何もないのなら何もないで良いとは思わないかね?
世の中は思い通りにはならない。それはよいとして、何もないところから何かを作り出そうというのは骨の折れる作業だ。
勿論、せっかくの休みをちっとも有意義に過ごさないのは人間としてあるべき姿なのではないかという逆説めいた説をでっち上げて自分を正当化してみるのもたまには精神衛生上良いのではないかと言う考えを巡らしながら、別の道府県に通う東京都民は都民の日に休みになったりすることはないという事実を再確認すると言う結論には至らない。
特に書くべき事もないし、書きたいとも思わないし、それだったら書かなくても良いんじゃないかということを書いてみるのも良いけれど、そんなことを書くよりは何かおもしろげな話をでっち上げてhumorのあるところをアピールした方がいいんじゃないかという説も多々あるわけで、ところがそのhumorをアピールしようにもそもそもhumorが無ければならないのであって、そのhumorをどうひねり出したものかということについて思いを巡らしているうちに、道路交通情報が終わりを告げて22時の鐘が鳴るのでありますが、例によって話と言えばテロだの北部同盟だの自衛隊がどうのというばかりであるのはどうでも良いことで、重要なのは眠いと言うことと、胃の調子が悪いと言うことでは無いでしょうかと言われても読んでる方としては何が何だか訳が分からないからちっともおもしろくないのですが、いや、訳が分からないからおもしろくないと言うわけではなくて、おもしろがるに十分な訳のわからなさを有していないというのが原因であるわけですが、だいたいにして毎日のように書いているわけですが、毎日のように更新しているわけでは無いのでして、そんなものを誰かが毎日のように見ているというわけでも無いような気がするのはどういう訳か知りませんが、それで最終的に何が書きたいのかというところに話をもっていこうとするのは、そもそもこの目的に反することなので詳しくは申しませんが、「〜〜は次のように述べています。」と言われて聞こえてくるのが日本語の吹き替えであるというのは何か大きな間違いがあるように思われます。
後ろからきぃきぃと甲高い声で泣き叫びながら近づいてくるものがありますので、何かと思って振り向きましたら自転車に乗ったおばちゃんでありました。(誤謬)
一晩寝ずに町に出れば、そこにはいつもと違う景色が広がっていた。地獄の縁をさまよう蝉。首輪につながれた子供。絞首縄を引き延ばす殺し屋のおじさん。茣蓙も敷かず物乞いをする女子高生。
たった一晩眠らずにいるだけで違う世界へたどり着けるなんて知らなかったよ。思わず物乞いをする女子高生に声をかけたくなるぐらいだ。
「おいちゃん。仕事を探しなよ、仕事をさ。」
「馬鹿野郎!俺だってなぁ。……。」
武力や脅威をもって他人を脅して、こちらの要求を通そうというのはテロリズムと変わりがない。
イスラム教国と西欧諸国と言う構図は思うつぼだ。すでに罠にはまっている気もする。「十字軍」だけは言ってはいけない。
アメリカは、キリスト教原理主義者じゃないから右の頬を打たれても左の頬を差し出さない。右の頬を打たれたら右の拳を握りしめ、殴り返す。頬を打つ相手が居ると右の拳に力が入る。殴り合いをすると新陳代謝が活発になる。
日本は喧嘩をしない事にしているので、アメリカにナイフを渡す。
彼が白であるなら彼を引き渡したっていいんじゃないだろうかというのは素人の考えですかね。
喧嘩と戦争は違う。兵隊さんは何の恨みもない相手を殺す。戦友が殺されるうちに恨みが募る。最近は科学技術の進歩によって殺す相手を見る必要が無くなった。いい時代ですな。恨みのやりどころが無いものだから国を恨む。
報復活動に対する反対をアメリカ人以外が訴えても説得力がない。君は自分を殺そうとしている人間を許すように願えるか?
NHKが「人の命は地球より重い」などとふざけたことを言っている。人間という生物の命よりそれが生きる土台である惑星の方が軽いなどと言うことは絶対にない。なぜ「人の命は国家より重い」とか「人の命は宗教より重い」という風には言えないのだろう。
嫌な話題ですね。
それなりの味であるが辛い。
豆板醤は加えない方がよい。
「おまえの脳に電流を流してやるぞ!」
黒服にサングラスの男はそういってすごんできた。僕はおどけた調子で答えた。
「もう間に合ってる。」
何となく胃が重い。もたれているのかい?困ったね、どうも。
何となくやる気もない。疲れているのかい?大変だね、どうも。
何となく書くことがない。代わり映えがないのかい?退屈だね、どうも。
何となく書いてみたものの、おもしろくない。おもしろいとでも思ったのかい?いかんねえ、どうも。
いやいや、考えてもごらんよ。こうやってつまらないことをしゃべっているだろ?そうするとやがて誰も来なくなるから、もう書かなくても良くなるってすんぽうさ。知らないぜ。そんなこと言っちゃって。なぁに、もう少しの辛抱さ。
例えば、何もやりたいゲームがないのにスーパーファミコンを買う人は居たでしょうか。最近のゲーム機は他の用途にも使えるのでそういう人も居るかも知れませんが。
BeOSは大変優れたOSでありながら動かすべきソフトがなかったがために死んでしまったと人は言う。OS/2は大変優れたOSで、DOSとWindows3.1のソフトが動いたにもかかわらずWindows95に負けてしまったと人は言う。
顔淵、OSを問う。子、曰く「魚に於いて水の如し。」
OSがなければソフトは動かない。しかしOSにとってもソフトは必要な物かも知れない。魚も居ない湖なんて!
だからこそ人はぶぅぶぅ文句をたれながらもM$の製品を使います。今やOSのみならずWEBブラウザ、メールソフト、ワープロ、表計算ソフト、プレゼンテーション、オフィスから学校に至るまでM$の製品が駆けめぐります。
しかしですね。これらのソフトは多少の差はあれどんなOSにだってある物です。人間必要に迫られれば使い方は覚えられるわけですから、インターフェイスの操作性などもこの際さておいて、他にもっと重要なソフトがあるはずです。普段あなたがその机の上の計算機科学の結晶を使って何をしているか思い出してみてください。
ゲームです。ゲームが計算機にとって一番重要なソフトなのです。
そして、その中でも一番重要な物は何か。それはPCをつかう人のうち、多くのシェアを占める人種が必要としているそれです。ギャルゲーです。(以下、『ギャルゲー』は『萌えゲー』、『エロゲー』に置換可)
例えば超漢字を普及させることを考えてみましょう。
最初にいきなり超漢字でしか動かないゲームを売り出しても怪しまれるだけです。はじめはこっそりと始めることにしましょう。例えば、最初はこっそりとWindows版に超漢字版を同梱しておきます。もちろん超漢字版にはWindows版にはない特典をつけておくのを忘れずに。パッケージにも「超漢字版同梱!!」と大きな文字で書いておきましょう。キャラクターの名前にJIS第3/第4水準漢字を使うのも重要です。
ネットワーク社会では噂もネットワークを通じて広がります。やがて超漢字版の特典の噂がささやかれるようになるでしょう。超漢字でしか表示できないような名前の字をキャラクターに当てておくことで、超漢字の必要性が高まります。
この方法で数作を発表し続け、ブランドとしての地位が確立してきたあたりで突然「Windows版の開発を中止。これからは超漢字専用ソフトの開発に専念。」と高らかに宣言します。株は揺れ動き、2チャンネルは大荒れ、ファンはパニックです。そして超漢字導入を躊躇していたファンは、新作の発表と同時に超漢字に挑戦することでしょう。
この方法は良いゲームを作り続けないと成功しません。
左にはクロブチの猫。静かにたたずんで、赤い夕日をあびながら家路に着く人を見送っている。
右手には解放された女。制服のまま歩道に腰掛け、鞄から読むための何かを取り出した。
中央には寝足りない男。両脇の2人に目を細めてそっぽを向いて家路を急ぐ。
寂しい男はひとりでゲームをする。
ひとりでゲームをする男は寂しい。
男はひとりで寂しいゲームをする。
ひとりでゲームをする男の寂しさ。
ゲームをする男はひとりで寂しい。
ひとりでに寂しいゲームをする男。
『親孝行、したいときには親は無し。』とはよく言ったもので、早めにしておかないとやる機会が無くなるかも知れません。しかしながら、孝行すべき相手が近くにいない場合もあるかも知れません。
そんな貴方に朗報です!これからはいつでも好きなときに親孝行ができます。今回ご紹介いたしますこの商品。これを使えばどんなに遠くに離れていてもインターネットを通じて肩をもむことができます。
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曼珠沙華がきれいだった。
その年15人目の刺客は人々を興奮させる。
「かくちでどしゃさいがいのひがいがあいついでおります。どさしゃいがいにはくれぐれもおきをつけください。」
動かざる事山の如し。
円盤上の針が右側へ傾きかけた頃、チカチカ箱を見ながら猫は思った。
「どうしてやっていることとやったことを関連づけなきゃ気が済まないのかね。」
チカチカ箱は猫の思いを解さない。猫はまた思う。
「その妄想が、ただ要求されているだけであって、実際には何にも濾過されてない事に本当は気づいているんだろ?」
チカチカ箱は相変わらず猫の思いを解さない。家主がやってきて猫に言った。
「チカチカ箱はアジテーターだからさ。」
その言葉を聞いて猫は何か重要なことを思い出し、家主にすり寄って鳴いた。
しばらくして家主は食事を持ってきた。
「では、その印を二度カチしてください。」
「あの。変な会話箱が開くんですけど。」
「その場合はをカチしていただいて、印をこっちの短絡印に引きずり落としてみてください。」
電車は今日もすし詰め。床に倒れた老婆が笑う。
肉食動物は獲物を真っ向から見据えて追いかけるべく、顔の真っ正面に目がついている。
逆に、草食動物は天敵を警戒すべく、頭の側面に目がついている。
全部が全部そうかというと、肉食であっても更に高次の消費者から捕食される可能性を持つ動物もいれば、魚類や鳥類なんかはほとんどが側面についている訳で、我らが哺乳動物綱の食肉目と偶蹄目や奇蹄目の間では一般的にそうなっていると言う噂である。
さて、今回お話ししたいのは食肉目や偶蹄目の話ではなく、鼻行目の話である。先に述べた食肉目と草食哺乳動物の構造の違いはまさに、環境に適応すべく生き残ってきた結果であるが、有袋類などでも食性によって同様の収斂が見られる。
鼻行目には、モルゲンシュテルンの詩でも有名な、鼻行類の代表と言える四鼻類のナゾベームと、それを捕食するオニハナアルキがいる
主に果実を食べて暮らすナゾベームはやはり頭の側面に目が位置している。一方、捕食者であるオニハナアルキは顔の正面、つまり口と同じ方向に目が向いている。
ここで、四鼻類が鼻で倒立して歩く生物であることを思い出してもらいたい。たくさんの鼻で立ってゆったりと、ナゾベームは歩く。
そうだ。ナゾベームもオニハナアルキも鼻で立って歩く。
では質問だ。彼らはどちらに向かって歩くのか?
シュテンプケ博士の本をお持ちの方は図を参照していただければよい。答えはすぐに見つかるだろう。右から二番目のゆるんだ鼻が背の側に向かって伸びている。ナゾベームが背の側に進んでゆくのは明らかだ。
次にオニハナアルキだ。オニハナアルキは餌であるナゾベームを追いかけなければならない。追いかけるには相手の姿が見えていなければならない。オニハナアルキの目は腹側についている。答えは明らかだ。オニハナアルキは腹側に向かって歩く。
これで我々は一風変わった結論に達したことになる。食肉目も偶蹄目も齧歯目も四足歩行動物は皆同じ向きに歩く。ところが鼻行目の場合、鼻で歩くという道を選んだために、食性によって歩く向きが違う。これは特筆すべき事のように思われるが、シュテンプケ博士の本では触れられていない。
眠らせてください。いつまでも。安らかに。
雨の後は星空がきれいだ。雨は空気中のチリや埃を洗い流してくれるから。
そんな話を思い出しながら、雨上がりの夜空を見上げる。
雲
雲
雲
千が女の子の名前で千尋は豚の名前だと思っていました。
私はナウシカともののけ姫の違いがよくわからないので、こっちのが好きです。映画館を出ると海ができていたので泳いで帰りました。
あっという間に終わってしまった31日間が過ぎ去った後でも、やることのない人間はやはりやることがない。
その一日について何もないと感じるような人間は、日記に何も書くことがない。
一日中家の中で過ごすような人間は外界のことを気にする必要がない。その日の天気がどうだったかすら、彼は知らない。
風は涼しかった。鼻がゆるくなった。気をつけないと、また口の中に吹き出物ができそうだ。
明日ぐらい映画でも見るべく外に出ようか。そうだ。東京にただ一つしかないTHXシアターが近くにあるというのに、何をしていたんだ俺は?とりあえず宮崎駿がルイス・キャロルとどう違うのかぐらい確かめなくてはね。いやまて、比較芸術論をやらかすのなら比較する物を両方とも知らなくちゃ駄目じゃないか。それでそこの所はどうなんだ?友よ。
あっという間に終わってしまった31日間はもう帰ってこない。帰ってこない人を待ち続けていても帰ってこない人は帰ってこない。帰ってこない人だってそれなりの決意があって帰ってこないものだから、まず帰ってこない。
そんなことはどうでもいいことで、本当にいいたいのはそんなことじゃない。つまり、その31日間になにをしたかというのが本当に大切なことなのだ。
そうだ。この31日間なにをしていたかを思い浮かべてみるといい。もしも日記を付けているのなら、それが何かの手がかりになるかもしれない。
「何かわかったかね?」
「なにも。なにもだ。」
「なにも?なにもしていない。」
「なにもしていないだって?こいつは傑作だ。」
「とんでもない話さ。俺は朝起きて、飯を食ってインターネットをのぞき見て糞して寝るだけの毎日だった。」