@3@

 ガンガンとやかましい音が、本部の方から聞こえて来る。
 良い匂いもしてくる。
「お、ちょうど昼飯時のようだな」
「うおォ、どうりでハラ減ってるわけだァ」
 クルガとガルゴスが顔を見合わせてにやりと笑んだ。
 そして二人揃って腹の虫を鳴らす。
 足を止めて振り向くと、ナガイとポールランとエクレスは遥か道の向こうである。
「遅いなァ」
「うむ、随分と引き離してしまったな」
「オレらが走ったからだけどなァ。クルガ先輩、速ェんだもんなァ」
「恐れ入ったか」
 ふふん、とクルガは胸を張る。
 走り出した当初の原因は、走っているうちにコロっと忘れてしまったようだ。
「何にせよ丁度良い。新人を一気にお披露目できる」
「みんな驚くだろうなァ」
「それだけは間違いあるまい。同姓同名ならまだしも、あそこまで見目が似ておるとな。どうだお主、初恋の彼女に似ておると云うのは」
「初恋つってもなァ。あれからすぐポール先輩がコクって、そんで諦めちまったからなァ。……そりゃあ死んじまったときは悲しかったけどよ」
「拙者はそれほど親しかったわけではなかったが、死んだと思った者がまた目の前に現れるというのは」
「クルガ先輩、あのエクレスとこのエクレスは別人だぞォ」
「分かっておる。言葉のあやだ。……死人は帰らぬ」
 真顔でそう呟く。
 ガルゴスは思わず、きょとんとした顔を晒した。
「……なんだか今、先輩、すげェ真面目なこと云ったような気がするぞォ」
「拙者はいつでも真面目だ」
 彼には珍しい真顔は一瞬で解けて、拗ねた子供のような表情へとすり変わる。そしてすたすたと本部正面口の方へと歩いて行った。
 ガルゴスはただ目をぱちくりさせた。
「なんだァ、あんな怖ェ顔、できンじゃねェか」


 昼飯どきを告げる鍋の音を聞いたのは本部の裏手の丘の上である。
「あの音は何でしょう」
 音を聞くなりぎょっとして立ちすくみ、ヴァーサはリコルドを不安げに見上げた。音の出所を確かめるように心持ち首を傾げている。
 リコルドはへろへろ笑って同じ方に首を傾けて。
「お昼ご飯。みんなあっちこっちにいるから、あれで呼んで集めるんだ」
「そうなんですか。……火事でもあったのじゃないかって思っちゃいました」
 真顔でほっとするヴァーサに、リコルドはくすくすと笑う。
「火事か。うん、確かに。火事は困る」
「笑いごとじゃないですよ」
「ん、分かってる分かってる」
 そう云いながら笑顔で丘を下って行く。
 ヴァーサはふるふる頭を振った。
(読めない人だわ)
 初めに会ったときの昂揚や動悸は何処へやら、先輩ながらどこか頼りないような、おちゃらけた印象が拭えない。
 案内を続けて貰ううちに、どんどん不真面目な印象だけが際立っていく。
 それが素のものなのか、それとも雰囲気を和ませるためにやっている態度なのか、ヴァーサにはよく分からない、
 ただどことなく胡散臭いモノを感じた。
 説明は出来ない。勘である。森の中で培ってきた、それはほとんど直感に近い。
(でも……折角、教えてくれるって云うんだもの、ね)
 最初の高ぶった気持ちも、気に掛かる。
 好きとも嫌いとも云えない半端な気分に、ヴァーサはこっそりと溜息をついた。


「あたしは云ったわよね、洗い物は昨日の夜までにここのカゴに全部入れといてねって。そこの掲示板にも貼ったわよね。まさか見なかったとは云わせないわよ」
「見たことは見たのだが……忘れておった。というか帰ってから入れようと思って」
「思いっきり酔いつぶれて本部で寝こけてたのはどこの馬鹿サムライよ。もう自分で洗ってよね。服関係はもう済ませちゃったんだから」
「どうしても駄目か」
「駄目ね」
「ううむ」
「さっさと自分でやれば繕い物だけは勘弁してあげるわ」
「あい分かった」
 そこで意見が落ち着いたらしく、クルガとフェルフェッタが静かになる。
 大きさだけは立派なテーブルの上には、ほかほかと雑炊の鍋が湯気を立てていた。
 固唾を飲んでテーブルの端でじっとしていたヘルンとガルゴスが、ようやくほおっと息を吐く。少し離れて座ったアズリットは頬杖を突いてただただ呆れた顔をしている。
 フェルフェッタの嵐のような小言をやりすごし、クルガはふいと振り向いた。
「おお、お主らおったのか。いつの間に」
「割と初めから。また洗い物出すの忘れたの?」
 裏口のドアに半ば寄り掛かって立ちながら、リコルドはクルガを見下ろしくすくす笑う。
 クルガは決まり悪げに頭を掻いて。
「うむ。出そうとは思っておったのだが」
「出さなかったら忘れてるのと同じよ」
 フェルフェッタがきつい語調でクルガを睨む。
「ちゃんと悪かったって思ってる?」
「思ってるとも。拙者の目を見ろ」
「あんたの目は澄んでても信用できないわ。リコ、あなたも出してないでしょ」
「あはは、僕は完璧に忘れてた」
「午後中に洗って干しなさいよ。折角晴れてるんだから」
「今からで乾くかなあ」
「乾かなくてもあたしは責任取らないわよ。ちゃんと云うべきことは云ったんだから」
「ん、ごめん」
「ったく、年上の自覚とかちゃんと持ってよね。最年長者が揃いも揃って……後輩に示しがつかないでしょうが」
「え、出してないのって、僕らだけ?」
「あんたたちだけよ」
「……参ったねえ」
「拙者を見るな。拙者を」
「あんたたちどっちもどっちよ。仲良く洗濯してなさい。馬鹿コンビ」
 ああ、ひどい、と云いながらリコルドが笑う。クルガは不満げにぶうとふくれた。
 自業自得、と云い放って、フェルフェッタはリコルドの影にいたヴァーサににこりと笑いかけた。
 ヴァーサはぎこちなく、引きつった笑みを返す。
「ごめんね、いきなり立て込んでて。リコちゃんと紹介しなさいよ」
「あ、ごめん。忘れてた」
 ひでェ、とガルゴスがぼそりと呟く。
 リコルドは笑顔でひょい、と若いヴァルキリ−を前に押し出した。全員がよく見ようとそちらを向く中、アズリットだけがぷいと壁を睨んでいる。
「新人のヴァーサちゃん。エルフィン・バレイから来たんだよね? あそうだ、クルガ、よくも押し付けてくれたね」
「おお、そうだった。コロっと忘れておった」
 クルガ先輩まで、とヘルンが呟く。
「仕方なかろう、あのときは……あのときだったのだ」
「よく分かんないわよ。説明なさい」
「そうだよクルガ。あんなけ大騒ぎした理由は何?」
「そうそう。スクーレの塔でも折れたか、グランタロスでも干上がったんじゃないかってくらいの騒ぎだったわ」
 魔女二人とアーチャー一人に詰め寄られ、クルガはたじたじとなった。
「いや、もうすぐ来ると思うのだが」
 ぼそぼそと云って、困った顔でちらっとガルゴスを見る。
「説明なら年上がしろよォ」
 ガルゴスはそう云って鼻を鳴らした。
「あ、でもウワサをすれば影」
 足音でも聞こえたのか、リコルドが戸口の方を見て悪戯っぽく笑む。
 全員が思わずそちらを見たちょうどそのときに、ナガイが部屋に入って来た。
 六名の凝視に晒されて、ナガイは居心地悪げにその場に立ち尽くす。
「……どうかしたのか」
 そして、訊いたその後ろから現れた姿に、部屋の空気が凍り付く。
 ナガイの背より頭半分ほど高い位置から覗いた顔が、不満そうにしかめられた。
「何、また?」


 全員は揃っていなかったが、ご飯が冷める前に食事にすることにした。
 その場の雰囲気といったら今までにないほどの凍りっぷりで、居心地悪いことこの上なかった。
 それぞれのお椀に各自で雑炊をよそい、ほとんど下だけを見て黙々と掻き込む。時折ちらり、と視線が走る先には、明らかに不機嫌な様子のニンジャがいる。自分は酒場で食べたから、と、お椀を受け取るのは拒否して、一番端の席で一人、腕組みをしている。成り行きで隣の席に座る羽目になったポールランは、見ていて可哀想なくらいに固まっている。
「あの、いつもこんななんですか?」
 沈黙に堪えられなくなったのか、ヴァーサが隣のリコルドに囁きかける。周りに気を遣って声を落としてはいるものの、室内が静かすぎてその努力も無駄に近い。アズリットが眉をぴんと上げる。
「……いや、いつもこうじゃないんだけどね」
 リコルドはテーブルの木目を凝視しながらぼそぼそと答えた。彼には珍しく、あからさまに狼狽している。
 がたん、と音を立てて唐突に、フェルフェッタが立ち上がる。
 ぎょっとした全員を尻目に、鍋の隣に重ねてあった器を一つ取って雑炊をよそい始める。そして大盛りに盛ったそれと大振りの匙を盆に乗せて席を立った。
「何処行くの」
 ようやく半分食べ終わったアズリットが思わず訊く。
「ヴァルガに持ってってあげるの忘れてたわ。行って来る」
「あ、あ、ならオレも行くよォ」
 ガルゴスががたごと引っ掛かりながら席を立ってそちらに向かう。
(逃げたな)
 誰もが声を出さずにそう思った。
 二人が去った後でまた更に気まずい沈黙が降りて来る。もうほとんど食事どころではない。
 そこで初めて、席に着いてからこっち身じろぎ一つしなかったエクレスが、ふい、と立ち上がった。ニンジャらしく足音のあまりしない歩き方で窓際へと歩いて行く。
 沈黙の中、視線だけがちらちらと飛び交った。
「あのさあ」
 しばらく窓から外を眺めていたエクレスが不意に口を開く。視線は外の方を眺めたままで。
 打ち合わせもしないのに全員の視線がポールランに集中した。ポールランは助けを求めるように正面に座ったナガイを見た。ナガイは口だけ動かして、頼む、と返した。
「……ええと、何かな」
 ぎこちなく席を立ち、ポールランはとことことエクレスの方へと向かう。
「うん、あのさ、そこの丘もここの騎士団のなのかい?」
「あ、違う。丘はホントはね、うちのじゃないんだ。本部の敷地は、そこの垣根まで」
「……じゃあけっこう狭いんだね。世界の魔物を倒し歩いてる騎士団っていうからさ、もっとゴーセイなトコだと思ってた」
「そ、そうだね。でも本部には、あんましいないからさ。ずっと遠征に出てるわけだし」
「そうか。……そうだよね」
「うん、そうなんだ」
 しばし会話が途切れる。
「あ、案内しようか、本部」
 沈黙を覆そうと、慌ててポールランは声を高くした。心の中で一同は声援だけを送る。
(先輩たち、ひどい)
 こっそりこちらを振り向いたポールランの表情が如実にそう語る。
 クルガとリコルドは思わず目をそらした。
「そうかい? じゃあ、お願いしようかな」
 エクレスは口の端を持ち上げるようにして笑い、ポールランの前に歩み寄る。身長差は頭一つ分以上ある。ポールランは肚を決めて頷き、じゃあついて来て、とガシャガシャ鎧を鳴らしながら食堂を出て行く。
 彼について行ったエクレスの長い金髪が戸口の向こうに消えてようやく、一同は大きく溜息を吐いた。
「心臓が止まるかと思った」
 掌で目を覆って、リコルドが呟く。クルガが半ば突っ伏しながら頷いた。
「拙者も驚いた。生き写しだ」
「だからポールを探してたの?」
「ぱっと浮かんだのが奴の顔だった」
 アズリットが両手で、雑炊の半分残ったお椀を包んでクルガを見遣る。
「でも、だからって押し付けちゃって良かったの?」
「その件についてはここの全員、突っ込む権利ないよ」
 リコルドが疲れた表情で苦笑した。
 本日何度目かの沈黙がおりる。
「あの、事情がよく見えないんですけど」
 こちらは雑炊を全部平らげたヴァーサが、困った顔をして訊ねる。
「……あ、ヴァーサは知らないんだよね、エクレスのことは」
「前にいらっしゃった方なんですか?」
「うん……」
 リコルドは半端に笑みながら頷く。
「別人、だとは思うが、ああまでそっくりだとな」
 クルガが低く呟いた。
「心の準備が欲しかったですよ」
 ヘルンが泣きそうな顔をする。
「だからって、このままじゃいけない。団の志気にも影響するし。団長、彼女は入団決定?」
 リコルドの問いに、ナガイは少し俯いた。
「戦力としては申し分ないと思うし、理由が理由だろう、断るには……不足だ」
「そうだよねえ」
 はああ、と深々と溜息を吐く。
「あと彼女と対面してないのは?」
「マリーとイワセ先輩。ヴァルガ先輩も会ってないけど、今頃フェルとガルゴスから聞いてるんじゃない? キャナルは大丈夫よね、エクレスには会ったことないもの」
「だがこちらで揺らいでいれば伝わるだろう。説明は必要だ」
「……まずは彼女に接する態度、僕らもどうにかしないとね。このままだと彼女もここにいづらい、と思う」
 クルガは頬を引きつらせて笑みをつくった。
「お主にしては歯切れの悪いことだな」
「ん、どうもね。流石に」
「仕方ないわよ。だって……そっくりなんだもの」
 アズリットが固い表情で呟く。
 ヴァーサ以外の全員が、申し合わせでもしたように視線を落とした。


 明るい空の下で洗濯物がはためく。
 随分と沢山だね、とエクレスは小さく笑んだ。
「騎士団のみんな分だから」
 ポールランは眩しく目を細めた。
 風はぬるく陽は暖かい。
 もしかして、あの日のことは夢で、ここにいるのは本当にあの頃と同じエクレスでないかと、そんな気持ちになってしまう。
(! だ、駄目だ。違うんだ)
 そんな気持ちになったことを、ポールランは慌てて自ら否定した。
(ちゃんと現実を見ろ、ポールラン。そんなこと考えて、エクレスに失礼だ……)
「あんたさ、優しいね」
 不意に云われ顔を近付けられて、ポールランの心臓は音を立てて跳ね上がった。
 もしかして外にまで聞こえやしなかったかと、反射的に胸元を押さえて赤面する。
「え、え、え?」
 言葉にならず狼狽えていると、エクレスはくくっと肩を震わせて笑った。
「それに可愛い」
「ど、その、どういう」
「そういう意味さ。……死人に似てるなら、驚くのも道理だよね。なんだかここにいたら迷惑かけそうだよ。ごめん」
「そんなことないよ。みんな驚いてるだけ……すぐに仲良くなるって」
「ほら、やさしい」
 エクレスはふいと笑った。
「こうやって、あたしなんかのために案内をしてくれてさ。あんたみたいなのが、貧乏くじを引いちゃうんだ」
「こ、これは単に……その……」
「あんた、いい男だよ」
「えぇっ!?」
 固まりきったポールランに顔を寄せ、エクレスは素早く口づけた。
 ポールランは頭が真っ白になった。


@4@

 ポールランがエクレスをあちこち引っ張り回している間、戻って来たマルメットとイワセとキャナルにリコルドとナガイが説明をした。キャナルは神妙に受け止め、マルメットは真面目な表情を取り繕いながらも目を輝かせた。
「結局のところ、ややこしい事態にしてしまったのは先輩方なのだろうが」
 イワセははっきりと非難の色を滲ませてそう云った。
「面目ない」
 ぽつり、とナガイが頭を下げる。
「いや、団長が謝ることでもない。拙者がいてもあまり状況は変わらぬであったろうから……すまぬ、云い過ぎた」
「しょうがないよ。……って僕が云うのもなんだけどさ。会わなきゃ分かんないと思う」
 リコルドが難しい顔をして云った。
 マルメットが堪え切れずに口を開く。
「そんなに似てるなら、なんかワクワクしちゃうわさ」
「……それは不謹慎であろう、マルメット」
「だって知り合いのそっくりさんなんて、そうそうお目にかかれるわけじゃないのよさ」
「でも、マルメット先輩、それはご本人さんに対して失礼ではないのでしょうか?」
 キャナルが困った顔で云う。マルメットは首を捻った。
「そうかなぁ」
「キャナルの云う通りだよ、マリー。もう僕らが固まったりとかで、さんざヤぁな想い、させちゃってるわけなんだから、できるだけ普通に接する方がいいと思う」
「ふつーってもなぁ……あたし顔に出ちゃうからなぁ」
 マルメットは難しい顔になる。
「その点ではクルガに似ておるな。あいつにもよく云って聞かせねば」
「あーでもクルガは冷静な方だったよ。僕が狼狽え過ぎただけかも知れないけど」
「そうか?」
「僕が見た限りではね」
 しばし沈黙の後、ナガイがふと顔を上げた。
「部屋割りも、決めねばなるまい」
「そっか。ヴァーサの部屋もどこかに決めないと。あ、荷物、団長室に置かせてもらってるから」
「承知した。二人入って、丁度女性の人数が偶数になったゆえ、女性同士で割り当てるのが良かろう」
「その点は僕も賛成。今まではマルメットがヘルンと対だったよね」
「うん。じゃあさ、今回どっさり入れ替わりアリだわさ?」
「お引っ越しですね。大変そうです」
「だから私物はいつもまとめときなさい、ってフェルが云うんだよね」
 フェルフェッタの真似をして、リコルドが笑って肩を竦める。
 イワセが苦笑する。
「まとめておくほどの私物もないだろう」
「ともあれ、今夜までに部屋割りは決めよう。各自、準備をしておくよう、皆にも伝えておいてくれ」
「あ団長、多分ヴァルガはまだくたばってるから、動かさない方向でお願いね」
「うむ」
 そんなやりとりがあって、各自散会した。


 夕方には部屋割りが決まった。
 エクレスもヴァーサも団員全員との顔見せを済ませ、ややぎこちなさは残るもののなんとか和やかな空気は戻って来た。
 ただポールランだけが妙な様子でいた。理由を訊いても「ななななんでもありません」とあからさまに狼狽した態度ながら口を噤んで答えない。さんざクルガとマルメットが不審がっていたから、恐らく近いうちにタッグを組んで問い詰めにかかるに違いない。それ以上に二人目のエクレスに付きまとわれているようでもあったが。
 ヴァーサの方はフェルフェッタの質問攻めにあっていた。どうやら彼女の故郷であるエルフィン・バレイの郷土料理についていろいろと聞かれているらしい。
「あそこは砂糖の名産地だから。多分、保存食に果物系が増えると思うよ」
 リコルドがそう推測した。確かに今のところ、砂糖を多く使って保存がきくようにした携帯食は少ない。甘党の団員には喜ばしいことだろう。


 暗くなり始めた部屋で、ナガイは少ない荷物をまとめていた。
 それほど多くもないので準備はすぐに終わり、小さな窓から深みを増していく空を見ながらナガイはとさりとベッドに倒れ込んだ。
 これから自分のだけでなく、ヴィレイスの荷物もまとめなくてはならない。今までナガイの一人部屋状態だったから置きっぱなしになっていたが、部屋割りを変えるとあれば移動させなければならない。戦死者の遺品は地下の倉庫にしまうのが慣わしだ。
 一つ息を吐いて、腹筋のバネで起き上がる。
 ベッドを回り込んで壁の棚の前へ行く。彼の存命中も亡き後も、ナガイはこちらの棚には指一本触れたことがない。近付いたことすらない。ヴィレイスのいる間は触る必要を感じなかったし、いなくなってからは、なんとなく触れるのが憚られた。自分だけでなく、他人がいじくるのも嫌な気がした。
 だからこそ、この棚の整理は自分で買って出たのだ。
 こんな事態にならなければ、ずっと放っておいたままだったろう。
 ナガイは棚の前で深呼吸をし、少し緊張しながらホコリ除けの布を持ち上げた。
 主を失って一年余り。
 ホコリ除けの暖簾を下げてあるものの、さすがに棚の板目にうす白くホコリが積もっている。荷物らしきものは下から二番目にまとめて置いてあるのみだ。まとめ上手なのかモノに執着がなかったのか、それともその両方か、私物らしき私物はほとんどない。そもそもこの棚の主は遠征に出たまま帰らなかったのだから、ほとんどのものはその同伴をして、帰りはそのまま倉庫行きになってしまったのだろう。
 目につくものと云ったら小刀やペン立てらしき瓶、中身のほとんど残っていないインク壺。
 そして両手で持てるくらいの木箱が一つ。
「?」
 彼の知る師匠には似つかわしくない、きれいな縁飾りのある箱だ。植物を象ったらしいその細かな彫刻は、木の面に直に彫ってある。高価そうというより素朴さが目立つ造りで、鍵はないが、ぴっちりと蓋の閉まるタイプのものである。
 開けても良いものかどうかしばし悩み、好奇心には勝てずにそっと蓋を持ち上げる。
「!」
 驚きでしばし思考が停止する。
 なんだか力が抜けた感じがして、ナガイはぺたり、とその場に座り込んだ。
「あの、団長、宜しいですか?」
 どれほど経った頃か。
 ノックの音がして、ドアの外から控え目な声が聞こえた。
 返事をせずにいるとそっとドアが開き、若い神官の顔が覗いた。ちりん、と鈴の音がする。
「ナガイ団長、その、皆さん準備が済んだようなのですけれど……」
 そこですとんと座り込んだナガイを見つけて、キャナルはきょとんと首を傾げた。
 どうかなされたのですか、と云いながら部屋の中へ入り、ナガイの肩ごしにその手元を覗き込む。
 ふわ、と甘ったるい匂いがした。
 キャナルは箱の中のモノを見てしばし考えて、ぽつり、と云うともなしに呟く。
「飴玉、ですか?」
「……」
「飴玉ですよね、これ。でも団長、こんなに溶けてるの、食べたらお腹こわしちゃいますよ」
「……」
「よく虫が寄って来ませんでしたね……よほどちゃんとフタが閉まるんですね、この箱」
 沈黙を続けるナガイの顔を覗き込み、キャナルは唐突にはっとする。
「あの……これ、もしかして、ナガイ団長のお師匠様の、ですか」
 ナガイは目元を赤くして、こくりと頷いた。
 返事がないのではない。
 ただ言葉が出ないのであろう。
 箱の中には小石ほどの大きさの飴玉が、一つ一つ紙に包まれて幾つも入っていた。
 キャナルもグラツィアに来た行商の屋台で見たことがある。もとは少し平ベったい、透き通った茶色をした飴で、色をつけた砂糖をまぶしてあるものだったと思う。
 確か、屋台で売っているときはこんな個別に包装などされていなかった筈で、この包み紙は保存のためにいちいち巻いたものだろう。流石に長時間放っておかれたせいで、溶けた飴が包装紙からはみだして、また固まっている。
 王都か遠征先か、何処かの屋台で買い求めたものか。
 ナガイの師匠は無類の甘い物好きと聞いたことがある。確かクララクルルに聞いた話だ。遠征から戻るたびに食べるのを楽しみに取っておいたのだろう。
 キャナルは少しの間、眉を寄せて考えて、意を決して口を開く。
「あの、ナガイ団長。これ、中身は残して置けませんけど、洗えばまだ外の箱は使えますよ。団長が、持ってらしたら、いかがですか?」
「……拙者が?」
「はいっ」
 キャナルは大きく頷く。
「折角、こんなきれいな箱ですし。ナガイ団長のお師匠様のものなら、ナガイ団長が持っていても、その……宜しいんじゃないでしょうか。倉庫に置かれるより、ちゃんと使ってあげた方が、きっと喜ばれますよ」
 ナガイはじっと、手元の箱を見ていた。
 何を思っているのか、キャナルには想像すらできない。
 随分と長い時間、そうしていたと思う。
 ようやく口を開いたナガイの声は、なんだか低くて少し掠れていた。
「……中を洗うのは、少々難儀するな」
「あの、宜しければ私に任せて下さい。洗い物でしたら、自信があります」
 云って、キャナルはじっとナガイの顔を見る。
 また少し間があって、ナガイは目を伏せ頷いた。
「頼む」
 キャナルはぱっと微笑んだ。
「はい、お任せ下さい!」
「……済まぬな」
「いえ、お役に立てて嬉しいです」
 にっこりと頬を染め、ナガイから木箱を受け取る。
 甘い匂いがふわりと立ちのぼった。
「ちょっと匂いは残るかも知れませんけど、良いですよね?」
「うむ。その方が、飴玉入れらしい」
「そうですよね。あ、団長、皆さん準備が済んだそうです。食堂で待っておられますよ」
「そうか……すぐ行く。待たせて済まぬと伝えてくれぬか」
「分かりました」
 キャナルは木箱を持って、戸口で一つ頭を下げて部屋を出た。
(これで、少しはお役に立てたかしら)
 暗い廊下で箱を抱え、キャナルは一人自問する。
(小さなことですけど、私にできるのはこれくらいですわ。精霊よ、お導き下さい)
 そっと祈り、箱を持って騒がしく明るい食堂の方へ向かう。
 団長の伝言を、伝えなければならないのだ。


@3年277日 王都にて。ニンジャ、エクレス・カーペン(23)入団。
        同。ヴァルキリー、ヴァーサ・ウルマロダ(15)入団。





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ようやく久しぶりに十四名の騎士団になりました。
エクレスは二度目の入団です。実は入れたときは名前の一致に気付いてませんでした、当時。


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