一旦船に戻り、兵士たちとともに再び魔女の墓場を目指していたオリヴィエは、突然のドーンと地の底から響くような音と、大きな揺れとに見舞われた。
一体何が、と辺りを見回し、前方に舞い上がる砂塵と砂煙、そして空に立ち上る煙を見た。
「急いでっ!!」
兵士たちを急かし、目的地へと急ぐ。
そして魔女の墓場の手前、そこに立つ老人の姿を認めた。その老人の足元にあるのは、古い、有線式の爆破誘導装置が一つ。
「…………」
何があったのかは一目瞭然だった。オリヴィエたちの目に映ったのは、砂煙を巻き上げながら崩れた岩山なのだから。
間に合わない── オリヴィエは、そう思った。
クラヴィスが死のうとしていることは分かった。そしてその意思を覆すことは無理だと理解した。それでもクラヴィスの元を離れたのは、蘇生させればいいと思ったからだ。
簡単なことでないのは、医学に関しては素人とはいえ、理解っていた。だが、一定時間内であるならば、決して不可能なことではないとも思った。船の設備では完全とまではいかなくても、ある程度まで持っていければ、あとは聖地に戻ってから最終的な処置を施せばいい、そうすればきっと何とかなる、そう思った。だから離れたのだ。それが── 。
オリヴィエは老人の元に歩み寄ると、その腕を掴み上げた。
「なんてことをしたのよ! あの中にはクラヴィスがいたのよっ! !」
オリヴィエに腕を取られ、その痛みに眉を顰めながら老人は答える。
「魔女が望んだことだ。魔女の息子が望んだことだ」
「魔女の、息子……?」
「そうだ、あの黒髪の長身の男。あれが、魔女の奪われた息子だ」
やはり、とオリヴィエは思った。
墓場の中で魔女の顔を見た時、似ていると思ったし、それ以前にオスカーから聞いていたことと老人から聞いた話を照らし合わせて、そうだろうと思っていた。けれど信じたくはなかった。そうであるならば、魔女を、つまりはクラヴィスの母親を殺したのは、聖地の人間ということになるのだから。そんなことはあってはならぬことだから。だから、そんなことは決してないと、否定したかった。オスカーの言葉は間違いだったと、そう思いたかったのだ。
「これでワシの役目は終わった。やっと解放される」
老人のその物言いに疑問を感じた時、不意に、掴んでいた腕の感触が、消えた。
「何っ!?」
一言叫んだ瞬間、老人の躰が崩れた。後に残ったのは、僅かばかりの砂の山と、老人が着ていたものだろう、ボロボロになった布の欠片。
「……これも、魔女の力だって、いうの……?」
オリヴィエは躰の震えを止められず、思わず両腕で自分の体を抱き締めた。
「……クラヴィス……」
聖地を発つ前、女王補佐官であるロザリアから、くれぐれもと言われていた。
『女王陛下はとても気にしておられます。今回の件に関してはお二人の派遣が最適であるとの考えは変わりませんが、どうしても拭えぬ不安があるのだと。ですから、くれぐれもお気を付けて』
そうして最後に自分にだけ、特にクラヴィスについては、と念を押されていた。
そしてそれ以上に、かつてオスカーは言っていたではないか。
『あの人は死にたがっている。死ぬことによって、総てのものから解放されるのを願っている』
言われていたのに、そして自分でも何かあると、そう思っていたのに、何もできなかった。傍にいながら、何もしなかった── 。
「……馬鹿よ、あんた……。大馬鹿よ、こんなことして、何になるってのよ。自分のことばっかりで、誰にも何も言わないで……、後に残される者のことなんか、ちっとも考えてないんでしょ……。バカ、ヤロウ……ッ……」
兵士たちが、ある者は急いで船に戻り、ある者は岩山に近づき様子を探ったり、連絡を取り合いながら慌しく動き回っている中、オリヴィエは、一人、その場に力なく立ち尽くしていた。
そんな中、風が、オリヴィエの脇をすり抜けていく。
風に乗って、おそらくクラヴィスが最後に放ったのであろう闇のサクリアが、セレスタインを、そして宇宙の総てを覆い尽くそうとしていた。
その前、五隻の護衛艦に乗っている王立派遣軍の一部の者は、総司令官たるオスカーからの密名の元に動いていた。
オスカーはクラヴィスが取るであろう行動を、ある程度予測していた。ゆえに、それに対処すべく、特別に編成したチーム── その中には、兵士の他に優秀な軍属の医師も数名含まれている── を送り出していたのだ。そして彼らは、その命令通りに行動した。
秘かにクラヴィスの行動を見張り続けていた彼らは、魔女の墓場から老人が出てきたのを見届けると、急ぎ中に入って、既に自分に向けて銃を放っていたクラヴィスの躰をその場所から運び出した。
墓守だという老人が、魔女の墓場となっている小山を爆破したのは、丁度その直ぐ後のことだ。
そうして運び出されたクラヴィスの、既に息絶えていることから、遺体といっていいのだろうそれは、護衛艦として随行してきた五隻の戦艦のうちの一隻に運び込まれた。
その艦は、オリヴィエはもちろん、クラヴィスも知らないし、護衛艦をつけることを命じた聖地の者── 女王補佐官ロザリアと守護聖の首座たるジュリアス── も含めて、誰も知る由もないが、本来ならばオスカー自らが動いて艦隊行動をとるような時、王立派遣軍では元帥の階位にあり、総司令官でもあるオスカーが乗艦する、いわば王立派遣軍では最高の戦艦、つまり総旗艦── 艦名はトリスタン── である。そのことから、その艦内に備えられている医療設備は群を抜いて最高水準のものが整えられている。
つまり、彼らはオスカーからの密名の下、クラヴィスを蘇生させるために、そのための処置を施すために、本来なら今回のような任務では出ることなどありあえない艦をあえて護衛艦の一隻として出し、オスカーが予想していた万一の事態に備えていたのである。
ショックを受けてなかなか自失の状態から抜け出せずにいるオリヴィエや、研究員たち、オスカーからの密名を知らされていない兵士たちは動揺を隠せずにいた。とはいえ、さすがに護衛艦の中に王立派遣軍の総旗艦たるトリスタンが含まれていることに、その艦のことを知らないオリヴィエたちや研究員たちはいざしらず、さすがに兵士たちは、それが何かは分からずとも、それでも何かあるのだと思ってはいたが。
そしてそんな中、密命を下されていた者たちは、ただ黙々と、クラヴィスを蘇生させるための処置を講じていた。
銃が撃たれた場所が脳であることから、本当に蘇生させることができるのか、仮にできたとしても、何らかの影響、後遺症が残る可能性は高いだろうと思われていた。無事に蘇生させることができたとしても、完全に元通りとなるとは限らないと。そしてその場合、以後も守護聖としての務めを果たすことができるのか、大いに疑問ではあった。しかしそれでも、命令を受けている以上、何もしないでいるわけにはいかない。総司令官であるオスカーから、もしクラヴィスが自ら死を選んだ場合は、どのような手を使ってでも、必ず即座にその遺体を回収し、蘇生のための措置を取るようにとの命令を受けていたのだから。
オリヴィエは、暫くして、聖地に、女王たちに連絡を入れなければと、受けたショックから、躰が重く、その動きは常に比べれば非常にゆっくりとした遅いものだったが、自分たちが乗ってきた船に戻り、一人通信室に入って、女王補佐官たるロザリアとの間に、報告のための通信回線を開いた。
やがてモニターにその姿を現したロザリアは、硬い顔をしていた。それはもしかしたら、オリヴィエが告げる内容を既に察してのことかもしれない、と彼は思った。
「……ロザリア、ごめん……」
クラヴィスの遺体が回収され、トリスタンの中で蘇生措置が行われていることを知らないオリヴィエは、悲痛な顔で、それだけ言って、唇を噛んだ。
「……彼は……逝ったの、ですね……?」
オリヴィエの様子とその一言に、ロザリアは全てを理解したのだろう。いや、それ以前に、彼女── いや、彼女たち、か── には予感があったのかもしれない。ロザリアは震える声でオリヴィエに問い返した。もちろん、ロザリアたちも誰一人として、オスカーの出した命令は知らずにいる。
「ええ……」
オリヴィエは頷きながら答えた。
「ごめん。あんたに、あんなに言われてたのに……、防げなかったよ。何もできなかった、いや、しなかった……。もっと気にしてなきゃいけなかったのに……」
「……辛いと思いますが、その時の様子を、できるだけ詳しく、話していただけますか?」
オリヴィエは頷き、話しはじめた。
闇の守護聖クラヴィスとの最後の遣り取り、その後に起こったこと、そして墓守だと言った老人との会話── オリヴィエの知る、目にし、耳にした全てを。
モニターの向こうで黙ってオリヴィエの話を聞いていた女王補佐官の美しい顔は、すっかり蒼褪め、聖杖を持つ手は震え、それは小刻みに揺れていた。
「……そう、ですか……」
話を聞き終わり、ロザリアは紅を差した艶やかな唇を開いて短く答えた後、何かを考えるように黙り込んだ。
オリヴィエはその様子に口を挟むことなく、ロザリアの次の言葉を待った。それがたとえ自分を責める言葉であったとしても、甘んじて受けるつもりで。
「……オリヴィエ、この件、ジュリアスには?」
だが、再び唇を開いたロザリアが音に乗せた言葉は、問い掛けだった。
「……いいえ、まだ。でも、サクリアを通してクラヴィスがいなくなったこと、いえ、死んだことを察してるかもしれないとは思うけど」
「……それは、今はまだないと、思います」
「?」
ロザリアの言葉に、オリヴィエは首を傾げた。
そんなことはあり得ない、サクリアの変調を感じることがないなどということは。ましてや、ジュリアスは光の守護聖、闇の守護聖たるクラヴィスとは対を成す存在なのだから。
「壁のせい、でしょうね。あなたがたがそちらに入ってからは、闇のサクリアも、夢のサクリアも、こちら側では感じ取ることができないのです。壁が消滅すれば、そのようなことはなくなると思いますが、今はまだ、壁は消えずに存在しているようです。つまり、こちら側では闇のサクリアの変調を感じるも何もないのですよ。あなたの、夢のサクリアも」
ロザリアはゆっくりと、自分自身でも確認するようにオリヴィエに語りかけた。
「じゃあ、まだ誰も、知らないのね……」
「……ええ」
頷き、ロザリアは一度目を伏せた。
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