またまた遡りになってしまった。
2006年よさようなら~をできずに、このお正月に書くというこのルーズさに、
自分自身呆れ果てている。
まあ、自分で課したことなのだけれど、これでも少しは読んでくださる方がいらっしゃるわけで、
大変失礼極まりないことであることは確かだ。
それじゃあ、もう止めれば?と自分に問うてみるが、「ノン」である。
なんでここでフランス語?(笑)
年を取るとただでさえ、楽な方、楽な方に傾き勝ちだもの。
そんなことをしていたら、どうなることやら。ねっ!そうでしょう。
家のお掃除にしても、若かりし頃は会社へ行く前に掃除機をかけ、お庭まで掃いて出勤だったのが、
今やとても人さまには言えぬほど、ぐーたらしている。
若い頃はそれだけ身体も丈夫だったということではあるが、年を取るにつれて、大雑把な性格が
益々エスカレートしてきたことは間違いない。
ゴミで死ぬ人はいないからーとノホホーンと構えているのである。
まあそうだが、喉や気管には良くないでしょう?
でも、それにしては、風邪も引きにくくなったような気がする。
それだけ抵抗力ができてきたのだろうか?
但し、一旦引くと長引くようになった。

大忙しの12月の中頃に、右胸から右脇一体に鈍痛が走った。
ハタ乳がんか?それとも肺癌か?と慌てて医者に診せ、エックス線を撮ってもらった。
しかし、結果オーライ正常だった。
「肋間神経痛でしょう、痛み止めを出します。2.3.日様子を見て、それでも痛いようでしたら、
CTスキャンをやってみましょう」
痛み止め薬を飲んでいる間は痛みはなく、切れると痛い。
いよいよCTスキャンは免れない。
ドキドキしながらベッドに横たわり、その間の胸苦しいこと。
結果は?やはり異常なし。
「先生、でも私は癌の家系でして・・・」
心配そうな私の顔を見て、「ではマンモグラフィーも撮ってみましょう。」とおっしゃってくださった。
異常なし!結局は最初の診断通り、肋間神経痛だと判明した。
「先生、肋間神経痛は激痛だと本に書かれていましたけれど・・・」
それでも心配な私はしつこく食い下がった。
「いえ、そうとも言えませんよ。鈍痛のこともありますよ。1ヶ月くらい直らないこともありますし、
1週間で直ることもあります。とりあえず、痛み止めを10日間出しておきます。」
そして、今振り返ってみると、いつの間にか痛みも取れ、いつ直ったのかも把握していない状態だ。
なんとも自分ながら暢気なことだ。

年を取るということはそういうことなのか。
何が原因で病気になるんだろう?
肋間神経痛はストレスでもなるらしい。
仕事があまりにも忙しく、年末調整が終わった頃くらいに多分、今省みれば直っていたような気がする。
してみれば、やはり原因はストレスなりということになる。
若い頃はどんなにストレスがたまっても見過ごせたものが、今や敏感に信号を発信するようになった。
要するにストレスは自覚症状がなくとも皆抱えているらしい。
それが若い頃には知らずに過ごせたものが、年を取ると思い知らされるということだ。
身体に直接訴えてくるのだ。
若いのよ~♪と自分では思っていてもだ。
もうあなたは無理は禁物よ!ということなのだ。

いつも時間がない時間がないと騒いでいる私に、娘が言った。
「まま、もう定年になったらお仕事辞めれば?
少しはのんびりして、そして落ち着いたらまた何か始めればいいじゃないの?」と。
退職金をいただいて、そして、年金生活かあー
ふと今までの自分を振り返ってみた。
自分のやりたいことを果たしてあなたはやってきたの?と。
あれもやりたいこれもやりたいと思いながら、考えて見ると仕事のパーセンテージが大幅に
占めている。
「働かせてくれなければ結婚しません!」と豪語したワリには、年を取った今、少し弱音を吐きつつある
自分がいた。
それも、今回の症状によるのか、それは分らない。
いつまでも若くないのだから!将来の設計を立てずに今まで我武者羅に生きてきた。
そろそろ、もうすぐ定年を迎える今、真剣に考える時が来たようだ。

団塊の世代はこの1.2年の間に定年を迎える方が多いだろう。
今後日本はますます高齢化が進み、働き手もなくなってくる。
それに加え少子化も拍車がかかっている。
今後日本はどうなるのだろうか。
社会保険の問題もしかり、「ゆりかごから墓場まで」という言葉とは到底無縁の未来が待っていそうだ。
遅すぎるのかもしれない。
うーん!うーん!
なにせ、いつもの性格でせっぱつまらなければ、やらない。
遅すぎる結論・・・それが良いのか悪いのか、果たして神のみぞ知る。
今更のように・・・年を取るということはどういうことなのか?
それこそ年を重ねた今までの経験を生かし、ここはじっくり考えてみよう。
うーん!うーん!

今更のように・・・

平成18年12月31日

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