いつしか歳月が経つうちに忘れられていったが、あの戦いが終わった後、オスカーに問うてみたくて、けれどその答えを知るのが恐くて誰も問えなかったことがあった。
オスカーは、アリオスがレヴィアスであるということを知っていたのではないか── と。
その問い掛けを、今漸く、先刻のオスカーの発した言葉に、その通りだったのだろうと思いつつ、ゼフェルが確認するように震える声でする。
「あいつは、オスカーの野郎は、アリオスがレヴィアスだって知ってたのかっ!?」
「俺直属の軍の諜報部はとても優秀でな、かなり早いうちにそうと知れた」
微笑を浮かべながらそう答えるオスカーに、ゼフェルは怒気に顔を赤らめた。
「裏切ってたのかっ! あんだけ前衛に立って戦っていながら、本当は裏切ってたのかよ、あいつはっ!!」
「裏切り、というよりは、取り引き、だな。まあ、結果としてはやはり裏切っていたことになるのかもしれないが」
「取り引き、だと?」
「そう。黙っている代わりに、ストレスを溜め込んで夢に魘されて眠れなくなっていった俺を、眠らせてもらってた」
口許を歪め、自嘲の笑みを浮かべながら、オスカーはそう答え、そしてさらに続ける。
「俺にはレヴィアスの気持ちが理解できたし、レヴィアスも俺のことを理解ってくれた。俺たちがしていたことは、互いに互いの傷を舐めあうような、そんな関係だったにすぎないのかもしれない。とはいえ、そのおかげで俺はぶっ壊れずに最後まで聖地のために戦えたんだがな。もっとも、最終的に聖地のこの現状を考えた場合、聖地にとってそれが良かったのか悪かったのかは分からないが」
オスカーは皮肉気にそう言って、瞳を伏せた。
「壊れる、って……?」
その意味が分からずに、ランディは疑問をそのまま口に乗せた。どういうことなのかと。
「そのままの意味さ。あの頃、俺は精神的に結構追い詰められててヤバかったんだぜ。いつ本音をバラして、おまえたちに牙を剥いてもおかしくないくらいに。最後に受けた命令を果たすためとはいえ、自分の本音を偽ったまま、ずっとおまえたちと一緒にいて、気を抜くこともできずに張り詰めたままで。そんな旅の中、俺にとってはあいつの、レヴィアスの存在だけが、救いだった。おまえたちにとっては皮肉なことだな。レヴィアスとの関係が俺を聖地側に引き止めていたんだ。あいつの存在がなければ、俺はいつか堪え切れなくなって、おまえたちを手に掛けていただろうからな」
オスカーの告白の内容に、皆、顔色を失った。
当時、共に戦った者たちはことにそうだ。
あの戦いの時、オスカーはどんな苦境にあろうとも決して諦めることなく、常に前向きで、ただひたすらに女王を救い出し、聖地を解放するために先頭に立って戦っていた。確かに最後の戦いの時の皇帝レヴィアスとの遣り取りから、二人の間に何があったのかと疑念が膨らみはしたが。
しかしそれでもまさかそこまで、と思う。事によったら、オスカーこそが自分たちの最大の敵となり、命を奪われていたかも知れないなどと、そんな話をどうして信じられるだろうか。ましてや、あの時のオスカーの戦い振りを思い返せば思い返すほどに。
「……オスカーの……」
俯いていたリュミエールは、ゆっくりと顔を上げると、オスカーの顔を蒼褪めつつも真っ直ぐに見詰めた。
「オスカーの故郷が滅びたのが、貴方の言う通りのことだったのだとしたら、確かに聖地に不手際があったと、それは認めましょう。非情に残念なことではありますけれど。そして、オスカーが何かを憎まずにはいられなかっただろう気持ちも、理解ります。ですが……」
「理解るだとっ!?」
オスカーは怒気に青白く燃える瞳で、リュミエールを睨み付けた。
「貴様に何が理解るというんだ、リュミエール! あの惨劇を実際に目にしたわけではないのに、夜毎、業火に焼かれて苦しみのたうちながら死んでいく家族や友人、多くの同胞たちの様を夢に見て魘され続けて、誰でもいい、人の温もりに頼らなければ、一人ではまともに眠ることすらできなかった俺の、一体何が貴様に理解るというんだ! 是非とも教えてもらいたいものだな、お優しい水の守護聖殿っ!!」
オスカーのその告白に、リュミエールはこれまでとはまた別の驚きに目を見開いた。
その表情から窺えるのは、怒りと憎しみ。しかしリュミエールは、その氷の瞳の奥に、それ以上の嘆きを見た気がした。
正直、前炎の守護聖オスカーは、自分とは気の合う存在ではなかった。単に互いの持つ力が、見方によっては対とも取れる、正反対のものであることを抜きにしても。
時に傲慢とも言えるほどの自信家で、正に強さを司る炎の守護聖らしく、弱みなどないのではないのかと思えた。そしてまた、自他共に認める聖地一のプレイボーイ。女王に忠実な騎士の顔を持つ一方で、しょっちゅう聖地から外界に抜け出していた遊び人── それが、リュミエールの知るオスカーだった。いや、リュミエールだけではない、彼に対する個人的感情による多少の差、好悪の別はあれ、皆、似たように思っていたはずだ。
それが、今目の前にいる彼の告げたことがオスカーの真実だったとするならば、女性たちに見せていた笑顔の裏で、自信に満ちたその顔の裏で、一体どれ程の慟哭を抱えていたことか。そしてまた、女王や前の光の守護聖ジュリアスらに対して見せていたその忠誠の裏で、いかほどの憎悪を持って、聖地が崩壊することを渇望していたことか。
それを最期まで他者に微塵も感じさせなかったそのことに、驚嘆を覚える。おそらく、彼の中では自分の想像を絶するような葛藤があったであろうに。
にもかかわらず、それを隠し通しきったその精神力に感服する。そして、だからこそ彼は誰よりも強さを司る炎の守護聖に相応しかったのかもしれないとも思う。その精神力の強さ故に。
だが── 。
「……でも、間違ってる……」
ランディが、唇を震わせながら呟いた。
リュミエールとオスカーの遣り取りを耳にしながら、ランディはまた一つ、思い出したことがあった。
それはかつての、皇帝との戦いの旅の間のこと。
もう随分と前のことで、そうはっきりと思い出したわけではない。思い出したのはその時の出来事というよりも、その時に抱いた自分の感情、と言った方がいいのかもしれない。
それは町や村や、人々の集落から離れて野営したある晩のことだった。
その時は、ランディが火の番をしていた。
その夜、はじめて目にしたのだ、魘されて、そして飛び起きたオスカーを。単に、はじめて、ではない。最初で最後、だった。
蒼い顔をして、それでも笑顔を見せながら、少し歩いてくると告げてその場を離れたオスカーと、そのオスカーの後を追っていったアリオス。
それまで目にしたことのなかった常ならぬオスカーの様子に不安を感じ、けれどその後を追ったアリオスに安堵して── 、しかし同時に、胸にチクリと小さな痛みを感じた。それがなんだったのか、その時には分からなかった。その後だって、分かっていたわけではない。だが今は分かる、あれは、おそらく妬心だったのだと。
はっきりと、ではなかったと思う。だが、無意識に感じ取っていたのだ。
あの時、アリオスは言外に、その表情で、その背で、オスカーのことは理解っている、おまえは口出しも手出しも無用だ、何もするな── と告げていたのを。
守護聖として聖地に入り、はじめてオスカーと会った時から、炎の守護聖オスカーは、ランディにとって憧れであり、目標だった。確かに、私生活においては些か眉を顰める部分もありはしたが、それでも守護聖としての彼自身に対して抱いた感情を、否定するものではなかった。
いつかはオスカーのようになりたいと、彼に追いつきたいと、ずっと思っていた。
だから、ずっと見てきた。
それなのに、その自分よりも、この旅で出会ったばかりのアリオスの方が、オスカーの事を理解っているという。
それが悔しかった、妬ましかった。
もちろん、自分がオスカーの全てを理解しているなどというような、そんなことは思ってはいなかった。しかし、自分の知らないオスカーを、聖地で共に在った自分よりも、出会って間もないアリオスが知っている── かもしれない、ということに、妬みを覚えた。それがあの時の微かな胸の痛みの原因だったのだ。
そして今、あの時、無意識のうちに感じたことは、事実だったのだと思い知らされたわけである。
だが、そうして自分の知らなかったオスカーの姿を知らされたからといって、そうすぐにオスカーに対する感情を、右から左に置き換えるように変えられるものではない。たとえそれが、オスカーが意識して見せていたほんの一面に対してのものだったにしても。
今はじめて知った、オスカーの聖地に対して抱いていた感情は、リュミエールが言うように、全く理解できないものではない。しかしだからといって、決して認められるものでもない。
自分の知る、自分の憧れであり目標であったオスカーもまた、彼がそう意識してのものであったにせよ、彼の一部であったことは紛れもない事実だと思う。
だからこそ、言わねばならないと思うのだ。
「オスカー様の考えは、間違ってます……っ」
ランディはじっとオスカーの薄蒼の瞳を見据えて、声を震わせながらそう告げた。
「間違っている? 何が間違っているというんだ? 教えてもらいたいな、ランディ」
オスカーは瞳を眇め、口許に微かに笑みさえ浮かべながらランディに問うた。
その表情に、ランディは思った。
もしかしたら自分が考え、そして言おうとしていることは、既に彼にとって予想の範囲内のことなのかもしれないと。
しかしたとえそうであったとしても、いまさらここで口を閉ざすわけにはいかない。ランディは拳を握り締め、気圧されぬようにと、答えを待って自分を見詰めるオスカーをヒタと睨み据えた。
「リュミエール様が仰られたように、聖地の判断ミスが、不手際があったとしても、それだけでオスカー様の故郷が滅びたわけではないでしょう。元を正せば、こう言っては失礼だとは思うけど……」
言い辛そうに一度言葉を呑み込みながらも、ランディは先を促すように黙ってランディを見遣るオスカーの様子に、続く言葉とぎれとぎれに口にした。
「……ここまで言うのは、言い過ぎかも、しれないけど、自業自得の面も、あるんじゃ、ないんですか?」
その言葉を聞いた周りの者は、ランディにしてはきつい物言いのような気がした。だが同時に、それは他の者たちもまた同じように考えたことで、それをランディが代表して言葉にしてくれた、といった感もあった。
オスカーは、ランディのその言葉を小さく繰り返した。
「自業自得、か……。フッ……」
オスカーは瞳を伏せて、そして小さく嘲笑った。
「確かにな、自業自得だろうさ。それくらいは分かっている。だがな、おまえは、いや、おまえらは忘れていないか、自分たちがしていることを」
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