Schwur - 7




 翌朝、フランツがオスカーの病室を訪れた時、オスカーはベッドの上に半身を起こしていた。
「具合はどうだ?」
 声を掛けながら近付いてくるフランツに、オスカーは何も答えず、ただ視線を流した。
 傍らに立ち、フランツはオスカーの額に掌を当てた。
「熱は下がったようだな。だが、師長が嘆いてたぞ。食事をしてないそうじゃないか」
「食欲がなくて……」
 目を伏せながら、どうにか聞き取れる程の小さな声で答えるオスカーに、フランツは、さてどうしたものか、と考えを巡らせる。
 実際、ここに来るまでもずっと悩んでいたのだ。守護聖であると知った今、どう対応すべきか。
 そして思った。果たして彼は守護聖として扱われることを喜ぶだろうかと。
 昨日話をしていた時、オスカーの瞳の中にあったのは、明らかに聖地に対する怒りと憎しみだった。そんな彼が、守護聖として扱われて喜ぶはずがない。第一、もし守護聖として扱われることを望んでいたとしたら、最初の段階でそう告げていたはずだ、自分は守護聖であると。それを彼はあえて守護聖となる前の立場を、肩書きとして名乗ったのだ。それが、答えだった。
「食欲がないんなら、仕方ないか。無理に食べるってのもなんだしな。腹が減って食べる気になったら、食べればいいさ。で、これからのことだが……」
 これからのこと── その言葉に、オスカーは肩をピクッと揺らした。
「どうする? どこか行くところがあるなら、そこへ送っていくが」
 上掛けの上に置かれた両の掌が握り締められるのを、フランツは黙って見ていた。オスカーの答えを待ちながら。
「……行くところなんて、ない。もう、何も残ってない……」
「じゃあ、俺のところに来るか?」
 オスカーの返事に、やはりそうか、と思いながら、フランツは軽い口調で告げた。それに対し、オスカーは、えっ? と、思わず顔を上げてフランツを見た。
「少佐……?」
「気楽な一人暮らしだ、大したもてなしはできないが、泊めてやるくらいはできる。どうする? それとも、どこか行きたいところでもあるか?」
「どうして、です。昨日会ったばかりの俺に……」
 言いかけて、昨日、彼はゲンシャー将軍から頼まれたのだと言っていたことを思い出した。
 そうだった、この人にとって、俺の面倒を見るのは単なる命令遂行に過ぎないのだと。そして思う。ゲンシャーはおそらく自分の正体を知っていて、だから少佐に自分の面倒を見るように命令したのだろう。そして少佐は、聞いているのだろうか、自分が守護聖であることを、と。
 他に知っているところがなくて、つい無意識のうちに王立派遣軍の総司令部に来てしまったが、もしそうならば、知られているならば、これ以上ここにはいられない。一緒にいることなんて、行くことなんてできない。
 不思議そうな、そしてまた不安そうな瞳で見上げていたオスカーが俯いてしまったのに、フランツは彼の心中を慮った。
 オスカーが考えているだろうことは凡そ察しがついた。命令で仕方なくやっているのだとでも思っているのだろうと。
 そして、オスカーが考えているようなことではないのだと、その頭に、フランツはポンと手を乗せて、軽い調子でそうではないのだと告げてやる。
「あの時の様子じゃ覚えてなんかないだろうが、死のうとしてたおまえさんを引き止めたのは俺だからな。放り出すわけにはいかないだろう」
 そう言われて、つられるようにオスカーは頭を上げてフランツを見上げた。
 頭に乗せられた手は、まるで自分が子供扱いされているようで悔しかった。けれどその一方で、もしかしたら故郷を離れてからはじめてかもしれないその掌から伝わる温もりが嬉しくて、一瞬、()くしてしまった何かを取り返すことができたような、そんな錯覚を覚えた。
「退院の手続きをしてくるから、俺が戻ってくるまでに着替えておけよ」
 オスカーの頭に手を置いたまま、子供にするようにくしゃりと彼の髪を掻き回し、病室の一角に置いてあるロッカーを示して、そこにおまえの着ていた服が入っているからと告げて、フランツは一旦病室を出た。
 そのままナースセンターに行って、オスカーの退院手続きをとる。請求書はゲンシャー将軍宛てにして。
 事務手続きが済むのを待っている間に、フランツはヴィジフォンを借りてゲンシャー将軍に連絡を入れることにした。
「やはり、あちらに戻る気はないようですよ、少なくとも今は。で、暫くは俺のところで預かることにしました」
『そうか。面倒をかけるが、よろしく頼むよ。あちらには折りを見て、彼がこちらにいることと、暫く預かることを伝えよう』
「折りを見てって、また随分とのんびりしてますね」
 フランツのその言葉に、ヴィジフォンの向こう側でゲンシャーが笑ったのが分かった。
『あちらはこちらとは時間の流れが違うからな。こちらで数日過ごしても、あちらではほんの数時間かそこらだ。慌てることはないさ』
「確かに」
 そう答えた時に、ナースの一人がフランツの前に書類を差し出してきたので、それでは、と言いながらヴィジフォンを切って、フランツは書類にサインをしたためた。
「もしかしたらまたあの坊やを連れてくることがあるかもしれないが、その際も掛かった費用は全て将軍持ち、だからな」
 間違っても俺や坊やに請求書を回してくるなよと念を押すように告げて、フランツは病室へと戻る。
 病室では、既にオスカーがフランツに言われたように着替えを終えて、ベッドに腰を降ろしていた。
「ああ、仕度は済んでるな。じゃあ出ようか」
 促して、病室を、病棟を出て駐車場へ。停めておいた自分の地上車にオスカーを乗せると、フランツはそのまま町に向かった。
 途中、着替えが必要だろうと、衣類と、それから食料を買って官舎へと向かう。
 フランツは独身の一人身とはいえ、左官クラスに与えられた官舎だけに、一人居候が増えたところで困るような間取りではなかった。
 空いている一部屋を使うように言い、書斎に置いてあったベッドにもなるソファを運び込む。それから、これからどうするかは後でゆっくり話すことにして、とりあえずは何も考えずにゆっくり休むようにと告げると、フランツはリビングに戻った。
 昼間からどうかとは思ったが、どのみち今日は休みだから構わんかと、ウイスキーを出してグラスに注ぎながら、ソファに腰を降ろした。
 これからどうしたものかと、正直なところ、フランツは頭を抱えたい気分だった。
 今のオスカーの様子からはとてもそうは見えないし、そんな感じは全く受けないが、彼は守護聖なのだ。ヘタな扱いはできないし、彼の身に万一のことがあっては困る。しかし当人は自分が守護聖であることを隠しておきたいようだし、そう扱われることも嫌悪するだろう。
 となれば、まずはそれとなく彼の身の安全を図りながら、決して守護聖として扱わぬこと。それが第一だろうと考える。
 その次。今のオスカーからは、生きようという気力が感じられない。半ば無意識だったろうが、彼は死を選ぼうとしていたのだ。そして無意識だからこそ、それが本心だと知れる。彼は、少なくとも態度からそう思わせるようなことはないが、間違いなく死にたがっている。
 だが死なせるわけにはいかない。守護聖である彼を失うわけにはいかない。万一彼を失った時、どのようなことになるのかそれは分からないが、それだけはできないと、フランツは思う。
 そう考えて、フランツはオスカーが哀れになった。
 故郷から、家族から、それまでの全てから引き離されて、聖地という世界に閉じ込められ、通常の時間(とき)の流れからも切り離され、そして── 、勝手に死ぬことも許されない、人間(ひと)でありながら、人間とは違う存在──それが、守護聖、なのだ。
 ましてやオスカーは、彼の生まれ故郷を見捨てた聖地を、間違いなく憎んでいる。なのに、オスカーはこれからの長い時間を、好むと好まざるとにかかわらず、自分で選択することもできずに、その聖地で生きていかねばならないのだ。
 そんなオスカーに自分がしてやれることは何かと、フランツは思いを巡らせる。
 とにかく、まずは生きる気力を持たせることだな、と思う。とはいえ、どうすればそれができるのだろうか。
 人生は苦しいことばかりではない、辛いことばかりではない、楽しいこともあるのだと、生きることを楽しめと。彼の生まれ育ったヴィーザは長い間戦争が続いていたうえに、彼は軍に所属していたのだ。これといった娯楽や遊びもしてこなかっただろう。ならば少しでもそれを教えてやりたいと思う。その中で、生きようという気力を取り戻してくれればいい。
 そして、自分独りだと言ったオスカーに、決して独りきりではないのだと教えてやりたいとも。
 ゲンシャーの思惑など関係ない。
 烏滸がましいことかもしれないし、果たして自分にそれがどこまでできるものか分からないが、オスカーを、その心を救ってやりたいと思うのだ。
 救ってやるなどと傲慢な考えだなと、自嘲の笑みを浮かべながら、フランツはウイスキーを喉に流し込んだ。





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