Spitzengeheimnis - 5




 兵士や研究員たちはまず暗い空間の中、明かりを灯した。明かりが無くては何もしようがない。
 そうして照らし出されたそこにあるのは、大きな切り出された石の上に、些か古びた木製の棺が一つ。それは扉の状態からしても随分と昔のものであろうに、古びて見えるとはいえ、それほどの時を経たとは思えないほどにしっかりとしていた。
 いきなり開けては何が起こるか分からない。研究員たちは棺の周囲に機材を配し、画面に次々と出される数値やグラフを確認しながら、棺の蓋を開ける作業に取り掛かった。
 実際に作業を行ったのは兵士たちだったが、研究員たちの指示の下、力任せに行うのではなく、慎重に、ゆっくりと、ずらすようにして木棺の蓋を動かしていった。
 半分ほど開けた時、作業に当たっていた兵士の顔色が変わった。その様子に、中を窺った研究員も顔色を変え、それまで慎重に動かしていた棺の蓋を、思い切り投げ出すようにして地面に落とした。
 そこには、何もなかった。
 棺の中は、空、だった。あるべきはずの、魔女の遺体は無かった。その欠片すらも。何かがあって、それが蓋を開けたことにより何らかの形で消滅したというようなものではない。まるでそこには最初から何もなかったかのように、空だった。
「どういうことだっ!?」
「何も無いぞっ!?」
 研究員たちは次々と棺の中を覗き込んだ。
 こんなはずではなかった。この中には魔女の遺体があったはずだ。骨だけになっていたとしても、そしてその骨すらも長い時間(とき)の中で崩れて形をとどめなくなっていたとしても、それでも何かしかの残滓が残っていてしかるべきなのに、実際には何も無い。一体どこに消えたというのか。それとも、最初から無かったとでもいうのか?
 研究員たちが慌て騒ぐ中、クラヴィスは一人静かに、何もない空の棺をただじっと見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「誰か、オリヴィエに連絡を。まだ、あの老人のところにいるだろう」
「は、はいっ」
 クラヴィスの指示に、兵士の一人が慌てて飛び出していった。
 残った者たちは何か仕掛けでもあるのではないかと、棺は最初から空で、目的の魔女の遺体はどこか別の場所に隠されているのではないかと、あちこちを調べはじめた。



 20分程して、連絡を受けたオリヴィエは、自分に同行していた研究員たちや兵士たち、そして墓守であると称する老人とを連れてやってきた。
 クラヴィスの隣に立って、報告通り棺の中に何も無いのを確認し、老人に向き直る。
「どういうこと? ここが魔女の墓じゃなかったの?」
 詰問するように老人に問い掛ける。
「そうだ、ここが魔女の墓だ」
「けど、何も無いじゃない! 魔女の遺体はどこ!?」
「知らん」
「墓守でしょ!? 知らないはずはないでしょ!」
「ワシはただ、ここを守っていただけだ。中には入るのもはじめてだ。魔女の遺体が無いと言われても、ワシには分からん」
 知らない、分からないの一点張りの答えに、オリヴィエはこれ以上聞いても無駄と諦め、クラヴィスに視線を向けた。
「クラヴィス、どう思う?」
「……さて、な……」
 動揺を隠せない者たちの中で、クラヴィス一人だけが、静かに、何の感情も見せぬ顔をしてじっと佇んでいる。
「クラヴィス!」
 そのクラヴィスの様子に、オリヴィエは苛つくかのように声を荒げて名を呼んだ。クラヴィスはそんなオリヴィエを一瞥すると、何も言わずに出口に足を向けた。
「クラヴィス!?」
 オリヴィエの呼びかけに、クラヴィスは立ち止まった。
「このままここにいても、何もできるわけではない。必要性もなさそうだし、むしろ調査の邪魔になるだけだろう。船に戻っている。何かあったら呼んでくれ」
「ちょっと待ってよ、待ちなさいよ、クラヴィス!」
 告げて、そのまま立ち去るクラヴィスにオリヴィエは声を掛けたが、それでクラヴィスが歩みを止めることはなく、外へと出ていった。
 オリヴィエは研究員たちにはこのままこの場所の調査を続けるように告げ、それから兵士たちに老人の身柄を預けて、何でもいいから彼の知っていることを聞き出すように指示すると、急いでクラヴィスの後を追った。



 魔女の墓場で少しでも何らかの手がかりを掴もうと苦労しているだろう研究員たちをよそに、オリヴィエとクラヴィスは船内の休憩室にいた。
 テーブルを挟んで向かい合って座り、その前にはコーヒーカップ。元が王立派遣軍の官給品であるから、味は知れていたが、それでもないよりはましと、オリヴィエが淹れたものだ。
── っていうわけよ」
 老人から聞いた話をクラヴィスに告げ終えたところで、オリヴィエは些か冷えてしまったコーヒーを、「やっぱり不味いわ」と小さな声で文句を言い、眉を顰めながら、それでも飲み干した。
「ねえ、どう思う?」
「どう、とは?」
「だから、あのじいさんの言ったことよ」
「それ程にショックだったか、サクリアを、聖地を否定されたことが?」
 唇の端を上げ、小さく皮肉げな笑みを浮かべながら、クラヴィスはオリヴィエに問い掛けで答えた。
「……あれは、否定なんて可愛いもんじゃないわ」
 綺麗に書かれた眉を顰め、老人から言われた言葉を思い出して、オリヴィエは唇を噛みしめた。テーブルの上で組まれた両腕は微かに震えてもいる。
 実際のところ、クラヴィスは知る由もないが、オリヴィエが老人から聞かされた話は、以前、既にオスカーから聞かされていた、彼が調べ上げた、分かる限りの宇宙の歴史と様々なデータから、彼が導き出した結論や推測とほぼ同一のものであり、オリヴィエの、オスカーの話が彼の思い過ごしのものであってくれたら、との微かな思いを裏切り、本当のことなのだと裏付けるようなものだった。
 しかしオスカーから聞いた話を、他の誰に告げることもせずにここまで過ごしてきたし、今後も誰にも── クラヴィス含めて── 告げるつもりは、オリヴィエにはない。
 そして今回の件についてどう対処したらいいものか、オリヴィエはその点に頭を悩ませているのが現状だ。
「人の考えは様々だ。そうムキになることはあるまい。それに魔女の一族の件にしても、昔の話だ、どこまで真実かは分からない。もし仮に真実だったとしても、必ずしも聖地の者たちがそれを為したとは言い切れまい。中には狂信的な者がいる。そういった者たちが引き起こしたことかもしれない。そこまで責任は持てまい。それに、サクリアとはまた別の力を持っていたというのだろう? 人間(ひと)というものは、少なからず自分たちと違う者たちを、恐れ、忌み嫌い、排除しようとする傾向がある。そういった要因も考えられる」
 言い終えてふと顔を上げると、ポカンとした顔で自分を見つめているオリヴィエの顔があった。
「……オリヴィエ?」
「え? ああ、何?」
 訝しげに名を呼ばれて、オリヴィエは我に返った。
「何、ではない。どうかしたのか?」
「……珍しいものを見たもんで、ちょっとばかりビックリしただけよ」
 言いながら、オリヴィエは前髪を掻き揚げた。
「珍しいもの?」
 クラヴィスは形の良い眉を寄せながら問い返した。
「そう、珍しくとっても饒舌な、闇の守護聖サマ」
「…………」
「こんなに長く喋ってるあんたって、はじめて目にする気がするわ」
 言いながら、オリヴィエは真っ直ぐにクラヴィスの目を見詰めた。
 口調は軽いが、その言葉尻とは違ってからかいや揶揄の響きはない。むしろクラヴィスを見詰めるその瞳は真剣で、何かを探り出そうとしているかのようだ。そんなふうにじっと見詰めてくるオリヴィエに息苦しさを感じて、クラヴィスは瞳を伏せた。
「クラヴィス、前にも聞いたけど、もう一度聞くわ。あんた、何を知ってるの?」
 オリヴィエの問い掛けに、クラヴィスは一度伏せた瞳を静かに開いた。
 そこに感情の揺らぎは見えない。
 オリヴィエは、その司る力そのものを示すような紅い色の髪を持つ炎の守護聖たるオスカーがクラヴィスについて言っていた言葉を思い出した。
『あの人の瞳は、何も見ていない。映してはいても、見てはいない』
 ── そうね、本当にその通りだわ。
『あの人の瞳の中にあるのは、絶望だけだ』
 ── 絶望……? それは私には分からないわ。あんたと私は違うから。でも、何かがあるのは分かる。その何かが問題なんだけど……。そしてそれは、あんたやあのじいさんが言っていたことが原因なんだろうけど、でもこれから先、どうなるのか、どうしたらいいのか……。
 オリヴィエには、聖地を()ってからずっと拭えない不安がある。それはとても漠然としたもので、単なる気のせいで済ませられる類のものであるのかもしれないが。しかしオリヴィエの“勘”はそれを否定する。確かに何かがあるのだ。おそらくそれは、魔女の死に関しての何かだろうという気がそこはかとなくしている。そしてそれは、日を、時を重ねるごとに大きく、重くなっていく。
「お前に話すようなことは何もない」
 オリヴィエの抱く苦悩に気付くこともなく、いや、あえて気付こうとしていないだけなのかもしれないが、彼の問いにゆっくりとそう答えて、クラヴィスは椅子を引いて立ち上がった。
「本当に?」
 重ねての問いにクラヴィスは答えない。ただ黙ってオリヴィエの脇を通り過ぎ、ドアの前に立つとスイッチに手を掛けた。
「クラヴィス!」
 オリヴィエは背を向けたまま、名を呼んだ。
「なんだ?」
 クラヴィスも背を向けたまま立ち止まって答える。その声に、オリヴィエは振り向いた。
「あんたが何を知ってるのか、あんたが言ってくれない限り私たちには分からない。だけど決して一人で抱え込まないで。いいね? あんたは一人じゃない、私たちが、私がいるんだからっ!」
 オリヴィエから叫ぶように言われた言葉に、振り返ったクラヴィスの顔が、歪んだ。
 それは微笑(わら)おうとして失敗したような、あるいは、泣こうとしてそれを必至で堪えているような、なんともいえない表情だった。
「……クラヴィス……」
 そのはじめて見ると言っていいだろう、生きた表情をしたクラヴィスに、オリヴィエは立ち上がり、名を呼ぶことしかできなかった。そうして身を翻して立ち去るクラヴィスを、部屋の中に立ち尽くしたまま見送ることしかできなかった。





【INDEX】 【BACK】 【NEXT】