「ただいま」
「お帰りなさい、アンジェ」
「お帰り。話は母さんから聞いているよ」
帰り着いた娘を玄関まで出迎えたアンジェリークの両親は、それぞれに声を掛けた。
「荷物がいっぱいね。食事の用意はもうすぐ終わるから、荷物を部屋に置いてらっしゃい」
「はい」
母親の言葉に頷いて、アンジェリークは友人たちと買った品々を置くために、2階にある自分の部屋へと駆け上がっていった。
それを見送った父親は、アンジェリークの後ろに立っていたオスカーを、改めて、真剣な視線で真っ直ぐに見つめ、敬礼をした。
「総司令部付属病院で事務局長を務めております、リモージュです。話は妻から聞きました。娘の我儘のために元帥閣下にご迷惑とお手数をおかけして申し訳ありません」
オスカーは軽く返礼すると口を開いた。
「なら分かっているだろうが、今の私は、元帥ではなく、一介の中尉という立場でここにいる。そのつもりで対応してくれ。そうでなければ、お嬢さんは自分が、女王ではなく、女王補佐官になるのだと告げた嘘がバレてしまったと分かってしまうだろう。両親に余計な心配をかけたくないと必死になって考えて付いた嘘だ。そのあたりを理解してやってほしい」
「はい、分かっております。あの娘らしいことです。ただ、分かっていて、きちんとご挨拶をせずにいるわけにもいかず、今だけこのような形をとらせていただきました。娘のこと、あの娘の性格を考えますと、今後何かとご迷惑をおかけすることも多々あるかと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
「私は女王陛下に対して絶対の忠誠を誓っている。たとえ陛下の代が変わってもそれは変わらない。私の力の及ぶ限り、私の全てを懸けてお守りする。安心してほしい」
「閣下にそう言っていただけるなら、これ以上の安心はございません」
「どうかよろしくお願いいたします」
夫から一歩ひいて立っていた妻、アンジェリークの母親が言葉を添え、そして続ける。
「もう少しで夕食の用意が整います。大したものではありませんけれど、どうか閣下もご一緒に」
「いや、今夜はご家族だけで。私は部外者だ、遠慮させていただく」
そう告げて同席を断るオスカーに、父親は妻に代わって告げる。
「そのようなことを仰いませんよう。娘のためにも、是非同席して下さい。そうしなければ、私たち夫婦の考えや普段の行動から、娘はどうして閣下を同席させてくれないのかと、余計なことを考えてしまうと思いますので」
「……分かった。それでは遠慮なく言葉に甘えて同席させてもらおう。派遣軍の元帥、総司令官としてではなく、ただの中尉として」
今の自分はあくまで一介の中尉という立場にあるのだということを、苦笑を含ませながら重ねて告げて、それを条件に夕食に同席する了承をした。
「本当に、いつもお召し上がりになっていらっしゃるものに比べたら、私にとっては腕によりをかけた、と申し上げたものでも、大したものではないと思いますけれど」
「あなたがお嬢さんのために精一杯ご用意されるものでしょう。それに勝るものはありませんよ」
オスカーの微笑みを浮かべながらの返答に、母親は嬉しそうな顔をして、それでは、とキッチンへ下がっていった。
「閣下、用意が整うまで、もしよろしければ、リビングの方で少しお話を聞かせていただけませんか?」
「そうだな。私も、この一年ほどはあまり思うように顔を出せていない。最近の様子を聞かせて欲しい。ましてや付属病院の方となると、職員には申し訳ないと思っているのだが、どうしても行かずに報告を受けるだけで済ませてしまっているからな」
「はい、閣下。いや、中尉殿、でしたな」
「ああ、そうだ」
二人は小さく笑いながら、リビングに足を向けた。
父親はキャビネットから1本の赤ワインとワイングラスを2つ取り出し、二人はローテーブルを挟んで向かい合ってソファに腰を降ろした。
「夕食前ですから、軽いもので。味に、少しでもご満足いただけるとよろしいのですが」
そう言いながらグラスにワインを注ぐ父親に、オスカーは気を遣ってもらう必要はないと返した。精一杯の気持ちで迎えてくれるあなた方の気持ちが何よりなのだから、と告げて、父親を安心させた。
そしてそれから夕食の仕度が整うまでの僅かな時間ではあったが、二人は最近の派遣軍のことで話をした。その内容は、王立派遣軍のこととはいえ、普段はオスカーが足を運ぶことのない付属病院の事務長からの話ということで、視点の異なった話を聞くこととなり、どちらかというとオスカーは殆ど聞き役になっていた。そしてまた、その場ではあえて互いにアンジェリークの話を出すことはなかった。
それから母親が用意ができたと声をかけてくるまでの短い時間ではあったが、二人は途切れることなく話を続けていた。確かに立場は全く異なるが、共に王立派遣軍に身を置く者同士として。
二人がダイニングに入ると、アンジェリークは母親に勧められるまま既に席についていた。
父親はいつもの席に、その隣にオスカーが座り、父親の前の席には、四人分の食事を分け終えた母親が座り、その隣がアンジェリークだ。つまり、アンジェリークはオスカーと向かいあって座る形となった。
食事の間、話をするのは専らアンジェリークだった。
女王試験の間のこと、その間に親しくなっていった、今は親友と呼べる存在となっているロザリアのこと、試験が行われていた飛空都市のこと、自分が育成した大陸とその住民のこと、そして、守護聖たちや、女王補佐官であり、今回の許可を出してくれたディアのこと。聖地については、滞在している時間が短かったこともあり、さして話題には出なかった。出ない話といえば、炎の守護聖についても、アンジェリークはあまり詳しくは話さなかった。ヘタに話せば、今ここにいるオスカーがその炎の守護聖だと分かってしまうかもしれないとの思いからだった。ただ、王立派遣軍の総司令官、元帥としてのオスカーのことを父親が知っているとは思わずに、あたりさわりがないだろうと思われた、自他共に認める聖地一のプレイボーイで、聖地では彼に口説かれていない女性はいないと言われていること、休憩時間などでは常に多くの女性に取り囲まれていることなどを話し、それは逆に、王立派遣軍の総司令官としてのオスカーしか知らない父親の目を驚きに目を見開かせ、オスカーは思わず苦笑を浮かべていた。
食事も終わりに近づくと、母親はアンジェリークに問いかけた。
「明日の予定はどうなっているの?」
「……ディア様は明日中に、って仰ってくださっていたけれど、本当にこれは私の我儘で、だからあまりそのお言葉に甘えて戻るのが遅くなってはいけないと思うの。それに、私は私で離れがたくなってしまいそうで。だから……、朝食を摂ったら聖地に戻るわ」
「そうか」
「そう。そうね、その方がいいでしょうね」
その遣り取りを聞いた後、オスカーは一番先に席を立った。
「最後の夜です。まだつもるお話もおありでしょう。私は先に下がらせていただきます。何かありましたら、用意していただいた部屋におりますので」
オスカーは三人に対してそう告げると、ダイニングを出ていこうとした。
「あ、ありがとうございます、オス……、ちゅ、中尉さん」
アンジェリークの言葉に軽く頷いて、オスカーは2階に用意された客室に向かった。
それからアンジェリークたち家族がどのような話をしているのかは、オスカーは知らない。知ろうと思えばその方法はいくらでもあるが、それはリモージュ家のプライベートであり、自分が足を踏み入れていい所ではないと、オスカーは何もしなかった。ただ、アンジェリークが部屋に戻ってくる気配に気付かぬことのないように、窓の外を見ながら神経を張り巡らせてはいたが。ちなみに、時折窓から家の周囲を固めている部下たちからの、何もない、との合図を見落とすことのないように確認をしていたが。
どれほどの時間が経ったか、オスカーは階段を上がってくる軽い足音に気付いた。程なく隣室、つまりアンジェリークの部屋の扉が開き、その中に人が入ったのを音と気配で確認した。
オスカーが隣室の気配に気を配っていると、動き回っているようで、まだなかなか寝るような感じは受け取れなかった。逆に扉が開く音がして、アンジェリークが部屋を出たことが分かった。そしてその足音が、自分がいる部屋の方に向かってきていることが。そのまま気配を追っていると、足音は自分の部屋の扉の前で止まった。しかし、その後に動きが感じられない。時間を考えて、声を掛けるのを躊躇ってでもいるのだろうかと考える。自分の方から声を掛けるのも考えたが、やめた。相手は次代の女王となる存在。そのことを考えると、自分から行動を起こすことはオスカーにはできかねた。彼の内にある思いゆえに。
やがて決心がついたのだろうか。扉がノックされた。
「……オスカー様、まだ起きていらっしゃいますか?」
もしかしたらもう寝ているかもしれない、との配慮からだろうか、ノックもそうだったが、掛けられた声も、小さく遠慮がちだった。
「起きてるぜ、お嬢ちゃん。遠慮はいらない、入ってくるといい」
アンジェリークはその声に、ゆっくりと扉を開き、オスカーのいる客室に足を踏み入れた。
今夜が、女王となる前のアンジェリークとの最後の二人だけで過ごすことのできる夜になるのだろうな、との思いがオスカーの中にある。そして今の自分は守護聖としてきているのでもない。ここは聖地を離れた外界にあるアンジェリーク・リモージュの家。つまり、今ここにいるのは、ただの一人の男と一人の少女だ。アンジェリークが何のために、この状況でオスカーの元をおとなったのか、それは分からない。ただ、自分の考え通りであればいい、とは思うが。同時に、それはむしのいい話か、とも思いながら。
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