鮮やかな薔薇は女優の人生。
→確かに女優はまさに薔薇の如く・・・


絵描きは貧しく孤独な日々を送る。
→もっと意思表明すれば良かったのにな・・・

薔薇の思い出は彼の心の中で消えなかった。→・・・

随分昔の話になりますが、「百万本の薔薇」という曲が流行ったことがあったでしょう?
そうこれは1982年の曲。覚えていらっしゃいますか?
加藤登紀子さんが歌ったあの曲です。
調べたところによると・・・
ラトビアの音楽家R.パウルスが作ったジャズピアノ曲に、ロシアの詩人ヴォズネセンスキイが
詩をつけ、人気歌手プガチョワがモスクワで歌って大ヒットしたそうで、
当時のソ連では2000万枚レコードが売れたそうですから、かなりのヒット曲だったのですね。
日本でも、相当売れたのでは?
曲自体もいいけれど、あの歌詞がなんとも言えず・・・

それでも絵描きは女優の部屋から見える広場を薔薇で埋め尽くす。
→百万本もあれば埋め尽くすことができるわね。なんと素晴らしい~♪
でも、すぐに百万本も揃うかしらねえー?


ある朝、彼女は窓の外が赤い薔薇でいっぱいであることに気付いた。
→ナニナニ?さぞかし驚いたことでしょう!

どこかの金持ちが、たちの悪いいたずらをしたのだと思った。
→うんうん、そう思うかも?

絵描きは女優のその姿を、窓の下からこっそりと見る。
→何故こっそりだったの?

出会いはそれで終わり。

→なんと空しいことだ・・・


女優は別の街へ去っていく。
→絵描きの心を知っていたのか?知らなかったのか?

その曲を初めて聞いたとき・・・
主人「うーん、いい歌だ!」
わたくし「ほんとっ!ステキねえ~♪」
そして、二度目に聞いたとき・・・
わたくし「なんて、ロマンチックな歌なんでしょう~♪」
主人「うん?待てよ。うん?薔薇って一本いくらだ?
一本安くて200円として、200円掛けることの100万は・・オットー!ゼロが8個でなんと、
2億じゃないかっ!」

歌詞とは大違い!現実に帰ってみれば、なるほど・・・これは貧乏人じゃあ買えないわ!
確かこの歌の主人公って、貧乏な絵描きさんだったわよねえー。

貧しい絵描きが旅の女優に恋をした。
→ちっとも貧乏なんかじゃない。

絵描きはささやかな全財産をはたいて、百万本の薔薇を買う。
→ささやかな全財産ではない。

女優に百万本の薔薇の花を捧げたい。
→この気持ちは十分に分かる。

この思いが伝わることはないことを絵描きは知っている。
→あきらめないでっ!

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この歌の貧乏な絵描きさんは、きっと愛を込めて百万本の薔薇を贈ったのでしょうに、
女優の胸をときめかす事はできなかったのね・・・
でも、孤独な日々を送る中、彼の心の中では、きれいな思い出として、永久に
消えることはなく、光り輝いていたのよね。

主人の言葉に影響され、それまでロマンチックな思いに浸っていた私は、ちょっぴりいじわる
をしてみた。
人間見方次第でどうにでも解釈できるのだしみじみと思う。
しかし、どうしてこんなに世界で歌われ流行したのだろうか。

短い歌詞の中に物語を感じるから?
その物語も夢物語だから?
どんな高価な贈り物より、薔薇の花に託されたメッセージを感ずるから?
貧乏な絵描きという設定に魅了されるから?

百万本の薔薇

うーん、やっぱり理屈ぬきでこの歌はいいわあ~♪

思いのたけを百万本の薔薇に託して愛する人に伝えたかったこと。
それだけでも、彼の心は満たされたのでしょう。
後悔はなかったのでしょう。

貧乏な絵描きさん、あなたのその純粋な気持ちは世界の人々に、そう、百万本の薔薇では
足りないくらいに十分に伝わったと思いますよ。
たとえ、愛する人に伝えることが下手であっても、心を込めたその思いは、百万本の薔薇に託され、
みんなにみんなに、配られ、そして愛されたのだから・・・
いいじゃない、いいじゃないの?
ダメ?

夢見る乙女の成れの果て・・・
されどされど百万本の薔薇に憧れる。

平成19年2月28日

単純に考えるとそうだし、計算するとああだしね。(笑)
物事というものは、視点を変えて見ると、色んな考察が生まれるものなのね。
たとえ、同じ事柄でも受ける側によって、千差万別。
「よしっ!これはイケルゾ!」と思ってやったことでも、その評価は100点だったり、
ゼロだったりね。

行為自体もそうだけれど、言葉にしても同様。
感謝の意味を込めた「ありがとう」でも、怒った風に、そっけなく言う「ありがとう」では、
全然意志が伝わらない。
同じく謝罪の意味を込めた「ごめんなさい」でも、言い方によっては誤解されてしまう。
意志の伝達というものは、非常に難しいものなのね。