読む本が切れた。
いや読もうとする本が切れた。
これも違う。
正確には、読むべき本が我が家から無くなった。
要するに買い忘れてしまった。

通勤途中で、いつも読んでいる本がなくなると、ボーッとする時間が勿体なく、
慌てて、短い時間の中、目に付くものを買った。
あっ、電車が来る!急がなければ!
駅の構内のKYO○Kで買ってしまった本だが、どうもいやな予感がする。
以前読んだような・・・
案の定2.3ページも読んでいく内に「ああ、やっぱり、読んだ本だわ!」ガッカリである。
部屋のどこかに山積みされている一品?なのか?

確か作者が直木賞を受賞した時に、ハード本を買ったような・・・
それとも誰かから借りて読んだ本なのだろうか?
記憶力が最近富に失せつつある。
まっ、いいか!
二度眼を引いたのならば、二度読む価値はあるのかもしれない。
そんなに何年も前の話ではないのに、全てを覚えてはいない。
上下の1冊目の3分の2位まで読み進んだ。
ああ、そうだそうだ、こんなだったわと思い乍ら、しかし、眼は先を追っている。
以前読んだ部分を、さながら肉付けするかのような読み方である。

本の面白さって何だろう?
人によってさまざまであろう。

@単なる時間つぶし。
A想像の世界に入り込めるから
B文章のタッチを楽しむ。または研究する。
C頭の体操!
D自分にとって、有益な何かを学びたいから・・・
E情報収集のため

まだまだ色んな要素があることだろう。
本のジャンルにおいても、目的は変わるのだから・・・

さて、前置きが長くなったが、二度も思わず買ってしまった本とは?

桐野 夏生 作、「柔らかな頬」である。
この作品は平成11年の直木賞受賞作でる。
多分お読みになった方もたくさんいらっしゃると思う。

本の帯にはこう書かれていた。
「幼い娘が謎の疾走。夫の友人と逢引をしていた。
カスミ一人娘を探し続ける。」

実は今までにも何度か同じ本を買った失敗があり、特にこの本が気に入って手にしたのでは
ないと思う。
多分、そう多分だ。
深層心理を覗いてみると・・・
謎の疾走=喪失感が結びついたのかもしれない。

時々忍び寄る隙間風。
前回に続いて出てくる「隙間」という文字。
多分永遠にこの文字からは離れられないだろう。

前回の「「心の隙間に忍び寄る・・・懺悔」はかなりの反響があった。
「やしのみさん、あれってなんなの?」
「いや、書く材料がなかったから・・・」とごまかしてみたものの、これはやはり、ちゃんと書くべきことなのかも
しれない。

要するに、言葉と言うものは誤解を招くことがあるということだ。
真に伝わらなくて、相手にそぐわぬ思いをさせたことかな?
だから、言葉は刃物というととてもひどい言葉に感じられるが、本人はそのつもりはなくとも、
有り得るということ。
人間と言うものは感情の生き物だから、それはいたしかたのないこと。
要するに用心にこしたことはない。
しかし、あまりにも細心過ぎても、また、真意を伝えにくいということも有り得る。
オブラートに包んで分ってもらえる場合もあれば、包んだために「はっきり言って!」ということも
有り得る。

要するにケースバイケースだということだ。
世の中には色んな感じ方をする人が大勢いるのだから。
だからこそ、人間って、面白い!ともいえるのではないか。

一生かかっても学べ切れぬ人間学。
だが、これが一番何より大事なのかもしれない。
人を大切に!
そういう生き方をしてみたい。
多分、そんな心理がああいう表現の仕方になったのではと、振り返って思うのである。

懺悔と言う言葉にかなり反響を呼んだようだ。
「分るわー、やしのみさんのような気持になったことってあるわー」という言葉を聞いた時、
『やはり、フムフム』と一人頷き、『良かったわー』と胸を撫で下ろしていた。

面白いものである。
ちょっと強烈に書きすぎたかもしれない。
ご安心ください。
そんなにやしのみは悪者ではありませんよ。
きっと、誰しも感じてること。
ただ言わないだけ・・・
それともやしのみの一人合点なのかな?
心の隙間の話。
また出てくるかもしれません。
ビュービューと音を立てて・・・?
それとも静かなそよ風かもしれません。
人は考える葦なのだから。

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心の隙間に忍び寄る・・・喪失感

平成16年12月