「塞翁が馬」とは?

砦の近くの老人の馬。
昔、中国の北方の砦近くの村に、うらない事の好きな老人が住んでいた。
ある時、この老人の馬が不意に敵陣に逃げ行ったので、人々がこれを不幸だと言うと、
老人はこれが幸せをもたらすこもしれないと言った。
ところがなんと、その馬が数ヵ月後に、立派な馬を引き連れて戻ってきたので、
人々は大いに祝った。
しかし、老人はこれが不幸になるかもしれないと言った。
老人には一人息子があり、この子は好んでこの良馬に乗った。
ある日落馬して骨を折ってしまった。
人々は、これを不幸だといって嘆いたが、老人はこれが幸せをもたらすのだと言った。
そして、やがて敵が攻めてきて戦争になった時、近所の若者達は戦場で戦って、
ほとんど死んでしまったが、老人の息子は、足が悪かった為に戦場にかり出されることなく、
父子ともども無事であったという。

人間にとって何が幸せか、不幸かを、一概に判断するのは難しい。
人生の幸不幸は、定まってはいず、互いに原因になりあって、変化してゆく。

ものの捕え方で、人生模様も変ってくるのは確かである。
昔中学生の頃こんな物語を読んだ。
以前にも書いたかもしれないが、やしのみにとってその話はいつまでも、そうこの60歳に近い
この歳になるまで心に残っている、いわば座右の銘の如くの話である。
それは今考えると「プラス志向」を教えてくれた、最初の教本なのであった。
その少女は何が起きても全て良い方に解釈してしまう。
例えば、片足をなくした子に対しても、もう一方の足があって良かったわね、という具合に。
発想の転換にも繋がる。
いやなことに遭遇した時に、そのいやなことのみを考えるのではなく、そのことでもたらす
色んな事象を考える。
掲題の場合は、マイナス志向も掲げているので、言わんとすることとは少しニュアンスは
違ってくるが、要するに一つの現象に対して、結果はどうころぶか分らない。
ウダウダ考えても仕方がないということなのだろう。

1億円の宝くじが当たる人もいれば、300円しか当たったことがない人もいる。
まさしくやしのみは後者であるが・・・(笑)
しかし、貧乏人はいつまでも貧乏人でもない。
お金持ちはいつまでもお金持ちとは限らない。
家庭がいつまでも平和だとは限らない。
いつまでも健康であるとは言い切れない。
しかし、奇跡を生むこともある。
がん患者が直ったと言う話も聞く。
いろいろいろいろ・・・

心の持ち方で、なんと人生は様々に彩られることか。
一度しかない人生ならば、塞翁が馬の話の如く、飄々と生きてみたいものである。

塞翁が馬

平成17年7月31日

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