8月も今日で終わり。
日中そよぐ風もふと秋風を感じる今日この頃・・・
暑い夏ともやっとさようならできるんだわと喜ぶ人もいれば、ああー真っ赤に燃える太陽とも
しばらくの間さようならだわ!と悲しむ人もいることでしょう。
人は一つの事象に対して、感ずることが如何に違うものなのか。
育った環境、生まれ持った性格、身体等々により、思うこと、考えることも各々違う所に、
人間の良さがあり、また逆に業のようなものがあるのかもしれない。

忙しくも平凡な毎日を送る中、最近耳にしてこれはっ!と思った言葉が三つある。

@一番の勇気はいつだって自分らしく素直に生きる事。
Aささやかな幸せ
B小さな喜び

その時々で、ふと感動してしまう言葉も、時が経つと忘れてしまう。
慌ててメモをした。
今、机の上に置かれているそのメモを見ても、うーん、やはりズーンと来る何かがある。
幸せってなんだっけ?ずばり言うわよ!と世を騒がせている細木数子さんは、人間学を勧めている。
さん付けでは失礼?
士あるいは氏と呼ぶべきか。
多大なデータの元に、計り知れない人間に対する究明を続け勉強していると聞く。
時の指導者も悩める時には頼りにし、指示を仰ぐという。
しかし、ずばずば言いたい放題言っていると憤慨することもしばしば。
ただ、じっくり聞いて見るとおっしゃってることは道理に外れず、正しいことなのだから、
最後にはなるほどと頷いてしまっているのだが・・・

人間学を高校や大学で「はい、これはこうだから、こうなるのです。」と教えてくれるわけではない。
教科書では教えてくれない。
テストには出ない。
人と人とのふれあいにより、自然に身につくものなのだから。

いつだって自分らしく素直に生きるとは?
@の意味には人によって色んな解釈が多分なされるだろう。
例えばあるテーマにおいて、意見が食い違った時に「自我を通す、我儘を言う。自分らしくね。」と
取る人もいれば、「敢えて、私は彼にあるいは彼女にたとえ嫌われてもいい、自分らしく
素直に意見を言うわ。」と思う人もいる。
果たしてどちらも「自分らしく素直に」ではある。
解釈の仕方でまるで違う方向に物事は進み、不幸が生まれることがある。
誤解が生まれるのはとても悲しいことである。
このような場合、何が正しくて何が間違いなのか分らないことが、最大の問題であろう。
場合によっては、多少の協調性を求められることもあるし、また敢えて歩み寄りを自ら
しなくてはいけないこともある。
人は一人では生きてゆけないのだから・・・
人と人との和を考える時、これだけはやってはいけないこと、言ってはならないこと、又逆に
これだけはやっておかなければ、言っておかなければという判断を見極める力は、
真の優しさがなせる技なのではないかと思うのだが?
単なる見かけの優しさではなく、他人にとっても自分にとってもきっと良いことに違いない行為。
なかなかそれこそ難しいテーマではあるが、常々目標にしたいことである。

ささやかなしあわせは小さな努力から始まり、それが実った時にそれは小さな喜びとなる。
欠点だらけの自分に課された永遠のテーマである。

とかくこの世はままならぬ・・・
しかし、努力なくして、青い鳥は飛んで来ない。
人生の半分以上過ぎた今頃になって、しみじみと思った晩夏である。

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一番の勇気は・・・

平成17年8月31日