2年101日@序

 あのときは、一体、何がどうなっていたのか。
 今でも良く分からない。
 誰もが呆然として、受け止められずにいた。今なお半数以上の者たちはそうだろうと思う。
 過ぎた時間はまだ丸一日にも満たない。
 心と頭で整理をつけて処理をして、きちんと考えられている者は片手の指の数にも満たないだろう。
 まだ多くが信じられずにいる。
 彼を失ったことを。
 やわらかな霧とそれを通した光が、現実味を奪い去って。
(ううん、そんなのは理由じゃない)
 思い返し、リコルドは内心で呟く。
 そうだそれは。
 あんまりにも、目の前であったが故に。
 誰もが手を伸ばせた筈の、それほど近くであったがために
 戦死者が出たのは今年で何度目だろう。問うてすぐに自分の中から答えが返る。自分が入団してからなら三人目。それ以前のことなら分からない。
 今回はその中でも一番身近ということになるだろうか。
 団内での位置も大きかったし、新人たちには精神的にも手痛いことだろう。
 それでもきっと、立ち直っていく筈だ。
 かつて自分がそうだったように。


 頭に一撃を喰らったヘルンを動かせず、結局昨夜はその場で過ごした。
 自分が騎士団に入ってから今までの間で一番を争う、悲惨な夜だったろう。
 数時間かけて掘った穴に、全身のほとんどが崩れて変色した亡骸を埋めた。遺品として、兜だけを埋めずに手元に残した。それが最も、形を残していたものだったから。
 誰も何も云わなかったように思う。
 かろうじて火の支度だけをして、食事は摂らずに皆眠った。
 いや、あの状況で睡眠を取れていたかどうかはあやしい。
(少なくとも、ナガイは眠れてない)
 斜め前方を無言で行く背中を見遣る。
 彼はずっと、ヴィレイスの墓の前にいた。
 泣きもせずに正座して、墓標代わりに丸石を乗せただけのこんもりとした土の盛り上がりをじっと見つめていた。


 誰もが傷の癒えぬまま、朝も早々と野営地を発った。
 ヘルンは念のためということでヴァルガに背負われている。彼らの分の荷物は魔女たちが進んで分けて引き受けた。クルガは腕を吊っているし、他の者も多くが包帯を取れずにいる。
 明けて未だ一夜。
 いつもは騒がしい魔女たちですら、声をひそめて言葉少なにしている。
 リコルドは、ナガイの背を見るともなしに見ていた。
 言葉もなく荷物を背負って、毅然と背を伸ばしている。それでも、元々体格が良いとは云えない成長途上の身体は、重みに堪えかねたが如く小さく見える。
 それともそう見えるのは、自分の不安のなせる技だろうか、とリコルドは思う。
(心配のし過ぎかな)
 どうも考え過ぎてしまうようだ。
 自分はヴィレイスを追っかけていて、別の意味でまた、ナガイは彼の背を追っていた。
 意外と気に掛けてしまうものらしい。
(まさかまとめて置いてかれるとはね)
 思い出したのは、ナガイの剣の成長を喜び、微かに表情を和らげ、声に嬉しさを滲ませて話す顔。
 聞こえぬように小さく溜息を吐いて目を転じると、空は曇っていて、その切れ間から光の帯が幾筋も、広大な湿原に突き刺さっていた。
 こんな状況でないのなら、まるで奇跡みたいにきれいな光景だった。


2年152日@1

「ちょっとそっち行ったわさ、捕まえて!」
 遠征の間にまた草ぼうぼうになった本部の裏庭で、マルメットが声を張り上げる。
 ガルゴスが背中を丸めて草むらをどうどうと走る。その前方で茶色いニワトリがばたばたと飛び上がった。ポールランが手を伸ばしてその尾をひっ掴む。
「ッたぁ!」
 直後に逃げられる。どうやらつつかれたらしい。
「あーもーバカバカ! だから篭手つけときなさいっていったのに!」
 ニワトリを追ってその横を通り過ぎながらアズリット。
 面目ない、というのと悔しいのとが半々の顔で、ポールランはその後に続く。
「ヴァルガそっち行ったわ! それ逃がしたら夜はお肉無しよ!」
 鳥小屋の屋根に上ったフェルフェッタが手を筒にして指示を出す。生け垣と本部建物の隙間をヴァルガが両腕を広げて塞ぎ、おうと答える。
「おっさん頼むぞォ!」
「だからおっさんじゃねえって!」
 怒鳴りながら体を低くして、自分の方に突っ込んで来たニワトリをひょいと掬いあげる。腕の中で猛烈に暴れるそれを潰さないように、その場で固まる。
「ヴァルガ先輩ナイス!」
 マルメットが満面の笑みを浮かべる。ガルゴスが歓声をあげて拳を振り上げた。
「了解! じゃあこっち持ってきて頂戴。逃がさないでね!」
 云いながらフェルフェッタが小屋から飛び下りる。
 そんなやりとりを眺めながら、裏口のステップに腰掛けたリコルドはにんまりした。
「元気だねー。若いっていいねー」
「老けたことを云う」
 同じく隣に座ったイワセが苦笑する。
「だって、彼らよりは老けてるよ、僕」
「……ヴァルガは拙者より上だったように思うが」
「んーまぁ、気にしない方向で」
 云って頬杖を突く。
「そういえば相方はどうしたの」
「奴なら酒場だ。飲みたい気持ちも分からぬでもないがな」
「あー、状況が状況だったしね」
「むしろあれで気に病まぬ方がおかしいと思うぞ」
 イワセは溜息を吐いて木戸に寄り掛かる。
「一人にしてくれと云うから置いてきたが、どうも不安だ」
「心配なら行ってくれば?」
「うむ……」
「クルガにはイワセが一番の薬だからね」
 その逆も然り、と云わずに付け加える。
 また溜息を吐いて、イワセは立ち上がった。
「様子を見てくる」
「ん、いってらっしゃい」
 建物をぐるりと回っていく方向で角を曲がっていったイワセと入れ違いで、キャナルとヘルンが連れ立って現れた。
「おかえり」
 声をかけると、キャナルがにこっと笑って、ただいま戻りました、と頭を下げた。
「お隣さん、どうだった?」
「とても喜んでいただけました」
「そんな何もしてないから、こんなにいらないと云われましたよ」
 ヘルンが苦笑混じりに笑む。
 二人が行って来たのは、遠征中のニワトリと菜園の世話をみてくれていた隣人へのお礼だ。持っていくのは主に、遠征中や遠征先で手に入れた様々な物品である。要は酒場への支払いと同じ物払いだった。
 リコルドはにこにこと笑みながら。
「お世話になりっぱなしはいけないからね。お陰で今夜もお肉が食べられるわけだし」
「勿論、感謝はしています。全部受け取らせるのが大変だっただけですよ」
「ん、でも全部受け取らせたんだ。ヘルンは偉い」
 云うとヘルンは、大したことはしてないです、と少し顔を赤くした。
 大事をとって一時は歩くことすら禁じられた彼だが、頭の包帯は取れないものの今ではもうすっかり元気である。次の遠征には本調子、問題ないと聖騎士も先輩魔女も太鼓判を押した。
「あの、先輩」
 黙っていたキャナルがふと、口を開く。
「ん? どうかした?」
「先生……クララクルル先輩を見ませんでしたか?」
 濃い銅色の目が心配そうにこちらを見る。
「僕は見てない。いないの?」
「はい」
「酒場は?」
「いつもの酒場にはいらっしゃいませんでした」
 いつもの、とは広場近くの『勇者たちの酒場』だろう。確かにクララクルルを始め、騎士団団員の出入りは一番多いところだ。
「他のところは、私はまだ知らないので」
「それは仕方ないね。急ぎの用?」
「いえ、お葬式のあとから姿を見ていなくて、それで心配になっただけですので……急ぎというわけでは」
 云いながら目を伏せる。遠征中はずっとくっついていたから、心細いのだろう。
「ん、じゃあ僕が探しておくよ。それまで……そうだな、今、厨房で晩ごはんの支度してるから、手伝ってきたら? キャナルが手伝ってくれたら、今晩は期待できる。クララクルルなら僕がちゃんと連れてくるから、心配しないで待ってて」
「あ、はい。ありがとうございます」
 顔を赤らめてちょこんと一礼する。鈴の音がちりんとした。お守りについているものだとは、本人から聞いた話だ。
「姿を見てない、といえば、団長も見てませんね」
 ぱたぱたとキャナルが去った後、ヘルンがぽつりと云った。
 リコルドは頬杖を突いて、横目で彼を見る。
「心配?」
「……お師匠を、亡くされたのですから」
 ヘルンは云って目を伏せる。
「支えをなくされたようなものですし」
「大丈夫だよ」
 あっさりと云うと、ヘルンは少し驚いたように顔をあげた。そのきょとんとした顔にリコルドは笑みを向ける。
「団長なら大丈夫。あの頑固者が育てた弟子だもの。僕らが心配しなくても、ちゃんと立ち直ってくるよ」
「そうでしょうか」
「うん。だからヘルンもそんなに気に病まないで。あのときのことは、みんなどうしようもなかったんだから」
「……」
 しばし黙って、若い騎士は頷いた。
 彼が気にしているのは、あのとき盾の行方を気にしたことだろう。確かにあの言葉を受けてナガイが動き、クルガが動き、結果はああなったわけだけど、それはどうにもならなかったことだ。彼が云わなくても誰かが云ったかも知れないし、云わなければ誰も死ななかったという訳でもないだろう。
 そんなことをぐちぐち云っても仕方がない。過ぎたことだし、時間は巻き戻らない。云えるのはただ、気に病まないようにと、それだけだ。
 リコルドは立ち上がって、うんと伸びをした。
「じゃ僕はクララクルル探しに行くから」
「自分も行きましょうか」
「ううん、目星は大体絞れるから一人で平気。ヘルンも晩ごはんの準備、手伝ったら?」
「あの厨房じゃ狭くてもう満員ですよ」
「そうかもね」
 苦笑するヘルンを残し、リコルドは裏庭を後にする。


 嘘をつくのは慣れている。人を騙し陥れる嘘だろうと、相手を心配させないための方便だろうと。
 それでも嘘だと分かっているから、自分の気分は全く晴れない。
 燃料代節約のためにいつも薄暗い本部の廊下。そもそも燭台すら置いてない。幅も狭く、できるだけ床に物を置かないのが暗黙のルールだ。
 そんな廊下に薄く一筋、洩れていた光。
 光というのおこがましい、僅かな明暗の違い。中に舞う埃がちらちらと白い。
 指二本ほどの隙間から中を覗いた。
 部屋は北向き。寒いし日当たりも良くないし、何より厠のすぐ近く。誰の部屋だかは良く知っている。覗いた角度からは壁と、作り付けの棚だけが見えた。
 人の気配を感じて、音を立てないようにそっと扉を押し開けて。
 声を殺して息を呑んだ。
 開け放しの窓。火の消えたランタン。薄埃をかぶった棚。二つ並んだ小さなベッド。
 その間にうずくまる人影。
 遠征前にぴしっと整えたシーツに頭を擦り付けるようにして背を丸めている。側の床に刀とマントが、荷物と一緒に転がっている。
 眠っているのではない。
 リコルドは声も掛けられず、そっと扉を閉めた。隙間を作らぬようにぴったりと。
 彼が泣いているのを誰も邪魔できないように。


 人前では毅然としてあれと、教えたのは彼の師匠自身だったろう。
 教えの通りか、あの瞬間から、彼は一度も泣かなかった。涙の一粒さえ流さなかった。
 それがおかしいと、気付いてさえやれなかった。
 彼は団長だ。
 けれどまだ年は十六。
 子供ではないにしろ、大人になり切れてもいない。
 ヴィレイスを失ったことは、今まで生きてきた時間の半分近くを持っていかれたようなものだろう。
 そんなふうに思いながら尚も彼に期待するのは、あの月夜の言葉を信じたいから。
 言葉から感じた心意気を信じたいから。
 ナガイを、まだまだ側で支えて欲しい年頃と考えて、一歩離れたヴィレイスの姿勢と反発した、あの心配を杞憂と思わせてくれた言葉。気恥ずかしげではあったけれど毅然とした表情を。
 どれがと明確には云えないけれど、あの場の雰囲気は確かにそう思わせた。
 そんなことをよすがに、彼の復帰を期待している。
 勿論、立ち直って欲しいという心境が一番なのだろうけど。
(君だってそう思うでしょ)
 故人となってしまった魔騎士に問う。


 スラムの方へ足が向いたのは、ごたごたした場所へ行きたかったからかも知れない。中心街より治安は悪いし、どこか嫌な気分になるけれど、煩雑な雰囲気は自分を隠すのにはもってこいだ。
 だから彼女もそんな場所の酒場を選んだのだろう。
 スラム街に五軒ある酒場の四軒目。
 汚れの染み付いた古い木戸を押し開けて、饐えたような甘ったるい匂いのする店内へ足を踏み入れる。
 刺々しい誰何の視線を受け流し店内を見回すと、奥の方に覚えのある姿がすぐ見つけられた。
 すたすたとそのテーブルに近付いて。
「相席、いいかな?」
 云って返事も聞かずに向かいに座った。染みと刃物痕の目立つテーブルの上には、度数の強そうな怪しい酒瓶が並んでいる。兜はそれらと一緒に置いてある。その酒瓶の林の中に突っ伏すようにしていた聖騎士は、リコルドに向かってどんよりと険悪な視線を向けて来た。
 それを軽く流しながら、彼はにっこり笑ってみせる。
「珍しいね。酔ってる」
「……酔おうとしているのだ」
 苛立った、呂律のあまり回っていない口調でクララクルルは答えた。
「多分、君が酔うより先にこの店の酒がなくなる」
「……少し、黙れ」
「キャナルが探してた。あまり心配させちゃあダメだよ」
「一人でいたいんだ。お前も帰れ」
「ダメだよ。僕、君を探して連れてくるって云っちゃったもの。先輩として約束破りたくないし」
「なら私が出て行こう」
 がたん、と音を立ててクララクルルは席を立った。振り向きもせずにカウンターで直接親爺に何やら支払って、入り口の方へ向かう。
 そして扉近くでよろめき躓いて転倒した。
 リコルドは慌てて、置き忘れた兜を持って駆け付ける。
 どうやら頭を打つのはまぬがれたらしい聖騎士は、億劫そうにもぞもぞと立ち上がろうとしている。
「おい兄ちゃんよ、カノジョちっと飲み過ぎだぜ」
 カウンターの向こうで親爺が苦笑する。
 リコルドはクララクルルに肩を貸して立たせながら、親爺に愛想笑いを向ける。
「うん、そうみたい。ごめんなさい」
「んんや、こちとらちゃんと払ってくれりゃあ構わねぇが。ちゃんとウチまで送ってやれよ、彼氏」
「頑張ってみますね」
 親爺の勘違いは気にしないことにして、笑顔を絶やさぬまま外に出る。
 そして店の前から離れてしばらく行ったところで、横道に入って側溝の傍にクララクルルを座らせる。
「吐きそうだったら遠慮なく吐きなよ」
 云って肩をぐりぐりと回す。流石に鎧ごとの聖騎士は重い。
 クララクルルはしばしぼんやり天を仰いでいたが、不意に側溝の方を向いて咳き込むように吐き始めた。リコルドは黙ってその背をさする。
 咳き込む声はだんだん酷くなって、そのうちに泣き声のようになっていった。


 夢だったら良いと、何度思ったか。
 現実なのは分かっているのに、そう思わずにはいられない。
 顔をあげれば、扉を開ければ、何事もなかったかのようにそこにいて、苦笑混じりの声で、或いはただ淡々と「どうしたのだ」と云ってくれはしないかと。

 ナガイはぼんやりと明るい窓を見上げた。
 北向きの窓はそれでも屋内よりは明るくて、白い光が眩しい。
 随分長く泣いていたと思う。
 何もかも絞り出してしまった感じだ。
「お師匠」
 呟いた言葉は声にならない。乾いた喉を空気がすり抜けるだけ。
 あのとき欠けたような気がした何かは未だ戻らずに、穴はぽっかりとして前より広がっているようだ。
 側にいるのが当たり前だと思っていた。
 居場所はすぐ隣でなくとも、手を伸ばせば、歩を進めれば、すぐ届く場所に。
 いつかは遠く離れると分かってはいたが、そんなことはまだずっと先だと思っていた。
 それなのに。
 別れはこんなにもあっけない。
 記憶は今でも鮮烈だ。雨でけぶった灰色の記憶。色のない世界。
 半分近くが爛れて腫れあがった顔の中で、目だけがいつものように、吸われそうな黒い色をして。

「済まない」

 ナガイは耳を塞いだ。
 それは記憶の中の声と分かっているのに。
「何故」
 答えの返らない問いを呟く。何もかも絞り出したはずなのに、腫れた目から熱いものが溢れる。
 そうしてまた、ひとしきり声を殺して泣く。
 遠征中は堪えられた。
 自分は団長で、団を率いていて、情けなく泣いたりなどできないと思っていた。
 それなのにこの部屋に戻ってきて、空っぽの部屋とベッドを見たとき、堪えていた何かが音を立ててぶつりと切れた。
 それからは、こうやって思い出しては泣きの繰り返し。
 飽きもせずにそればかりを。


「云いたいことがあったら聞くから、云いなよ」
 吐くのと泣くのとが治まって、どうやら落ち着いた頃にリコルドは声を掛けた。
 陽は随分と傾いたらしく、赤味の強い光が広い通りの方から細く射す。見上げる空からは青味が抜けつつあった。
 黴だらけの石壁に寄り掛かり、クララクルルは自分の膝の辺りを見ている。
 長い沈黙の後、ぼそりと口を開いた。
「酔えないとは、嫌なものだな」
「さっきの君は十分酔ってたよ。しかも悪酔い」
「私は普通に酔いたかったのだが」
「どうやったら君がああなれるかを知りたいね。理由もさ。その方が説教もし易いから」
「怒っているのか」
「怒ってないとでも思った?」
 また沈黙。落とした視線がゆっくり揺れている。
「……何故、ああなったのかは、分からない。初めての経験だ。空腹で飲めば酔えると聞いたから、実践してみたのだが」
「多分それが原因だよ。それでも珍しいけど」
「そうだな」
「何で酔おうなんて思ったの。酔えないっていうのは聞いたけど、こんなところでこうやって挑戦することじゃないでしょ」
「……」
 三度目の沈黙。今度も長い。口を開きかけては、また閉じる。
 やがて深く俯いて呟く。
「え」
 聞き取れず、リコルドは思わず聞き返す。
 クララクルルは両手を組んで、絞るように云った。
「私は……剣を捧げる相手をなくした」
 咄嗟に言葉も出なかった。
 意味することは分かったが、それをどう云っていいものかが分からなかった。
 そんなリコルドに気付かぬように、ぽつりぽつりとクララクルルは語る。
「始めは自分でも分からなかった。もしかしたらと思ったのも、それほど前ではない。だが奴の、存在に、いつの間にか惚れていた。ずっと見ていたいと、そう思っていた」
 聖騎士は目を閉じている。思い浮かべているのは彼のどんな姿だろうか。
「せめて伝えておけば良かったな。今となっては、それも叶わぬが」
「それは誰も知らないこと?」
「恐らく。誰かに相談した覚えもないからな」
「そう」
 リコルドは溜息をついた。
「戻ろうか、本部に」
「……説教は無しか」
「ここでこうしてるこの立ち場、もしかしたら逆だったらと思うとね」
「……」
 微かに驚愕の色を浮かべて、クララクルルは軽く目を見開いた。そして皮肉げな笑みを浮かべる。
「お前も人の子か」
「買い被り過ぎだよ」
 口元を歪めて、リコルドは笑顔を作る。けれど細めた目が笑っていなくて、クララクルルは笑みを引っ込める。それを見てアーチャーはふいっと背を向けた。
「一つ頼むんだけど」
「何だ」
「今回、次の一度だけ我慢して」
「……何のことだ」
「立ち場が似てるから想像できるの。今回が済めばあとの事は云わないよ。でも今、君に抜けられるのは困るから」
「お前には読心の術でもあるのではないかと疑うよ。それは戦力的な意味か?」
「精神的にも。君はキャナルを任されてるってこと、忘れないでよ」
「忘れてはいないさ」
 クララクルルが顔を顰めるように笑む。見ようによっては泣き顔にも見える。
「だが、ここには多すぎる。何を見ても思い出してしまう」
「逃げるの」
「そうだ」
「……説教も出来ない僕に責める資格はないけど」
 歩を進め始めながら、リコルドは投げるように云う。
「キャナルのことは責任持って」
「ああ」
 クララクルルは立ち上がって、拾った兜をきちりとかぶる。
「分かっている」



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