幼い孫やその友人たちを前に老人は語る、その生あるうちから生きる伝説と化していた、遥か昔の英雄の物語を。
連邦軍── 旧王立派遣軍── の元帥として先頭に立って、この宇宙を聖地の支配から解放し、現在も続く連邦制度を確立した、その印象的な燃えるような緋色の髪から“緋の大元帥”と後に呼ばれるようになった、この宇宙に知らぬ者のないだろう人の伝説を。
「そうして大元帥殿は、女王と守護聖の前に立たれると、
『初めましてと言うべきか、それとも、お久し振りですと言うべきか、正直、悩むところですね』
最初にそう仰られた」
◇ ◇ ◇
「初めましてと言うべきか、それとも、お久し振りですと言うべきか、正直、悩むところですね」
宮殿の謁見の間で、女王と女王補佐官、九人の守護聖、そして、次期女王候補たる二人の少女を前にして、20歳になったばかりの王立派遣軍唯一の元帥たる彼── オスカー・ラフォンテーヌはそう切り出した。
王立派遣軍が王立研究院と共に、この宇宙に聖地は不要なもの、サクリアを悪しきものとして、聖地に対して叛旗を翻した時、聖地に住む者たちは対抗する手段を持たなかった。
他の者たちはもちろんのこと、聖地の時間にして一年程前から、前任者の後を受けて王立派遣軍の総司令官たる立場にある風の守護聖ランディにしても、王立派遣軍のこの行動は知り得るところではなかった。
前任者であった先代の炎の守護聖オスカーの時と異なり、王立派遣軍はランディを総司令官として受け入れてはいたものの、それはあくまで表面上だけのことであり、現実的には彼は王立派遣軍からは全くの蚊帳の外に置かれていた。そしてまた、外界とは時間の流れの異なる聖地に在る限り、その外界に総司令部を置く王立派遣軍の動きをランディに見極めることなどできようはずもなく、王立派遣軍の蜂起は、彼にとっても寝耳に水の、予測などし得ぬことだった。
もっとも、この宇宙を統治する聖なる女王の軍隊たる王立派遣軍が、その女王に対して、聖地に対して、公然と叛旗を翻すなどと考える者は、この現実を前にするまで誰一人として存在しなかっただろうが。当の王立派遣軍を除いては。
結果、今回の蜂起のそもそもの原因とも言える、王立派遣軍と王立研究院とが連名で公表したサクリアを否定する根拠となったデータの公表と、それとほぼ同時に起きた王立派遣軍の蜂起に、聖地は為す術の無いままに短期間で陥ちた。本来聖地を守るべき立場にある王立派遣軍がその立場を翻しての行動であれば、それは当然のことであっただろう。
そうして王立派遣軍の総司令官たるランディに対して、それまでの慣例を破って王立派遣軍首脳部が決して与えることを認めなかった元帥号を持ち、今回の蜂起の総指揮を取っていた青年が、数名の部下と共に女王たちの前にその姿を見せて最初に放った言葉が、それであった。
青年の姿を見、その声を聞いて、女王をはじめとするその場にいた者の殆どが、息を呑んだのが気配で分かった。
例外は、交代したばかりの夢の守護聖と、二人の女王候補だけである。
なぜなら青年は、女王たちの見知った人物にとてもよく似ていたのだ。いや、瓜二つと言っても過言ではない。唯一異なるのは、記憶の中にある姿よりも、若い、という、ただそれのみで、燃えるような緋色の髪も、冷たい氷のような薄蒼の瞳も、よく透るバリトンも記憶の中の彼── 前の炎の守護聖そのものだった。
「……オス、カー……様……?」
誰かが、その名を、前の炎の守護聖の名を震える声で口にした。
まさかそんなこと、あろうはずがない。オスカーが聖地を去ったのは、この聖地の時間でおよそ一年前のこと。今目の前にいる人物が、その彼と同一人物であるなどということは決してありえない。仮に聖地を去ったとはいえサクリアが完全に消滅しきったわけではなく、その残滓の影響を受けて殆ど外見上の年齢が変わらないということはあったとしても、若返ることなどあろうはずがないのだ。ましてや、当の本人が告げたではないか、『初めまして』と── 。
だが同時に『お久し振りです── 』とも口にした彼に、皆は混乱を来たす。
オスカーが聖地を離れた直後に死んだという事実は、先頃聖地を去ったオリヴィエと、彼から直接それを告げられたランディ、そしてさらにランディから告げられた女王補佐官ロザリアと、そのロザリアから報告を受けた女王しか知らないこと。とはいえ、オリヴィエを別にすれば、残る三人とてそう話を聞いたのみで、事実を確かめたわけではなかった。確認の取りようがなかったのだ。ただ王立派遣軍が掲げた半旗に、それを事実なのだろうと受け止めたに過ぎない。
ならば、今自分たちの前にいる人物は、一体何者だというのか。
「……貴方は、一体、誰、なんです……?」
炎の守護聖にとっては、そのサクリアの性質上、対ともいえる存在の水の守護聖リュミエールが、恐る恐るといった態で尋ねた。
それに対し、彼── オスカー── は唇の端を微かに上げて微笑を浮かべた。だが、その瞳は冷たく輝くのみで、却って恐ろしさが増す。
「私は、貴方方の知る前の炎の守護聖オスカーの、コピー、ですよ」
「コピー? クローンかっ!?」
オスカーの答えに即座に反応したのは、鋼の守護聖ゼフェルだった。
それに軽く頷きながら、彼はなおも続ける。
「オリジナルの、といえばいいのかな、彼の願いを叶えるために、それを実行に移すために、王立派遣軍と王立研究院は私という存在を生み出した」
「オスカーの願いですって!? 聖地に対して叛乱を起こすことが、彼の望みだったとでも言うのですかっ!?」
オスカーの答えに、女王補佐官ロザリアは、聖杖を震える手で、それでもしっかり握り締めながら、叫ぶように問い詰める。
「叛乱は、手段に過ぎない」
本当の氷のように冷たい瞳で見詰め返しながら、オスカーは静かに答えた。
「彼が願っていたことは二つ。
一つは、故郷の大地に還り、同胞たちの元にイクこと。これは既に叶えた。そして今一つは、女王や守護聖のいない、聖地の存在しない世界── 」
「なん、ですって……? そんなこと、オスカーに限って……。嘘だわ! そうよ、貴方は騙されて利用されているのよ! オスカーがそんなことを願っていたなんて、有り得ないわ!!」
信じられないと、何かの間違いだとそう叫ぶロザリアに、オスカーは静かに問い返す。
「なぜそう言いきれる? 彼の心の内のことなど、何も知らなかったろうに」
「彼はっ! 誰よりも忠誠心厚い騎士だったわ! 常に誰よりも陛下に忠実だった!!」
「クッ、ククッ……」
ロザリアのその答えに、オスカーは喉の奥で嘲笑った。
「何がおかしいというのっ!?」
「彼が忠実だったのは、貴方たち── 聖地や女王に対してじゃない。彼が忠誠を誓った相手はただ一つ、故国たるザルービナ共和国。だから軍人として、与えられた任務をこなしていたに過ぎない。守護聖として女王に仕えよという、総司令官からの最後の命令を忠実に実行していただけで、貴方たちに従っていたわけではない。表向きにはどう見えていたとしても、それが事実だ。信じたくは、ないかもしれないが」
淡々と語られるその内容は、いみじくも彼自身が告げたように、誰にとっても信じがたいことだった。
誰が見ても、オスカーは女王に忠実な騎士だった。それはオスカーとは決して仲がいいとは言えなかったリュミエールですら、認めていたことだったのだ。
ところが、実際には全く違ったのだという。
一体何が真実で何が嘘なのか、皆、分からなくなっていた。まるで悪い夢を見ているようだと、一体何人が思っただろう。
オスカー── 目の前の、彼のクローンだという青年も含めて── のことはもちろん、王立派遣軍と王立研究院の蜂起も、そして何よりも、その蜂起のきっかけとなったデータも。いや、きっかけという表現は正しくはない。聖地に対して叛旗を掲げる根拠として、その行動に正当性を与えるために、王立派遣軍は王立研究院と連名でそのデータを公表したのだから。
公表されたデータは、正に衝撃だった。
それまで正しいと信じられてきた悉くが、そして自分たち── 女王や守護聖── の存在意義すらもが、その根底から覆されたのだから。
『オスカーはこの聖地を憎んでた、守護聖である自分を嫌悪してた』
オスカーとロザリアの遣り取りを耳にしながら、ランディはかつてのオリヴィエの言葉を思い出していた。オスカーが聖地から去ったと知らされた時、オリヴィエから告げられ、けれどあまりのことにロザリアに告げることもできなかった言葉を。
「……思い出した……」
小さな声で呟かれたその一言は、だが、やけに大きく部屋の中に響いた。
「ランディ……?」
「一年前、オリヴィエ様は言ってらした、オスカー様は聖地を憎んでた、って……」
「なんだって!?」
「なんですって!?」
皆、一斉にランディを見ると異口同音に叫んだ。
「どうして……? あのオスカー様が聖地を憎んでたなんて、そんなこと信じられない!」
否定するように首を横に振りながら、緑の守護聖マルセルは言った。
「嘘だよ、何かの間違いだ! そうでしょう? そうだと言ってよ、憎んでたなんて嘘だってっ!!」
オスカーが真実忠誠を誓っていたのが、女王ではなかった── それはまだいい、少なくとも、聖地にある間、実質的には彼は常に女王に忠実だった。それは紛れもない事実だ。
だが、憎んでいたとはどういうことなのか。
彼の様子には、そんな気配を感じたことは一度としてなかった、微塵もなかった。かつて別宇宙の皇帝と名乗る侵略者にこの宇宙が襲われて女王が捕らえられた時も、オスカーは常に先頭に立って、誰よりも果敢に戦って女王を救い出し、この宇宙を守ったのに。
叫ぶように言い募るマルセルに、その瞳を真っ直ぐに見詰め返しながらオスカーは答える。
「嘘じゃない。彼は── 俺は、ずっとこの聖地を、聖地というシステムを生み出したこの宇宙を、憎み続けてきた」
その答えに、マルセルは力が抜けたようにペタッとその場に座り込んでしまった。
「……う……そ……」
そう、小さな声で呟きながら。
「どういうことだよ! オスカーの野郎が聖地を憎んでたなんて、一体どうしてだよ!?」
マルセルに代わって、ゼフェルが疑問を叩きつける。
「どうして、だと?」
そう返すオスカーの薄蒼の瞳には明らかな怒気が見て取れて、その場にいた王立派遣軍の軍人以外の者たちを震え上がらせた。
「故郷を滅ぼし、肉親を、多くの同胞たちを殺した相手を憎まずにおれる者がいたら、是非教えてもらいたいものだな! 仇に対して憎しみの感情を抱くのは、人間の心理としては当然のことだろう!?」
それまで感情らしい感情を殆ど見せることなく、静かに、淡々と言葉を綴っていたオスカーの、はじめて感情を顕わにしたその言葉に、皆は驚いた。そしてそれ以上にその語られた内容に。
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