの?」
「……さてね」
唇の端を僅かに上げて、そんな気はさらさらないとでも言うように、人をくったような笑みを浮かべる。
「誰かに迷惑をかけたとか、執務に支障をきたしたとかっていうなら別だがな」
「けど、もしかしたらこれから何かあるかもしれないじゃない。そしたらどうするの?」
「そんなことにならないように相手は選んでる。現に、デートに誘われれば応じはするが、素人の娘には手をつけちゃいないぜ」
「素人の娘にはって、じゃ、あんた、もしかして外で女を買ってるの!?」
オスカーの答えに、驚いて目を見開いて尋ねるオリヴィエに、オスカーはニッと笑って、グラスを口に運んだ。
「彼女たちなら後腐れはないからな。それに余計な詮索はしないし、甘えさせてくれる。最近通ってる女は、そりゃあいい女だぜ。何せ、この俺を坊や扱いするような女だからな」
言いながら、昨夜抱いた女を思い出す。
自分を抱き締め返してくれた女の白い柔肌、豊満な胸、甘い唇付け……。
「時間の流れの違いを考えれば、もうそんなに会えないだろうけどな。女を抱いている時だけ、立場も嫌なことも何もかも忘れて、ただの男に戻れる。俺は人間なんだって、生きてるんだって、実感できる。……でなきゃ、やってられるか」
最後の言葉は苦虫を噛み潰したような顔で、小さく呟かれた。明らかにオリヴィエに聞かせたものではなかったが、オリヴィエの耳にはしっかりと届いていた。
「オスカー……、あんた……」
それは、普段のジュリアスに付き従っている姿からは考えられない言葉だ。一体この男は、その身の内に何を抱え込んでいるのだろうと、言いようのない不安を覚えるオリヴィエだった。
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