半壊した門から入るなりマルメットが走り出す。
 小さな歩幅が許す限りの全速力で、飛ぶように、まっすぐ大通りを駆けて行く。
 それを追ってフェルフェッタが名を呼んで走る。
 走りながら振り向いて、こっちは任せて、と投げる。
 見送って、隣に立ったリコルドが荷物を背負いなおし、お言葉に甘えようか、と云った。
 ナガイは魔女たちの背を見送りながら頷いた。


@4年69日 午後

 サンパロスの街。
 王都ヴァレイの北に位置するこの街の人口は一万人強。南を黒の森、北をディアレイ山に挟まれた、高原の地方都市である。
 高い壁に囲まれた扇形の街が山麓に展開し、街の高低差と貧富の上下は比例している。
 別名、太陽の街。或いは金色の街。
 主に今の季節、街の大部分を染めるアブラカブラの花の黄色が、その二つ名の由来だ。
 左右対称の街並を高所から眺めれば、青い屋根の色と黄色い花の色が、鮮やかなコントラストをもって目に飛び込んで来る。人の住む街と広大な花畑が交互に段々を作り、その間を白い石畳の道が整然と走っている。
 この巨大な縞模様の景観は、アクラル三大美観と謳われる。
 だがその景観も、幾度もの魔物の襲撃のために、見るも無惨な様子と成り果てている。
 壊滅区域は街の約十分の一。
 街中のあちらこちらには、襲撃の爪痕が残されている。


「襲撃は夜、主に日が暮れてから深夜にかけて。目撃証言は限りなくゼロに近い。まあ、仕方ないよね。時間帯が時間帯だし、回数も少ないし」
「カーテン越しのシルエットやら壁に映った影やら、間接的なものばかりだ。ひどいものだぞ。首が四つなどという報告まであった」
「退治して欲しいのならもっとマトモな情報を寄越して欲しいもんだな」
 溜息混じりに云いながら、クルガはどたーっと大の字になった。
 傾き始めた太陽が街並を橙色に染めていく。
 サンパロス中央の庁舎前広場。街の中央を縦に貫くメインストリートの、その更に中腹の位置。紅白のタイルがモザイク模様を描き、花壇は今が盛りと咲き誇っている。
 しかし詳細不明な魔物の爪痕は、それらを容赦なく踏みにじっていた。
 街の役所のお偉いさんから情報を引き出し、壊れた花壇を囲む団員は四人。団長であるナガイと、リコルドと、クルガとイワセのサムライコンビだ。他のメンバーは、ここまで来る途中で見掛けた崩れた瓦礫の除去作業を手伝いに行ってしまっている。
 初めに抜けた魔女二人はまだ戻って来ない。
 花壇と云うより、掘り返した土に花びらふりかけ状態の元花壇に寝転がって愚痴るクルガを見ながら、リコルドはけらけら笑った。
「クルガ、土だらけになるよ」
「みっともないから起きろ」
 隣に立ったイワセが仏頂面をして、爪先で小突く。
 小突かれて逆の方にごろりと反転し、クルガは面倒臭そうに起き上がる。土と花びらがいっしょくたになって髪やら服にひっついている。
 広場を通る街の娘たちがその姿を見てくすくす笑った。
「なんつう格好だ」
 イワセが呆れた声を出す。
 クルガは膨れっつらでぱたぱたと服をはたいた。
「それで、今回のはどうやって倒すのだ?」
「急に真面目づらをしても似合わぬ。ほれ、まだついておるぞ」
 べしべしと乱暴にクルガのポニーテールをはたく。大振りのピンクの花びらがひらひらと舞い落ちた。
 花壇に腰掛けたリコルドがくすくす笑う。
「なんか駄目な旦那と世話女房って感じだよね」
「……」
 振られたナガイが困惑げに首を傾げる。
「訳の分からんことを云うな!」
 速攻でクルガが喰って掛かる。
「拙者、女子だとしても、こんな世話の掛かる旦那は持ちたくないぞ」
 イワセが真顔で云う。
「はいはい。そんなムキにならないでよ冗談なんだから。で、今回の件、如何致しましょうか?」
 へろへろと笑みを浮かべてリコルド。
 サムライ三人は真面目な顔になって、発言者の弓使いを見た。
「出現は主に夜。大体は日が暮れてちょっと経ってからとか、日付けが変わる深夜。一回だけど夜明け前の襲撃もある。まあ、夜ならいつ来てもおかしくないってことだね」
「夜も早いならともかく、夜明け前となると、それまで集中力が続かなさそうだな。眠くもなる」
 ナガイが考えながら云う。
「昼に寝れば良かろう?」
「明日以降ならともかく、今宵は無理だろう、それは」
「到着したばかりで皆、疲れているであろうし」
「夜までに時間があれば今から休んでおく、ってのもアリだけどね。もう夕方だし」
「なら、今回は交代で寝るか」
「張りながらか?」
「んー、二人一組とかならいけるんじゃない?」
「まとめて熟睡せんと良いが」
「そこまで心配しておったらどの編成も組めぬ」
 ぽんぽんと言葉の飛び交う中、ナガイが手を挙げた。
「それで、誰が出るのだ」
「それは皆で相談。ってもヘルハウンドだったっけ? 若い子バリバリ出しても良いんじゃないかなって僕は思う」
「ああ、あれなら一撃が軽いからな。体力もさほどないからケリも早くつく」
「そゆこと。経験は早いうちに、ってこれはフェルの弁だけど」
「先輩も方向性は同じだと思うが。ヴァルガ先輩は逆だがな」
「そろそろガルゴスを出したいとは思っておるようだぞ。前回、それで組んだではないか」
「そしてお主が張り切り過ぎて芽を潰したのだったな」
「……」
 クルガが黙り込む。
 掛け合いを楽しげに眺めていたリコルドがナガイを振り向く。
「まあ、今回はそういうことでどう」
 明るく云った、そのとき。


 それほど大きくない家は、軒を含めた屋根の半分が吹き飛んで、壁の漆喰と煉瓦を抉った痕が生々しい。
 魔物は道を通りながら気紛れに、家々にぶつかったり齧ったりをしたのだろう。
 跡形もない、と云うわけではないが、とても人の住める様態ではない。
 その家の前を走る道と敷地の境に、マルメットが仁王立ちしている。
「あんまり近付くと危ないわよ」
 後ろからフェルフェッタが言葉を投げる。
 聞こえているのかいないのか、マルメットは黙りこくって壊れた屋根を見上げている。
「実家?」
 短く訊くと、頷いて寄越した。
 雲の多い空はオレンジ色に近付いている。ぬるま湯のような光が降っている。
 暫くして、急に吹っ切ったようにマルメットが踵を返す。そして、瓦礫のゴロゴロしている石畳の道を、スタスタと早足で歩いていく。
 フェルフェッタは黙って後を追う。
「……いてもさ、たぶん、あたしの知らない人だったと思うけどさ」
 けっこう歩いてから、ぼそっとマルメットは呟いた。
 斜め後ろあたりまで追い付いてようやく、フェルフェッタはその声を拾う。
「誰が?」
「あそこに住んでた人」
 ぶっきらぼうに答える。
「マリーの実家なんじゃないの? あそこ」
「あたしが出てって、お母さんもお父さんも死んで、そのあとに誰が住んだかなんて知らないわさ」
「一人っ子?」
「うん」
 気が付けば並んで歩く。歳は違っても、魔女の歩幅に大差はない。
 マルメットは下を睨んで鼻を啜る。
 見る限りの眼には涙はない。
「あの屋根、あたしよく登ったんだわさ」
 ぽつり、と話し出す。
「朝イチで登ると、山から陽が昇るのが見えるんだわさ。最初は空ばっか明るくて、街は全部影になってて、でも、デリー台地の方からだんだん明るくなってくるんだわさ。西の方から、だんだん」
 石畳の道を見るともなしに眺めながら話す彼女の脳裏には、語るそのままの光景が思い出されているのだろう。
「アクラル三大美観、サンパロスの街の夜明けなら、一見の価値がありそうね」
 隣を歩きながら、フェルフェッタは微笑んでみせる。
 マルメットはこくりと大きく頷いた。
「勿論だわさ。裏の丘の景色にだって負けないわさ」
「じゃあ次、来るときは、きれいに復興してると良いわね」
「うん……」
 気が付けば空はいつの間にか黄昏れて、人の顔の判別も難しくなってきている。
 夕方の通りを歩く魔女二人。日暮れ近いせいか、人々は皆、足早だ。
「空家だったとしても、知らない人が住んでても、壊されるのはイヤだわさ」
 少し黙った後に、強い語調でマルメットが云った。
 フェルフェッタは何も云わず耳を傾ける。
「あの家は、あたしが育った家だわさ。あの屋根にあたしは上ったし、あのドアはあたしがくぐった。あの窓は、あの窓からあたしは外を見た。……あの家は、あたしの家だったんだわさ」
 ぎゅっと杖を握りしめ。
「あたしの家だったんだわさ」
 叫ぶように繰り返す。通りすがる人々がちらちらと振り返って彼女らを見た。
 小さな魔女は顔を赤くして、泣かずに更に強く杖を握る。
 いつの間にか立ち止まった生徒を見、足を止め、フェルフェッタはほうっと溜息を吐いた。
「団長に進言する?」
「へ?」
 きょとんと顔をあげるマルメットに、フェルフェッタは頬を緩めて肩を竦め。
「あんたのことだから、見てるだけなんてヤでしょ、今回。前に出たいって団長に云うなら、口添えしてあげるわよ」
 こちらを見上げる目が大きくなって、唇がぎゅっと結ばれる。
 それからぷいっと前を向いて。
「そんなの、自分で云えるわさ」
 顔を更に赤くした、そのとき。


 どうん、と地響きがした。


 魔物だ!という叫びが聞こえた。
 キャナルが顔をあげると、自分達が入って来たまさに正門の方から、土煙があがっている。
 騎士団員たちと一緒に瓦礫の除去作業をしていた住人たちが、顔を青くして棒立ちになった。
「まずいのう」
 恐らくは元は壁の一部だろう一抱えもある瓦礫の固まりを、軽々と除けてヴァルガが呟く。
 この場での最年長者の呟きに、全員がそちらを注視する。
 街の人々も、そこでようやく思い当たって騎士団の面々を見た。
「あ、あんたたち、そう云えば、騎士団の人だよな」
「勿論、魔物、追い払ってくれるんだよな」
 縋るような目をする。
 ヴァルガは慣れない事態に目をしばたたかせながら、のっそり頷いた。
「それが仕事だでな」
 云って、周りの若いのを急ぎ立たせて正門の方へ向かう。


「ああいうのどうかと思います」
 速度を上げて走りながらヴァーサが不機嫌に云う。
「助けてもらうのが当たり前みたいに」
「仕方ねえなあ。正直なこった。まあ、自分らで魔物をみいんな追っ払えるんなら、おいらたちゃ失業だがなあ」
 ヴァルガが笑って、若いヴァルキリ−は憮然とした顔になった。
「正直だからこそ腹立たしいです」
「ねえ、そんで、そもそも何がまずいの?」
 横合いからアズリットが剣闘士の巨体を見上げる。
 先程の呟きのことだろう。
 ヴァルガは正門の方、今はまだ遠い土煙を見据え。
「みんなバラバラになっちまってるからのう。走ってて云うのもなんだが……なんせ、あっちの情報が何もないからのう」
 土煙はまだ正門の方で、もうもうと上がっている。
 周りからの不安げにな視線に気付いて、ヴァルガは、まあ何とかならあ、と豪快に笑った。
「ほれ、みんな急ぐぞ。ええなあ!」


 耳もとで風がびゅんびゅん鳴る。足の速さには自信がある。伊達に王都で走っているわけではない。
 地鳴りと、魔物が出た、との声。
 恐らく怒りで、頭の中が真っ白になった。考えるより先に体が動いた。
 気が付けば走り出していた。
(ここは、あたしの、あたしの、あたしの街、だわさっ。コレ以上、壊されてなるもんか!)
 周りの景色が飛ぶように過ぎて行く。
 魔物は正門だと云っていた。
 いつも走り回っていた道。どこを通れば最短距離かなんて考えなくても分かる。
 まずはメインストリートに出れば。
(待ってなさいよっ)
 街並を抜け、アブラカブラの畑に出る。鮮やかな黄色の花は見事に満開で、彼女の背丈ほどもある。区分けのための石垣の上を飛ぶ速さで駆ける。
 黄昏色の空に遠く、土煙が上がっているのが見えた。


(ったく、先に走ってちゃって)
 恐らくマルメットが走って行っただろう道をなぞりながら、フェルフェッタは溜息を吐いた。
 魔物だ、との声が聞こえた途端、若い魔女は血相を変えて走り出していた。止めるヒマなどありはしない。
(前情報も何もないくせに、無謀にも程があるわ)
 仕方ないと思いつつ、困ったものだと軽く腹を立てる。
 確か情報として得たのは、首の二つある大きな犬の姿をした魔物、というそれだけだ。恐らくは魔獣族のヘルハウンドだろうが、ヘルハウンドと云ってもレベルは一から三までに区分される。
(まあ、三想定で行けば間違いはないと思うけど)
 だからって何も考えずに現場に向かうのは早計が過ぎる。
(その辺の皺寄せ、みーんなこっちに回って来るんだから。困ったもんだわ)
 走りながら考えながら、フェルフェッタはまた深々と溜息を吐いた。


「よりによって、今かっ。今来るかっ」
 走りながら煙の上がる正門方向を睨み付け、クルガは思いっきり喚いた。
 北へと逃れ走る人々が、逆走する四人の団員を奇異の目で見ていく。
 リコルドが苦笑する。
「クルガ、それ怒ってもホントにどーしょーもないよ」
「分かっておる!」
 きっぱり云ってクルガは隣を走る幼馴染みを見る。
「行くぞイワセ。相手がなんだか知らぬが向こうから出て来てくれたなら話は早い。さっさと行って片付けるっ」
「気張り過ぎてコケるでないぞ。リコルド、拙者らは先に行く」
「はいはい。どうせ僕は足遅いよ」
 肩を竦め、リコルドはおどけて笑う。
「団長、ボケっとしておらずに、全速力!」
「う、うむ」
 やる気満々なクルガにべしっと肩を叩かれ、ナガイは目を白黒させた。イワセがさっさと走って行く相方の代わりにぺこりと頭を下げ、コラ待て馬鹿、と呼びながら後を追う。
「僕に合わせなくて良いから、行っといで」
 隣をとことこ走る若いサムライに、リコルドはへろりと笑う。
「あとガルゴスにトドメ譲ってあげると、ヴァルガが喜ぶよ」
「……留意しておく」
 ぽつ、と云ってナガイはスピードをあげて前の二人を追った。
 小柄な後ろ姿を見送って、リコルドは深々と溜息を吐く。
「こういうとき不便だな、ホント」


@4年69日 日没

 半壊していた門は、もはや完全に崩れ落ちていた。
 瓦礫の山と化した街の入り口に、魔物が黒々として立っている。二つある頭をそれぞれもたげ、自分を囲んだ面々を睥睨する。
 サンパロス自警団のラーン・サラズラムは、魔物の視線に背筋をぞわりとさせた。
 巡回中につき、いち早くこの現場に駆け付け囲んだものの、魔物と睨み合ったまま自警団の輪は一向に縮まらない。
 この場にいるのは総勢十名。黄昏の薄明かりに並ぶ面々は、大半がまだ若い。
「み、皆、ビビるなっ!」
 ラーンは声を高くした。肚の底から震えがくるほど怖いが、真っ先に逃げたくはない。
 今まで戦って追い返したことがあるのは、もっと小さな魔物や、野生の獣の類。黄昏の空に黒々と立つ魔物の丈は家ほどもある。見上げるだけに余計、大きく見える。
 これまで数度に渡り、この魔物の侵入を阻めなかった。
(こ、今度こそは、退けるものか)
 そう思いながらも手が出ない。
 不意に、睨み合いに飽きたのか魔物が動く。
 目の前にいる自警団の面々など気にも掛けない風で、ずかずかと進んで来る。
 逃げなければ文字通り蹴散らされる。
 そう思いながら、足は根が生えたように動かない。
 背後から、駆けて来る足音が聞こえたのは、そのときだった。
 増援かと振り向いたラーンの脇を、矢のように閃光が疾る。
「!?」
 唖然とした頭上を軽々と、人影が飛び越えていく。黄昏の中、その手から放たれた刃物がきらっと光った。
 怒りか痛みかその両方のためか、魔物が吼えて跳んだ。前方の人物はその爪を避けてひょいとしゃがむ。魔物は駆け付けて来た人員と自警団を飛び越えて、地響きを立てて着地する。
「あんたたちは」
 訳が分からず聞くと、後ろから騎士が。
「トロント騎士団です。この場は任せて下さい」
 はっきりした口調で云った。歳はラーンとさほど変わらない。
 そして街の方へ駆けて行く魔物を振り向き、そっち行ったぞ、と怒鳴った。
 見ると道の方から幾人か駆けて来ている。ほとんどがラーンよりも若く、まだ十代と見受けられるような顔も混じっている。騎士の言葉を聞いて身を翻し、魔物を追って走って行く。
(これが、騎士団?)
 噂は聞いたことがある。王都を拠点に、各地の魔物を退治して回っているという集団がいること。どこまでがデマか知れず、話半分に聞いていたような話だが。
(いたんだ本物。……なんかイメージと違うけど)
「どうする、ラーン」
 魔物を追って駆けて行った騎士団を見送って、自警団の一人が訊いてきた。かなり暗くなってきて表情はよく見えないが、口調は緊張しながらも昂揚している。
「任せろって云われたし、俺たちじゃ無理そうだし。……他の方に回ろう」
「他の方」
「住民の避難。教会なら大人数でも大丈夫だろ。行くぞ!」
 分かった、と返事が返って来るのを確認し、走り出す。
 何も出来なくて悔しい、というのはないワケじゃない。
 けど残っても何も出来ないのは自分でも分かる。
 何より、魔物を騎士団が引き受けてくれたことに、こっそりとほっとしていた。


 前方から地響きが近付いて来る。
 クルガは隣を走る相方と顔を見合わせ、足を緩めた。
「一番槍、貰って良いか?」
「そんな目を輝かさずとも譲るとも。良いか、団長」
 半歩離れて走りながら、ナガイはこくりと頷く。
 だんだんと速度を緩めて足を止め、クルガは道のど真ん中に立った。イワセとナガイは道の端に寄る。
 空は暗いが、左右の家並からの灯がメインストリートを照らす。明かりはそれで充分だ。
「魔物が前に来てから尻尾巻くでないぞ」
 笑いながらイワセが声を掛ける。
 拙者をなんだと思っておる!とクルガが膨れて云った。
 遠い暗がりからだんだんと、魔物の影が見えて来る。日があるうちに魔物が出たせいか、正門の近くは暗いままである。明かりが点いているのは彼らのいる辺りからだ。
 見え始めた姿と共に地響きが増す。獣の四つ足、首は二つ。
(予想通り、ヘルハウンドでビンゴか)
 手を柄にやって身を沈め、真正面で魔物を睨む。
「轢かれたらその旨、墓碑に刻むぞ」
 イワセが云って、クルガは答えずににまっと笑った。
 ナガイはちろ、と横目でイワセを見上げる。
「大丈夫なのか」
「一撃で逝ったりはせんだろう。ヤバくなる前に助太刀に入れば良い」
「……そうか」
 納得したようだ。
 近付いて来る魔物をじっと睨み付けながら、クルガはふと違和感を感じた。
 まだ暗がりにいて不明瞭だが、ヘルハウンドの毛色は、あんなだったろうか。
 それに足も少し、どころでなく、かなり速いような。
「おい、ぼうっとするな!」
 イワセが怒鳴った。
 ぎょっとしてクルガがこちらを見て、魔物を見て、またこちらを見た。
「なあイワセ」
「何だお主、よそ見するでない」
「拙者、魔物に詳しくないのだが、あれホントにヘルハウンドか?」
「は?」
 揃って魔物の方を見る。
 駆けて来る四つ足の魔物。姿形は犬に似て、その首は二つ。
 そして、毛並は。
「赤いだろ」
「赤いな」
 しばし全員で沈黙する。
 黙りこくったまま、クルガは迫りくる魔物を睨み付けている。
 首の後ろがぞわぞわする。頭と体の一番深いところから鳴り響く警鐘が聞こえる。
「逃げるぞ!」
 もはや轟く音量になった魔物の足音に負けぬようクルガは怒鳴った。
 イワセが驚いた顔をして。
「お主にしては珍しいな。その言葉」
「戯けている場合ではない!」
 おどけた台詞を遮り、クルガは二人に近付いた。
「アレは、なんだかヤバい。リコルドの所まで戻る。奴なら何か分かろう」
 イワセより先にナガイが緊張した面持ちで。
「それほどの相手か」
「拙者の勘だ」
「分かった」
 云ってイワセはちらりと魔物を振り向く。
「走るぞ。追い付かれぬようにな」
 クルガが云って駆け出す。その後にイワセとナガイが続いた。
 ごく近く感じる魔物の足音を背に、ナガイは鳥肌が立つのを感じた。
(なんだこれは)
 息苦しくなりそうな圧迫感。あれはヤバいと明言したクルガの言葉が、今頃になってじわじわと染みて来る。
 眠い目を醒まさせるような。
 この感情は恐怖に近い。


 サンパロスは斜面の街だ。扇形の街を縦にブチ抜くメインストリートは、全体的に緩やかな上り坂になっている。区画ごとの広場の、中央の花壇や何かの像で視界を塞がれるものの、大体はまっすぐに見通すことができる。
 その道を駆け上がって来る人影も、勿論丸見えということになる。
「? ……作戦ってワケじゃ、なさそうだけど」
 目を凝らして首を傾げ、リコルドは呟いた。
 走って来るのは例のサムライ三人だ。距離を考えると随分引き離されてしまったものだが、その三人が何故に戻って来るのか。しかも、どうやら全速力のようだ。
 その原因は、彼らのすぐ後ろを見て分かった。
(え)
 思わず我が目を疑った。
 図版では見たことはあるが、現実ではウワサにすら聞いたことはない。
「これは、マズいでしょ」
 思わず声に出す。
 魔物に関しては久し振りに血の気が引いた。
 今のようにバラバラになっていて勝てる相手ではない。人を揃え作戦をきちんと立て、それでも分からない。未知数すぎる。
 駆け戻って来る三人のうち、誰かは知れないが、その判断は正しいと云えるだろう。
(とりあえずは一旦、皆で集まって)
 思いかけたとき、前方の路地から小さな姿が飛び出した。
 勢い余って反対側の壁に足をつき、それをバネにまた前へ跳ぶ。
「マルメット!」
 若い魔女はリコルドの呼び掛けに振り向きもせず、石畳のメインストリートを突っ走って行く。
 どうやら聞こえていないようだ。
(あーもー実家襲われて頭パンパンなの分かるけどさっ)
 今のこの事態でなければ別に構わないかも知れないが今回ばかりは相手が相手だ。
 無意味と分かりつつ速度をあげる。
 全力で突っ走っている新進気鋭の魔女に足の速さで敵うわけもないが、気休めでも距離を縮めたい。前方から走って来るサムライ三人の誰かが止めてくれることを祈るしかない。


 初めに気付いたのはクルガで、げ、と呟き思わず顔を引きつらせた。
 顔をあげたナガイはまっしぐらにこちらへ向かっている魔女の姿を視界に捉える。
「戻れ、マルメット!」
 思わず声を絞って叫ぶ。
 イワセとクルガがぎょっとした様子で揃ってこちらを見た。
 しかし当のマルメットには聞こえていないようで、速度を緩めることなく走って来る。口元が動いているのを見ると、どうやら既に呪文の詠唱に入っているらしい。
(体張って止めるしか)
「ここは拙者に任せろ」
 クルガが云って片目を瞑る。
 ナガイを挟んでイワセが片眉をあげる。
「お主がか」
「突っ込んで来るのをどうにかするなら、体重がある方がよかろう? いくら魔女っ子相手でも、あの速さでは吹き飛ばされるぞ、団長」
 考えを見透かされたようで、ナガイは目をぱちくりさせた。クルガはにまっと笑う。
「右に投げる。団長は受け止めてくれ。イワセはリコと組んで、少しで良い、後ろのヤツの足止め頼む」
 云われて見ると確かに、マルメットの後ろから走って来る弓使いがいた。
「しくじるなよ」
「そっちこそ逃げ遅れるな」
 軽く言葉を交し、左右にばらける。


 魔女とすれ違い、イワセは後ろの弓使いと合流する。
 イワセが駆けて来るのを見てリコルドは走りながら矢筒から矢を引っこ抜いていた。
「早々にピンチ」
 やや顔を火照らせながら笑う。かなり頑張って走って来たらしい。
 魔物の方を見ると、クルガとマルメットがまさにぶつかろうとしている。
 弦を鳴らして矢はまっすぐに、狙い違わず首の間に刺さる。
 イワセは石畳を蹴って跳び、魔物の頭上から斬りつけた。
 突然の攻撃に、魔物は街中に轟く声で咆哮した。


 脇目も振らず突入してくる若い魔女を受けるべく、クルガが走りながら身を沈める。
「ったく世話焼かせおって」
 刀を左手に、右腕を体の前に持って来る。正面から僅かに左にずれ、そこから先はまっすぐ。走って来る魔女は避けようと速度を緩めた。
 そこを、右腕をクッションにしながら体ごと吹き飛ばす。反動を利用して自らは左に跳んだ。
 背中で魔物が、声も涸れよと吼えている。


 右手の壁にぴたりと寄り、ナガイはくるりと振り向いた。
 壁際で人を受け止めるなど初めてのことだが、そんなことを云っている場合ではない。
 地面すれすれの姿勢でクルガが走っている。その後ろ、家半軒ほどの間を開けて魔物が追い縋る。前方からは黒い鳥のようにマルメットが突っ込んで来ている。イワセとリコルドは、ちょうど合流したところのようだ。
 息を吐き、刀を腰に差して両腕をあける。
 どん、と重い音がして、サムライと魔女がぶつかる。こちらに弾かれた魔女はくるくると回りながら、かなりの速さでこちらへ飛んで来る。
 片足を壁に押し付けて踏ん張りながら、ナガイはそれを受け止めた。
 そして彼女の飛んで来た勢いでそのまま、背後の壁に叩き付けられる。
 一瞬、息が止まった。
 僅かの間だが、気絶などしたかも知れない。
 マルメットをしっかり抱え込んだその場で、壁に背を預けてずるずると座り込む。吹き飛ばされて目を回したのか、魔女はくてりとして動かない。気が付いたときにまた走って行かれても面倒なので抱えたまま、ナガイは顔をあげた。
 魔物は駆け去ったのか、少なくとも目の前にはいない。地響きも遠ざかっている。道のちょうど反対側の壁で、起き上がったクルガがくらくらと頭を振っている。どうやら無事のようだ。
 ほっとして援護組に目をやる。
 いない。
「え」
 良く見ると、リコルドが石畳に丸太のように転がっている。そして家二軒ほど向こうにイワセの姿がある。
 背中から寒気が這い上がってきた。
 嫌な既視感。
 動けずにいる視界の中を、クルガが血相を変えて相方の方へ走って行った。名を呼ぶ怒鳴り声と、それに答える小さな声が聞こえる。
(生きてる)
 潮が引くように金縛りが解けた。


 傍らをクルガがばたばた走って行った。
 振動に眉をしかめながら、リコルドは首を捻って視線で追う。
(ったく、べったりなんだから)
 内心で苦笑する。
 それから大の字になったまま、駆け寄るナガイに気付いて視線を寄越す。こちらも血相が変わっている。
 安心させようと、どうにかして笑顔を作る。
「僕は、だいじょぶ、だからね」
「そう見えぬ」
 きっぱりと云われた。
 惰性で緩く笑顔のままで、硬い表情のナガイを見上げる。
 一応、自分の状態は把握しているつもりだ。
(爪でやられたかな)
 視線を動かして見る限り裂傷は二筋。右の、肩から腕に掛けて、えらい威勢良くばっくり口を開けている。
 感触からするに、鎖骨のあたりが折れてる気がする。
(折れたの、腕じゃなくて良かった)
 ナガイがマルメットを寝かせて、傍らに膝をつく。
 視線が安定していない。やや動転しているようだ。
 まずは落ち着かせなければ。
「ナガイ」
 名を呼ぶとぎょっとして、不安げな視線を向けて来る。
 息を吐いて、その視線を受け止める。
「だいじょぶ」
 こちらが落ち着いた様子でいれば、相手も無闇にパニックには陥らない。
 痛みを意識の下に捩じ伏せて、ゆるりと笑う。
「落ち着いて、やれば、だいじょぶ」
 ナガイはしばしこちらを見て、そのあとで黙って頷いた。
 既に、落ち着いて来ている。
 自分を取り戻すのが早い。
 良いことだ、と思う。
 

「何をされた、あの馬鹿でかいヤツに」
 昂った声でクルガが訊く。
 口を動かしながらも、手は器用に処置をしている。ただし手付きの方は少々乱暴だ。
(もっと丁寧にやらぬか)
 イワセとしてはそう云いたいが、それどころでなさそうなので我慢する。
 正確には、我慢するだけで手一杯だ。
 引っ掛けられたのは右の腿で、クルガがきりきりと布を巻いているのはそっちだ。自分で見てはいないが、牙か爪で抉られたのだろう。それからあちこち打ち身があるようだ。
 相方は、今は他に目が行ってない様子だ。不機嫌そうに、眉間に思いきり皺を寄せた顔でいる。
 そして不安の裏返しか、掛ける言葉は止まらない。
「まさか踏んずけられたか」
 とりあえず処置が終わってクルガが手を止めたので、イワセはようやくほっと息を吐いた。
「撥ねられたのだ。馬鹿」
「撥ねられてこの有り様か」
「速さを、見誤った。あの魔物、攻撃のあと加速しおった」
 クルガはまじまじとイワセを見た。
「先程は、本気でなかったと云うことか」
「そうなる」
 あのとき、こちらの方はかなり本気だった。
 それであの速さが全力でなかったなら。
「本気でやられたら、追いつけぬな。逃げ切れもせぬ」
 真剣な顔でクルガが呟く。
「どうにかして、足止めをするしかあるまい」
 転がって空を見て、イワセは云った。
「どうにかして? どうするのだ」
「それは、考えねばならぬな」
 眉を更に寄せるクルガを見て、ひっくり返ったままにやっと笑う。
「考えるのは、他に任せても、良いのだぞ」
「拙者をアホ扱いしおって」
「むくれるな」
 クルガはぶうっと頬を膨らせてちょっと睨み、それから目を伏せて。
「それにしても」


「あれは、何なのだ」
 応急の処置を終わって、ナガイは訊いた。
 混乱していた頭は、きちんと冷えてきている。
 リコルドは空を眺めるのをやめ、視線だけをすいと向けた。
 マルメットはまだ目が覚めない。
 走っていたときの記憶が蘇る。
 ヘルハウンドに似た、けれど赤い毛をした魔物。鳥肌が立つほどの圧迫感は、思い過ごしではない筈だ。
「図版でしか、見たことない。たぶん、分かるのは、フェルくらいかな」
 ぽつりと、リコルドが口を開く。
「突然変異、とかではないのだな」
 ナガイが訊くと、リコルドは小さく頷いた。
「僕の記憶違いじゃなければ、レベルは、四から六。魔獣族の、ケルベロスだ」


@4年69日 夜

「魔物は取り逃がして、正門と街の北の方をぶち壊して、今はどこかの空の下。こっちの負傷者は一方的に二名」
「ごめん」
「謝ってもどうしょうもないし、あんたのせいでもないからやめて」
 長椅子に座ったリコルドの帽子を引っ張って下げながら、フェルフェッタは溜息混じりに云った。
 足を動かせないのが一名、腕を動かせないのが一名。二人とも軽い貧血を起こしているようだし、これから熱も出るだろう。
 それでも幸運だ。一歩間違えれば、二人とも死んでいた。
 二人とも、黙っていれば無理をしかねないが、そんなことを許すほど、フェルフェッタは寛容でも馬鹿でもないつもりである。
 ただその無理を許容しなければならなくなるやも知れないのが、現状だ。
 フェルフェッタは難しい顔を隠さずにいることにした。
「役場の方がうるさく云ってきたけどね。とりあえず死者ゼロってことだけでも幸運だわ」
「僕もそう思う」
 下げられた帽子を引っ張りあげ、明かりとして立てられた燭台の炎に目を細めながら、リコルドはゆるゆると笑う。腕を吊られてはいないが、肩は添え木を当てて固定してある。
 服の半分が乾いた血でごわごわになっているのを、気持ち悪い、と云うくらいだからまだ余裕はあるだろうが、楽観は出来ない。
(ポーカーフェイスだからこの馬鹿は)
 この庁舎広場に面した空家は、ケルベロスが去ったあと、役場から許可をとって使わせて貰っている。教会は避難所として使われていて騎士団の作戦会議にはそぐわないし、庁舎は騎士団を中に入れるのを嫌がった。
 それゆえの、この場所である。
 この家も会議が終わったら明け渡し、怪我人共々教会に行くように役場から指示されている。
 狭い一室の長椅子に、包帯だらけのリコルドが座っている。
 もう一つの長椅子にクルガが座り、イワセがそれに寄っ掛かるように寝ている。こちらはこちらで右足をぐるぐる巻きにされている。詳しく診てはいないが、出来れば歩かせたくない。
(こっちもやせ我慢して何かやらかしそうだし……痛み止め服まさない方が良いかしら)
 あとのメンバーは各自思い思いの場所にいる。一部擦り傷やらはしているが、大きな怪我はない。
 マルメットがその輪から少し離れた部屋の隅で膝を抱えている。
「さて、問題はこれからどうするかよ」
 持った杖で肩をとんと叩き、フェルフェッタはナガイを見た。
 ナガイはじっとその目を見て返す。
 それぞれボソボソと話していた団員たちが顔をあげて、見合った二人を注視する。
「あたしは直に見てないけど、今回の相手は推定レベル四から六の魔獣族ケルベロス。騎士団で交戦の記録はナシ。世界の記録でも、最後の目撃情報からは軽く百年単位で経ってるわ。レベルが四から上の魔物は大方そうね」
 一度静かになった部屋がざわつく。
 誰が口をきいているわけでもない。ざわついているのは雰囲気だ。
 フェルフェッタは言を続ける。
「しぶとさは緑のドラゴン並、足はこの中じゃ誰も追いつけないわね。勿論回復もあり。黴の生えた文献の説明書きだから、どこまでがデマで誇張か分かんないけど、いつものヤツだって思って掛かると痛い目をみるわ」
 速攻でケリが付けられるかどうか、それすらも不明だ。
 というか現在の顔ぶれは、あからさまに持久戦には向いていないのだが。
 暖炉前に座ったナガイが硬い顔で見る。
「目の前にいて、放置するわけにもいかぬ」
「その心意気には乾杯だわ」
 そして少し言葉を切り、それから肩を竦めた。
「まあ、騎士団がここに来てるって話はもう広まってるみたいだし、ただじゃ街から出して貰えないでしょうね。……まあ、個人的な意見を云わせて貰えるなら、こんだけされて指くわえて見てるだけってのも、尻尾巻いて逃げるのもイヤね」
 同意見だ、とクルガが眉間に皺を寄せて云う。
 彼の場合は微妙に私怨が入っているかも知れないが。
「そんでよお、誰が出るんだあ? 相手が相手だで、おいらは、なるべく年長のモンで組んだ方がええと思うが」
 兜をかぶったままのヴァルガが云う。
「そうね、ヘルハウンドならともかく、ケルベロスじゃ若い子には荷が勝ち過ぎるもの」
「僕も賛成」
 賛同の声が続く中、ガルゴスが不満を込めてヴァルガを見上げた。
「じゃあオレは出れねェのかよォ」
「そういうことだあ」
「では、年功序列で上から順に、ということになるのか」
 クルガが云った。
 ナガイは、ベンチの方の怪我人二人を見て。
「お主らは今回は出られぬぞ」
「出たいのは、山々なんだけどな、気持ちだけ」
「あんたは余計なこと考えてないで寝てなさい」
 こっそり笑ったリコルドに、ぴしゃりとフェルフェッタが云う。アズリットが、そうですよ先輩、と睨み、ヴァーサが黙って怖い顔を向けた。


 隣で興味津々で話を聞いているエクレスの裾を、ポールランはそっと引いた。
「出るつもり?」
 囁いて訊くとエクレスは顎を引き首を傾げ、そりゃ勿論よ、と笑う。
 ポールランは眉を寄せて逡巡し、それから囁き声のまま。
「でも、エクレスにとっては、ここでは戦うの初めてだし。いきなり危険なのは」
 ニンジャはにまりと笑う。
「あたしをそこらの箱入りお嬢と一緒にしないでよ。そこらの子よか経験は積んでるつもりなんだけどな。勝手に新人扱いして抜かされるのは心外」
 小声で返され、ポールランはしょんぼりして俯く。
「でも気を遣ってくれて嬉しいわ」
 するりと腕を回される。
 若い騎士は慌ててそれを外して一歩ひき、やめて下さい、と突っぱねる。
 退けられたニンジャは笑みを浮かべたまま、今回は大人しく手を引っ込めた。


「拙者とフェルとヴァルガは出るので良いな」
 クルガが一人二人と指を折りながら云う。
「年ならあたしも決まりよね」
 にっこり笑って、エクレスがひらひらと手を振った。
 フェルフェッタがそれを見て怪訝な顔をした。
「あなたじゃ経験が浅くないかしら」
「これでも傭兵歴は短くないんだけど」
「騎士団じゃあなたは新人よ」
「しかし、戦力の面で云うなら出さぬわけにもいくまい」
 クルガが首だけ巡らせて云う。体を動かさないのは、イワセに寄り掛かられている所為だ。
 戦力ならオレだってよう、とガルゴスがぼそつき、ヴァルガにたしなめられている。
「年の順なら次は自分です」
 ヘルンが背を正して云う。
「それからポールランですね」
 視線を向けられ、若い騎士はこくりと頷いた。
「ここまでで六人だな」
 指折り数えてナガイが云う。
 クルガが、むう、と唸る。
「これだと次は、アズリットかマルメットか、ガルゴスか団長になるな」
「あ、同い年でしたっけ」
「そうね」
「なら、あたしが」
 弾かれたような声に、フェルフェッタは振り向く。
 燭台の明かりの輪ギリギリに立ったマルメットが、じっとこちらを見ている。
 年嵩の魔女は息を吐いた。
「あなたは今回、やめときなさい」
「でも」
「自分で分かってるでしょ」
 云われて泣きそうな顔になり、マルメットはまたその場に蹲った。
 しばし気まずい沈黙。
 恐る恐る、といった調子でガルゴスが手を挙げる。
「なァ、なら、オレじゃいけねェか?」
「馬鹿野郎、お前じゃ足手纏いになるだけだあ」
 速攻でヴァルガが却下する。
 若い剣闘士が抗議の視線を向けるのを、ヴァルガは首を横に振って撥ね除ける。
 それを横目に、フェルフェッタは溜息を吐いてナガイの方を見る。
「団長は今回、控えに回ってて欲しいんだけど」
 ナガイは少し渋い顔をして、ややあってから頷いた。
「分かった」
「じゃあ、あたし?」
 アズリットが手をひらひらさせて小首を傾げる。
「そうなるわ。お願いできる?」
「……頑張ってみるわ」
 頷きながら、ちら、と視線を包帯ぐるぐる巻きの弓使いに向けた。
 本当は側にいたいが、仕方ない。
「では、拙者らはいつものように避難所の警護にあたれば良かろうか」
 ナガイが云って、一同を見渡す。
 フェルフェッタが、そうね、と指を立てる。
「騎士団の担当は東の教会らしいわ。西は自警団が守るそうだから」
「分かった」
 こくりと頷く。
「では作戦を練ろう。フェルフェッタ、リードを頼む」
 フェルフェッタは不敵に笑んだ。
「任して頂戴な。ええもう、戦うからには勝つわよ。良いわね野郎ども」


 作戦は想定される魔物の強さと裏腹に、やけにあっさり決定した。
「難しく考えても手が回り切らないわ。臨機応変にいきましょ」
 フェルフェッタはそう云った。
 今夜のうちに魔物が現れるかも知れない、しかも相手の情報の乏しい状況で、他に手がない。
 こんなときは経験がモノを云う。というか云わせるしかない。
 フェルフェッタが覚えている限りの知識をぶちまけて、団員たちが各々、それをもとに作戦を練って話し合う。
 基本の作戦は、追い込みだ。
 三手に分かれて、二手が別の道に逸れぬようメインストリートへ追い込む。
 そして一手がその中腹、即ち庁舎のあたりに待ち伏せて叩く。
 まっすぐ走る大通りと、そのど真ん中に据えられた大きな庁舎。体の大きなケルベロスにとって、この形はいわば人工の追い込み罠だ。
 越えるにしては建物が高いし、迂回するなら速度は落ちる。
 速度が落ちれば、そこをついて動きを止め、攻撃を加えることができる。
「まあ、止めんのは、おいらに任せろや」
 ヴァルガがどんと胸を叩く。
 フェルフェッタは頷いた。
「お願いするわ」
 住民の避難の方はメインストリートを中心に行われていて、この作戦の形とも合致する。こちらの体力の問題もあり、極力、他の方には逃がさないようにしなければならない。何しろ相手は足が速い。
「では広場は三で、あとは二人ずつになれば良かろうか」
 クルガが云ってフェルフェッタを見る。
「拙者とフェルでなら追い込み役の合流まで持たせられると思うゆえ」
「それが妥当ね。と云うことで、アズ、ポール、ヘルン、エクレス。あんたたちは二人ずつで組んで追い込み役ね」
 四人で顔を見合わせる。
 何も云わなくてもどういう組み合わせになるかが分かる。
「交代はどうしますか」
 ヘルンが挙手して訊いた。
「眠くなると思います。今日、着いたばかりですし」
「そうね、今夜は交代で仮眠して頂戴な。今夜来なかったら朝から寝て、明日以降は全員昼夜逆転ね」
 了解しました、と騎士は真面目な顔で云う。
「他に質問ないなら、このままいくわ。良いわね?」
 見渡した魔女の視線に、全員が黙って頷いた。


 会議を終えて空家を離れ、一度まとめて教会に移動した。
 東の教会は、周りの街並から階段で上がった高台にある。
 高台の周囲は、人が落ちないようにとの用心だろうか、低木が植わっていた。地面は正面口の周囲と建物のぐるり以外、きちんと手入れされた芝生で覆われている。
 東西は左右対称らしい。階段を上がり切ったところでナガイが振り向くと、確かに火を灯した高台の建物が目に入った。二つの教会は向かい合って建っているらしい。
 視線を前方に戻し、高い屋根を見上げる。
 建物自体は随分と古いが、重厚で堅牢な造りだ。大きさもかなりのもので、立派さなら王都のものにも勝るだろう。
 新しい周りの街並とは一線を画した雰囲気である。
 その違いに少し妙な気分でいると、リコルドがあまり大きくない声で言葉少なに説明した。
「古い巡礼地だったの、ここ。観光地になる、ずっと前はね」
 とりあえず納得する。
 石畳の上を行き、観音開きの扉を押し開けた途端、多数の視線を向けられナガイは思わず足を止める。
 広い礼拝堂に、ぽつりぽつりと火が灯っている。全体的には薄暗い。それでも多くの人がそこにいて、こちらを見ているのは分かる。避難してきているサンパロスの住人たちだ。
 ナガイは、注目されるのは未だに得意ではない。好意的でない視線なら尚更、居心地は悪い。
 何処へ行っても住人にとって騎士団は他所者である。
 特に遠征中に立ち寄る平和な村や町での視線は冷ややかだ。
 勇者扱いされるのは魔物を倒すそのときだけ。そのこともだんだん分かって来たつもりだった。
 魔物の襲撃を受けている街でのこんな視線は初めてだが。
(逃したからか)
 街にいながらにして騎士団は魔物を取り逃がした。大きな打撃も与えることが出来ず、むしろ被害はこちらの方が大きかった。今回のことで、街の方にも少なからず被害は出ているだろう。
 この視線は、恐らく、そのことを責めている。
 弁解は、しても仕方がない、と思う。
 下手をすれば不信感を煽ってしまうことになる。
 ナガイは顔を上げ、まとわりつく視線を振り払うように歩き出した。
 左右には木製のベンチが整然と並ぶ。
 正面には司祭の立つための祭壇と、精霊を象ったステンドグラス。そしてよく見えないほど高い天井と、それを支える壁に埋まった太い柱。
 二階の高さにはぐるりと壁沿いに回廊がめぐらされている。窓は少なく縦長で、扉の真上の二階部分に唯一、大人が軽々とくぐれそうなものがある。
 そして祭壇の辺りに少々物々しい一団がいて、騎士団に気付いてやって来た。
「トロント騎士団の方ですね」
 先頭の若い男がこちらを見渡して云った。勝気な表情で、年は二十を過ぎた頃だろうか。彼を含めて全員が剣を提げ、騎士の制服に似た服装をしている。
 ナガイは予想がついて、若い男を見上げる。
「サンパロスの、自警団の……?」
「はい。ラーン・サラズラムと云います。騎士団の代表の方は、どちらですか?」
 やや顔を強張らせ、ナガイは一歩前に出る。
「団長の、ナガイ・コーレンと申す」
 はっきり名乗った若いサムライに、自警団の面々が少しざわつく。ラーンと名乗った若者も目を驚いたようにぱちぱちさせている。
「あ、随分若い、ですね」
「……よく、云われます」
 やや憮然と返すと、自警団の青年は、すみません、と恐縮そうに肩を竦めた。
 そして拙く敬礼をする。
「じゃあ、俺たちは西の方なので、こっちは宜しくお願いします」
「責任を持ってお守り致す」
 答えると、ラーンは少し頬を紅潮させて騎士団の面々を見る。
 そして小声で。
「俺たち、さっき騎士団には助けられたんで。……頑張って下さい」
 云って、ぺこりと頭を下げる。小声なのはこちらを窺う住人たちの目を気にしてのことだろうか。後ろの面々もそれぞれに礼をして、それからわらわらと扉の方へ向かった。
 それを見送って、ヴァルガが、おう、と膝を叩いた。
「もしかして、さっき正門におったモンかのう」
「助けたっけ?」
 アズリットが首を捻る。
「こちらが魔物を引き受けたことでしょうか」
 同じく疑問符を浮かべたヘルン。
「ま、ちょっとでも好意的なのがいてくれるのは嬉しいことよ」
 フェルフェッタが、はい、おしゃべりはここまで、と手を叩く。
「じゃあ行って来るわ団長。それと、そこのくたばり損ないどもは大人しくしてること」
 リコルドとイワセが、背負われたまま苦笑する。
 ナガイはフェルフェッタを始めとする、前線に行く面々を見た。
「そちらも、気を付けて」
 魔女はにっこり笑う。
「こっちは任せたわ」


 空は曇天。
 月も見えず、星もない。
 灰色の雲に埋め尽くされた空の下、街の灯だけが唯一の明かり。
 眠気を堪えながら魔物を待つ夜。足音が、咆哮が、いつ聞こえることかと耳を澄ます夜。
 情報がない。コンディションは最悪。
 分が悪い。
 今夜は特に。


 そして。
 誰かの願いが届いたものか、この夜、魔物の二度目の襲撃はなかった。


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