Vertrag - 3




 飛空都市に移り、女王試験が開始されてからほぼ1ヵ月半が経過した。
 女王試験の間、土の曜日と日の曜日の午前中は聖殿の執務室に詰めているようにとの指示が出されているが、オスカーは無視している。とはいえ、流石に四週に一度の土の曜日に行われる女王候補の審査には立ち会っているが。
 結果的に、その時を除けば、オスカーが二人の女王候補に会うのは平日の、彼女たちがオスカーの執務室を訪れた時しかない。しかも、オスカーは執務で外界に出ることも多く、女王候補と顔を合わせる頻度は、おそらく守護聖たちの中で一番低いだろう。そんなオスカーに反して、よく女王候補たちと共に時を過ごしているのは年少の三人の守護聖だ。とくに、ランディとマルセルの二人。ゼフェルはその二人に比べれば、僅かではあるが距離を置かれているようだ。たぶんにそれはゼフェルの性格や態度に原因があるのだろう。とはいえ、年長者たちほどではないが。年長者たちの中では、ジュリアスとクラヴィスは、それぞれ別の意味で、女王候補たちから距離を置かれている。近寄りがたさを感じられているらしい。そんな二人に対してルヴァは、指導をしていることもあってか、比較的親しい関係を築いてはいる。あくまで、指導者と教え子的な状態ではあるが。
 オリヴィエとリュミエールは、年少組の三人ほどではないが、それでも時折お茶会を開き、女王候補の二人、時に、そこに年少組が混じることもあるが、招いて共に色々と話をしながら時を過ごしている。ジュリアスとクラヴィスとて、確かに近寄りがたいと思われ、距離を置かれてはいるが、完全に、ではない。ごくまれに、共に過ごしている時があるようだ。
 要するに、オスカーだけが違うのだ。
 女王候補二人と引きあわされた初日、オスカーがその二人をからかったことがそもそもの原因か。そしてそれに加えて、二人を「お嬢ちゃん」と呼び、決して名前を呼ばないことや、時間さえあれば、常に大勢の女性に取り囲まれ、あるいは誰かしか女性を口説いているオスカーの様子に、二人は幻滅し、呆れたのだろう。これがかりにも強さを司る炎の守護聖なのかと。それが、実際にはオスカーの擬態に過ぎず、本心は全く別のところにあることなど知りもせず、知ろうともせずに。もっともそれは、女王候補だけではなく、オスカーに仕える炎の館の者と、オリヴィエを抜かした聖地── 飛空都市も含めて── に在る全ての者が、程度の差はあれ、そして彼に対する好悪の感情は別にして、皆似たような感じでそう思っているであろうが。しかし、誘われればデートくらいは応じはするが、オスカーが相手にしているのは基本的にもっぱら玄人の女ばかりだ。他の女性に対しては上辺だけ。しかもオスカーが相手にしている玄人の女たちに対しても、オスカーが本気になることはない。彼は人肌の温もりを求めているだけだ。そして今は、オスカーの元にはエルフリーデがいる。それは二人の間で交わされた契約によるものだが、どういった意味合いからであれ、ある意味、現在のオスカーは、表面的にはどう見えようと、エルフリーデ一筋だ。
 そして正直なところ、オスカーは女王候補の審査、その判断に関しては、普段の二人の行動、そして育成のデータを見ればそれで十分だと考えている。個人的な感情など、無用だと。だから現在の状況に関しては、オスカーは何も異論はない。二人からどう思われていようと、彼には関係ない。いや、それ以前に、オスカーはどちらが女王になろうと構わないとすら思っている。なぜなら、まだ推測の部分が多いとはいえ、オスカーには宇宙の行く末が見えている。故に、誰が女王となろうと、オスカーにとっては意味はないのだ。女王が決まり、その者が即位すれば、その娘に対して、オスカーは表面上、女王に仕える守護聖として対応する、それだけなのだから。
 オスカーからしてみれば、女王候補の二人など、何も知らない、ただこれまで教えられてきたことを何ら疑うことなく真実と信じている愚かな小娘でしかない。そしてそれは、彼女たち二人だけではなく、今ではオスカーが話をしたことにより、彼の集めたデータから、おそらくはそれが事実だろうと知ったオリヴィエを除く、他の首座たるジュリアスをはじめとした守護聖たち── クラヴィスは全てではなくとも知っている可能性があると、オスカーはそう考えているが── はもちろん、現在の女王や女王補佐官も同様だ。何も知らない愚かな者たち。自分たちが何をしているのか、自分たちがしていることがどのような結果を齎しているのか、何も気付いていない愚者でしかない。内政不干渉と言いながら、惑星(ほし)── 正確にはその惑星の住民が、なのだが、それにすら思い至っていないとしかオスカーには見えない── が望むからと、望まれたサクリアを送り、多少の検証はしても、それがその惑星に住む住民たちに齎す影響を考慮していない。それは、必ずしもすぐさま表面に顕れるものでもないから気にされていないのかもしれないが。そして、既にこの宇宙の終わりが近づいているのが分かっていながら、いまだ新しい、けれど既に老いた、人が住むには無理がありすぎる惑星に、無駄に(サクリア)を送り続け、その惑星の延命を図る。無駄なあがきでしかないものを。それは残り少ないエネルギーの無駄な浪費に過ぎない。そしてこの宇宙に残された時間をさらに短くするだけだ。そんな簡単なことにすら一向に気付いていない。そんな無駄な浪費をするなら、その惑星の住民を、まだ十分に住むむことが可能な惑星に移住させれば済むだけの話なのに。つまるところ、彼らは単なる表面に現れた事柄だけで判断し、事の本質を何一つとして理解していないのだ。だからそんな愚かなことが、無駄な行為が繰り返される。憐れなのは、何も知らずに、この宇宙を統治していると言っている聖地にある女王や守護聖たちに翻弄されている、この宇宙に住まう人間たちだ。





 ある日の曜日の早朝、風の守護聖ランディは、オスカーの炎の館を訪れた。いつも、ではないが、時折、ランディはオスカーから剣の手ほどきを受けていた。普段なら、前もって前日には確認の連絡を入れていたのだが、今回は、ランディは前日、女王候補の一人であるアンジェリークとのデートに浮かれ、オスカーに連絡を取るのを失念していた。そして館の門を入ったところで、玄関前、花壇の手入れをしている一人の女性に目を奪われた。その美貌に、思わず顔を赤らめる。それはエルフリーデだった。
「何かご用?」
 人の気配にランディの方を向いたエルフリーデは、彼が手にした剣から、彼がオスカーの剣の弟子も同様の風の守護聖ランディであると気付いた。
「あ、あの、オ、オスカー様は……」
 目の前の美女に心を奪われ、顔をあからさまに赤らめ、いささかどもりぎみながら、ランディは漸くそれだけを言葉に乗せた。
「オスカーなら、昨夜、何かあったのでしょうね、軍から連絡が入って、主星に降りているわ」
 ランディはそれまでエルフリーデを見たことがなく、しかし彼女をオスカーに仕えている者の一人だと判断していた。それ故に、彼女がオスカーの名を呼び捨てにしたのを訝しんだ。
 エルフリーデは、今回、のように答えたが、事実は異なる。飛空都市に来て以来、土の曜日、場合によっては金の曜日の夜から日の曜日にかけて、女王候補の審査でどうしても立ち会わなければならない時以外は、他の者には知られぬように、毎週主星に降り、総司令官としての立場で、王立派遣軍の総本部に詰め、執務をこなしている。
 ランディがエルフリーデから返された言葉に訝しんでいる間に、そこに炎の館の執事であるハインリッヒがやってきた。
「奥様、いかがされました?」
 ── 奥様っ!? 奥様って……?
「ああ、ハインリッヒ。なんでもないわ。ランディ様がオスカーを訪ねてきたから、彼はいないと告げただけ。すぐに帰られるでしょうから、気にすることは何もないわ」
「さようでございますが。ならば奥様、朝食の仕度が整いましたので、ダイニングの方へ」
「あら、ちょうどいいタイミングね」
 エルフリーデはまだそこに立ち尽くしたままのランディのことなど忘れたかのように無視してハインリッヒの言葉に応じた。 ランディは二人の、まるでいつものことのような遣り取りと、それよりも何よりも、ハインリッヒが目の前の女性に対して「奥様」と呼びかけたことに聞きたいこと、確かめたいと思ったことがあったが、二人のランディの存在を忘れたかのような、無視したかのような態度に、何も口にすることができず、ただ茫然と、二人が館の中に入っていくのを見送るだけだった。
 館の中に入っていく二人を何も言えず黙って見送っていたランディだったが、ハッとしたように、オスカーが不在ならば、これ以上ここにいてもしかたないのだと漸く思い至ったかのように、きびすを返した。ただ、あの女性は一体誰なんだろう、執事のハインリッヒさんは「奥様」って呼びかけていたけど、オスカー様とはどんな関係の人なんだろう。言葉をそのまま受け止めるなら、あの女性はオスカー様の結婚相手ということになるのだろうけれど、オスカー様から結婚したなんて話は聞いたことないし、などと、ランディの頭は混乱していた。
 そんなランディとは裏腹に、館の中に入っていったエルフリーでと執事のハインリッヒは笑みを浮かべながら会話を交わしていた。
「明日には、この飛空都市中、オスカーと私の件が噂になって飛び交っているでしょうね。場合によっては、少し遅れて聖地でも、かしら」
「さようでございますね。しかし、私がランディ様の前で“奥様”と呼びかけたのはまずかったでしょうか」
「別に構わないでしょう。オスカーは貴方たちが私のことをそう呼ぶことに何も言っていないわけだから、いずれは館以外の人にも分かるだろうことは承知の上のはずよ。何かあればオスカー本人が対処するでしょうから、貴方が気にかけることはないわ」
「そう思ってはいても、やはり直接言っていただけると安心いたします」
 そう告げて、ハインリッヒは安堵の溜息を吐いた。そんな彼を見て、エルフリーデは軽い笑みを浮かべる。
 そして、そんなこと、オスカーはとうに織り込み済みだろうとエルフリーデは思う。そういった点では、あの男は信用できると思っている。決してこちらの期待を裏切るようなことはしないと。それだけの器量を持つ男だと思っている。そう信じられるからこそ、エルフリーデはオスカーと今回の契約を交わしたのだから。





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