誰のせいでもない

平成17年4月30日

人は失敗を犯した時に何を考えるか。
すぐさま体裁を考えて一生懸命に弁解を画策するか。
それとも素直に何も言わずに陳謝するか。
失敗は成功の元とはいえ、大抵の人は一瞬自己弁護に走るのではなかろうか。
自分が一番可愛い故に・・・
その失敗の度合いにもよるかもしれない。

こんな情報を耳にした。
小学生の頃から彼は社長になることを決意したんだそうだ。
20代にして巨万の富を手にしたあるベンチャー企業の青年実業家の話である。
しかし、バブルが弾け銀行からの多額の借金を抱えていた彼は、完済を余儀なくされた。
帳簿上はいくら利益を出していても、使える現金を保持している会社というものは滅多にない。
自己破産だ。
しかし、彼はそのまま地獄には落ちなかった。
ダメだもう二度とダメだと思われた彼は、なんと今度はその失敗例を元にその失敗談を世の中の
経営者に知らせるべく、本を出版し、尚且つ全国を講演して回った。
その根性とやらすさまじい。
諦めず、誰のせいにする訳でもなく、最後まで諦めずに生き抜いた人であった。
聞きかじりではあるが、垣間聞いたその話に考えさせられた。

何か失敗を犯したときに、誰かのせいにしていないか。
例えば、犯罪の少年齢化の問題にしてもしかり。
過酷な目にも耐えられぬ犯罪を目の当たりにして、こんなに幼くしてこのようなひどい犯罪を
犯すのは、近頃のテレビゲームがいけないのでは?とすぐ企業のせいにしたり・・・

今回の尼崎事故(25日朝、快速電車が脱線した事故)にしても、運転手は日頃オーバーランしていた
問題の運転手だったが、そのように止む無くさせたのは一体何だったのであろうか。
その原因を突き詰めると、過密ダイヤに問題有り。
また、鉄道の工学博士は「乗客が多ければ重心が上がり、時速100キロ余りの高速で急な
カーブに進入した上、非常ブレーキが作動した為、遠心力が高まった」とも。
過密ダイヤを設定したのは誰か。
ではあの非常ブレーキは一体どういう役目を果たしたのか?
転覆の真の要因は?
原因があって結果がある。

しかし、どういういかなる出来事でも言える事だと思うのだが、要は自分自身なのではないかと
思うのである。
すぐ人のせいにしたがる、風潮はどうも解せないのである。
人は生まれてから持って生まれた天性に、学習と言うものが加わる。
発達心理学では遺伝はあまり影響されないと記されている。
要は自分で学習するのである。
では、一番身近に学習する機会はというと、家庭、親からの影響が大であろう。
しかし、たとえ犯罪者の親でも、反面教師でしっかりした子供が育つし、また逆に、親が世間で
尊敬されている、それこそ教育者の親の元で育てられた子供でも犯罪を犯す子供もいるとうのが現実であろう。
確かに親の影響は受ける。
しかし、終局的には自分だ。本人だ。

言っていいかな?
「甘えるんじゃないよ。あなたは一人前の一個の人間なんだ。
考え、そして思う頭と心がちゃんとあるではないか。
たくさん、学べ!良いことも悪いこともたくさん知りなさい。
そして、その中から何が良くて何が悪いのかを学ぶのです。」
言ってしまった。偉そうに・・・

ちょっと前のことだが、テレビ番組で「ゴクセン」という番組があった。
いわゆる極道の孫娘が私立の高校の教師をやり、何が正しい道なのかを問うた胸スッキリの番組であった。
軽いと言われればそうかもしれない。
しかし、この番組は勧善懲悪、水戸黄門的な要素があり、視聴率もかなりであったと聞く。
人間は何から善悪を学ぶのか。
その人の環境下で随分違うことだろう。
価値観もそれによって随分違ってくるだろう。
しかし、それもこれもみんな自分自身が選んで得た結果なのではないか。
人に頼るんじゃない!そして人のせいにしてはいけない!
そう、責任感があり、そして人に迷惑をかけないようにすること。
お金持ちも貧乏人も、太った人も痩せた人も、これだけは言えることなのではないか。
今回の運転手に対しては多分過酷な言葉になるであろう。
車掌にいい繕いを頼んだ彼は一体何を考えたのか。
これ以上、怒られたくない。果たしてそういう気持だけだったのか・・・

被災者の無念を考えると合掌の手も震える。

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