もう14・5年にもなるだろうか。
「マディソン郡の橋」という本が随分評判になり、ご多分に漏れず、読んでみたのだが、
読後、彼らの愛のあり方について議論したことがあった。

ある中年男の写真家が、米国中西部アイオア州の片田舎にある屋根付き橋の取材に訪れ、
道を尋ねようとたまたま立ち寄り、出会ったのが、夫と二人の子供が牛の品評会で出かけ、
一人で留守を守っていた農場主の妻だった。
写真に興味があったその主婦は、目的の橋まで案内する。
夢を追う一途なその写真家のイキイキとした目は、平凡な毎日を送る主婦にとって、いかに
魅力的に思えたことか。
平々凡々とした暮らし、ある意味では穏やかな毎日を暮らしていたそんな日常の中での、突然
降って湧いたような出会いであった。

仕事を終えた後、自宅へ招き夕食を共にする。
会話は弾み、数日の逢瀬の中、二人は次第に打ち解けてゆく。
ドレスを選ぶのにもどれにしようと思案し、彼が仕事をしている間、家事をやるにも上の空。
なんとなく落ち着かない。
二人はいつしか、お互いに惹かれ、恋におちいる。
家族が留守の間のほんの4日間の出来事であった。
彼が帰る日になった。
彼は一緒にこのまま来ないかと誘うが、主婦である彼女は悩んだ末に、結局夫と子供のそばに
いることを選んだのだったが・・・その数日間の彼との出会いを一生忘れることなく、遺書には
その思い出の場所である川の屋根付き橋から遺灰を撒いて欲しいと書かれていた。

一言で不倫と片付けてしまえない、何かを感じた。
「哀愁を感じるプラトニックラブの世界」と言えるかもしれない。
私は多分そんなことを口走ったような記憶があるのだが、定かではない。
何が論点となったかだが、要するに露骨な表現になるが、「彼らは肉体関係があったんだよー
何言ってんだよー 何を一体読んだの?」と、言われたことであった。
もう一度読み直してみた。
でも、やっぱり感想は同じだった。
どこがどう違うのだろう。
何度読み返して見ても、結果は同じであった。
あれはやっぱりプラトニックラブだったのだと、今でも思っている。
後に映画化もされ、そちらの方も勿論観た。
「そりゃあ、あったに決まっているよー」
その言葉がこだまする。
確かに、映画ではそのニュアンスたっぷりであった。
しかし、何故か信じたくない。

これは、一体どういうことなのだろうか。
片田舎で、農場の仕事、子育て、家事に追われる静かな生活の中、ある日突然襲った恋という病。
別に不倫に憧れているわけではない。
朴訥とした、田園風景の中でのロマンスだったからか?
遺書を見つけて、最初はショックを隠せなかった、大人になった子供達が、読み続ける内に、
表情も変わり、母親の心情を読み取り、落ち着きを取り戻したからなのか?
4日間という短い間の出来事だったからか?
何故、これほどまでに、各国でベストセラーとなり、人々の心を捕えたのだろうか?
まるで、ハート泥棒のように・・・
随分昔に流行ったオードリー・ヘップバーンの「おしゃれ泥棒」をふと思い出し、いやはや
「ハート泥棒」なんて言葉が浮かんでしまった。
「おしゃれ泥棒」はロマンティックコメディーだから、全然ジャンルは違うのだが・・・

遺書を見つけ、読み始めた子供たちは、最初は批判的だったが、いつの間にかその長い遺書に
惹きつけられ、母親の心情を読み取ったのであろうか、落ち着きを取り戻していた。

人はこの世に生を受けてから、どれほどの愛を育むことができるのだろうか。
愛の究極は果たして結婚なのだろうか。
「結婚は人生の墓場である」という格言がある。
これは色んな意味に解釈できる。
つまり、ネガティブに捕えれば、「家庭に入ると様々なことに束縛され、自由が奪われる、まるで
墓場だ」という考えと、ポジティブに考えれば「家庭とは安らぎの場所である。家族は常に相助け合い、
臨終を安らかに迎えることの出来る場所」等々。

最近は、離婚率が何と多いことか。
確かに、愛が燃え上がり、「あばたもえくぼ」で結婚するケースは多々あることだろう。
昔のように「子供は鎹」という考えもだんだんなくなってきているようだ。
結婚に辿り着いた時、その時は多分「この人こそ、わたしが、僕が求めていた人だ!」という気持ちで
あっても、時の流れと共に、お互いの長所のみならず、欠点が目立つようになり、「こんなはずじゃ
なかった!」と、今度はそればかりが気になるようになる。
こういう経験はパーセンテージにすればかなりの数字にのぼるかもしれない。

わたしは、何を言わんとしているのか。
つまりは、この世の決まりごとで、結婚というルールーを選んだ人は、一生他の人を愛しては
いけないのか?
恋してはいけないのか?
ということである。
くだらない問いではある。
それこそ若い頃に選んだ最愛の人。
若かったからこそ、誤りもある。
地球の人口は今何人?
縁あって、その中の一人と結ばれ、一生を共にする。
これは、一夫多妻の大昔とは違い、まさしく今の世の中では理想的だ。
しかし、誤りを定年まで持ち続け、夫が定年と同時に、離婚届を突きつけるのもなんだかいただけない。
それならば、早くに見切りをつけ、再出発を選んだ方が妻も夫も子供も幸せなのではと思ってしまう。
思うに、所詮人間と言う者はみな長所もあれば、短所も持ち合わせているのであって、
理想を掲げればキリがない。
全ての人が誤りを見つけるたびに離婚をしていては、人は元を正せばみな親戚だとはいえ、
これでは、秩序が保たれない。
では、秩序とは何か?ということになってくるが・・・
キリのない話になってきた。

たとえ、結婚していても・・・
あの男優はすてきねえ~  
アノ作家はステキねえ~     
あの歌手はとっても魅力的~      
うーん、アノ人って、リーダーシップがあって素晴らしいわ~  
あの人って、優しくて包容力があって、いいわ~            

恋する気持ちは誰しも持っているものである。
いつも恋している人は若々しいとも言われる。
そういえば、恋をしていた頃は、「恥じらい」というものがあったわね。
そして、出来る限りの努力もしたような・・・
「マディソン郡の橋」のように、生きてみるのもいいじゃないの。
ある意味では、許せない不倫と言われようとも・・・
ある意味では素晴らしいワンダフルな宝物にもなりうるのだから・・・
やはり、この物語は純愛物語なのだと、こうして書いていても、また思ってしまう。
人は、同じ文章を読んでも様々な捕え方をするものだ。
だから、文章というものはとても難しいし、誤解を招いたりもするわけだが・・・
いいじゃないの!
だから、文というものは奥が深いのだから・・・
どう解釈するか、どう捕えるか、どう考えるか、どう思うかは、各々の人生観にも繋がるわけで、
それが歩んできた道なんだものね。

要するに後悔のない人生を歩めばいいのよね。
主人公のフランチェスカに対して、拍手を送る人もいれば、軽蔑のまなこでにらむ人もいる。
いいじゃないの!
(;^□^)あはは… こればっかし!

子供に何故このような衝撃的な遺書を残したのか?
きっとフランチェスカは母としてのみならず、女としての自分を知って欲しかったのだろう。
片田舎の一介の主婦、一見良妻賢母の母が見せた「死ぬまで話さなかった宝物」なのだから・・・
人生の墓場で見せた初めての宝物なのだから・・・
いいじゃないの!
あのね、だからといって、不倫を勧めるわけではないですよ。

しかし、カメラマンのキンケイドは、まさに「ハート泥棒」ではある。
泥棒はやっぱりいけないかぁー?

平成19年3月31日

ハート泥棒

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