@3年277日 @1@ クララクルルが去った。 騎士団本部に戻った当日に私物をまとめ、翌日には別れの言葉もあっさりと王都を発っていった。 キャナルとリコルド、フェルフェッタが王都の外れまで見送って行き、話で聞いたのだがキャナルは泣かずに彼女を送ったらしい(本部に戻る道で結局泣いてしまったらしいが)。 トロント騎士団は、十二人になった。 丘を眩しく見上げると、シルエットになって人影が見えた。 高い位置で結んだ髪と小柄な体躯で、団長だと知れる。先程から特に動きもせず、ただ風に吹かれている様子だ。 あんなところで何をしているのだろう、とキャナルは思った。 前に見たのは洗濯物を干す前だから、朝からずっとあそこで座していることになる。もう時刻は昼前だ。丘の上は景色が良いとは聞いたけれど、そんなに長い時間見ているものがあるとはキャナルには思えない。 風も随分と強いというのに。 「よおい、何をしておるのだ?」 声を掛けられて振り向くと、けろっとした笑顔のサムライが若い剣闘士を連れてこちらを向いていた。 「クルガ先輩、ガルゴス先輩」 「ああなんだ、団長か? あそこにおるのは」 丘の上を透かし見て、クルガは珍しくもなさげに云う。ほんとだなァ、とガルゴスが同じく丘の上を見上げた。 「朝からずっとあそこにいるんです。あんなに風に吹かれっ放しで、風邪でも引いたら大変ですよ」 「心配いらん心配いらん。これしきで風邪など引かぬよ」 キャナルの不安をクルガはあっさり笑って否定する。そしてふと真面目な顔になり。 「だがな、心配すべきとこは別のところだが、あるな」 「なんだァそりゃ」 ガルゴスが首を傾げて訊く。 キャナルも再び不安げな表情を浮かべて、年嵩のサムライを見上げる。 「どこかお身体に、お悪いところでもあるんですか?」 「ううむ、体というより、心の問題というやつだろうが」 クルガは眉を寄せて難しい顔になる。 「あのままではいかんような気がする」 「何がいけねェんだよォ」 「何が……というのは拙者には上手く云えぬし、分からぬ。リコルドなら説明も出来ようが」 「ダメだなァ、先輩は」 「やかましい」 茶化すガルゴスの頭をぽかりとやり、クルガは腰に手をやってふっと一つ息を吐いた。 「ま、分からんでも気晴らしをさせるくらいは出来よう。よし、ガルゴスついて来い」 「あァ? なんでだよォ」 「良いから。どうせ暇であろう」 決めつけて、クルガはすたすたと丘を登り始めた。ぶつぶつ云いながらガルゴスはそれに続く。 男性陣二人を見送り、キャナルは思う。 何か変な気は確かにする。 入団からまだ一年ほどであるけど、初めて面接で会ったときとは何かが違う。確実に。 考えて、不意にはっと思い当たる。 (あのひと、笑ってないんだわ) 空が青い。 大きなヒツジ雲が幾つも流れ、影が街並に薄黒く落ちている。 風が、けっこう強い。 本部の裏手の丘には、今一面に緑の草が生い茂っている。膝下まで伸びた草が風に吹かれ、さわさわと音を立てる。頂上に植えられた導の木は順調に育っているようで、もう若木と呼んで良いほどの大きさだ。 その傍らに座り、ナガイは瞑目していた。 風に吹かれる草の音は案外大きくどよめくようで、彼がまだ見たことのない、広い海を思わせた。 「だん、ちょーっ!」 その音に負けぬように張り上げた大声が、丘の下から聞こえた。 立ち上がり見ると、上着を風にばたばたとはためかせながらクルガが丘を上って来る。たまにふらつくのは強い風のせいだろう。 同伴しているのはガルゴスだ。若くとも、剣闘士の巨体はさすがの強風の中でもどっしりとしている。 ようやく上って来た二人を迎え、ナガイはやや首を傾げた。 「どうかしたのか」 「酒場へ行かぬか? さすがに人が欲しい頃合だと思うのだ」 云ってクルガは、飲みではないぞ、とつけ加える。 「騎士団も十二人になってしまったからな」 「そうだなァ。いつもよりちこっと少ねェだけなのに、なんか寂しい感じがすんだよなァ」 隣でガルゴスがうんうんと頷いている。 「……そうだな」 しばし黙して、ナガイはぽつりと云った。 「そろそろ、人を見に行くか」 「なら善は急げだ。行こう!」 勝手にテンションの上がっているクルガが、ナガイの手を引っ張って丘を下り始めた。ガルゴスが慌ててそれを追う。 ほぼ為されるがまま状態のナガイは、引っ張られながら顔を上げて訊いた。 「クルガ、イワセはどうした?」 「あーあいつなら今頃、王都のどっかを走っておる」 「?」 「マルメットになァ、走り込みに付き合わされてンだよォ」 端的なクルガの説明にガルゴスがフォローを入れる。 「おっさんの見舞いに行ったときに捕まったんだとよォ」 「拙者はそのとき丁度、厠に立っておったゆえ、難を逃れたというわけだ」 「さすがになァ、おっさんは誘えないしなァ」 昨夜の宴でクララクルルと飲み比べをしたヴァルガは、どうやら二日酔いらしい。相手が彼女では仕方の無い話だが。 「それで、あぶれ組でつるんでいるというわけなのだ」 「クルガ先輩が勝手に連れ回してるだけだろォ」 「良いではないか。どうせ暇なのだし」 「そうだけどよォ」 要は二人とも、閑人らしい。 それで酒場に行きたいのだろう。 ナガイはそんなことをぼんやり思って、あとは口を噤んで二人の後に続くことにした。 『勇者たちの酒場』。 そう大きく書かれたうす汚れた看板を頭上に、三人はドアを押し開けた。 いつものように昼日中からごった返している店内をカウンタの方へ進むと、店主である親爺が、おう、と軽く右手を挙げた。 「何だい。宴会の予約かい?」 「それならもう昨夜、盛大にやったろうが」 「冗談だ。このメンツで予約にゃ来ねえだろうな。今回は募集だろう? 団長さん」 どういう意味だ、と突っかかるクルガを無視して、親爺はナガイの方へ目を向けた。 ナガイは黙って頷いた。 親爺は濃いヒゲ面をにやりと笑ませる。 「それならいいコが来てるぜ」 「本当かァ?」 身を乗り出すガルゴスに、親爺はふふんと鼻を鳴らす。 「この道二十年の俺の目をナメんじゃねえぞ」 「そう云ってまた爺婆だったら暴れるぞ」 ぼそり、とクルガが親爺をジト目で睨む。親爺は聞こえない振りをした。 「今回は間違いねえ。上玉だ。そこの奥のテーブルにいるぜ」 示された方は薄暗くて、こちらからはよく見えない。 「ま、とりあえず会ってみよう」 云ってガルゴスとナガイを引き連れて、クルガは奥へと進んだ。 酒と料理のにおいと喧噪が立ちこめた天井の低いホールを、問題のテーブルへと歩いて行く。 奥の席は燭台の光もあまり届かない。この酒場でなければ騎士団の団員は大体この辺の席に追いやられる。その場合は厄介もの扱いだが、この場合は単に店が込んでいるから、というだけのようだ。 近付いて行くと、座っていた旅姿の少女が気付いて席から立ち上がった。腿の辺りまで届く、長く編んだ金髪が大きく揺れる。団栗色の眼差しが少し緊張してこちらを見つめる。意志の強そうなしっかりした眉が印象的だ。 「トロント騎士団の方ですか?」 「うむ」 クルガにこっそり目線で促されてナガイが頷く。そのクルガはいつの間にか『営業用真面目顔モード』になっていて、影でガルゴスがくすくす笑って後ろ蹴りを喰らわせられた。 ヴァルキリーの少女は聞いて更に緊張した顔で面々を見回す。 「お初にお目にかかります。ヴァーサ・ウルマロダといいます。年は十五です。トロント騎士団で使っていただきたく、エルフィン・バレイから参りました」 何度も練習していたのか、やや固い口調でスラスラと答える。 「トロント騎士団団長、ナガイ・コーレンと申す」 軽くナガイが頭を下げた。 そして固くなっているヴァーサを座らせて、前回の面接を思い出しながらゆっくりと質問をする。緊張の続くヴァルキリーはどの質問にも顔を挙げてハッキリと答えた。 「なかなかイイ子だな」 質疑応答の邪魔をしないように一歩さがって、クルガがガルゴスにこそっと云った。 「オレにはよく分かんねェな」 ガルゴスは首を捻り、ふんと鼻を鳴らす。 「なァんか細っこいしよォ、鉄球なんか一回だって回せねェぞ」 「剣闘士の基準で測ってどうするのだ。リコを見ろ。弓使いならあれの方面だ」 「……説教が怖くなるのかァ?」 「違う。なってたまるか」 そんな会話の間に、短い面接が終了する。結果を固くなって待っているヴァルキリーを置いて、ナガイがこちらを向く。 「拙者は良いと思うが、二人の意見を聞きたい」 「イイ子だと思うぞ。腕のほどは分からぬが、目が良い。伸びるぞ」 「鉄球は回せそうにないけどなァ。弓使いには関係ねェんだろォ?」 ちら、とナガイ越しにヴァーサをちらと見て。 「目かァ。そりゃあ、うん、目は良さそうだなァ」 ナガイは二人の顔を見て頷き、若いヴァルキリーの方を向いて採用を告げた。 「あ、ありがとうございます!」 ふっくらした頬が喜びでさっと赤くなった。 そして勢い良く立ち上がって頭を下げるのを、さっさと真面目顔の崩れたクルガに、そんなにせんでも良いぞ、と云われる。ガルゴスがゲラゲラと笑って、ヴァーサの顔を更に赤くさせた。 カウンタへ行くと、親爺がコップを拭きながらにやりと笑んだ。 「いいコだろう?」 「今回は親爺の見る目がアタリだったな」 クルガが同じく笑みながら返す。 自慢そうにどうだ、と云った親爺は、三人に連れられた新人を見て片眉をあげる。 「おや、一人だけかい」 「他におらなんだ。増やしようがあるまい」 「ん? おかしいな。もう一人、姐さんがいなかったかい?」 「姐さん?」 三人は顔を見合わせた。 「ああ、いた筈だが……あ、いや、席を外すとか云っていっぺん出たかな?」 「どっちなんだよォ」 「ちょっと出掛けたかも知れん。ちょっと待っててくれねえかい?」 親爺が困ったように云う。 クルガは、ううん、と唸り。 「やっぱ、いっぺん本部に戻った方が良いと思う。この子ここで一緒に待たせるのもな」 「そうだなァ」 「え、あ、私のことは気にしなくても」 「いや、だがな」 云い合っていたそのとき、ぎいと軋んで酒場のドアが開く。 「おう、戻って来たぞ」 親爺が声を明るくする。 一行は云われて、ドアの方を向いた。 買い出しのための手提げカゴに財布を入れて、キャナルは窓の外を見た。 ぽっかりと晴れた空から降り注ぐ日射しが気持ち良さそうだ。洗濯物もよく乾くだろう。風の方は、朝よりは弱くなっているように思える。 キャナルの頭には、まだ先程の考えが引っかかっていた。 笑っていない、という事実が何を意味するのかは分からない。 けれどきっと、それは、彼の師匠が亡くなったことに関係があるのだろう。 あのときは、キャナルもいた。騎士団の全員があそこにいた。 まだ新入りのひよっこで、右も左も分からない頃。会ってそれほど長く一緒にいたわけではないので、彼と彼の師匠がどれほど深く繋がっていたかは知る由もない。 (でも、そのせいなら、そのせいって分かったなら、私にも出来ることがあるはずだわ) 上着の上からお守りに触れ、キャナルはそっと思う。 (だって私だって、トロント騎士団の団員だもの。団長をお助けするのは当然の責務だわ) そう心の中で決心してキャナルが玄関から出ると、右手の木に吊ったハンモックでリコルドが寝ていた。 傍らにはちょこんと小さな魔女の姿がある。 そのハンモックは遠征前に誰かが吊ったものらしいが、長身のアーチャーにはいささか小さすぎるようで、臑から先が納まりきらずに飛び出している。眩しいのか、顔の上に帽子が乗っかっている。 傍らに佇む魔女はそのハンモックに片手を掛け、帽子で見えないが、リコルドの顔を覗き込むようにしている。 「……先輩?」 寝ているらしいリコルドを起こさないように小声で呼び掛けると、アズリットは少し慌てた様子で振り向いた。 「な、いたの、キャナル、いつから?」 「いえ、いま出て来たばかりですけど。買い物に行こうと思いまして」 「そ、そう」 ほんのり顔を赤くして、アズリットはキャナルの方へと歩いてくる。 「リコルド先輩を見てたんですか?」 訊くと、小さな魔女はこくりと頷いた。 「よく落っこちないわよね」 「そうですね……落ちるのが心配で見ていたのですか?」 「違うわよ」 云って結んだ髪の一房を払う。 「気持ち良さそうに寝てるから、いっそのこと既成事実でも作ってやろうかと思って」 「……き、キセイジジツ、ですか?」 「別に過激なコトやろうってワケじゃないわよ。ただ唇でも奪っちゃおうかなって」 みるみる赤面していくキャナルを見て、アズリットはくすりと笑う。 「帽子が邪魔で既成事実ならず、よ。……参ったわね」 少し寂しげに呟いて、魔女はスタスタと本部の周りをなぞるように裏庭の方へ角を曲がって行った。 それを首を傾げ見送ってから、気を取り直してキャナルは門を出た。 まずは自分のすべきことをしなければならない。 ぼうと目をあけると、真っ暗だった。 (?) 数秒考えて顔に手をやると、布地が指に触れる。 (あ、そうか) その頃にようやく、帽子を顔にかぶって寝ていたことを思い出した。 しかも自室のベッドではない。庭のハンモックの上だ。 (どんだけ寝てたんだろ) 帽子を取ると日射しがさっと顔に当たる。眩しい。目を細めながらもぞもぞと起き上がる。 リコルドはうんと伸びをしてハンモックから降り、ぷらぷらと玄関へと歩いた。別にどこへ行こうと思ったわけではない。 そこでふと、地響きを聞いた気がして門の外を見た。 と、何やら凄い勢いでこちらへ走って来る。 「……クルガ?」 土煙を蹴立て暴走馬車の如く、童顔のサムライが駆けて来る。 しかも人を引っ張って。 それが誰かも分からぬうちにクルガは一気に本部の前に辿り着いた。 そこでようやく門前のリコルドに気付いて、血相を変えたまま引っ張っていた人物をぐいと押し付けた。 「頼む!」 云って本部の中へと駆け込んで。 「ポールラン! ポールランはいるかッ!」 声を限りに怒鳴っている。 リコルドはそれを呆然と見送り、しばししてようやく腕の中の人物を見下ろした。 ちょうど抱き締めた形になってしまった頭一つ分下の位置で、すっかり息の上がった丸顔のヴァルキリ−がきょとんと体を竦めていた。 酒場のドアを開けたすぐ正面に、ガルゴスのでかい背中とナガイの細っこい背中が並んで視界を塞いでいた。 「ちょい退け。連れて来たぞ!」 でかい声で云って、その真ん中を割るようにクルガが突っ込む。ポールランはいきなりの疾走でぜーはーいいながらそのまま引っ張って行かれる。 「さあ、お主の目なら狂いも見間違えもあるまい。どうだ?」 酒場と本部の往復全力疾走でさすがに息を上げながら、クルガがポールランを横目で見る。 「何なんですか、一体」 ワケの分からぬまま促す方を見て、ポールランは息を止めた。 開いたままのドアから射し込む外の光と、酒場の中の燭台の明かり。 その両方に照らされて、彼女は少し戸惑ったように佇んでいる。背は彼から見上げるほどで、その見上げる位置にも覚えがある。 ポールランは呆然と、そしてまじまじとその顔を見た。 そして呟く。 「……エクレス」 @2@ 抱き締める形になってしまった腕をほどき、リコルドは慌てていつもの笑顔を取り繕う。 「ええと、新入団員さんかな」 訊くと、呼吸は治まったものの、未だ顔の赤いヴァルキリーはこくこくと頷いた。 「そう。……トロント騎士団にようこそ」 なんだか本調子じゃない。 ヴァルキリーは頬を染めたまま小さく頭を下げ、囁くような声で。 「はじめまして。ヴァーサ・ウルマロダといいます」 云ってすぐに恥ずかしそうに俯く。 「僕はリコルド。リコでいいよ。えっと、ヴァーサは、ヴァルキリ−だよね」 見たまんまのことを云う。 「はい。弓の腕を活かしたくて、やって参りました」 「んー、そっか、そうだよね」 リコルドはううんと唸って考えた。 (この子の面倒、みられそうなのは……) 若い魔女二人にキャナルを加えて、フェルフェッタは手一杯である。ヴァルガにはガルゴスがいて、ナガイは問題外。騎士二人は未だ若い。サムライコンビに任せるのは個人的に不安だ。 (……僕、ってことになるよねえ) 外に出さず一つ息を吐いて、リコルドは笑顔で若いヴァルキリーを見下ろす。 「ここでこうなっちゃってるのも何かの縁だし、いろいろと教えるよ。僕も弓使いだしね」 「え、良いんですか?」 「誰かが教えないといけないことだしね。女の人の方がいいかも知れないけど、ちょっと彼女、いっぱいいっぱいなんだ。僕で良いかな?」 「は、はい! 喜んで!」 少し尖った耳の先まで赤くなり、ヴァーサは大きく頷いた。 「ん、とりあえず、荷物置こうか」 「はい、リコ先生」 「せ……まあいいや。荷物は、まだ部屋わかんないから団長室に置かせて貰おうか」 云いながらてくてくと門から入り、玄関のドアを開ける。後ろの方で、初めてマトモに本部を見たヴァーサが息を呑むのが聞こえた。 (……そりゃボロだけどね) そういえばキャナルも、初めて来たときは幽霊屋敷かと思ったとか云っていた気がする。 自分が来た九年前は、ここまでひどくなかったように思うが。 (あちこち雨漏るし、ちゃんと修理しないとな。修繕費、予算内で足りるかな) 気が重いが、今はとりあえず忘れることにした。 「まあ、入ってよ」 ドアを開け放ったまま、振り向く頃には笑顔に戻ってヴァーサを招き入れる。 新入りのヴァルキリーは引きつった表情で、本部の屋根を見上げていた。 最期の言葉は聞けなかった。 腕にかき抱いたときにはもう息がなくて、雨が体温をすっかり奪ってしまったせいか、どんなに強く抱き締めても温もりを感じられなかった。 遺言も何も聞けなかった代わりに、あの日の雨の音は、今でも耳について離れない。 何もかも同じに見えた。 見上げる背も、双眸を隠す金髪も、見覚えのあるあの姿だった。フードをかぶらず後ろにはねたそのスタイルすらも同じだ。 思わず、胸元の黒翡翠を握りしめる。もとは彼女のイヤリングだったものの片割れ。 同じものが、目の前の女性の片耳には光っていた。 まじまじと見つめるポールランの呟きを耳に止めて、ニンジャは腰に手をあてて首を傾げた。 「確かにそういう名前だけどね。あんたは誰だい?」 訝しげな声に引き戻されて、ポールランははっと身を引く。 違う。 「ううむ、ポールランも間違うほどか」 隣で難しい顔をしたクルガが唸る。 「だから何だって云うんだよ。あたしがどうかしたかい?」 少し苛立った様子で、ニンジャはじろりと四人を睨む。 「そりゃ待たしたのは悪かったけどさ、人をじろじろ見たり、何で知ってるのか分かんないけど人の名前いきなり呼んだり、失礼じゃないのかい?」 「ああ、すまぬ」 難しい顔をさっさと解いて、クルガは人なつこい笑顔になる。もともとの童顔が更に強調されて、こうなるとどう贔屓目に見ても十代にしか見えない。 「こいつの惚れた女にお主が似ておってな。それでつい、こんなになってしまったワケなのだ。非礼は詫びよう。済まぬ」 云って片手でガルゴスの頭を押し下げながら、自分もぺこりと頭を下げる。目配せに応じて、ポールランとナガイが頭を下げた。 男四人にまとめて頭を下げられ、エクレスという名らしいニンジャは当惑顔でまた首を傾げる。 「やめとくれよ。なんかみんな見てるし」 「許して下さるか?」 「うん許す許す。別にココロ狭い女じゃないし」 「かたじけない」 ぴょいっと頭を上げて、クルガはまた笑顔に戻った。 その場の相談でさっさと入団が決まり、若いニンジャを引き連れて本部へと向かう。 「そう云えば先輩、さっきの子、どこ連れてったんだよォ」 ガルゴスが今まで黙していた疑問を口にする。 「あー、あの子なら丁度入り口にいたリコに預けて来た」 「リコルド先輩かァ。なら安心だなァ」 「……拙者じゃ不安だとでも云うか」 「だってよォ、先輩じゃあなァんかチャランポランな感じでよォ」 「お主はーっ」 蹴りを喰らい、ガルゴスはどたばたと逃げ出す。そして逃げながら、痛ェじゃねェかアホサムライと口走って、ブッチリきたクルガに思いっきり追われた。 さっさと先に行かれてしまい、取り残された三名はぎこちない沈黙の中に置かれる。 場を和ます気も、そもそも喋る気もなさそうなナガイをちらと見て溜息を吐き、ポールランはそおっとエクレス、というらしいニンジャを見た。 すらりとした背の金髪のニンジャは、足音も静かに大股で彼の横を歩いている。右耳のイヤリングが揺れて陽光をはじく。 (似てる) 少し肩を竦めたような姿勢、顎をくっと引いた横顔。 入団してから数年間、ずっと見とれていた姿そのままに。 「あんまりじろじろ見ないどくれよ」 ポールランの視線に気付いて、エクレスは居心地悪げに頭を振る。 「……すみません」 呟くように云って、ポールランは俯いた。 「別に謝れなんて云ってないよ。……そんなに似てるのかい? あたしと、あんたのお相手とはさ」 「え、ええ」 頷きながら、口を開いたときの印象の差にどぎまぎとする。彼の知っているエクレスは、こうではない。そう、云うならばもう少し女性的な感じだった。 彼女と同じ名前のこのニンジャは、どこか、何かを突っぱねているイメージがある。 エクレスは面白そうに笑った。 「へえ、世の中には同じ顔のやつがいるって聞いたことあるけどさ、そんなに似てるんなら一度お会いしたいもんだね。あ、会えるんだっけ? その、騎士団の本部とやらに着いたらさ」 夜の宴会を楽しみにするような口調で云うニンジャに、ポールランは内心に刺さったままのモノを感じてぎくりとする。 「……彼女、死んだんです」 押し殺した声でそう告げると、ニンジャはあっというような顔になった。 「ごめんよ。悪いこと聞いたね」 「いえ……二年も前の、話ですから」 「そうかい」 互いに気まずくなって黙り込む。 少し前を歩いているナガイは、聞こえているのかいないのか、全くこちらに関わって来ようとしない。 「失礼ついでに、もう少し聞いても良いかい? その人のことさ」 「構いませんけど……」 「どんな人だったんだい?」 「……優しい人でした。色恋のこととかには、とんと鈍かったらしいですけど、面倒見が良くて、料理も上手くて。それに強いし、きれいで」 「いいトコずくめだね。さすが、恋は盲目だ」 「本当ですよ!」 ポールランは顔を火照らせる。 「分かった分かった。……そんな人に似てるってなら、まあ、悪い気はしないね。あたしより上かい?」 「二年前で、二十一だったけど」 「じゃあ、生きてたら今年で二十三か。じゃあタメだね。ますます他人とは思えなくなってきたわ」 「同い年」 ポールランは目を丸くして、それから思わず黒翡翠に触れた。 「その、イヤリング……」 「? これかい?」 「エクレスも、同じものをつけてました」 「……そう云えば名前も同じだったね。符牒が合い過ぎて怖いわ。これはけっこう前に夜店で買ったんだけどさ、片方なくしちゃってね」 云って、小指で右耳のイヤリングをはじく。 何度見ても同じものだ。 (エクレスも、これ、どっかの夜店で買ったのかな) そんなことを思いながら、ポールランは両手で元イヤリングを握りしめた。 一世一代の告白をしたときの、真っ赤になった顔を思い出す。あのときはマトモに顔も見れなかった。同じくらい自分も真っ赤になっていた筈だ。告白のあとで、後押しをしてくれたクルガとマルメットに、確か散々そう云われた。 あのときの答えは、永久に保留されたままだ。 「えっと、部屋は二人部屋。遠征中は荷物はなるべく減らすから、残りは部屋の棚に詰めとくこと。持ってくものに関しては後で教えるね。そこの正面が食堂兼会議室。まあみんなで適当に集まるときは酒場かここだね。右が厨房、左行ってすぐが団長室。階段の下は資料室と倉庫だよ」 ゆっくりと歩きながらリコルドが説明する。荷物を前に抱えたまま、ヴァーサはきょろきょろしながらその後に続く。 廊下は薄暗い。まだ昼前らしく、光は廊下の向こうから射して来る。 「さっきの、入り口入ってすぐ右の部屋は?」 「あっちは医務室。ちょっとでかい怪我とか病気とかしたらあそこにゴーだよ。軽けりゃ自分の部屋で寝てるけどね。あと子供産まれたときとか」 「こ、子供!?」 ヴァーサが素っ頓狂な声をあげる。 「うん、子供」 リコルドはあっさり頷いた。 「だ、誰の?」 「勿論、団員の」 「う、産まれるんですか?」 「産まれるね」 「それって良いんですか?」 「んーまあ、いいんじゃないかな。夫婦だし」 「け、結婚もあるんですか」 「好き合ってりゃいつかはしたいって思うよね」 ヴァーサは頭がくらくらしてしまっているらしい。 (まあ、そりゃそうだよね) 見ながら、内心リコルドは苦笑する。 (ふつーはそういうことあるなんて考えて来ないよね) だが前例はある。しかも、割と沢山。彼の師匠も結婚していたという。奥さんの方は彼が入る前に退団したと聞いた。それを聞いたときは流石の彼も胆を潰した。 所謂、職場恋愛、職場結婚というやつだろう。騎士団に限らず傭兵仲間でも、奈落でさえもあることだから、もしかしたらけっこう普通のことなのかも知れない。ただ思いもよらないだけだ。 「そのうち誰かが式とか挙げるんじゃないかな」 思いっきり他人事で云うとヴァーサは腑に落ちない顔で、とりあえずといった感じで頷いた。 団長室と厨房を案内して荷物を置いて、食堂の裏口から庭に出る。 「先輩!」 外へ出るなり、アズリットがリコルドを見留めて叫んだ。 ぱっと輝いた顔は、後ろに連れたヴァーサに気付くなり怪訝なものに変わる。 「……誰?」 「新入団員のヴァーサだよ。今、本部を案内してるとこ。なりゆきで、僕がいろいろ教えることになったんだ」 アズリットの目が一瞬大きくなって、さっと頬に血がのぼる。 「そう、なの」 「ヴァーサ・ウルマロダといいます」 若い魔女の顔色に気付かず、未だ少し赤い顔をして、ぺこり、とヴァーサは頭を下げる。 「……アズリット・ボバックよ」 アズリットは挑戦的な眼差しで、まっすぐヴァルキリーを見据えた。 「よろしくお願いします、アズリット先輩」 「ええ、宜しく」 余裕の笑顔を女の意地で保ちながら、アズリットは云って片眉を上げた。 そして髪の一房をさっと払って胸を張り、微笑んでリコルドを見る。 「新入のコはこの子だけ?」 「んん、実は分かんない。クルガに押し付けられたんだ。当人はポール連れてまた走ってっちゃったし」 「そう云えばでかい声で呼んでたわね。何の用だったのかしら?」 「誰でもってならともかく、ポールで名指しだもんなあ」 「帰ってから聞いてやらないといけないわね」 「そうだね」 少し意地悪くにっこり笑んで、リコルドは、じゃあ案内続けるね、と裏庭から出て行く。 それを見送って、アズリットはふと真顔に戻った。 (ちょっと、ゆっくりしてらんなくなっちゃったわね) 誰かに惚れてる人を見分けるのは得意だ。目を見れば分かる。 あの若いヴァルキリーはリコルドのことが好きだ。 新入りだと云うから、一目惚れだろう。 (そりゃ分かんなくもないけどね。なんてったって、あたしをその気にさせた人だし) だからって引き下がる気は毛頭無い。 勝負どころは、あの新人が自分の気持ちに気付いて告白するまでだ。それで彼が振り向いてしまったら負け。それまでにこちらで振り向かせれば勝ち。 負けてしまったら、スッパリ諦める潔さくらいは持っているつもりだ。 それまでは。 (勿論、勝つつもりよ) そう心を固めて拳を握ったアズリットの足下で、柵から首を伸ばしたニワトリがコッコと鳴いた。 日が冲天に近付き、昼食の準備で厨房は大忙しだ。 大鍋にぐつぐつと野菜のスープが煮えている。出汁は鶏ガラだ。 フェルフェッタは台に乗り、それをゆっくり掻き回している。 「ヘルン、そっち炊けてるなら持って来て」 「……」 返事がない。 「ヘルン?」 振り向くと、中腰になった騎士は、火の消えたかまどを見たまま何やらぼおっとしている様子だ。 「ヘルン!」 大声を出して呼ぶと、ヘルンはびくっとして振り向いた。 「は、はい、何でしょうかっ」 「何ぼーっとしてるのよ。それ炊けてるわよね? ちょっと持って来て」 「ああっ、はいっ」 ヘルンは慌てて立ち上がって鍋の蓋を取ろうとし、あつッと叫んで手を引っ込める。 フェルフェッタは呆れ顔で台から飛び下りた。 「何やってるのよ。熱いに決まってるじゃないの。やっとくから冷やして来なさいな」 「す、すみません」 しょんぼりと謝って、ヘルンは勝手口から出て行った。勝手口は裏庭の井戸のすぐ側に開いている。 小さく溜息を吐いてフェルフェッタは鍋掴みをはめ、鍋の蓋を取って、菜箸で炊けた米をほぐす。それからかまどから下ろしてスープの大鍋のところまで持って行き、台にのぼってご飯をスープにどばどばと入れた。米はひと粒も残さないように菜箸で掻く。そして空っぽの鍋を傍らに置いて、ご飯の入った野菜スープをゆっくりとかき混ぜる。 戻って来たヘルンに卵を溶くように云い付けて、フェルフェッタはじっくりと大鍋の雑炊を掻き混ぜた。 「ヘルン、あんた一体何をぼーっとしてるの」 掻き混ぜながら振り向かず訊く。 「二日酔いってわけじゃないわよね。なんか悩みごとでもあるの?」 「あ、いえ、大したことじゃないんです」 「大したことじゃないならぼーっとしないでしょ」 「……そうですね」 「なぁに? 良ければおねーさんが聞いてあげるわよ?」 振り向かないまま、声だけで笑顔をつくる。 ヘルンがこちらを向いた気配がして、暫く掻き混ぜ器の音が止まった。 ぐつぐつと鍋の煮える音。かまどの火のはぜる音。 それだけが厨房に流れる。 「告白したんです、昨日」 「コクハク?」 フェルフェッタは繰り返した。 かちゃかちゃと掻き混ぜ器の音が再開する。 「誰に」 「……アズリット」 「え、アズに?」 「はい。昨夜の、帰り道に、思い切って」 だんだん声が小さくなる。その響きから、フラれたということは明白だ。 「そりゃあ仕方ないわねー」 あっさり云って、フェルフェッタはヘルンから溶き卵のボウルを取り上げた。若い騎士はショックを隠せない顔でフェルフェッタを見た。 二歳だけ年上の魔女は、真面目な表情で彼を見る。 「昨夜の帰りじゃ、みんな酔っ払いじゃない。あんたも飲んでたでしょ。お酒の力を借りて告白なんてダメよ。それに」 「リコルド先輩のことが、好きだからですか」 青い目が光を帯びて揺れる。これは嫉妬だ。そういう感情だ。 「あら、知ってるの」 フェルフェッタは眉を片方上げる。 「……自分にはそう見えました」 「あたしにもそう見えたわね、特に昨夜とかは。もともと知ってるからフィルタかかって見えてたかも知んないけど」 「知ってたんですか」 「訊いたから。で、取らないでよってクギ刺されたわ」 云いながら溶き卵を大鍋にあけ、ぐるぐると掻き混ぜる。そして蓋をして下のかまどの火を消した。 「それで? フラれたのは分かったけど、その先はどうするの。諦めるの?」 空のボウルを渡すと、ヘルンはぎゅうっと唇を結んで、そんなこと、と口の中で呟いた。 その顔で察してフェルフェッタは肩を竦めた。 「ま、頑張りなさいな。影ながら応援したげるから」 「え」 魔女の言葉に、後輩の騎士はまじまじとその顔を見返した。 「いいんですか?」 「何が」 「や、あの、フェルフェッタ先輩は、アズリットの応援するんじゃないですか?」 「そんなこと誰が決めたのよ」 「でも」 「でももヘチマもヘチャムクレもないわよ。そりゃあね、あんたがリコと張り合おうなんて十年ぐらい早い気もするけどさ」 「……」 「けどあの子を幸せにできるのはあんたの方」 フェルフェッタは微笑む。 ヘルンは怪訝な顔で首を振った。 「よく分かりません」 「リコじゃ無理なことなのよ。というかアズが満足しないわね、きっと」 半ば独り言のように云い、フェルフェッタは空になったボウルをヘルンに渡し、壁に掛けた割れ鍋を取る。 「あんたは、その一途な気持ちなままでいなさい。それが成功の秘訣。はい、洗ってきて」 云うと、今日初めての明るい嬉しい顔を見せてヘルンは、はい、と頷いた。 >後編 >文字の記録 |