平成16年1月
見ざる 聞かざる 言わざる
2004年もいよいよ幕開けである。
今年の干支は申。
申年にちなんでよく言われる言葉に「見ざる 聞かざる 言わざる」ということわざがある。
日光東照宮にも立派な三猿の彫り物があるくらいである。
そういえば幼い頃「どうしてお猿さんは目をふさいで、耳をふさいで、
口をふさいでいるの?」と不思議でならなかったことを覚えている。
子供のことゆえ、さして、その理由を深く考えなかったのだが、、、
そして、大人になってからも真剣に考えたこともなかった。
ところが、面白いことに主人が年男の申年ということもあり、干支について
考えたとき、ふと思い浮かんだのがこの三猿(さんえん)なのである。
まず、「三猿」を広辞苑(岩波書店)で調べてみた。
以下の通りである。
「三様の姿勢をした猿の像。一は両眼を、一は両耳を、一は口を、それぞれ手でおおう。
「見ざる聞かざる言わざる」の意を寓したもの。
そして、今度は「見ざる」をーーー
矢印で「三猿」とある。聞かざる、言わざるも以下同文。
これでは分からないよう。
そうだ、我が家には故事辞典なるものが確かあったはず。
でも、どこかに潜り込んでしまっているようで、見当たらない。
そうだ、たった今「見ざる」を文字変換する際いくつか意味が出ていたような。。。
あった、あった!
「見ざる」は
[一般的]夢を見る、様子を見る、車の調子を見る(なんだこれは?)、事態を重く見る
であった。
ちなみに、「聞かざる」は
[一般的]うわさを聞く、忠告を聞く、聞くに堪えない話、お香を聞(利)く
であり、
「言わざる」は何故かこれのみ意味が出ていない。
要は、共通の意味するものは否定形ではなく肯定的だという点である。
子供の頃理解に苦しんだのもこの点であった。
「思い切り見ればいいのに、思い切り聞けばいいのに、思い切り言えばいいのに。。。」とね。
要するに「臭いものには蓋をせよ」という日本人独特の逃げ腰の体質がこのような
言葉を生み出したのであろうか。
悪いことには眼をつぶり、都合の悪いことは聞かないで、嫌われることは言わない。
なんというご都合主義。
人間関係を上手くやる方法とでも?
そろそろ、そういう消極的な世界とはさようならして、もっと積極的に周りをよく見て、
人の言うことに耳を傾け、そして、自分の意見を皆にしっかり言える、
そんな「三猿」に変えたいものである。
と、ここまで書いて昨日は寝てしまったが、申年の主人が「故事こてわざ辞典」(昭文社)
を探し出してくれた(なんと優しい)ので記したいと思う。
古くより、人の短を見ず、人の非を聞かず、人のあやまちを言わずという戒め。
封建時代にその刑が連帯に負わされることがあったため、事件のかかり合いになることを
恐れるところから、このことわざが庶民の間に浸透した。
見ざる(見ない)・聞かざる(聞かない)・言わざる(言わない)の、それぞれの「ざる」と
「さる(猿)」を関連付けて、三匹の猿がそれぞれ耳、目、口をふさいでいる形の像を彫って
このことわざを表した。三猿または三猿の像という。
市街地の四辻、村の道傍に置いてあるのがよく見られた。
な〜るほどね、さすがことわざ辞典である。
詳しく説明されている。
ふむふむ、時代の背景がそうさせたのか、非力な庶民が考えた知恵であったわけなのねと納得。
しかし、今や時代は変わってきている。
昔の名残としての三猿の像であって欲しいものである。
また、ことわざも時代に即した解釈でいきたいものである。
例えば、「情けは人の為ならず」ということわざにしても、正確に答えられる人は少ないらしい。
現代文として、素直にこのままに解釈すると、情けをかけては人の為にならないよ、となる。
正解はーーー
情けを人にかけると、それを恩と感じる相手なら、いつかは自分によい報いを返してくる。
情けは人の為もあるが、むしろ自分の為にかけておくものである。
これも、なんとも虫のいい話のような気がする。
純粋でない!
話がそれてしまったが、要するに時は確実に刻まれており、
人の気持も刻々と変わっているのでは?と感じた年頭であった。