人は何の為に生きているのか?
先人は言う。
生きているのではない。生かされているのですと・・・
苦あれば楽ありと・・・
下り坂の数だけ上り坂もあるのだと・・・

喜びに満面の笑みを浮かべる時、笑いが空を駆け抜ける時、この世を崇め、涙がこぼれそうになった時、
苦しみに打ちひしがれる時、この世を憎み、そんな日常を繰り返す中、ハタと気が付くといつ間にか
白髪頭の自分に気付き、ああー私は今まで一体何をしてきたのだろうかと思い悩む。
しかし、また、ある時は、子供の成長を目の当たりに見るにつけ、ああー、今まで生きてきて本当に
良かったわ〜と、胸をなでおろしている。
人生が長ければ長いだけ、この喜怒哀楽は続くのであろう。

二女は20歳と言う儚い命であった。
平均寿命には程遠い20年という短さ・・・
子供の分まで生きてやるぞという頑張りが今はまだある。
しかし、これも当然ながら健康であるが故の心意気である。
今や健康ブームである。
サプリメントも大活躍だ。
しかし、何が一番災いしているのかというと、ストレスなのだという。

要は、何も考えずにお気楽人生が一番ということなのか。
歌の文句ではないが、見上げてご覧夜の星を〜♪
果てしない宇宙を思う時、些細なことは忘れられる。
これから、何年生きるのか、神のみぞ知る。

この今を、この一瞬を大事にしなければ!と思う今日この頃である。

母は今月27日で86歳になった。
なんと、偶然にも我が夫殿も同じ日に生まれ、お蔭でお誕生日を忘れることもなく、毎年お祝いを欠かしたことはない。
まあ、それでなくともイベント好きな夫婦故、何かにかこつけおめでたいことは率先してやる方ではあるが・・・

小さい頃、母に「私は60歳まで生きれば十分だわ!」等と尊大なことを口走った記憶があるが、とんでもない!
その当時の平均寿命がいくつだったのかは定かではないが・・・
今や、わが国の男性の平均寿命は78.4歳、女性の平均寿命は85.3歳であり、ともに世界トップなのであるから、驚きだ。
してみると、我が母は古希、喜寿・・・とめでたく年を重ね、平均寿命を超えた86歳を迎えることが
出来たということは、とても喜ばしきことである。

この分だと、日本人の平均寿命は2050年には90歳を超えるという。
人間は120歳まで生きることができるともいう。
しかし、長生きするのはよいが、果たして満足な生活をしてゆけるのだろうかと不安が残る。
年金や介護の問題も出てくる。
いつまでも元気で長生きが一番だが、長いこと酷使してきた身体はどこかしら、大抵はガタがきて、病院へ
厄介となる羽目に陥る方が殆どであろう。

先日、浅田二郎の「椿山課長の7日間」という作品を読んだ。
ある日突然過労死で亡くなった椿山課長は現世に未練があり、天国への関所で特別の計らいを受け、
この世に7日間だけ戻ることを許される。
但し、今までとは天と地ほど違う絶世の美女に成り代って・・・という荒唐無稽な物語なのであるが・・・
大体浅田二郎の作品には必ず幽霊が登場し、はっきり言ってあまり好みではないのだが、成り行きで
最後まで読むに至った。

この世の人生を全うして、「もう十分」と思って死に至る人とそうでない人。
この「もう十分」には、これ以上生きていても何の楽しみも期待できそうにないわ!と諦めてしまう
場合と、今までたくさん良いことがあったわ〜♪と満足な顔であの世に召される場合とに
分かれるのであろうが、ともかくも、「もういい」と思ったのだから、それで良い。
しかし、この作品に出てくる椿山課長は「やり残した事がある」わけで、姿形は違っても、
現世に舞い戻ることができ、事を成そうとするのである。
又、読書感想文になりそうなので、この辺りで止めておくことにしよう。
しかし、平均寿命が長くなったというのに、その割には、60歳という定年は早すぎるような気がする。
若年層が多ければ「長い間お疲れ様でした。後は人生の余暇をお楽しみ」と自分を慰め、安心して次代に
託すことができるのだが、平均寿命は伸びても、出生率は逆に減る一方なのだから、そこでギャップが
既に生じてしまっている。
逆ピラミッド型の人口になった時、若年層に「年金や介護」を要求するのは至難の技である。
ゆりかごから墓場までの幸せなある国とは違い、日本の現実には厳しいものがある。
国民総出で真剣に知恵を絞らねばならない時期に来たのではないか。
今まで馬車馬の如く一生懸命働いて来て、僅かな給料の中から毎月天引きされていたあの厚生年金保険料の
行方はどうなるのか?
無駄な支出を繰り返してきた政府に、今更のように文句を言ってみたところで、ないモノはない!
既に無駄遣いしているのだから。
いくらもがいてみてもどうにもならない、この現実。

平均寿命

平成17年11月30日

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