もういくつ寝るとお正月〜♪
子供の頃はお正月がやってくるのがとても楽しみだった。
お年玉も勿論一番の楽しみではあったが、お正月前の餅つきから始まって、お正月飾りの注連縄を父が
作るのを眺めたり、家族全員で係りを決めてお部屋をきれいにしたり・・・
そして、すがすがしい新年を迎える。
この一連の流れが子供ながらに何故かとても楽しみであった。

現在のように情報も豊かでもなく、テレビはおろかパソコンもなく、情報といえば、新聞かラジオの世界だった。
家族で食卓を囲んで、そうソノ頃のテーブルはいわゆる丸いちゃぶ台で、ちゃぶ台の真ん中は穴が開いてて
そこには七輪が置かれていた。
お正月には、朝一番に「お餅はいくつ食べるの?」と母が皆に聞いて回る。
そして、その七輪の上には大きなお鍋がのせられ、母独特のお雑煮が作られた。
グツグツと煮えるいい匂いは部屋中に充満し、今か今かとお腹が鳴ったものである。
換気はどうだったのかしら?と気になるが,昔の家屋というものは現在のように窓はサッシではなく、
隙間だらけの建てつけだったから、換気は自然換気できていたのであろう。
その内、その食卓は掘りごたつとなり、中には練炭が置かれた。
小学校も高年になるとお勉強とやらをちらほらするようになり、しかし、この炬燵に入ったが最後、眠気を
催し、明日こそは!と思ったものである。

今のように流通機構も発達していないわけで、物が溢れる等ということはなく、
「物は大事にしなさい」と言って親からはしつけられてきた。
ポイ捨てなんてとんでもない。
靴下に穴が開けば、何度も繕って履いたものである。

おもちゃも少なく、普段の遊びと言えば縄跳び、手まり、お手玉、おはじき、鬼ごっこ、かくれんぼ、ケンパタ等々、
懐かしく思い出される。
そうそう、お正月には「いろはがるた」を必ずやったものだ。
「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまへふこえてあさきゆめみしゑひもせす」
色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず・・・
このいろはがるたは天明の頃(1780〜) 上方で成立し,その後 江戸や尾張で作られたらしい。
だから、いろはの「い」の場合だと
上方では「石の上にも三年」であり、尾張では「一を聞いて十をしる」、そして関東では「犬も歩けば棒に当たる」
という具合に、カルタも分かれていたらしい。
やしのみが遊んだカルタはどこのものだったのだろう?
大人になった今、これらは諺として頭に入っており、定かではない。
いや正確には、つい最近まで「犬も歩けば棒に当たる」という意味がよく分らなかった。

紐解くと・・・
「犬も出歩くと、人に棒でなぐられたりもするが、うまいぐあいに残飯にありつくこともある。
でしゃばって災難にあうこともあれば、何かやって意外な幸運をつかむこともある。」とある。
未だによく理解していない部分があるが、要するに家に閉じこもってばかりではいけないということ
なのだろうか。
受動態ではなく能動態ということなのか?
「触らぬ神に祟りなし」ともいう。
諺と言うものは必ず反対を意味するものがある。
どちらを選択するかによって運命も変わる。
しかし、その運命に流されもいけない。

2006年も幕開けだ。
どういう年を重ねるかは、己の自己責任だということか!
お正月には、もの心が付いた頃から、必ず父は家族全員に帳面を差し出し、毛筆で署名をさせられた。
そして、次には「今年の目標は?」と順番に聞いてゆく・・・

さて、今年の目標はなんとしよう。
他界した父にこの声が届くだろうか。
「・・・・・・・・」

心の中でそっとつぶやいた。

平成18年01月31日

心の中でそっと・・・

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