「すいませんでした。申し訳ありませんでした。魔がさしました」
  
ひたすらに謝った。

動かぬ証拠をつきつけられ、言い逃れが出来なくなったは裸足で土下座して
とにかくもう、謝り倒した。
さきほどの挑戦的な態度から一転、手の平を返したような今の低姿勢さは我ながら情けなく思うが身の安全のため手段は選んでいられない。
若い命はかけがえのないもの。
大切にしなければならない。
それにしても、置き去りにした靴に名前を記入していたという、致命的ミス。
ベタすぎる。今時コントでも使えないだろう。

…こんな馬鹿は見たことがない。
しみじみと、己の愚かさ加減をが痛感していたところ

「こんな馬鹿は見たことねぇ」

下げている頭の上から、同じ台詞が降ってきた。
声の主は、他でもない跡部景吾様。
一応今回の被害者なのだが、部長専用マッサージ椅子に踏ん反りかえり
前に少女(注・加害者)をひれ伏せさせている、この状況だけで考えると、とてもそうは思えない。
  
「はじめからこうやって、素直に謝ってればいいものを…おかげで、えらく手間がかかったじゃねぇか」

そう言って跡部は、背もたれに預けていた体を起こし
畳まれたように小さく座り込んでいるを見下ろした。
    
「…俺様の手を煩わせるとはいい度胸だな…アーン?」

実際、手を煩ったのは跡部本人ではなく、彼以外のレギュラーの皆さんである。  
早朝から駆り出された、4名の身にもなって欲しい。  

「しっかし、とんでもない脚力してんなテメェ…アキレス腱切れるかと思ったぜ」

こちらの左足も多大な被害です、と思いはしたが口には出さない(出せない)
  
「なんかスポーツやってんのか?」

跡部からの問いに、は首を振って答えた。
部活もしてない、校外のクラブにも所属してない。
ただただ、毎朝遅刻しそうになっているだけである(カッコ悪い!)

「マジか……お前、どんな遺伝子組み換えしやがったんだ」


大  豆  ?


過ぎた運動神経(主に脚力)について、体育教師やクラスの男子から指摘されたことは何度かあるが、DNA単位で疑われたのは生まれて初めてだ。
それにあれは、危機に瀕した際にのみ発揮される火事場の馬鹿力的なものだと思われる。
多分、もうあの速度では走れないだろう。
正直な話、そういう差し迫った事態に陥いるのは金輪際ご遠慮願いたい。
跡部は、項垂れているの前髪を軽く引っ張る。
こっちを見ろという意味だ。

「あの時、なんで逃げやがった」

なんでって…アンタ…

恐れ以外になんの理由があるというのか。
跡部を見上げたの顔は、大いに引きつる。

「み、身の危険を、感じまして…」
「ア゛ア゛?」
「いや、だって…後ろから、待ちやがれこのアバズレ!!って物凄いドスの聞いた声が…」
「言ってねーよ!!」
「指詰められるんじゃないかと…」
「詰めるか!!」

過去の体験というのは、得てして大げさに歪められたりするものである。
それが恐怖が伴ったものであれば、なおのこと。
もその例に漏れず、昨日起きたばかりの出来事だというのにたった1日置いただけで怖さ約1.5倍の増量キャンペーン状態。
  
「口汚いわー跡部、アバズレはあかんやろ素人さんに」    
「だから、俺はそんなこと一言も言ってねーんだよ!!」
「カタギの人間相手に、小指要求するのはどうかと思いますが」
「してねぇっつってんだろ!」

とりあえず口を出したい系のオシタリメガネはともかく。
普段は物静かなくせに、余計な時に余計な発言かましてくれる日吉若。
きっと奴は、何かものすごく頑丈なもので出来ているに違いない。

「どいつもこいつも、俺が極道みたいな言いかたしてんじゃねぇ」  

イライラをそのまま行動に持っていく男・跡部は横のパイプ椅子を蹴り飛ばす。
蹴られた椅子は、一番離れた位置に座っていたはずの宍戸のスネまで吹っ飛んでいった(無差別)
テニス部だというのに素晴らしく重いキックだ。ムエタイ並みだ。
散々な言いがかりで大層ご立腹の跡部だが
そのワンパク過ぎる振る舞いは、充分に組の幹部を名乗るに値する。

冷たい床の感触を味わいながら、ヤクザの事務所に連れ込まれ返済を迫られる借金苦の立場を疑似体験中の
こんなイメクラは御免だ。
  
「…とにかく」

ひとしきり暴れて気が済んだのか、跡部はギシッと椅子へと再び腰掛ける。
パイプ椅子に続き、次は自分が蹴り飛ばされるんじゃないかとヒヤヒヤしていたは、内心ホッとした。
  
「お前、これにサインしろ」

目の前に出されたのは一枚の白い紙。
何が書かれているのかと思い、は顔を近づけようとした。

「なんですか、こ」
  
言い終わる前に、跡部は用紙を素早くひっくり返す。

「読むな。ただ署名しろ、印鑑を押せ」

そんな無茶な。
それじゃホントにその筋の人ですよ跡部さん。

「な、中身も確認できない書類に、サインなんか出来ませんよ…」

いくら中学生と言えども、この世知辛い現代社会の一員だ。
簡単に判を押してはいけない、という常識くらいは心得ている。

「署名したら確認させてやる」
「…そうですか、なら………って、
それじゃ手遅れじゃないですか!!
「てめぇ自分がどういう立場かわかってんのか?アーン?」

この「アーン?」は聞くたびHPが減らされる気がする。

「わきまえろ。いいから何も考えずに書け。そして押せ」

その声色には、かつてない迫力が込められている。
これは早めに言うことを聞いておかねば取り返しがつかないことになりそうだ。
印鑑を押すどころか、むしろ逆に焼き印を押しつけられかねない。

「判は拇印でカンベンしてやる」 
  
カンベンされた。
そんな慈悲いらない。
泣く泣くは、最重要な部分を思いっきり折り隠された悪魔の契約書にサインした。
すると、「これどうぞ」と爽やか戦士(長太郎)がウェットティッシュを手渡してくれる。
  
拇印で判押した後は指が汚れちゃうもんねーうわぁ気が利くなぁー(棒読み)
    
とても親切である。
確かに親切には違いないんだが。
この状況を止めるでもなく、朱肉で汚れた指を気遣うあたり
優しいんだか冷たいんだか何も考えてないんだか、もうにはわからない。
署名済みの書類を隅々まで眺めた跡部は、声高らかにこう宣言した。

「…よし、これでたった今から、おまえマネージャーな」

『私、は、跡部景吾様の名誉と人権を著しく傷つけた代償として
テニス部 マネージャーとなり、誠心誠意尽くすことを誓います。
  
               平成××年×月×日   』




  
ゴボッ



  
飲み込んだ唾がヘンな器官に入った。

「ゲボッ…ちょっ…ゴフッゴフッ!…な、なに言って…ゲフッゴフッ
ゲヘ!!

今すぐに異議を申し立てたいというのに、咳き込みすぎてロクにしゃべれない。
 
「俺様へのあの仕打ちが、こんなもんで許されるンなら安いもんだろ」
「ウッソー!やった!!ウチにもついに女子マネが!!」  
   
呼吸困難に陥ってるを余所に、天井へぶつからんばかりに跳ねているおかっぱ。

「もうこれからは、ムサ苦しい一年や二年から、タオル受け取ったりせずに済むんや…」
「今まで、三年とレギュラー以外部員の交代制だったからな」←(説明ありがとう宍戸さん)
「申し訳ないですけど…助かりますよね」
「なんだ…お前マネージャー志望だったのか」 
  
黙れ日吉!!

「おんなのこが入るの?えー嬉Cー」

クリクリと柔らかそうな髪と、人懐っこい顔。
気付けば、さっきまで確かに眠っていた何かが、のすぐ隣に座り込んでいた。   

「名前なんていうのー?俺はね、ジロー!!」
ゲホッ…あの、やめてくださゴホゴホッ…

言いたいのに。
ポッキーで顔を突付いてくるのはやめて下さい、とこのジローとやらに言いたいのに。
悔しいことにの咳はいまだ止まらず。
  
「おい、勘違いするな。コイツはお前らのユニフォーム洗ったりドリンク作ったりはしねーぞ」

人の気などお構いなしに盛り上がる部員達に、立ち上がった跡部はそう言い放った。

「だって跡部が今マネージャーっつったんじゃん!」

すかさずオカッパ頭の彼が、口を尖らせて反論する。
  
「確かにマネージャーには違いない…だがよく見ろ」
  
にサインさせた書類を、オラッと全員に突きつける。



テニス部マネージャーとなり



小さく「長」って入ってる
――――!!!!


「ほらな、俺専用マネージャーだろうが」
「…汚ねーよ跡部!くそくそ!!」 

してやったり顔の跡部景吾に対して、本気で悔しそうなオカッパ。
こうまで見事に地団太を踏む人間は早々お目にかかれない。

「言っとくけど、部活関係だけじゃねぇからな?スケジュールを管理したり、飲み物買ってきたり、とにかくこの跡部景吾様の毎日を全力でマネージメントしろ」    
「多忙なジャニーズアイドルかお前は!!」

多分この場に居た全員が思ったことを、忍足が代表して突っ込んでくれた。
ちょっとスッキリした。
   
「俺らこんだけ協力したんやから、テニス部全体のマネージャーにしてくれればええやん!!」
「そうだよ、せめてレギュラーだけのとかさ!!」 

果敢にもダブルスコンビが揃ってワンマン野郎に食って掛かったが。
(どちらにしてもには歓迎できない内容だ)

バンッッッ!!!

対して跡部は、黙れ、と言わんばかりに右手を机に叩きつけ、一喝。

「もともとこれは部活とは関わりのない俺個人のことだろうが。公私混同するんじゃねぇよ」

それをお前が言うか!!! 

非常に部長らしい説得力のある台詞だが、その俺個人の事件にテニス部員を召集したのは一体どこの誰だというのか。

「…跡部にはもう樺地がいるじゃねぇか。そんなに付き人増やしてどうすんだ。お前は萩本欽一か」

(欽ちゃんのことはどうか知らないが)
久しぶりに高レベルの跡部横暴放射線を浴びた宍戸は、たまらず口を開いた。

「樺地は荷物持ちだ。マネージャーとは違うんだよ。なぁ樺地?」
「ウス」

今まで一言も発せず黙りこくっていた跡部の傍らの大男が、ここに来て初めて喋った。
さっきからピクリとも動かずにいたので、てっきり部室の備品かなにかかと思っていたのだが。  
そんなどうでもいいことに驚いているの傍に近付いた跡部は、彼女の目線に合わせて腰を落とす。
契約書をヒラヒラとの目の前で揺らした後、それを折りたたんで胸ポケットにしまいこんだ。

「…ま、そういうわけだ。これから、しっかり俺様の為に働きな」

部員合計約200人の氷帝テニス部。
他のレギュラーのお望みどおり、ここのマネージャーなんかになった日には恐らく卒倒するほどの忙しさと疲労が襲うであろうことは想像に難くないのだが。
それでも。

そ れ で も。

跡部景吾個人のマネージャーなんぞになるより、はるかに軽い負担で済むのではないかと思ってしまうのはどうしてだろう(特に心労面)

「今日からもう通常通りの部活開始だ。終るまで待ってろよ、絶対先に帰るな。死んでも待て」  
 
この数十分で生気という生気をすべて吸い取られたに、早速ご命令が下った。
『今まで幸せに暮らしていたシンデレラは、迎えに来た意地悪な王子様にこき使われるのです。』
ディズニーでは、そんなおとぎ話ではなかったはずなのだが。

「おい、返事はどうした?アーン?」

何が楽しいんだが理解に苦しむが、泣きボクロのご主人様は憎らしいほどの笑顔である。    
もはやそれを睨み付けるほどの気力もないは、胸によぎる平和だった日々の暮らしを遠くに感じながらため息とともに応えた。

「……イエッサー」

  
  
逆シンデレラガール・
彼女の罰ゲーム的な学校生活は、スタートを切ったばかりである。


  




ありがたくないおまけ付きだよ!