外界にいたおよそ二年──聖地では一週間しか経っていないが──、オスカーはフランツからただの一人の人間としての扱いを受けていた。
フランツは自分が、オスカーが炎の守護聖であるとは気付いていないように振る舞っていた。フランツがオスカーの素性を知っていると分かったら、オスカーはここをも飛び出しかねないという危惧があったからだ。オスカーを預かった当初は、それほどに彼は危うい均衡の元にあった。
そしてフランツがオスカーに対してしたことは、彼が知らないであろう様々なことを教えることだった。
もちろん、同じ軍人として、士官学校を出て一年も経っていないオスカーにとって、加えて、科学技術的な観点からも、オスカーがフランツから学ぶべきことは多かった。
それまで知らなかった、王立派遣軍の最新鋭の設備や装備を見せられ、単なる一惑星上のためのものではない、惑星間同士の戦いのための宇宙戦艦、戦闘機なども見せられた。試しに飛んでみるかと言われて、特別に許可を得て大気圏を飛び出し、惑星の外に出たりもした。そこで見たのは、故郷の惑星を離れる際に見た翠に覆われた惑星ではなく、それはオスカーに、ここは慣れ親しんだ故郷の惑星ではないのだと思い知らせた。
そんな夜は決まってオスカーは寝就くことができなかった。
また、フランツはまだ少し早いか、と言いながら、オスカーに酒の飲み方や、ちょっとした賭け事、そして女の口説き方、抱き方まで教え、時に娼館に連れていくことすらもあった。
連れていかれた娼館では、フランツは顔馴染みだったのか、主に、
「こいつに女の抱き方を教えてやりたくてな。いい女を頼む」
などと言って、その店のNo.1といっていい女をあてがわれもした。
その女は、それまで女を抱くということを知らなかったオスカーに、どんなふうにしたら女が悦ぶか、一から手ほどきをしてくれた。
そうしてオスカーもまた年に似合わず、フランツと同様にその店の顔馴染みとなっていった。それは何よりも、女を抱くという行為そのものよりも、それによって得られる肌の温もりを求めてのことだったが。
そうしてフランツから、それまでオスカーが経験したことのない様々なことを教えられ、経験させられ、それを吸収して、そんな日々を過ごすうちにあっという間に二年近い日が過ぎていた。
その間には夢に魘されて眠れない日々もあったが、それでもその頻度は少しずつ減り、頭はすっかり冷えていた。
そして同時に王立派遣軍の現状を知り、フランツから何気なく、愚痴のように王立派遣軍に属する軍人たちの不満をも聞かされていた。それらは王立派遣軍の総司令官たる立場にある炎の守護聖、すなわちオスカーにとって解決しなければならない問題だった。
それらを受けて、そしてまた、フランツの元にいる間に可能な限り調べ上げた、自分が故郷の惑星を離れた後の動向、そして聖地のとった態度、それに加えて王立派遣軍が抱える問題を考えた時に、変えなければならない問題がおのずと見えてきた。そしてまた、全てが外から見えるわけではなく、中にいなければ見えない問題もあるのだろうということも理解した。
故に、オスカーは聖地に戻る決意をしたのである。
「家に戻る」
そう告げた、そういう言い方をしたオスカーに、フランツはただ、そうか、と頷き、時々連絡を寄越せよと告げたのみで、黙ってオスカーを送り出した。
そうして戻ってきた聖地では、外界で二年も過ごしたにもかかわらず、一週間しか経っていなかった。
そこに問題があるのだと、オスカーは悟った。外界の問題に対処するには、要因の一つとして、時間の経過の差が認識の差を生んでいるのだと。そして聖地に住む守護聖たちにとっては、問題なのは惑星の運行であって、人の一生は関係ないのだということを改めて悟らざるをえなかった。
彼らには、その惑星に住む人々のことなど関係ないのだ。惑星が滞りなく発展していくかどうかが問題なのであって、その惑星で人々が何を思い、行い、どのようにして生活しているかは、さして問題ではないのだと。
留守にしていた一週間の間に溜まっていた書類を片付けながら、このギャップが問題なのだとオスカーは認識した。
外界と聖地との時間の流れの差をどう埋めるか、それが解決できなければ、オスカーの故郷で起きたような悲劇はまた起きる可能性があるし、王立派遣軍が抱える問題も解決することはない。
そう気付いたオスカーは、聖地に戻ってからも、夜になると聖地を抜け出し、外界で時を過ごした。聖地で流れる時間と外界で流れる通常の時間の差を実感するために、これから先、どうすることがよいのかを考える時間がほしくかった。そしてまた、相変わらず魘される眠りから、聖地では得ることはできないであろう肌の温もりを求める。
守護聖首座のジュリアスは、聖地に戻ってきたオスカーが、聖地を飛び出していった時とは雲泥の差で戻ってきたことに安心し、そしてまた着実に職務をこなしていく様に安堵していた。
聖地においても外界での時の流れを考えれば一週間という時間は決して短くはない。だがその時を経て、漸くオスカーも守護聖としての自覚を新たにしたのだと安心していた。オスカーの内面の変化に気付くこともなく。オスカーがどうして戻る気になったのかあえてを聞き出すこともなく、ただ黙って受け入れた。それが要らぬ騒動を巻き起こさぬための用心だと考えて。
ジュリアスにとっては、オスカーが無事に戻ってきたこと、そして炎の守護聖としての職務に励んでいることが何よりも重要であり、その心の内でどのような葛藤があったのかは、あくまでオスカー個人の問題として立ち入るべきではないとの思いもあった。そう考えるに至ったのには、カティスからの忠告があったことも大きかったが。
そうしてオスカーは、少なくとも表面上は、聖地から飛び出す前と同じように、いや、それ以上に勤勉に炎の守護聖としての務めを果たし、ジュリアスやディアを安心させていた。
気が付けば、オスカーが聖地に戻ってから二週間が経っていた。その間、ジュリアスもディアも、いや、炎の館に仕える者以外の他の誰も、聖地が夜の時間になると、オスカーが聖地を抜け出し、外界に出ていたlことに気付くことはなかった。それを知る炎の館の者たちは、そのことこについては頑なに口を閉ざし続け、誰に教えることもなかったが故に、なおさらのことである。
聖地の時間にして二週間、外界ではほぼ四年の月日が流れていた。
オスカーは王立派遣軍の総司令官としての立場で、王立派遣軍の総本部を訪れた。
そうして、いまでは中佐となっているフランツ・シュレーダーを総司令官たる自分の執務室に呼び出した。
総司令官の執務室といっても、それはあくまで建前的に用意されているのみで、実際にこれまでに使用されたことがあったかといえば、皆無といってよかった。オスカー自身、場所は教えられていたものの、実際にその部屋に入るのははじめてのことだった。ちなみに、オスカーが身に付けているものも王立派遣軍総司令官としての軍服だ。炎の守護聖としてではなく、あくまで王立派遣軍の総司令官として来ているのだとの立場を明確にするべく、彼は王立派遣軍の総司令官を務めてきた歴代の守護聖の中で、はじめて、そのために用意され続けていた軍服に袖を通していた。
オスカーにとってフランツを待つ間は、短く、けれど長かった。
何をどう説明すればいいのか、どこから話したらいいのか、オスカーは悩んでいた。けれどその一方で、彼が副指令のゲンシャーから自分を預かったと言われていたことから、実際のところ、彼は全てを承知の上で自分を預かってくれていたのではないかと、いまさらながらに思った。
やがて扉がノックされ、声が掛けられた。
「フランツ・シュレーダー中佐、お召しにより出頭致しました」
「入れ」
フランツの声に、オスカーはそう簡潔に応えた。
扉が開かれ、フランツが執務室に入ってきた。フランツは扉を閉めると、部屋の奥、窓際に据えられた執務机に就いている王立派遣軍総司令官に対して敬礼を行った。
オスカーは立ち上がると軽く答礼を返し、フランツに脇の応接セットを勧めた。
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