Schwur - 3




 ディアの執務室を飛び出したオスカーは、その足で首座だる光の守護聖ジュリアスの執務室へと向かった。
 そしてディアの執務室に入っていった時と同じように、取次ぎの間にいたジュリアスの秘書の一人と押し問答した挙句、止めようとする秘書を振り切り、押し入るようにして中に入った。
「騒がしいぞ、一体何事だ」
 それには何も答えず、オスカーはジュリアスの前まで靴音を響かせながら近づいた。
「オスカー、何かあったのか?」
 オスカーの明らかに冷静さを欠いたと思われる様子に、ジュリアスは眉を寄せながら尋ねた。
「お聞きしたいことがあります」
 執務机を挟んでジュリアスの前に立ったオスカーは、年上の、しかも守護聖の首座という、いわば上司といえる、目上の者に対してのものとは思えぬ視線を向けた。
 それに、思わずジュリアスは今までに経験したことのない威圧感を感じた。
 ジュリアスにはそれが何か分からなかったが、もしここに心得のある者がいたならば、すぐに分かっただろう、オスカーから発せられるものが、僅かではあったが、明らかに殺気が込められたものであると。
「何だ?」
「Ω座ルアサ星系第3惑星ヴィーザの件──と言えばお分かりか?」
 オスカーの言葉に、ジュリアスは思わず息を呑み込んだ。そして傍らにいた秘書に、小声で下がれと命じ、彼が退室するのを待ってゆっくりと口を開いた。
「何を聞きたい?」
「なぜ教えていただけなかったんですか、ヴィーザが……滅亡、したことを……?」
 必死に感情を押し殺し、冷静な振りを装ってジュリアスに尋ねる。
 ディアに対した時は思わず感情に任せてしまったが、今目の前にいるこの男に対しては、そんなことでは欲しい答えは得られないとそう思うから、多大な努力を払って、必死に熱くなる感情を押し込めた。
「……それに答える前に確認したい。どうやってそれを知った?」
 ジュリアスは机の上で両の手を組んで、自分を見下ろすオスカーを真っ直ぐに見つめ返しながら問い返した。
「ライブラリで、データベースにアクセスしました」
 その答えにジュリアスは眉を顰めた。
「守護聖ともあろう者が、個人的な感情で個人的にデータを調べたというのか? 守護聖が個人的にその立場を利用することは許されていないと、ウォルフから最初に言われなかったか?」
 諭すかのようなジュリアスのその言葉に、オスカーはギリッと音がするほどに奥歯を噛み締めた。握り締めた両の拳からは、力を入れ過ぎて血が滲み出していた。
「守護聖といえど人間です、自分が生まれたところがどうなっているか、知りたいと思ってはいけませんか!? ましてやヴィーザは戦争中だった! 気になるのは当然でしょうっ!? 何かをしようと思ったわけじゃない、ただ知りたかっただけだ、それすらも許されないというんですか!? いいや、許されるとか許されないとか、今はそんなことはどうでもいい! 俺が知りたいのは、どうして教えてくれなかったのかということだ!! 答えて下さい、なぜですっ!?」
 必死に抑えていた感情がつい昂ぶって、オスカーは執務机にバン!と大きな音を立てて両手をつき、ジュリアスに詰め寄った。
「オスカー……」
 出逢ってからまだ僅かに数ヶ月、だが初めて目にする激昂するオスカーの様子に、こんな顔も持っていたのかと、ジュリアスは一瞬言葉を失った。
「答えを!」
「……守護聖交代という大切な時期に、そなたにショックを与えたくなかった、だからウォルフと諮って、黙っていることにしたのだ。現に、そなたは今普段の自分を見失うほどのショックを受けているではないか」
「自分を見失う? 俺が? 失ってなどいません」
 机についたオスカーの両の腕は、何かを堪えているかのようにわなわなと震え続けている。
「それに、確かにショックを受けてますが、事が起こった時点で聞いていれば、ここまでのショックは受けませんでしたよ!」
「そなたはそう言うが、私たちとしてはあの時は少しでも不安要因を取り除きたかったのだ。それでなくとも、守護聖交代の時というのは、サクリアのバランスが崩れ、不安定になりやすい。それに、そのような大切な時に、そなたに余計なことに気を取られて欲しくなかったのだ」
「余計なこと?」
 ジュリアスのその言葉に、オスカーは顔を歪めた。
「何が、余計なことです? 故国を、家族を思うことのどこが余計なことだと!? それとも、守護聖はそれを思うことも許されないとでも言うんですか!?」
「非情な言い方だが、守護聖として聖地に召された時点で、外界との縁は切れたのだ。今のそなたは炎の守護聖、それ以外の何者でもない。家族も、祖国も最早関係のないもの。それに……、ヴィーザの民は、そなたには気の毒だと思うが、与えてやったサクリアをあのような方向にしか活用できぬ愚かな民だったのだ。悲嘆にくれる気持ちは分からぬでもないが、忘れることだ。オスカー、冷静になれ、そして二度とヴィーザのような悲劇が起こらぬように……」
よく、そんなことが言える……
 ジュリアスが言い終える前に、オスカーの小さく呟く声にそれは遮られた。
 俯いているオスカーの表情は、ジュリアスからは見えない。
「オスカー?」
「よくもそんなことが言えるものだ!」
 上げられたオスカーの顔は、怒気に満ちていた。
「あんたが愚かだと言うそのヴィーザの最後の一人である俺を前に、よくそんなことが言える!!」
 年下の、守護聖になりたての青年に、ジュリアスは明らかに気圧されていた。
「……オ、オスカー……」
 拳を握り締めた震える右腕を左手で抑える。ジュリアスを殴りつけたい衝動を、オスカーは必死に抑えていた。
 オスカーはジュリアスを睨みつけたまま、一歩、二歩と下がった。そして不意に踵を返すと、荒々しい靴音を立てて扉に向かう。
「オスカー!」
 ジュリアスは思わず立ち上がりその後ろ姿に声を掛けるが、オスカーは立ち止まることも振り返ることもなく、執務室を出ていった。それを見送って、ジュリアスは漸く自分の失言を悟った。
 間違ったことを言ったとは思っていない。首座の守護聖としては当然のことを言ったまでだ。だが、それは今言うべき言葉ではなかった。今のオスカーの心情を考えれば、避けるべきだったと、そういった点で失言だったと、ジュリアスは思った。
 遠慮がちに、コンコンとノックの音が響く。それに気付いて入室の許可を伝えると、扉が開いて秘書の一人が入ってきた。
「どうした?」
「女王補佐官のディア様がおみえです」
「ディアが?」
「はい」
 何かあったか、と訝しみながらも、ジュリアスはお通ししろと秘書に伝えた。
 秘書が扉を開けて、その向こうにいるディアに入室を促す。そして秘書はディアが中に入ったのと入れ違いに退室し、扉を閉めた。
 扉が完全に閉められたのを確認してから、ディアはジュリアスに近付いた。
「ディア、どうかしたのか?」
「……先程、オスカーが私のところに来ました。ヴィーザの、彼の故郷の件で……」
「そなたのところにも?」
 ジュリアスの一言に、ディアは一瞬、目を見開いた。
「では、貴方のところにも来たのですね?」
「ああ」
 短く答えて、ジュリアスは頷いた。
「つい今し方、そなたと入れ違いに飛び出していった」
 ジュリアスの答えに、ディアは手にした錫杖を強く握り締めた。そして美しく細い眉を寄せ、俯き気味に震える声で尋ねた。
「私たちは……、私たちは間違っていたのでしょうか? あの時、私たちはオスカーに隠さずに、告げるべきだったのでしょうか……?」
 ジュリアスはその問いに、力無く首を横に振った。
「……どう、なのだろうな。だがあの時は、その方が良いと、そう判断した。あの判断が間違っていたとは思いたくない。ただこちらの意図していたのとは別のところで、オスカーが知ってしまったことが……」
 言いながら、ジュリアスは苦渋に表情を歪めた。





 ジュリアスの執務室を飛び出したオスカーは、そのまま、先代から譲り受け、今は自分のものとなっている屋敷へと戻った。
 執務時間中のいきなりに帰宅に、内心何事があったのかと驚きながらも、この屋敷の管理を任されている執事のハインリッヒは、それをおくびにも出さずに、いつものように静かに出迎えた。
「お帰りなさいませ」
 と、ハイリッヒが頭を下げながら告げるのを無視して、オスカーはその前を足音も荒く黙って通り過ぎ、そのまま屋敷の奥へ、自分の私室へと向かう。
 そんな主の様子に、ハインリッヒは不安を感じざるを得なかった。
 オスカーは室内に入ると、後ろ手に鍵を閉め、マントを外し、乱暴に守護聖としての正装を脱ぎ捨てる。
 オスカーの中には、様々な感情が渦巻いていた。
 怒り、憎しみ、哀しみ、そして、絶望──
 なぜ、どうして── と、疑問が繰り返し頭を(よぎ)る。
 部屋の中、ソファの傍らにある小卓に置かれた花瓶がオスカーの目に止まった。メイドが生けたのだろう、美しい花がその花瓶に生けられていた。
 花瓶に近づき、手を掛ける。
 オスカーがどんな状態にあるか、何も知らずに美しく咲き誇っている花。それはまるで、楽園とも形容されるこの聖地で、祖国の辿った運命を何一つ知らずに過ごしていた自分のようで、唇を噛み締めると、花瓶を掴み上げ、思い切り窓に向けて投げつけた。
 ガシャーンッ!! と大きな音を立てて窓ガラスと花瓶が割れる。
 ガラスと花瓶の破片、そして花瓶に生けられた花が床に散らばった。
 それを引鉄に、オスカーは目に付いたものを次々と手で払いのけ、投げつけ、あるいは蹴り倒していった。
 暫くそんなことを続けて、オスカーは肩で息をしていたが、やがて力が抜けたように床に膝をついた。
 項垂れて、そのまま倒れ込むように床に両手をつく。
 思い出されるのは、士官学校の卒業式が終わった後、最後に会った、愛し愛された母親、いつもじゃれつくように自分の後をついて回っていた弟、誰よりも慈しんだ妹、大勢の友人たち……。もうその誰も、どこにも、存在しないのだ。全ては失われてしまった。
「……くっ……!」
 拳を床に叩きつける。
 チクショウ── と、小さく呻くように呟きながら、何度も何度も拳を床に叩きつける。いつしか傷ついて血が滲み出しても、気付かないのか、気にならないのか、ただひたすらに床に拳を叩きつけ続けた。
 怒りを向けているのは、果たして何に対してか。
 何も知らずに過ごしていた自分にか、知りながら何も伝えてくれなかった奴らにか、自分の同胞を見下し侮辱したあの男にか、それとも、その全てにか。
 どのくらいそうしていただろう、扉をノックする音と、ハインリッヒの自分を呼ぶ声に気が付いた。
「オスカー様、オスカー様」
 明らかにものが割れる音、壊れる音に、ハインリッヒは動揺し、主の身に一体何が起こったのかと不安でならなかった。だが扉には鍵が掛けられ、入ることはもちろん、中の様子を、主の様子を確かめることもできない。
 暫くして物音のしなくなったのに気付いて、ハインリッヒは声を掛けた。それに、他の使用人が伝えてきた来客のことも告げねばならない。
「オスカー様、聞こえておいでですか? 宮殿からジュリアス様のお遣いの方がお見えでございます。オスカー様!」
 ハインリッヒのその声に、オスカーは扉に向けて思い切り睨みつけた。
「追い返せっ!!」
 躊躇いもなく怒鳴りつける。
 誰にも会いたくない。この聖地に属する誰にも、ましてや、あんな男などに!
 オスカーは立ち上がり、続きの寝室に入り、クローゼットから服を出して着替えると、他には何も持たず、こんなところにはいたくない、ただその思いだけで、身一つで周辺に割れたガラスの破片が飛び散る窓から飛び出した。





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