Aufgabe und Liebe - 2




 オスカーに導かれ、アンジェリークは飛空都市内にある王立研究院に設置されている次元回廊を使って聖地に降りた。
 聖地に着くと、オスカーは聖地内にある王立派遣軍の支部基地に向かった。
 聖地内に王立派遣軍の支部があるのは、聖地内の警備のためであり、そのために、交代で常に千〜二千の兵士が在中している。外界との時間の差の関係から、兵士の交代期間は、聖地時間にして数ヵ月間という短い間ではあったが。
 支部の門の所では、守衛についている兵士がオスカーの姿を認めると敬礼をしてきた。現在のオスカーは常の執務服ではなく、また、王立派遣軍にある時の総司令官たる元帥の軍服姿でもなかったが、それでも、彼らがオスカーを見間違えるようなことは決してない。
 オスカーは既に命じて用意させていた地上車の後部座席にアンジェリークを乗せると、自ら運転席に座った。
「オ、オスカー様が運転、なさるんですか?」
「ああ。これでも結構うまいんだぜ。安全運転で行くから安心してくれていい」
 驚きに問い掛けたアンジェリークに、オスカーはミラー越しに軽く笑って答えた。
 アンジェリークを乗せた地上車が聖地を出ると、オスカーは既に彼女の実家の場所を把握していたのだろう。運転に迷いはなかった。そしてまた、アンジェリークは気付かなかったが、聖地を出た後、秘かにオスカーたちの乗る地上車を追う数台の地上車があった。それは王立派遣軍のもので、オスカーの命令により、アンジェリークの護衛に当たる者たちの乗った地上車だった。オスカーが告げたように、アンジェリークのすぐそばで彼女を守るのはオスカーのみだが、他の者に分からないようにアンジェリークの護衛についていたのだ。もっとも、彼らが守る対象はアンジェリークだけではなく、彼らにとって総司令官であるオスカーもまた含まれていたのだが。
「あ、あの、オスカー様、お願いが、あるんですけど……」
 後部座席のアンジェリークが言いづらそうに運転中のオスカーに声を掛けてきた。
「ん? なんだい?」
「その、私の両親には、私が女王に決まったこと、伝えないでほしいんです」
「それはまたどうして? 女王に決まったとなれば、君の家、ご両親にとっても光栄なことだろうに」
「……喜んでくれる、とは思うんです。でもそれ以上に、心配をかけてしまうんじゃないかと思えて……」
「そうしたら、俺がお嬢ちゃんの護衛についていること、どう説明するつもりなのかな?」
 オスカーの問い掛けに、アンジェリークは目をさまよわせた。どういうふうに説明するか、実はまだ決めかねていたからだ。だが、ふとある事に思いついた。
「あ、あの、オスカー様」
「なんだい?」
「女王陛下って、交代の事は公表されますけど、その名前とか個人的なことって、一切公表されてませんよね。外界の一般の人が知ってるのって、守護聖様の名前くらいで。それだって、本当に皆が皆知ってるわけじゃない。中には、聖地のことは知ってても、実際にそこにいる皆さまのことについては知らない、気にしてない人だって、いますよね?」
 流石に自分の出身校であるスモルニィ学園は、女王育成のための学園と言われていることもあり、学園ではそこまでの人はいないが、それ以外の自分の知っている周囲の人間のことを思いかえしてみれば、確かにそれは間違ってはいないはずだ。
「そうだな。守護聖は執務の関係で外界に出ることもあるから知られている確率は高いが、女王陛下やその補佐官殿が聖地の外に出られることはない。出る時は、その立場を次代に譲って聖地を去る時だけだ。それもあって、女王や補佐官となった者の家族は知っていても、それ以外の一般の人間が、陛下たちのことを知ることはない。女王が代替わりすること以外はな」
 それがどうかしたのか、といった風にオスカーは運転をしながらアンジェリークに問い返した。
「だから、その……、家族に対しては、私は女王じゃなくて、補佐官として、聖地に留まるってことにはできませんか? 一緒に女王試験を受けたもう一人、ロザリアと親友ともいえる間柄になって、彼女の手助けをしたいから、補佐官になることを決めたって、それで通すことって、無理、ですか!?」
 オスカーは少し考え込むようにして黙ってハンドルを握っている。
「……そうだな、女王補佐官も大切な存在だ。今回、お嬢ちゃんの護衛につくのは、俺以外にも何人かいるが、直接、お嬢ちゃんの傍にいてご家族にお目にかかるのは俺だけだから、それで通せないことは、ない、かな?」
 オスカーは疑問形で答えた。それは、たとえアンジェリークがそう説明したとして、果たして彼女を育てた両親が、娘の嘘を見抜くことができないなんてことがあるだろうか、と思うからだ。ましてやアンジェリークは純粋で素直だ。嘘を付きとおすにはそれなりの覚悟と意思の力がいる。果たしてアンジェリークにそれができるだろうかという疑問が残る。
「で、お嬢ちゃんは、自分の家族に対して、そう言い切りぬけることができるのか? 自信があるのか? それができなきゃ、いくらそれで通そうと思っても無理な話だと思うんだが。実際、俺のことだって、今日と明日は、守護聖ではなく、王立派遣軍の一中尉だからそのつもりでと言ったのに、相変わらず今迄通り、“オスカー様”だろ? “中尉さん”じゃなくて」
 オスカーから返された言葉に、アンジェリークの目が泳ぐ。
 アンジェリークはリモージュ家の一人娘であり、家族は両親のみだ。アンジェリークが女王候補として聖地に招かれたことは学校の者はもちろんだが、おそらく近所にも知っている者はいることだろう。それは否定しきれない。
 そしてもう一つ。こちらの方がより重要なことなのだが、果たして自分に両親を、特に母親に対して嘘を付きとおすことができるかとなると、アンジェリークには不安しかない。基本的にアンジェリークは嘘をつくということはない。けれど、ごくまれに、ちょっとした嘘── という程のものではないが── をついたことが全くなかったとは言えない。それを、母親は余程の事でない限り、一々口にすることはないが、アンジェリークの言葉の真意をよく見抜くのだ。つまり嘘は通じない。
 しかし、自分が女王となることが、家族だけではなく周囲の者に知られた時、家族はどうなるだろうかと思うのだ。確かに名誉なことだ。それは間違いない。けれどそれにより自分たちの利益を得るために家族に近づいてくる者、媚びてくる者があらわれたりすることはないだろうか。そんな思いが脳裏を(よぎ)る。聖地に対して、そこに在る者に対して、一般の人間が何かをどうにかするということができるとは思えないが、それでも、そんなことを考える人間が出てこないとは限らない。周囲がロザリアのように貴族たち上流階級の者たちばかりならば、ある程度のことは承知しているだろうが、自分が育ったごく一般的な住宅街に住む者たちがそうとは限らないのだから。
 アンジェリーク自身は確かに純粋無垢といってもいいが、だからといって、彼女が世間の醜い部分、汚い部分を全く知らないといったらそれはない。世間知らずのお嬢様ではないのだ。少なくとも、日々、様々な媒体から世間で起きていることの情報くらいは知っている。それが全てではなく、表には出てこないものもあるだろうことも承知で。
 それらのことを考えた時、両親に対しては嘘はバレるかもしれないが、周囲の者たちに対しては、自分が女王になることは知られない方がいいのではないかと思えてならないのだ。だから、やはり自分が次の女王になるということは、少なくとも周囲の者たちには知られない方がいいのではないかと思えてならない。
 それらのことを思い至り、アンジェリークはゆっくりとオスカーに対して口を開いた。
「……オスカー様、確かにオスカー様の仰る通り、両親に対して嘘をつきとおせるとは思えません。たぶん、バレると思います。でも、両親以外のことを考えた時、そして今後の両親のことを考えたら、やはり自分が次の女王だということは言わない方がいいと思うんです。きっと両親は、私がそうした嘘をつく理由も察してくれると思います。
 だから、私は、女王ではなく、女王補佐官になる、ということで通したいと思います。お願いします、オスカー様。……いえ、中尉、さん……」
 膝の上で震える両手を強く握りしめながら、アンジェリークは決意したように真っ直ぐ前を見てオスカーに告げた。
「……了解」オスカーはアンジェリークの様子を窺いながら、彼女の言葉に頷いた。「じゃあ、お嬢ちゃんは時代の女王補佐官になる、ということで、今日と明日の二日間、俺はその前提で行動する。それでいいな?」
「はい、お願いします」
 アンジェリークは改めて今一度頷いた。



 それから程なく、地上車は閑静な住宅街の一角に停車した。それはアンジェリークの家であるリモージュ家の前である。リモージュ家は、裕福とまでは言えないが、そこそこの、老後の心配などいらない程度の資産は保有している。ある程度の面積の庭もある、2階建ての落ち着いた感じの家だ。
 オスカーはさっと地上車から降りると、後部座席に座っているアンジェリークのためにその扉を開き、彼女が地上車から降りるのを促した。
「オ、オスカー様ッ!?」
 その態度にアンジェリークは驚いた。確かに時代の女王となることが決まっている身とはいえ、今はまだただの女子高生に過ぎない、との意識が彼女の中から消えていない。そんな自分が守護聖たる方にそんなことをしてもらうなんて、という戸惑いがあった。
 それに気付いたのか、オスカーは軽くウィンクしながら告げた。
「今の俺は、次代の女王補佐官殿のために護衛の役目を与えられた一介の中尉に過ぎないからな。
 さ、どうぞ、お嬢様」
 そう言って、オスカーは改めてアンジェリークに車から降りることを促し、アンジェリークはそれに一瞬躊躇ってしまったが、決意を固めたように自分に向けて差し出されたオスカーの手に自分の手を乗せると、地上車から降り立った。
 懐かしい、そうアンジェリークは思う。離れていたのは僅か一年になるかならないかなのに、妙に懐かしい気がする。それはもしかしたら、ここに来るのがこれが最後だということからくるものなのかもしれない。そう、今回の再会を最後に、両親とももう二度と会うことはなくなるのだ。そんな感慨に耽って家を見上げていたアンジェリークだったが、オスカーに促され、玄関へと足を向けた。
 玄関前に二人並んで立つと、オスカーはインターフォンを押した。
『はい、どちらさま』
 少しして応答があり、それにアンジェリークが答えた。
「お母さん、私」
『アンジェ!?』
 インターフォンに付いているカメラで娘の姿を確認したのだろう、慌てて玄関の鍵を開ける音がして、続いて扉が開いた。





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