娘のアンジェリークが2階にあがったのを確かめると、母親はオスカーに向かって口を開いた。
「中尉さん、娘は、実は女王補佐官ではなく、女王に選出されたのではありませんか?」
母親の問いかけに、オスカーは一瞬眉を顰めた。
「なぜ、そのように……?」
「だって、そうとでも考えなければ、元帥閣下自らが娘の護衛にあたられるなんて、考えられませんもの」
微かに笑みを浮かべながら告げられた指摘に、さすがのオスカーも驚きを隠しきれなかった。
「……一体、どうして……」
「私の夫、アンジェの父親は、王立派遣軍総司令部付属病院の事務局長ですのよ。直接お目にかかったことはないそうですけど、お姿を拝見したことは何度かあるそうですし、それに、他の方が撮られた写真を分けてもらったとかで、私も見せてもらいましたの。ですから、本当かしらと随分と驚きましたわ」
「ご主人が……。それはこちらの調査不足、でしたね。それにしても、驚いてらしたとはとても思えませんでしたが」
参った、というように、オスカーは息を吐き出した。
「最初は娘の方に気をとられてましたから、驚いたといっても、最初は単によく似た方かと思いましたの。でも娘の話を聞いているうちに、そして貴方の様子を拝見していて、そう思ったのですわ。そして、もし本当に貴方が元帥閣下であるのであれば、そんな方が護衛役を務められるなら、娘は補佐官ではなく、女王に選ばれたのではないかと、そう考えたのです」
「私に関する情報を持っていらしたとはいえ、大したご推察力です」
オスカーは感心したというように母親に返答した。それはそのまま、彼女の娘であるアンジェリークが女王になることを認めたことでもある。
「娘のこと、どうかよろしくお願いいたします、ラフォンテーヌ元帥閣下」
そう言って、母親は座ったままではあったがオスカーに対して頭を下げた。
「王立派遣軍の総司令官は、炎の守護聖ですが、貴方はあくまで私を元帥と呼ぶのですね」
「ここは聖地の外ですし、何より、主人の上司は、最終的には女王陛下ということになるのでしょうけれど、実質的には、王立派遣軍の総司令官であられる元帥閣下ですから。それに、今回の娘の護衛にしても、守護聖だからではなく、王立派遣軍の件があるからでございましょう。ですから、こちらにいらっしゃる間は、私どもにとっては貴方は元帥閣下以外の何者でもないのですわ」
そう告げて、母親は微笑みを見せた。そして立ち上がる。
「客室にご案内しますわね」
その言葉に促されて、オスカーも立ち上がり、二人して階段へ向かった。
「あ、でも今は女王補佐官になることが決まった娘の護衛を務める王立派遣軍の中尉さん、でよろしいんですよね?」
確認するように尋ねる母親に、オスカーは頷いた。
「そうしてください。お嬢さんは、自分が女王に選ばれたことを知れば、喜んでくれるだろうけれど、同時に心配もさせてしまうだろうから、というのが、今回の嘘の始まりですから」
「だと思いましたわ。あの娘らしい。もっともそのおかげで閣下にご迷惑をおかけすることになってしまったわけですけれど」
程なく客室の前につくと、母親は部屋の扉を開けた。
「今夜はこちらの部屋をお使いくださいね。右側が娘の部屋です。たいしたものではありませんけど、昼食の用意ができたらお呼びしますので」
「あまり、気を遣われないでください。今の私は単なる中尉ですから」
部屋の中に入りながら告げるオスカーに、母親は、そうでしたわね、と笑って応えながら階下に降りていった。
やがて昼食を摂ると、アンジェリークは既に友人への連絡も済ませていたらしく、「じゃあ、行ってくるね」と言って玄関に向かった。
「帰りは?」
「夕食の時間までには戻るわ」
「じゃあ、腕によりをかけて用意をしておくわね」アンジェリークに向かってそう答え、そして私服に着替えたオスカーに向かって「よろしくお願いします」と頭を下げた。
オスカーは「お任せください」とだけ短く答え、二人は家を出た。
アンジェリークは友人たちとは学院近くの公園で待ち合わせしているのだと、その後、喫茶店に入って過ごすこと、流れによっては、軽く買い物をするかもしれない、とオスカーに告げた。
「じゃあ、公園に着いたら君から離れよう。だが、何があっても大丈夫なように、決して君から目を離すことはないから安心していていい」
「はい、ありがとうございます。私の我儘でご迷惑とお手数をおかけすること、申し訳なく思います」
「君が気にすることはない。当然のことをしているまでだ」
「でも、それも私が家にもう一度、なんて我儘を言ったからですから」
オスカーはアンジェリークの肩をポンポンと軽く叩いた。
「気にするな。気持ちは分かるから」
オスカーは思う。自分は、家族と最後の別れをする時間を与えられることもなく、戦死したことにされて戦争中だった故国を後にした。その経験があればこそ、たとえ嘘をつくことになっても── アンジェリークが気付いていないだけで、実際にはその嘘はバレているのだが── 最後の別れをきちんと済ませておいたほうがいいのではないかと。だからアンジェリークの気持ちを理解することができる。
その後、二人は何も話すことなく、黙ったまま歩き、やがてアンジェリークが友人たちと待ち合わせをしているという公園の前に着くと、オスカーはさりげなくアンジェリークから離れた。アンジェリークは公園の中に足を踏み入れ、約束の場所で友人たちと一年振りの再会を果たすことになった。
アンジェリークはまずは簡単に事の経緯を話した。一緒に女王試験を受けたロザリアと親友と呼べるくらいに親しくなったこと、女王補佐官としてロザリアを支えていくことにしたこと、そうしたら聖地に留まることになって、皆が生きている間にこちらに戻ることはできないだろうこと、だから無理を承知で我儘を言って、それをきいてもらうことが叶い、最後にと、今日と明日の二日間だけこちらに戻ってきたのだと。
友人たちは、アンジェリークと過ごすのが、会うのがこれが最後になることを悲しんだが、同時に、こうして無理をして会いにきてくれたことを喜び、そしてこれから先、苦労することも多いだろうけれど頑張って、と目尻に微かに涙を溜めながら、アンジェリークに対した。
その後、アンジェリークが一応一通りの説明といっていい話を終えると、予定通りに近くの喫茶店に入った。
その後をオスカーが追う。オスカーはアンジェリークたちから離れた席に一人で座り、本を広げた。とはいえ、本の頁をめくりながらも、その視線は── 他の者に悟られるようなものではなかったが── 決してアンジェリークから離れることはなかった。そして、それはオスカーだけではない。オスカーの命令を受けた王立派遣軍の兵士が数人、喫茶店の内外で、アンジェリークにも悟られぬように密かに護衛をしている。オスカーはアンジェリークの家の中まで入ったが、その者たちは、今夜は家の外で密かに周囲の見張りを続けることにもなる。
喫茶店を 出たアンジェリークたちは、最後の思い出になるものを、とでも言うように、少し離れたところにあるショッピングモールに足を向けた。オスカーはもちろん、他の者たちは、アンジェリークの姿を見失うまいと必死に後を追った。
アンジェリークたちの買い物は少女の買い物らしく、また特に今回は、これが最後の思い出になる物、との思いもあったのだろう、時間をかけて楽しそうに、しかし時にどこか寂しそうな表情を見せながらもゆっくりと品定めが進められた。
買い物が終わると、さすがにもう夕食の時間に近いと、皆、名残惜しそうに別れを告げた。一人去っていくアンジェリークの背中を、友人たちはその姿が見えなくなるまで見送っていた。
そんな彼女たちの視界の中に、いつしか長身の一人の男性── もちろん、オスカーだ── の後ろ姿も映っていたが、その男性が何者か知ろうはずもない彼女たちの意識には入っていなかった。
そうして、アンジェリークはオスカーと共に自宅に戻った。
帰り着いた自宅には、連絡を受けていたのだろう、珍しく定時であがったらしい父親の姿もあった。
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