昔から運にまつわる諺は多い。
例えば
@「運鈍根」
成功の秘訣は天運の助けと、牛のような鈍重さと、粘り強い根気とが必要である。
A「運は天にあり」
人の生や死、栄えるか否かは天の命じるところで、どんなにあがいても
人力ではどうすることもできない。
また逆に、自分では殆どあきらめている場合に、運があれば窮地を脱することもある。
すべては天命による。
B「運否天賦」
運の良し悪しは自然が定めるところで、変えることができない。運まかせ。
因みに、英語では
CIt is fortune not wisdom,that rules man's life.
(人の一生を支配するものは知恵ではなく運である)
そういえば、ビンゴで当たる人はいつも同じ、クジにしても、同じ人がよく当たるなんて
ことが往々にして見かけられる。
そして、「あの人って、本当に運が強いのよね」なんて囁かれる。
現実「運」が存在するのは否定できない。
しかし、しかし、である。
BやCのような「運命論」では、もう人生どうしようもないではないか。
なんと悲しいことか。夢のない話である。
努力しても報いがないのか。
どうあがこうがその人のレールは敷かれているのだろうか。
車輪を外すわけにはゆかないのだろうか。
いや、私はそうは思わない。
違うレールを見つければいいではないか。
もっといい上出来の、最新式のレールを敷けばいいのではないのか。
と、まあ前向きにプラス志向で物事を考えるようにしているのだが、
やはり、諺とはよくぞ出来ているものだ。
太刀打ちできない。
負けばかりである。
しかし、ここで、あきらめてはいけない。
人生長いのだから、一生付き纏うのだから。
強い心で、運命に立ち向かうしかないのである。
人間は弱いのだから、ということもよく言われることである。
確かに、一理ある。
驕ってはいけないという戒めの意味もあるのだろう。
宗教的な考えでもある。
が、宗教論はここでは避けたい。
このところ、占いや風水が流行っているらしい。
この不景気な世の中、不信な世情が反映されているのだろうか。
努力しても、しても報われぬ。
何故なのか。
結果、人は皆最終的には「運」を頼りにしてしまう。
果たして、人間は強いのか、弱いのか。
う〜ん、どちらだろう?
性善説、性悪説と同等に迷う所である。
強き人も、弱き人も、善人も、悪人も、いずれにしても「運」という摩訶不思議なモノ
とは切り離せそうにない。
運とは?