「成程」
聖地のほぼ中央に位置する女王の宮殿、その中にある光の守護聖の執務室で、緑の守護聖カティスは、座っていたソファで足を組み替えながら軽く頷いた。
「ここ暫くあの坊やの顔を見ないと思ったら、そんなことがあったのか。全く、馬鹿なことをしたものだな」
後半の科白に僅かに怒りと、そして同等の呆れを滲ませながら、カティスは本心から零すようにそう告げた。
それを流石に汲み取ることができたらしいこの執務室の主たる光の守護聖ジュリアスは、その通りりだというように軽く溜息をつきながら言葉を綴る。
「そなたの言う通りだ。如何に守護聖になってまだ間がないとはいえ、守護聖たる己の立場をもっと……」
「おいおいジュリアス」
カティスは組んでいた足を解き、身を乗り出すようにしてジュリアスの言葉を遮った。
「俺が馬鹿なことをしたといったのは、あの坊やのことじゃない、おまえさんたちのことだぞ」
「なっ!?」
カティスの言葉に、ジュリアスは思わずソファから腰を浮かせた。
「私が、私たちがしたことだと? 私たちの一体何が間違っていたというのだ?」
問い掛けながら、ソファに腰を降ろし直す。一瞬とはいえカティスの言葉に取り乱してしまったことを、そんな様子を見せてしまったことを恥じ入りながら。
「私は守護聖として、その首座として間違ったことをした覚えはない」
「その通りだろうな、おまえさんの認識に照らせば。だが、間違っていないからといって、それが必ずしも正しいとは限らない」
「どういうことだ? そなたの言うことは矛盾している」
ジュリアスはカティスの言うことが分からないというように、眉を寄せながら問い返した。
「それに答える前に、ジュリアス。俺たち守護聖は、皆同じように守護聖として果たすべき役割や責任を自覚し、その勤めを果たしている。おまえが日頃職務怠慢だと言い募っているクラヴィスも含めてな。だがな、だからといって皆が皆、同じ考え方をしているわけじゃないし、もちろん性格だって違う」
「そのようなことは言われずとも分かっている」
「本当に分かっているのか? 誰もがおまえのように四角四面、杓子定規な考え方をするわけじゃない。守護聖となって聖地に入れば、それまで生きてきた時とは全く異なる生活が待っている。その最大のものが、時間だ。立場というものもある。だがそれ以上に、それまでとは、外界とは異なる時間を生きるのだということが、俺たち守護聖に、外界でのそれまでの柵を捨てろと、忘れろと言われる一番の要因だと思っている」
「そうだろうな。私もそう思っている。だから私も、外界のこと、家族のことはよい思い出として留めているに過ぎない」
思い出と、そう告げたまだ幼い頃に別れた家族のことを思い出しでもしたかのように、ジュリアスは軽く目を伏せた。
「だがそれは何も私だけではない。そなたをはじめ、守護聖となって今この聖地にある者皆に言えることだ。それを、いくら守護聖となってまだ間もないとはいえ、なぜオスカーはできぬのか!?」
激昂し、自分に詰め寄ってきたオスカーの姿を思い返しながら、ジュリアスは眉を寄せた。
「ジュリアス、俺は先に言ったはずだぞ、誰もがおまえと同じではないと。
おまえの家は主星の大貴族で、過去何人もの守護聖を出してきた家柄だ。女王も守護聖も生まれた時から身近な存在としてあったと言ってもいい。
しかしオスカーは違う。オスカーは聖地という存在はもちろん、女王のことも守護聖のことも、ましてやサクリアのことも何も知らずに生まれ育った。しかも戦場でだ。戦争していることが平時のことだった星でだ。そして彼自身も軍人で、しかも最前線にいたという。そんなあいつが、自分が離れた後に戦争がどうなったのか、知りたいと思うのはおかしなことか? それでなくても戦争は最終局面を迎えていたというのに。そんなオスカーに今までの慣例を押し付けて、何も知らせずにいることが、本当にあいつのためになることだと思ったのか? あいつは強い奴だ。ならばこそ真実を教えるべきだったんだ。そうすればその時はどれほど苦悩しても、やがてはそれをきちんと受け止めていただろう。あいつはそれだけの強さを持った男だ。だからこそ炎のサクリアの器として認められた男だ。
俺が言うことは間違っているか、ジュリアス?」
ジュリアスは俯いて何か考え込んでいるように、何も答えなかった。しかし、ややして顔を上げて反論する。
「だがカティス、実際に、事実を知ったオスカーの態度は、おまえが言うのとはほど遠かった。私はあれほどの怒りと憎悪を向けられたのははじめてだ」
「それは真実を教えてもらえなかったことへの怒りだ。故郷の星は滅び去ったのに、自分は何も知らずに、知らされずに、この聖地でのうのうと生きていた、そのことへの怒りだ。
あいつは、おまえや俺たちとは違うということを忘れるな」
そう言って、カティスはゆっくりと立ち上がった。
「あいつが戻ってきても、責めるようなことは言うなよ。聖地と外界は時間の流れが異なる。ここを出てからずっと外界にいるってことは、それだけの時間、考えてるってことだ。帰ってきた時のあいつは、外見は変わらなくとも、おそらくその中身は、ここを飛び出して行く前の坊やとは違うぞ」
そう告げてから、カティスはジュリアスの執務室を後にした。
果たしてオスカーがどのように変わって帰ってくることかと思いながら。
自分の執務室に入ろうとしたカティスは、反対側から歩いてくる、燃えるような真紅の髪を持つ少年の姿を認めて、扉のノブに掛けた手を離した。
「よお、家出少年。随分と早いご帰還だな」
カティスは軽い調子でそう声を掛けた。
「たった一週間程ですからね。でも外界では二年です、考える時間は十分過ぎるほどにありましたよ」
皮肉気に、オスカーは嘲笑するかのように返した。
その在り様に、やはり中身は随分変わったな、とカティスは思った。変わって帰ってくるだろうとは思っていたが、完全に一皮向けている。いや、一皮どころではないかもしれない。
「どうして帰ってくる気になったか、聞いていいか?」
「中からもう一度、聖地と何なのか、守護聖とは何なのか、外からではなく中から見て、考え直してみようと思ったので」
その言い様と瞳の切れに、これからは生半可な態度はとれないな、とカティスは思った。そしてある意味、純粋培養のジュリアスに、このオスカーの相手ができるものなのか、不安を覚えずにはいられなかった。
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