Schwur - 6




「なぜ、と聞いていいかな?」
 そう問い返されて、オスカーは言葉に詰まった。
 なぜそれを知りたいのか、と言うのだろう。だが、それを告げることはできないとオスカーは思った。
 唇を噛み締めて俯き、震える手でシーツを握り締める。
 その様子に、フランツは理由を聞き出すことをとりあえずは断念した。
 フランツは一つ大きく溜息を吐くと、ゆっくりと話し出した。
「俺が知っているのは、公表されていることだけだ。詳しいことは知らないが、十年ほど前、ヴィーザでは戦争が最終局面に入っていたようだ。そしてその中で、最終兵器ともいえる核兵器や生物兵器、化学兵器が投入された。加えて、運悪くといったらいいのか、不幸にも、大規模な自然災害が全惑星的な規模で起きたらしい。結果、短期間のうちに人が住める状態ではなくなったと聞いている。現在では当時の影響で、毒ガスや放射能に汚染され、生きているものは何一つ存在していない、死の星、とでもいっていいような在り様だ」
 フランツの言葉を黙って聞いていたオスカーは、ヴィーザのことを知った時から疑問に思っていたことを尋ねた。
「……そんな状態のヴィーザに、貴方方は、聖地は、何をしたんです? 何か、ヴィーザの住民を救うために何かしたんでしょう!?」
 最初は、なぜヴィーザに起きたことを自分に知らせてくれなかったのかという怒りが先行していたが、次いで頭を(よぎ)ったのは、聖地は何をしたのか、何をしなかったのかということだった。取り出したデータは、そのことには何一つ触れてはいなかった。だがこの宇宙の安寧と維持を図るのが聖地の、そこに在る女王と守護聖の務めであるのならば、そうして滅びようとしている惑星(ほし)に対して、何らかの処置を取ったに違いないはずなのだから。
 しかし、オスカーの問い掛けにフランツは首を横に振った。
「いいや、何もしなかった」
「なぜっ!?」
「我々王立派遣軍は、暫く前からヴィーザの監視をしていた。長年に渡って戦争状態が続いていたから、ずっと状況を見守っていたんだ。内政不干渉ということで、口出しや手出しはしなかったがな。そして、連中がABC兵器を開発した段階で、聖地に対して警告を発したが……」
「発したが?」
 言い淀むフランツに、オスカーは先を促した。
「聖地からはそのまま監視を続けよと、それだけだった。やがてさっき言ったようにABC兵器が実戦配備、投入され、運悪く、同時期に起きていた火山活動がさらに活発になり、噴火と、それに伴い、地震や津波が起きて、惑星の殆どが只ならぬ状況に追い込まれていった」
 そこまで告げて、フランツは言い辛そうに顔を顰めた。
「聖地が事の重大さに気が付いて我々に救助活動を行うように指示してきた時には、もう全て終わった後だった。まだ僅かに生きている者がいたようだったが、既に、惑星上に降りるのも危険で、……何かをできるような状態ではなかったんだ」
「……つまり……」
 シーツを掴むオスカーの腕は怒りに震えているようだった。
 フランツを睨みつけ、唇を震わせながら言葉を重ねる。
「聖地は、ヴィーザを、見捨てたんですね……。貴方方が警告を発した時に動いていれば、滅びずに済んだものを、連中は何もしなかったと……」
 涙を流しながらも、蒼氷の瞳は、怒りと憎しみに燃えているようだった。
「……守護聖の方々には、そこまで切迫したものだという認識がなかったんだろう。楽園とも言われる聖地にあっては、戦争など、理解できまい。あの方々が操るサクリアに原因があってのことならともかく、ヴィーザの件のそもそもは、戦争という、人為的な内政に原因があったわけだからな」
「……っ……、どうして、だ。聖地は、守護聖はこの宇宙を護り導くために存在すると教えられたのに、なぜ……、どうして……っ!?」
 どうして── と、涙を流しながら問い続けるオスカーに、フランツは掛ける言葉を持たなかった。
 どうして── と、それは彼ら王立派遣軍に属する者たちもまた、思ったことだったのだから。
「……もっと詳しいことが知りたければ、資料を集めてやれるが……」
 そっとオスカーの肩に手を置いて告げるフランツに、オスカーはもういいと、頭を振るだけだった。
 涙を流し続けるオスカーを黙って抱き寄せていたが、もともと熱を出して体調が良くなかったところに興奮して疲れたのだろう、決して穏やかとはいえなかった、むしろ呼吸もいささかか苦しげではあったが、それでもフランツに寄りかかったまま寝息を立てはじめたオスカーを、そっとベッドに横たえると、フランツは静かに病室を後にした。
 廊下を歩きながら、それにしても、とフランツはいまさらながらに思う。
 彼は何者なのか、と。
 なぜヴィーザのことを知りたがったのか、と。
 ヴィーザの件があったのは、既に八年以上も前のことだ。それをなぜ今頃、しかも20歳にも満たない彼が気に掛ける。ましてやあの感情の表れは、ただごとではない。
 そこまで考えて、頭に引っ掛かっていた“ザルービナ共和国”という名に思い至った。
 なぜ気が付かなかった。
 ザルービナ共和国とは、かつてヴィーザに存在した大国の一つ。ヴィーザを滅ぼした、あの戦争の当事国の一方。
 事が起こった八年前なら、オスカーは10歳になるかならぬかといったところのはずだ。なのに彼は、自分の身分をザルービナ陸軍の少尉だと、そう告げた。そんなこと有りえようはずがないのに。
 フランツはオスカーが何者なのかを確かめるために、ゲンシャー将軍を問い詰めるべく、足を速めた。





「隠さずに教えてもらいましょう。彼は、何者です!?」
 部屋に押しかけてくるなり声を荒げて問うてくるフランツに、ゲンシャーは静かに応じた。
「何が、あったのかね?」
「……彼は、自分のことをこう言ったんですよ」
 フランツはゲンシャーのデスクに両手をつき、ゲンシャーを追い詰める。
「ザルービナ共和国陸軍第2師団所属の少尉だと。ザルービナ共和国── つまり、例の惑星、ルアサの第3惑星ヴィーザの!」
 フランツの告げた事実に、ゲンシャーは目を見開いた。
 その様子は、ゲンシャーもその事実を知らなかったのだと如実に告げていた。
「ヴィーザの……。そうか、そうだったのか……」
 ゲンシャーは立ち上がると、窓に向かい外を見つめた。その遥か先には、女王の結界に守られた、聖地に至る門がある。
 フランツはゲンシャーの告げる言葉を聞き逃すまいと、その後ろ姿を目で追い、耳を澄まして待った。
 ややして、ゲンシャーは振り返り、フランツを真っ直ぐに見詰め口を開いた。
「……彼は、炎の守護聖だ」
「え?」
 フランツは、ゲンシャーの口から発せられた思ってもみなかった単語に、一瞬、彼の告げたことが理解できなかった。
「守護聖?」
「そうだ。炎の守護聖殿だ。つまり、この王立派遣軍の総司令官ということだ」
 守護聖、総司令官── 確認するように、フランツは頭の中でその単語を繰り返した。
 守護聖であるというのなら、理解できる。守護聖が過ごす聖地とこちら側とでは、時間の流れが異なる。だから20歳にも満たない彼が、とうに滅びたザルービナの少尉だったと告げても、確かに不思議ではないのだ。そして、彼の存在が、ゲンシャーにとっても、この王立派遣軍そのものにとっても、いかに重要な存在であるかということも。
「私が彼に初めて会ったのは、もう十年ほど前のことだ。前任者が、我々に引き合わせるために彼を連れてきた。その時に一度会ったきりだったが、とても印象的な青年だった。いや、青年というよりはまだ少年、だな。あの時、私は当時の副指令の指示で、彼にこの総司令部の中を案内したんだが、彼は緊張しながらも明るく笑っていた。『科学レベルや技術レベルは雲泥の差ですが、軍隊の持つ雰囲気というのはどこでも同じなんですね』と言ってね。そしてこうも言っていたな。『自分はつい数ヶ月前まで戦場にいました。生まれた時から戦争状態が普通だったんです。だから平和な聖地よりも、ここの方が肌に馴染むような気がします。守護聖がこんなことを言ってはいけないのかもしれませんけれど』とね」
 話しながら、ゲンシャーはフランツに傍らのソファを示し、彼が腰を降ろすと、自分もその正面に座った。
「……彼が何者かは分かりましたが、彼は、知らなかったんでしょうか、故郷の辿った運命を」
「これはあくまで私の推測にすぎないことだが……」
 フランツの提示した疑問に、ゲンシャーは顎に手を当て、考えながら自分の考えを示した。
「守護聖交代という大切な時期であったことから、おそらく、彼に知らされることはなかったんだろう。ところが、何かの弾みで彼は事実を知り、ショックを受けて聖地を飛び出した。しかし飛び出してはみたものの、行く宛てもなく、一度だけ来たことのあるこの総司令部に、いつの間にか足を向けていた」
「そしてそれを貴方が拾った、と」
「多分な」
 そこまで話して、肩の力を抜くように、二人はほぼ同時に大きく息を吐き出した。
「で、」フランツは上目遣いで、探るようにゲンシャーを見た。「貴方は何を企んでるんですか?」
「企む? 聞き捨てならない科白だね。私が何を企んでいるというんだい?」
「いないと仰る? 何の目的もなく、俺をあの坊やに── 失礼、守護聖殿に付けるわけがない。何か、考えてがあってのことでしょう?」
「おまえに隠しごとはできないか」
「当然です。これまでさんざん貴方に鍛えられてきましたからね。ここまで話したんです、正直に最後まで話していただきましょう、おじさん」
 ゲンシャーは足を組み、暫く考え込むようにしていた。察するに、どこまで話したものか考えているのだろうと、フランツはあたりをつけた。
「簡単に言えば、私としては、聖地と王立派遣軍の関係を改めたいと思っている」
 漸く口に出されたその言葉に、フランツは眉を寄せた。
「どのように?」
「おまえも分かっているだろう。聖地は王立派遣軍を単なる警備役かレスキューくらいにしか考えていない。だが我々は軍隊だ。警備会社ではないし、レスキュー隊でもない。もちろん、聖地の警備や、何かあった際のレスキュー行為は当然必要な、取るべき行為であるが、そのためだけに存在しているのではない。しかし、今のままではこの関係は、聖地の我々に対する見方は変わらない。件のヴィーザのことでも分かるように、我々の警告は軽んじられ、無視され続けるのがオチだ。私は、それを変えたいのだよ」
 黙ってゲンシャーの考えを聞いていたフランツは、ゴクリと息を呑み込んだ。
「つまり、こちらの懐に飛び込んできたのを幸い、彼をこちら側に取り込もうというわけですか」
「……有態に言ってしまえば、そういうことになるな」
「成程ね。そして、俺にそれをせよと、そういうことですか」
 納得したと頷きながら応じるフランツに、ゲンシャーは意地の悪げな笑みを浮かべながら、確認するように聞いた。
「おまえなら、できるだろう?」
 できないとは言わせないと、言外に匂わせながら。





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