久し振りに我が家で長らく眠ってる60冊近くある文学全集の中から、1冊を
おもむろに取り出し、たまには読んでみようかなとぱらぱらと捲ってみた。
ちょっとかび臭い匂いがした。
可愛そうに、独身の時に揃えた文学全集であるが、今まで手にしたのは数える程しかない。
学生時代に読んだきり、本箱の飾りになっていた。
海外小説にもちょっと飽きてきたし、この人生の後半の時期に、読んでみるのも
またオツなものかもしれない。
通勤電車の中で読むには少々重量があって、大変だが、それでもやはり急に
読みたくなったものは仕方ない。
同じ本でも読む時期によって感じ方も違うだろう。
そう思って読み出したのは、夏目漱石の「こころ」である。
おおおーっ!「こころ」ってこんなに長い文章だったかしら?
しかも内容もすっかり忘れている。
うんうん、出始めはこんな感じだったわと一人頷き、古めかしい旧漢字がずらりと並んだ
文を目にし、うん?これは当て字じゃないの?
こんな助詞の使い方はないでしょう?等々、内心ぶーぶー言いながら
読み始めたのだった。
しかし、読む内に旧仮名遣いにも慣れ、読む速度も徐々に早くなってきた。
「私は其人を常に先生と呼んでいた。」から始まるこの小説は、この先生と主人公
である若々しい書生とのこころの繋がりを描いている。
夏期休暇で友達に誘われ遊びに行った先の鎌倉で初めて知り得たのであるが、その
きっかけというのが変わっている。
海水浴をしていた時のことだというから、大方江ノ島辺りでのできごとなのだろうか。
夏の浜辺は混雑をしているというのに、何故見も知らぬその先生を見つけることが
できたのか?
「先生が一人の西洋人を伴れていたからである。」
まず、其西洋人の真っ白い皮膚の色がまず注意を惹き、そのまま引用すると、
「西洋人が猿股一つで済まして皆なの前に立っている此西洋人が如何にも
珍しく見えた。」ワケである。
おおーっ、なんだか書くのも恥ずかしい表現であるが、何故この主人公がそんなに
その先生のことが気になり好奇心にかられたのかを探る一齣であるし、
飛ばすわけにはゆかない。
その後も二人の行動が気になり、見守るようにじっと彼等を観察した。
どうも何処かで見たことのあるような顔だと思われ、思い出そうとするが結局
何時何処で会ったのかは分らずジマイだった。
気になる主人公は翌日も、またその翌日も海岸へ行き、先生との接触を図らんとする。
そして、遂に願いが叶い、話をする機会が得られ、先の質問をぶつけてみたが、
「どうも君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか」と言われ、
期待していただけに、変に一種の失望を感じる。
ところが、是を機にお付き合いが始まるのであるが・・・
しかし、先生の態度は最初と変わらず、始終静かであった。
静か過ぎて淋しい位だと言うのに、何故か離れるどころか益々惹き付けられて行く。
窓に黒い鳥影が射すように、変な曇りが先生の顔を横切る。
人と人との繋がりというものは誠に不思議なものである。
何故先生と呼ぶのか、読み終えた今も未だ分らない。
直感のようなもので、主人公はきっと最初に会った時から、そのような雰囲気が
醸し出されているのにいち早く気付いたに違いない。
惹かれる何かがあったのだろう。
人生の大半を懺悔で過ごした先生は、最後には重荷に耐えられなくなり、己を
絶ってしまう。
実に悲しい物語である。
こころというものは微妙で繊細なものである。
真実を述べられなくて結局は大切な親友を刃物で傷つけたかの如くであったが、
それにも増して、その親友自身は思ったよりも傷は深く、覚悟の上の死に至った
のであった。
死に追いやったという事実は心の隅から消えることなく、半生を無駄にした、
そのような人を先生と呼ぶこの主人公は、何故是ほどまでに惹かれてしまったのか。
最後はかなり長文の先生の遺書で終わってしまい、その主人公である書生の
感想をついに聞くことはできなかった。
先生に何故主人公はこうも惹かれたのか?
相共通する部分を認めたのだろうか?
もう一度読まなくては分らないのかもしれない。
いや、何度読んでもきっと今の自分には分らないだろう。
今度読む時期はいつになるだろうか?
再度読み返した時に、果たして主人公の気持ち、そして、親友の気持ち、
また先生の気持ちを理解することができるだろうか?
無明の酒に酔う・・・
只今生きている人間にとって、煩悩はいつも影のようについてくる。
なんとかしてその煩悩を遠ざけようと思うができずに、
いつも煩悩の真っ只中にいて覚めることができない・・・
酔っている場合じゃないでしょう、やしのみさん。
ちゃんと真っ当な事をしていますか?
間違ったことしていないよね。
人生の春夏秋冬。
暖かい春を味わい、そしてじめじめとした辛い梅雨を経て、そして明るい太陽の
陽射しを受け成長し、そして淋しい秋を感じ、枯れ行く冬を迎えた時、
果たして最後に胸を張って言える言葉を持っているだろうか。
人に学び教えられ、それを糧に実をなし謙虚な気持ちで生きたいものだ。
無明の酒に酔う