ああー、私はなんて不幸なの?
この世の果ての如くに落ち込んだ時、突いて出る言葉はケ・セラ・セラ〜♪
考えてもどうしようもない、頭が混乱するだけだと、諦めたから出るのか?
それとも逃げ場の無い逃避なのか?
または希望を求めての未知への憧れなのか?
「ケ・セラ・セラ〜♪なるようになるさ〜♪先のことなどわからない♪」と
軽く流れるメロディーと詩は何度私の胸を癒してくれたことだろう。
先日、某テレビ局で懐メロをやっていた。
各年代で流行ったベスト5から始まった。
最初から見たわけではなく、たまたまチャンネルをひねった時に丁度流れていたのが、
「高校三年生」だった。
「あの曲は随分流行ったわよねえー、ねえー、あなた、その頃あなたは何年生だったの?
そうかあー、私とは3歳違いだから○年生よねえー」
歌というものには思い出が必ずくっついているものだ。
いつしかその頃を思い出し、走馬灯のように記憶が蘇って来た。
懐メロはいつしかお酒を飲みながらのバックグラウンドと化した。
そういえば、あんなことがあったっけねえ・・・
平日だというのに良い肴を得たとばかりに、話とお酒がはずんだ。
たまに聞くからいいのであろう。
これが毎日のように聞かされたのでは、きっとこんな気分になりはしない。
思い出は色んな記憶で閉じ込められている。
記憶の引き出しが次から次へと引き出され、人生を彩った喜怒哀楽の赤、青、黒、黄色の
様々な色合いのページを夫婦で捲っていった今宵であった。
忙殺の日々の中、普段はすっかり忘れ去られていた何十年前の出来事が、懐かしく思い出された。
杯が進むわけである。
突然笑い転げたくなった。突然怒り出した。突然泣き出したくなった。突然微笑みで胸がふくらんだ。
素敵な曲と詩に、人は必ず思い出を残してゆく。
たまにはいいな、こんな日も。。。
たまには昔を偲んでみるのもね。。。
辛いこともあったっけね。。。
苦しいこともあったっけね。。。
でもね、いつもそんなとき心の中で口ずさんでいるのは「ケ・セラ・セラ〜♪」。。。
そんなこんなで生きている何十年の人生よ。。。
そして、いつまで生きるか分らないけれど。。。
きっと今からも口ずさむであろう「ケ・セラ・セラ〜♪」。。。
そうさ、なるようになるのさこれからもね。。。
くよくよ人生はさようならー。。。
「ケ・セラ・セラ〜♪」でこんにちはー♪。。。
未来を信じて生きるのさ!。。。
ドリス・デイの歌う曲「ケ・セラ・セラ」をあなたにも。。。
まだ小さい頃 ママに聞いたわ あたしは何に?
美しい娘に? お金持ちに?
ママは答えたわ ケ・セラ・セラ なるようになるわ
先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない
学校に行き始めて 先生に聞いたわ あたしは何に?
美しい娘に? お金持ちに?
先生は答えたわ ケ・セラ・セラ なるようになるわ
先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない
大人になり恋をして 恋人に聞いたわ 未来には何が
幸せな生活が待っているの?
恋人は答えたわ ケ・セラ・セラ なるようになるわ
先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない
ケ・セラ・セラ〜♪の人生よ