無防備な正直さ
6時に起きて、7時20分には家を出て、満員電車に揺られて、会社へと向かい、仕事を思いっきり
こなし?、家路に着く。
そして、主人と一緒にアルコールをたしなみ、「ああー、今日も頑張った!」と疲れを取り、
お風呂に入り、そして、一段落したらば、パソコンに向かう。
毎日、同じことの繰り返しの中、それでも、ふと空を見上げると、確実に季節は移り変り、
お隣の子はいつの間にか、こないだまでわんわん泣き叫ぶ赤ん坊だったのに、
今や挨拶がちゃんとできる子供に成長している。
人間は何の為に生きているのか?と言う問いに、いや人間は生かされているのですと答える、
かの有名人は、1日に1億近い買い物を平気でする。
自分で稼いだのだから、何に使おうと勝手である。
しかし、何故か疑問を感じるのは私一人なのであろうか・・・???
人間の心理などと言うものは、不思議なもので、これがご機嫌が良い日となると、
「わあー、羨ましいわ〜あれだけ一生懸命仕事をしているのだから、自分に対するご褒美よねー」
などと、嘗てマラソン選手が言った、流行語大賞にもなったあの文言を平気で吐いたりする。
会社で何故か伝票を書きながら、ふとなんだか幸せ気分になることがある。
今日はいい日になりそうだわーなどと、仕事をしながら突然そう思うのだ。
そういう日は、振り返ると満面の笑顔の自分がいる。
何をやっても楽しい。うきうきと行動もかろやかに、足取りも軽く、人との対話も弾む。
しかし、かと思えば、何をやっても癪に障る日もある。
落とさなくていいものを落として大事なお茶碗を割ってみたり、つまずかなくていい時に
つまずき、ぶつからなくていいはずなのに、青痣をいつの間にか作っていたりする。
そして、おまけに上司に噛み付いたりする。
人の気持ちというものは、日々変らぬ生活の中でも、こうして、浮き沈みがあるものだ。
憂鬱でいやな気分の時、思いっきり背伸びをしてみた。
うーん!うーん!と言いながら・・・
気持ちがいい。
まるで、心身の毒素が飛び出したかのように、すっきりするのだ。
不思議なものだ。
身体があって、心があって、人間って不思議なものだ。
いくつになってもこんなことを言ってる自分にも首を傾げてしまうが、実際、
そういう気持ちになるのだから仕方がない。
全然関係のないお話だが、今、読んでいる本の中にこういうことが書かれていた。
「大人の無防備な正直さは、まず大抵の時や場所や状況で無神経さに通じてしまい、
人に不快な感情の波を起こさせる。」
なるほど、正直であれば良いというものでもない。
その正直であるが故に、まるで子供の如くの行動に出て、いつまでも大人になりきっていない、
そう、父親であり、夫であるにも拘らず、家庭というものに入りきれずに、ついに夫は
家を出てしまう。
学校の先生や世間はしたり顔で「正直でいなさい」と豪語する。
しかし、家庭を省みない、自由気ままな生活を送ろうとするその夫は、自分に確かに
正直であるかもしれないが、そうであるが故に、人を傷付けてしまう。
その種の正直さには疑問が生じる。
どんなに辛いことがあろうとも、弱音を何一つ吐かず、いつも無理な笑顔で繕おうとした妻は、
まさにその逆で正直さがまるでなかった。
この小説は、そういう父と母に育てられた子供の眼から見た、それも幼い頃の自分と、
成人してからの自分との心理状態を事細かに綴っている。
その微妙な心模様の描写には舌を巻く。
話が、なんだか読書感想文になりそうなので、この辺りで話の内容は止めておくことにしよう。
まだ、最後まで読んでいないので、結末は分らないが、三分の二まで読んだところで、
言える事は、世の中正直でありさえすれば良いというものでもなさそうだということだ。
そういえば、「正直者は馬鹿を見る」という諺もあったっけ。
こに登場する妻のように、自分を偽ってばかりではいけないけれど、あまりにも正直に
自分をさらけ出すのも、身勝手というものである。
「親しき仲にも礼儀あり」で、いくら夫婦何年続けようとも、これだけは言ってはならない
タブーもあるし、逆にこれだけは言わなければならないという正論もあるような気がする。
なかなか難しいことだとは思うが・・・
できることなら、修復に向けてと頑張った妻と、それを重荷に感じた夫。
そして、それらを生まれると同時に見つめ続けてきた子供。
どうも感想文になっていけないが、まあーいいかあーっ
全部は読んでいないわけだし・・・
要するにそういうシチュエーションにおいて、繰り広げられる物語の世界に、今どっぷり
漬かっているものだから、お許しを!
殺人がらみの小説なので、それだけでも暗いイメージの中、何を言わんとしているのか、
2箇所の舞台で繰り広げられる苦悩にもだえる魂の叫びが加わり、なんとも先を読むのが
怖くなってくる。
正直者になりなさいと人はいとも簡単に言うが、これには奥深い意味が秘められている。
何においても「良い加減」
何度も繰り返し言っているような気がするが、又言ってしまった。
何においても「良い加減」
人は一生の内、いったい何人の人との巡り会いがやって来るのか分らないが、人と人との繋がりを
大事にしたいと思えばこそである。
正論かもしれないが、ちょっと一呼吸の「良い加減」
正論じゃないかもしれないけれど、ちょっと一呼吸の「良い加減」
そうして、お互いに人は人として、生きて行く、いえ生かされてゆくのかもしれない。
さて、私は今日はご機嫌な日なのだろうか?