Spitzengeheimnis - 6




 セレスタインに到着してから3日目。
 朝食を摂るために食堂に行こうと部屋を出たオリヴィエは、常にない慌しい雰囲気を感じとった。
 とりあえず当初の目的地である食堂に向かいながら、途中、オリヴィエの脇を一礼しただけで駆け抜けていこうとした兵士の一人を捕まえて問いかける。
「何かあったの?」
「……実は、女王補佐官様からクラヴィス様宛に通信が入りまして、お部屋に窺ったところ、いらっしゃらなかったので、お捜ししてるんです」
「クラヴィスがいない?」
「はい。さっきからずっと船内を手分けしてお捜ししているんですが、どこにもお姿が見えなくて……」
 兵士が困りきった顔で告げる内容に、オリヴィエの顔色が変わった。
 聖地を()った時から微かにあって決して離れることのなかった、そしてセレスタインに着いてからより強くなった得体の知れない不安が、一気に形をとって目の前に現れたような、そんな気がした。
「クラヴィスの部屋に、水晶球はあった?」
「水晶球、ですか? さあ、お部屋に窺ったのは別の者なので……。それが何か?」
「ついといで!」
 オリヴィエは兵士の問いには答えず、逆らうことを許さぬように強く言うと、もと来た通路を戻りクラヴィスの部屋へと向かった。そして声を掛けることもせずにドアを開け、部屋の中を見回す。
 確かにその中にクラヴィスの姿はなかった。そして、オリヴィエがあったかと尋ねた水晶球も、見渡す限りどこにも見当たらなかった。かわりに、クラヴィスが常に身に着けていた紫水晶をあしらったサークレットが、ベッド脇のサイドテーブルに置かれたままだった。
「…………」
 オリヴィエは思わず唇を噛み締めた。
「私としたことが、迂闊だったわ……」
「オリヴィエ様……?」
 なんだって、放っておいたのだろう── そう思う。何かあると、クラヴィスは何かをする気なのではないかと、ずっと気になっていながら、それに対して何も手を打たなかった。
「魔女の墓場まで連れていって!」
 オリヴィエは振り向きざま、自分の後ろに控えている兵士に彼らしくない大声で命じた。
「魔女の墓場、ですか?」
「そうよ。たぶん、クラヴィスはそこにいるわ!」
 言いながら先に立ってオリヴィエは格納庫に急ぎ足で向かい、兵士は慌ててその後を追った。
 ── クラヴィス、あんたは何をしようってのっ!?
 なんとなく見当がつくような気がしなくもなかったが、それでもそれを否定したくて、焦燥感に駆られながら、オリヴィエは走った。



 魔女の墓場に到着すると、オリヴィエは鉄の扉の前に兵士を待たせ、一人で中に入っていった。
 そこにはオリヴィエが思った通り、クラヴィスが、いた。
 木棺は台座たる石の上から脇に落とされ、台座と思われた中に、一人の女が横たわっていた。木棺は蓋に過ぎず、台座と思われていたそれこそが、実は本当の棺だったのだと知れる。
 クラヴィスは淵に腰を掛け、中に眠っている女の髪を優しく梳き続けている。その女── 魔女だろう── の姿に、オリヴィエは眉を潜める。
 墓守だと言った老人の言葉から察して、少なく見積もっても、死んでから数百年は経っているはずだ。さらに言うなら、オスカーから聞いていた話からして、その女が本当にクラヴィスの母親だったとしたら、既に二千年になんなんとする歳月(とき)が経っているはず。なのにその姿はどうだろう。まだ死んで間もないような、いや、単に眠っているだけのようなその姿は。これも、魔女の力の為せる技だとでもいうのだろうか。
「クラヴィス……」
 名を呼びながら、ゆっくりとオリヴィエはクラヴィスに近づいた。
「……その女が、魔女……?」
 他にいないと分かっていながら、確認するようにオリヴィエは聞いた。
「そうだ。魔女と、呼ばれた女だ」
 クラヴィスはその視線を女の顔に落としたまま、静かに答えた。
「……よく、分かったわね。昨日あれだけ皆が調べて分からなかったっていうのに」
「封印があったからな。それを解いただけだ」
「封印? いつそんなものに気が付いたの?」
「昨日、最初に見た時に」
「昨日ですって!? だったらどうしてその時に言わなかったのよ、あんた!」
 クラヴィスの隣に立ち、その姿を見下ろしながら怒鳴りつける。だがクラヴィスは変わらずに女の髪を梳きながら、オリヴィエを見ようともしない。
 その様子にオリヴィエは溜息を一つ吐くと、女の顔に視線を落とした。
「……クラ、ヴィス……」
 オリヴィエの、クラヴィスを呼ぶ声が震える。その魔女であるという女の顔を確認して、やはり、という思いがオリヴィエの脳裏を(よぎ)る。
「どうした、オリヴィエ?」
 ゆっくりと顔を上げ、クラヴィスが問い掛ける。上げられたクラヴィスの顔と、女の顔を、オリヴィエは交互に見比べた。
「そんな、そんなこと……」
 確かに、そうなのだろうと思ってはいた。それでもやはりどこかでそれを否定したい気持ちがあって、オリヴィエは頭を振った。
「これが、捜していた魔女だ。聖地によって生まれた惑星(ほし)を追われ、流浪の民となり、一族を失い、息子を奪われ、ついにはその命すらも奪われた、哀れな女だ」
「クラヴィス……」
 静かに告げるクラヴィスに、感情の揺らぎは見えない。だがそれは見慣れた無表情とは、どこかしら一線を隔したもののように思われた。
 底知れぬ深い紫の瞳に見詰められているうちに、オリヴィエはわけもなく躰が震え出すのを止められなかった。
 ── これは一体何なのだ、一体誰なのだ。  オリヴィエにとっては、見慣れた、よく見知った闇の守護聖のはずなのに、どこか違う。己の知らない、全く別の存在のようだった。
 カチリ、と小さな音がして、オリヴィエはその音のした方に僅かに視線を向けた。
「!!」
 いつの間に、どこから取り出したのか、クラヴィスの右手には旧式の実弾式の銃が握られていた。
「クラヴィス……」
「……出ていけ」
「クラヴィス!」
 クラヴィスは静かにオリヴィエに銃を向けた。
「クラヴィス、あんた何考えてんのっ! 馬鹿な真似は……っ!」
 銃を発射する音が一発したかと思うと、オリヴィエの頬を銃弾が掠めていた。赤い筋が細く、その頬を彩る。
「……クラヴィス……」
 信じられないというように、オリヴィエは名を呼び、唾を飲み込んだ。
「出ていけ」
 告げる声にも、何の感情も感じられない。
「何をする気なのっ!? 私たちがこの惑星に来た目的、忘れたのっ!?」
「何度も言わせるな、オリヴィエ。出ていけ。次は、外さない」
 言いながら、クラヴィスは撃鉄を上げた。
 思わず後ずさりながら、オリヴィエは思考を巡らした。
 ── とりあえず、この場は引くしかない、わね。
「……馬鹿な真似、するんじゃないわよ、いいわね」
 言い含めるように告げながら、後ろ足で外に向かう。
 オリヴィエは扉のところまでくると、待っていた兵士を急かしてその場を離れた。
「オリヴィエ様、一体何があったんです?」
「話は後よ、それより急いで船に戻って」
 あの場を離れただけではクラヴィスは納得しないだろうと思った。表に留まっても、おそらく、彼は自分のサクリアで、オリヴィエのサクリアの存在を察して、何の行動も起こさないだろう。
 オリヴィエは、今は分かっていた。いや、正直にいえば、クラヴィスがやろうとしていることは、以前からなんとなく、はっきりとした形ではなくとも、想像できていた部分があった。ただそれを否定したくて、あえて見ないふりをしていたのだ。  しかしそれが確実なこととなった今なら、とるべき道はある。方法はある。
 クラヴィスには悪いと思うが、彼の望みを叶えてなんかやらない。決して叶えさせたりしない── そう思いながら、オリヴィエは兵士の持つ通信機を手に取った。



 オリヴィエの姿が消えた後、クラヴィスは自分の後ろに向けて声を掛けた。
「出てこい」
 その声に、岩影から一人の、自らを魔女の墓守と称している老人が姿を表す。
「……行け。あれが戻ってくる前に、行って、おまえの為すべきこと為すがよい」
「本当に、いいんで?」
「その為に、今日まで待ったのだろう?」
 言いながら、クラヴィスは微笑を浮かべた。



「……分かりますか? ここは、もう貴方が呪いを掛けた宇宙ではないんですよ」
 言いながら、クラヴィスは女の頬を撫ぜた。
「貴方が滅びよと願った宇宙は、貴方が望んだ通りに滅びました。ここは、その宇宙から星々を移行させた、別の宇宙なんです。
 サクリアによって(ことわり)を捻じ曲げられた世界は、多くの歪みを抱えたまま、滅びました。それがなければ、本来ならもっと長く存在することができたでしょうに。そして同じ滅びるにしても、もっと緩やかにいったでしょうにね。
 けれどこの世界は違う。最初からサクリアによって管理され統括されている。サクリアの存在することが、この世界の理です。かつての世界とは違う。サクリアの喪失こそが、この世界のバランスを崩し、歪める。
 だからどうか呪いを解いて下さい。貴方の憎しみが、哀しみが消えることはないのかもしれないけれど、ここはもう、貴方の呪った世界ではないから」
 身を屈め、女の額に口付ける。
「もう(ふる)い世界のことを()る者はいない。その血の中に、サクリアの存在しなかった頃を知る者は、記憶を持つ者は、私たちが最後だ。それが時の流れ、なのでしょう。どんなに逆らおうとも、時の流れには逆らいきれない。
 ……随分と待たせてしまったけれど、もうすぐ、行きます、貴方の元に……」
 そう言って、クラヴィスは手にした銃を蟀谷に当てた。躊躇いは、ない。
「……許せ…………」
 それは、誰に対して許しを求めたものだったのだろう。最後に彼の脳裏を過ったのは何だったろう、誰だったろう。
 永い年月を共に過ごした半身ともいえる光の守護聖か、かつてただ一人愛しいと想い、その手を取ることを望みながら叶わなかった金の髪の少女か、それとも──
 クラヴィスは瞳を閉じ、ゆっくりと、銃の引鉄に指を掛けた。





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