今年の『筑後川』

「筑後川」を作曲したときのようにまた、筑後川を下りながら流域の皆さんと『筑後川』を歌いたいね。河口の大川につく頃は僕も80歳・・・その頃まではまだ元気にしているだろうから。 そして河口に着いたら、有明海に沈む夕陽を背にして『筑後川』を歌いたい」 とおっしゃっていた團さんの思いの実現に賛同してくださった、合唱好き、『筑後川』大好きの皆さんと共に、 『筑後川』コンサートは、参加する合唱団も21団体に増え、終に筑後川最下流の町大川市の河口に辿り着きました。「その日」は10月21,22日でした。この2日間に大川市の方たちが色々な企画を考えてくださいました。ご紹介します。

「歌い継ぐ」シンポジウム   

日時・10月1日(日)13:00〜15:00
場所・古賀政男記念館(大川市三丸)内 古賀政男生家。
                                                  
午後1時から大川市教育長の石橋良知さんが「大川のまちで歌い継がれるうた」と題して基調講演(30分)されました。さらに、甘木、朝倉で親子 二代にわたり合唱活動を続ける声楽家・鞭 眞子さん、柳川を中心に北原白秋を歌い続ける声楽家・木村襟子さん、大川で長年古賀メロディーを演奏し続ける古賀メロディーギター アンサンブルリーダーの山田永喜さんによるパネルディスカッションがありました。コーディネーターは『筑後川』の連続コンサートのプロデュースをする実行委員の中野政則。 午後3時まで古賀政男や北原白秋の作品、團伊玖磨の『筑後川』を後世へどのように歌い継いでいくのか、パネルディスカッションが行われました。
なお、当日は午前10時から古賀メロディーギターアンサンブルによる演奏会も、同会場で行われました。
                                 シンポジウムの様子はこちらからどうぞ

「歌い継ぐ」パネル展

日時・10月21日〜22日
場所・大川文化センターロビー 
                              パネル展の様子はこちらからどうぞ

夕陽コンサート

日時・10月21日(土)17:00〜17:30
場所・昇開橋近くの筑後川河畔・若津港荷揚げ場

「河口夕映」                                        「團さんの夢」(中野政則・著)より
(前略)團さんと丸山さんは久留米の校歌や記念歌など数曲を作曲した後、合唱組曲『筑後川』へと進んでいった。
68(昭和43)年、有明海に注ぐ九州一の大河と流域の人々の営みを丸山さんは五篇の詩につづった。内容 は阿蘇の外輪山に生まれた水が有明海へたどるまでを、さながら人の一生に重ね合わせて劇的にまとめた詩であっ た。各楽章には標題がつけられていた。第一章「みなかみ」、第二章「ダムにて」、第三章「銀の魚」、第四章 「川の祭」、そして終章は「河口夕映」となっていた。
團さんは丸山さんが作った終章の「河口夕映」から「夕映」の文字の削除を求めた。
丸山さんは『筑後川』に副題を「大いなる愛の川」と付していた。『筑後川』は有明の海へ注ぎ、美しい夕映えの潟に沈む河口で終えたいと考えていた。
だが團さんは、川は河口で終わらない、河口は新しい門出なのだ。筑後川は有明海に出て、はるか東シナ海で揚子江の水と出会う、という思いであった。
團さんはこの夕映の二文字の削除を求めただけで、歌詞自体が変わることはなかった。  (中略)

かくして完成した「河口」の終結部は、フォルテが三つ並ぶ最強音の和音にアクセントがかかり、かつ クレッシェンド(漸強)で終結するという、壮大なものであった。
これは夕映えから連想されがちな抒情的な終焉ではなく、新たな旅立ちのための力強い音楽なのである。

2001年3月、柳川での「白秋のまちの音楽会」を終えた團さんは「みなかみからゆっくり下りてきて、 筑後川の河口では有明の夕映えを背にして歌いたいね。」と話された。
この言葉には、先に亡くなられた丸山さんへの配慮を感じたし、また「河口夕映」のまま作曲されていたら、 『筑後川』がこれほど全国に広まり、頻繁に歌われることはなかったのでは、と私は思った。   



                        「夕陽コンサート」への思い
2002年に團伊玖磨記念『筑後川』Iコンサートが始まったときから、行き着くところは河口の大川であり、大川まで辿り着いたら絶対!!!夕陽の沈むのを見ながら皆で『筑後川』を歌おう―― これは主人と私との夢であり、目標でした。
その夢が、目標が、2007年10月21日に、とうとう実現しました。

「IN 大川」コンサートの日時が決まった時から、この日の日没時間を調べ、逆算して、前日練習の時間を配分したような次第です。それから夕陽コンサートのできる場所探し、何度も日没時間頃に大川の河口近くの場所を探しに出かけました。昇開橋を臨み、地平線に夕陽の沈むのが見える場所を何箇所も見てまわりました。結局、その昔、上流から流れてきたいかだが大川に着き、荷揚げをした埠頭がピッタリの場所だったのです。
練習会場から夕陽コンサート会場まで皆さんをお連れする手立て、会場の設営・ピアノ、指揮台の手配など、これは実行委員会の大川市の方々が、大変な思いをして、でも本当に快く引き受けてくださいました。

本番10月21日は、前日練習が終わり、マイカーや大川市が用意してくださったバスに乗り、250名の人が筑後川河畔・若津港荷揚げ場へ移動し夕陽コンサートが始まりました。海からの強い風をまともに受けて、指揮者、伴奏者の楽譜は飛んでいきそう。それでも我慢して、雲ひとつない筑後川・河口に向かって、参加者はそれぞれの思いを胸にしながら、力いっぱい歌いました。
そして歌い終わったとき、夕陽が地平線に正に沈もうとする時、正面の昇開橋の上の中空に、スーッと飛行機雲が現れたんです。歌い終わったみんなは一瞬、息を呑み、感激の叫びが起こりました。
         ・・・何と言う劇的な幕切れ!集まったみんなの声を、飛行機雲が乗せて天まで運んでくれた・・・
                                                                    (Y、記す)
                          夕陽コンサートの様子はこちらからどうぞ

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