何もないのなら何もないで良いとは思わないかね?
Nothing to kill or die for. No religion to.
何でこんなに空が晴れているというのに、一歩も外に出ずにいるのだろう。せっかくの休みをどうしてこんなに無駄にしてしまうのだろう。
きっとそれはあまりにも広く、深くて吸い込まれて(落ちて?)いきそうな空への恐怖じゃなくて、何か、得体の知れない世の中の視線に対する恐怖でもなくて、アフガンのテロリストもアメリカの報復攻撃も否定したいのに否定しきれない事への葛藤でもなくて、おなかの調子が悪いからだな。そう言うことにしておこう。そう言うことにしておかないと……。
意味もなく、産まれてくる子供の名前を制限すると言うのは許されざる行為だ。我々は産まれてくる子供の名前を自分で付ける権利を有しているべきだ。
例えば君が小説家だったら、登場人物になんて名前を付けようが自由じゃないか。
例えば君が漫画家だったら、登場人物をどんな容姿に描こうが自由じゃないか。
例えば君がプログラマだったら、変数や配列にどんな名前を付けようがそれは自由だ。自由だけど、プログラムはコンパイラやインタプリタが読むだけのものじゃない。人間だってそれを読むんだったら、わかりやすい物にした方がいいじゃないか。それを何だってaだとかbだとか、しかも変数と配列を区別する印なんて付けないような言語でだぜ?だいたい、わかりやすい変数名をつけるべきだってそいつが言ったんだぜ。信じられないよ。
牛肉を食べるというパフォーマンスの無意味な点はそれが証明していることが「安全な牛肉の安全な部分を食べても大丈夫」と言うことだけであるという事である。
もし、日本の牛が安全であることを証明したかったら彼らは無作為に選んだ牛の脳漿を目の中に入れねばならない。
もし、狂牛病の牛の肉を食べても安全であると言うことを証明したかったら、狂牛病の牛の肉を食べなければならない。
着せ換え人形は自分が着せ換え人形であるのがたまらなく嫌だった。とても嫌だったのだ。自分の着たくない服を着させられることが。かと言って、服飾について大層な感覚を持ち合わせているわけでもなかったが。
ブリキのロボットは机の上に置かれた魔法の小箱を割と無器用に扱った。「ねえ、それは本当に魔法の小箱なんだよ。知っているの?」と着せ換え人形。ブリキのロボットは目をチカチカさせながら答えた。「知っているさ。本当に凄いよねえ。」「嘘ばっかり。知っているなら何でもっと有効な使いかたをしないのさ。君のやろうとしている事を10分の1の時間でやることができるのに。」
林檎を一人で剥いて一人で食べるとき、人間にとってもう少し必要な何かというのが見えてくるような気もする秋の日
横断歩道を手を挙げて渡るように言われるのはなぜなのだろう。その事について考えもせずに、手を挙げて僕らは道路を渡った。その事について考えもせずに、僕らは手を挙げなくなった。
例えば、信号のない横断歩道で、ちょっぴり挙動不審な歩行者がやや判断が曖昧な運転手に対して「これから渡るので注意してください。」という合図にはなるかも知れない。しかし、それだったら渡る直前に挙げるだけで良いのであって、始終手を挙げたままで「渡っているぞ。俺は今渡っているのだ。」と主張し続ける必要は無いではないか。
あるいは交差点で曲がってくる車や自動二輪に対して同じ様な合図になるかも知れない。しかし、やはり渡り終えるまで手を挙げておく必要は見あたらないのだ。ましてや、横断歩道を渡る行列の一人一人がそれぞれ手を挙げて「私たちはいま、道路を横断しています。道路を横断しているのです。道路を横断しているのですよ。お分かりになりますでしょうか?道路を……。」とやる必要は無い。
では、他の理由は無いか。僕らがそう言いつけられた頃の体長を思い出してみよう。おそらくはそのころは電車の吊革を掴むなどと言うのは巨人の所行で、人間の為す技ではないと思うようなそんな時代ではなかったろうか。だとしたら割と楽に、それらしい理由を見つけることが出きるかも知れない。
彼らはこの小さな挙動不審の生き物たちがそのまま動き回るのは少々見づらいと考えたのかも知れない。そしてこの小さな生き物たちの位置を明確に把握しようとして手を挙げさせた。そう考えると、その小さな生き物が巨大化するにともなって手を挙げなくなるのも何となく解ったような気分になる。
何となく解ったような気分になったところで大した落ちもないのでこの話題を終わる。
朝、洗濯物を干して、夕方、外でシャワーを浴びて、帰宅後、米を洗って、またシャワーを浴びる。
「ねえ、何で傘を持って行かなかったの?」
「何故って、洗濯物を干したからさ。そんなことより問題はもっと別のところに有るはずだよ。下着の総数をuとして、選択した下着の枚数がwの時、残った下着の枚数は幾つだい。」
「u-w。」
「このとき例えばw=(u-1)だったら、どうなると思う?」
ただでさえ細く、いつも流れの激しい部分に今日はコレステロールが溜まっている。流れの片側にだけ溜まるのはまだましな方で、下手な方になると両側にコレステロールをためている。
言ってみればこれは健康管理の劣悪さによって引き起こされる必然的な現象であって、むしろそれさえ何とかしていればそれなりに何とかなったんじゃないのかという疑問もそっちのけでおっちゃんはパックからはみ出たお好み焼きが袋の中をソースが汚すのもかまわずに客に手渡した。
例えば、僕は氷のような人間だ。
冷たく、堅く、半透明な塊。だけども高々273度ぐらいのものだから、その暑さにやられて消えてしまうのだ。
それはさておき、さようなら。goo。僕はplalaに行くよ。まあ、どっちに転んでも電電公社がらみだけどさ。
自分ではそう思っているけれど、実際にはそうではないのかも知れない。どんどんとやせ細っているらしい。秤はないし、目方も記録してあるわけではないけれど。
僕はジプシーを殺した覚えもないし、腸を取り去った覚えもない。じゃあ何だ。
ひょっとしたら、僕には重要な何かが欠けているのではないか?重要な何かを欠いたまま事が進んでしまうのはよくあることだ。例えば手段と目的が入れ替わってしまうとか。そんなものはうんざりするほど目に付くものだ。
欠けているものは何だ。そりゃいろいろある。いろいろあるが、その中でも重要な奴だ。例えば、なんだ。例えば、暖かくて、柔らかくて……
1760という値段で買われてきた召使いは、いつものようにこの時間に起こすようにと言われていた。1760という値段で召使いを買うような主人ですからろくなご飯も食べさせてもらえず、召使いはおなかがすきます。
空腹を紛らわそうと、召使いは夢を見ます。湖の畔の小さな小屋で静かに暮らしている夢だったかも知れません。
ある朝、主人はわなわなと震える手で召使いのベッドをひっくり返して叫びました。
「おまえが寝るなぁっ!!」
晴れ渡った夕空の下。真っ黒な傘を差して歩く。
蝙蝠を中途半端な生き物だとか言ってはいけない。空を飛ぶ哺乳類としては他にもダンボハナアルキがいる。真に中途半端な生き物とはシャコガイタバハナアルキのような生き物だ。
降りつづく雨。びしょ濡れの靴。膝下まで水がしみ込んだパンツの裾をながめながら、うつむいたまま歩く。頭痛と眠気とたまった仕事。何よりも気が滅入るのは、病んだ上半身と健康な下半身。
曇のち雨。降水確率 30%。洗濯物を干す勇気。
朝っぱらからキムチたまご粥なる謎の食物を食す。おかげで鼻詰まりがやや解消された。鼻詰まりはおそろしいものだ。この鼻腔の奥深くに詰まったもやもやとした怪しげな物体は、もう全て吐きだしたかと思えばまた増植を開始し、鼻腔の中にたまる。
噛みすぎで赤くなった鼻をさすりながら俺は思い出す。ウェットティッシュで鼻を噛むとよいと言う話があった。待てよ。ウェットティッシュにはエタノールが含まれていなかったか。アルコールに耐性の無い人間はかえって鼻が赤くなったりしないだろうか。
しかし、ウェットティッシュで鼻を噛むなどブルジョワジーにのみに許された行為ではないのか。いや、待てよ?ブルジョワジーは紙幣で鼻を噛むのか。そっちの方が鼻が荒れそうだ。見栄を張るのも一苦労だ。
そういえば「おまえは鼻を噛むのが下手だ。」と言われたことが有ったっけ。つまり、その、マヨネーズの容器に、ケチャップの容器でも良いのだが、沢山の空気とほんの少しの中味が入っているんだ。逆さまにしていると中味が下がって口を塞ぐ。そこで、容器を力強く握る。「ブホッ」と音がして大変なことになる。まあ、そう言うことだ。きみも気をつけたまえ。
戦争を始める神こそあれど、戦争を止める神はなし。偉大なる神は人間に殺し合いをさせる。偉大なる神は人間を救わない。
信仰によって信仰のために死ぬ。それで現在の苦しみから逃れられたとすれば、やっぱり彼らは救われたんだろうか。どちらに転んでも彼らは救われるのか?そんなものただの自棄じゃないか。
人を殺してはいけないという決まりはどこの世界にもない。味方を殺してはいけないという決まりはどこの世界にもある。敵を殺してはいけないという決まりはどこの世界にもない。
攻撃はピンポイントで行われる訳ですが、いつだったか彼らは大事なところを誤爆しませんでしたかね。
それはさておき、とりあえず。アメ公に向かって戦争反対を唱えるならば、せめて英語でやりましょう。日本語で言ってもさっぱりわからないんじゃないですかね。
自分で決めた事だから、やり通さなければならないと人は言う。僕達は何処から何処までを自分で決めたのだろう。
あの、過ぎ去った遠い日々をべつの仕方で過ごすこともできただろう。しかしそうしなかった。何故? 僕は自分で選ばなかった。自分で決めてなどいなかった。少なくともあの頃は。
今だってそうだ。明示された有限個の選択子の中から、暗示された1つの答えを選ばされているだけじゃないのか? 何処に残りの無限個の選択子が見える?
映らない。ぼくの目には映らないのだ、残りの無限個が。何処だ。何処に有る? かくされた残りの無限個は。
嗚呼、一体僕は何処に向かって歩いているんだ。僕を運んでいるのは本当に僕自身の足なのか? 僕は何かに乗せられて此処まで来たのでは無いと断言できるか?
此処は何処だ? 僕はどの道を辿って此処まで来たのだろう。この先は何処につづいているのだろう。
指を切ったのは自傷行為ではない。たらりと流れ出す赤い液体は、指先へと流れてやがて床を汚す。
その手を、高く掲げよ!もっと高みへ!
そしてあなたは静かに剣から遠ざかった。
小さい頃、よる寝る前におじいさんが話してくれたパケット通信の話がおとぎ話ではなかったことを知る。