im Wein ist Wahrheit - 2




 翌朝、予定通りに輸送機で基地を()ったラフォンテーヌが首都にある空港に到着すると、そこには総司令部からの迎えの車がきていた。
 一介の、士官学校を卒業したての少尉に対して、考えられない扱いだ。
 その事実に、人からは豪胆とか、恐いもの知らずと言われるラフォンテーヌだったが、らしくもなく躰が震えるのを覚えた。これから行く総司令部に一体何があるというのだろうと、疑問だけが大きく膨れてあがっていく。
 総司令部に到着して案内されたのは、ザルービナ共和国軍において現在ただ一人、元帥の地位にあるヘルベルト・クールマンの執務室であった。
 はじめて足を踏み入れるその部屋は、前線基地の司令官であるウィロビー中将の執務室とは、比較にならぬほどに広く、そしてまた置かれている調度品の類も高価なものばかりであることは、さしてそういったものに造詣のないラフォンテーヌにも一目でそうと知れた。しかしあくまで機能性に主眼が置かれていることは変わりなく、決して嫌味はない。
 執務室には、ニュース映像などで見知ったクールマン元帥の他にもう一人、見知らぬ男がデスクの脇に置かれた応接セットのソファに足を組んで腰かけていた。
 年の頃は、20代後半から30前半といったところだろうか。その男のどこかしら時代がかったような衣装は、明らかに軍服を模したものと知れたが、それはザルービナ共和国軍のものではなかった。といって、敵国のものでもなかったが。
 ラフォンテーヌは、自分が緊張しているのを過ぎるほどに自覚していた。今、彼の目の前にいるのは稀代の英雄と言われるクールマン元帥、その人である。
 ラフォンテーヌが生まれる前から軍籍にあり、彼が物心ついた頃には、既に英雄と呼ばれていた人物だ。誰もがクールマンのように功上げ名を上げたいと望んでいる。だが、それを現実にできる者は殆どいない。
 緊張からか、喉が乾いているのをラフォンテーヌは自覚した。
 目を伏せ、軽く息を吐き出し、それからクールマンに向けて歩を進めた。
「ラフォンテーヌ少尉、命令により出頭いたしました」
 ラフォンテーヌはいささか震える声でそう告げて、敬礼した。
 それにクールマンは頷きながら軽く答礼を返し、続けて、ラフォンテーヌを案内してきた自分の秘書に向けて手を払った。
 それを受けて秘書が退室すると、中にはクールマンとラフォンテーヌ、そして誰ともしれぬ男の三人だけとなった。
「思ったより早い到着だったな。そんなに緊張することはない、力を抜きたまえ」
 言いながら、クールマンはデスクを離れ、ラフォンテーヌの傍らに立った。
「……君は、聖地と呼ばれる場所のことを知っているかね? それから、そこにおられる女王陛下のことを?」
「は……? 聖地?」
 ラフォンテーヌはクールマンの唐突な問いに眉を寄せた。
「あの、大統領、ではなく、女王陛下、でありますか……?」
 意味が分からずに、ラフォンテーヌは問いに問いで答えていた。
「そう、女王陛下だ。そして、守護聖と呼ばれる方々。聞いたことはないかね?」
 軽く首を傾げて、考えこむ。
「……ありません」
 暫くして、首を横に振りながらラフォンテーヌは答えた。
「ふむ……。致し方ないか、この星で聖地のことを知っているのは、上層部のほんの一握りの者だけだ」
 そう話すクールマンに、ラフォンテーヌが知らないことに対する失望などはなかった。むしろ、やはり、と納得したという風情である。
「……この宇宙の中心に、聖地と呼ばれる場所がある。そしてそこには、サクリアという不思議な力をもって、宇宙を統べる聖なる女王陛下と、女王陛下を支える、九人の、守護聖と呼ばれる方々がおられる」
 言いながら、クールマンはソファに座る男の方に躰を向けた。それにつられるようにラフォンテーヌは視線を移す。
「紹介しよう。こちらはその九人の守護聖のうちのお一人、強さを司る炎の守護聖でいらっしゃる。君を迎えに来られた」
「えっ?」
 クールマンの最後の言葉に、ラフォンテーヌは言われたことが分からないというように、クールマンの顔を見た。
「君は選ばれたのだ、次代の炎の守護聖として」
「……閣、下……?」
 何を言われているのか分からない。クールマンの言葉は、単なる音の羅列としてラフォンテーヌの脳裏を過ぎていく。
 異動命令が出たと、そう言われて、配属されて半年足らずの基地を離れた。新しい異動先についての辞令を受け取るべく、この総司令部に出頭したはずだ。それなのに……。
 聖地、女王、守護聖── と、聞いたことのない言葉を並べられ、あまつさえ、自分はその守護聖とやらいうものに選ばれたのだという。ラフォンテーヌには戸惑いしかなかった。
「詳しいことは、私からよりも守護聖殿からお教えいただくといい」
「閣下、俺……いえ、小官は……」
「いきなりこのような話を聞かされて、君が戸惑っているのはよく分かる。だが、守護聖はなろうとしてなれるものではない、これは君に与えられた運命だ」
「運命……ですか……?」
「そうだ」
 クールマンはラフォンテーヌの両肩に手を置いて、彼に言い聞かせるように言葉を続けた。
「見も知らぬ場所へ行き、今まで聞いたこともないような立場に置かれる── 戸惑うことも多いだろう、不安もあるだろう。けれど私は信じているよ。アレックスの息子なら、きっと与えられた使命を十分に成し遂げることができると」
 アレックス── クールマンの口から出た自分の父親の名前に、ラフォンテーヌは俯き加減にしていた顔を上げてクールマンを見た。
「……父を、ご存知なのですか?」
「君の父上は、私にとってかけがえのない大切な友人の一人だった」
 肩に置いた手を離し、頷きながらクールマンは答えた。
 ラフォンテーヌには初耳だった。二年前に亡くなった父親と、今、自分の目の前にいる英雄── クールマン元帥が友人関係にあったなど、聞いたこともなかった。
「士官学校でね、同期だったのだよ。今の私があるのは、アレックスの、君の父上のおかげだ」
 昔を懐かしむかのように微笑みを浮かべながらクールマンは言葉を綴っていたが、そこで一旦言葉を切り、真剣な表情でラフォンテーヌの瞳を真っ直ぐに見詰めて、再度口を開いた。
「本来なら、出発する前にご家族との別れの時間をとってやりたいところだが、あいにくとその余裕はない」
「……別れなら、士官学校の卒業式の時に済ませています」
 目を伏せて、自分に言い聞かせるようにラフォンテーヌは静かに告げた。
「そうか。……君と、君のご家族には辛いことになるだろうが、ご家族には君は戦死したと連絡をすることになっている」
「!?」
 クールマンの言葉に、ラフォンテーヌは返す言葉もなく目を見開いた。
「聖地は特殊な場所だ。外とは時間の流れが異なるという。聖地に入ったら最後、おそらく見知った人間に会うことはもう二度とないだろう。それに大統領からは、今回の件の連絡を受けた際、君を送り出すのと引き換えに、聖地からの援助を引き出すようにと言われた」
「お、小官と……引き換え……?」
 自分を取引材料にすると、そう大統領は言っているというのか?
 聖地がどんなところかは分からない、知らない。自分がなるのだという守護聖というものがどんなものかも分からない。
 だが、大統領が言ったという言葉から察すれば、聖地とは、この戦争を有利に運ぶことができるような何かを持っているのだろうか。そして、それは自分と引き換えに引き出すことができるようなものなのか。果たして、自分にそんな価値があるのだろうか── 疑問が頭の中で渦を巻いている。
「そのようなことができようはずがない。聖地は、守護聖の力は、どこかの国が自国の利益のために利用していいようなものではない。だから大統領には、君は聖地に向かう前に戦死したと告げることにした。どこまで騙せるかは分からないがね」
 言って、クールマンは小さく笑った。
「閣下……」
「だがそう心配することもあるまい。もうすぐ戦争は終わるだろう」
「本当ですか?」
 戦争が終わる── その言葉に、ラフォンテーヌは明るい声で尋ね返した。
「ああ、間違いないだろう」
 だがそれに答えるクールマンの顔は深く沈んだ顔をしていた。
「……閣下……?」
 その顔に、ラフォンテーヌは不安を抱いた。
「昨晩、報告が入った。敵は、大陸間弾道ミサイルの開発を終えたそうだ。それを用いられれば、この星のどこからでも、首都(ここ)を狙い撃つことが可能と推測されている。そして、我が国にはそれを防ぐだけのものはまだない。現在でも既に戦況は押され気味だ。あとはもう時間の問題だろう」
「……もう、駄目、なのですか?」
 クールマンの告げた内容に、ラフォンテーヌは動揺し、尋ねる声は震えていた。ザルービナは敗戦するのかと。
「……君は、これから守護聖となり、聖地の住人となる。この国だけ、この星のことだけを考えるのではない、この世界、この宇宙全てのことを考え、守っていく立場となる。この国のことは、ここに生きる者たちが考えねばならぬことだ。君は君の為すべきことを為しなさい」
 自分はもうこの国には関係ないのだと言われたようで、ラフォンテーヌは思わず唇を噛んでいた。握り締められた拳も、小刻みに震えている。
「ラフォンテーヌ少尉」
 改まって名を呼ばれ、ラフォンテーヌは顔を上げ、まだ動揺に揺れる瞳で、それでもクールマンを真っ直ぐに見つめ返す。
「君に最後の命令を伝える。これより聖地に赴き、守護聖として女王陛下に仕えよ。その(サクリア)の尽きる時まで」
「はっ!」
 姿勢を正し敬礼をする。それによってラフォンテーヌは、クールマンからの命令に了承の意を伝えた。
 その様を目を細めて見つめていたクールマンは、両腕を伸ばし、自分よりもまだ幾分小柄なラフォンテーヌの身体を抱き寄せた。
「閣下!?」
 ラフォンテーヌは、思わず驚きの声を上げた。
「息災でな。アレックスの息子なら、私にとっても息子のようなものだ。君が無事に務めをを果たすことができるよう、祈っている」
「……はい……」
 ラフォンテーヌが頷きながら答え、それを聞いたクールマンは抱き締めていたラフォンテーヌの躰を離し、ソファに座る守護聖にその身を向けた。
 それに応じるかのように、ラフォンテーヌを迎えにきたという炎の守護聖は立ち上がり、二人に歩み寄った。
「彼のこと、よろしく頼みます。よく、導いてやってください」
「承知している、彼のことは心配することはない」
 その言葉に頷いてから、クールマンは顔をラフォンテーヌに向けた。
「行きたまえ、君の在るべきところへ。ご家族のことは心配いらない、私の方で対処する。決して悪いようにはしない」
「……はい」



 基地の片隅に目立たぬように停めてあったシャトルに、クールマンがラフォンテーヌの父親から、いつか彼に渡してくれと頼まれのだという、彼がまだ幼い頃に数度目にし、父から聞かされていた、代々家に伝わっているのだという大剣だけをもって乗り込み、それで大気圏外に待機している宇宙船へと向かう。
 数時間でシャトルは宇宙船のハッチに呑み込まれ、ラフォンテーヌは宇宙船の展望室に案内された。そこから初めて自分の生まれ育った惑星(ほし)── ヴィーザ── を見た。
 後ろに立つ守護聖が、ラフォンテーヌの肩に手を置いて告げた。
 「よく見ておくことだ。次におまえがここに戻ってくる時には、おそらくこちらでは少なくとも数百年が経っているだろう」
「数百年!?」
 思わず振り返って聞き返すラフォンテーヌの瞳は、驚きに見開かれていた。
「そうだ。クールマンが言っていただろう、時間の流れが違うのだと。それとな、最初に言っておく。今までのことは忘れろ」
「なっ……!?」
「全部忘れろってわけじゃない。家族や友人のこと、生まれた育った土地のこと、これは忘れろって方が無理だ。俺が忘れろというのはな、今ままでのおまえの立場や柵のことだ。いつまでも捕らわれているなよ、いいな」
 言い聞かせるように告げられた言葉に、だがラフォンテーヌは素直に頷くことはできなかった。
「さて、聖地に着くまでに、聖地のことや女王陛下のこと、色々と教えてやろう。ついてこい」
 そう言って先に歩き出した守護聖のあとを追って、ラフォンテーヌはもう一度、ヴィーザを目に焼き付けるように見てから、意を決したように新たな一歩を踏み出した。





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