ギギィィィィィ・・・・・


世界の終末を予感させる、禍々しくも重苦しい気配。
固く閉ざされていた地獄の門が、おごそかに開いてゆく音を絶望の中で聞いていた。  
迷い込んだ愚かな子羊を裁くべく、闇の底で控えてらっしゃるのは、魔王サタンかはたまた堕天使ルシフェルか。
断末魔をBGMにいざ始めん、魔女が舞い踊る悪魔のサバトを。

 
…というのは、もちろん追い詰められているが勝手に生み出した妄想で。 
実際は、単に部室のドアがガチャリと開いただけの、ごくありふれた日常風景に過ぎない。
だが、今のには充分すぎるほど呪わしい状況である。
その哀れな子羊は、エリート専用A棟部室へと歴史的一歩を踏み入れた。
(ドアは日吉が開けてくれた)(ありがたくない)

これは小さな一歩だが、庶民にとっては大きな一歩である。

アームストロング船長の名言をパクりながら、部室に(後ろ)姿を現した
直後、一瞬の沈黙が訪れた。
命じられた通り背中を向けたままのの目には、緑眩しい木々とテニスコートしか映らない。
当然後方の状態などは何一つ分からないのだが、背中には見えない力をビシビシと感じる。
これが世に聞く、刺さるような視線というものだろうか。

時間にすると、わずか数秒間。
だが息の根が止まるほど、視線の矢をお見舞いされたにしてみれば、秒単位どころか何時間である。
永遠に感じたといっても過言ではない。
そして、(にとっては)長い長いその静寂を破ったのは。

出来れば一生聞かずに終わりたかった、あの声。
    

「…まちくたびれたぜ、シンデレラ」


…死ぬかも知れん、は思った。
  

「間違いねぇな、忘れもしないその後姿…」

忘れてくださって、結構でしたのに。

「…よし…ゆっくり、こっち向きな。下手な真似すんじゃねぇぞ…?」
  
大変ガラの悪い口調で下った命令に従い、腹をくくったは体全体を正面に向けた。
(ラケットが飛んできても反応出来るように、心の準備もしておいた)

「…ぐぇ」
  
予想はしてたが、それでもやはり、の口からうめき声が漏れる。
振り向いた先・テニス部の部室内には、レギュラーメンバーが勢ぞろい。
ど真ん中、元凶・跡部様とその隣にやたらデカい男。
その両脇にそれぞれ、朝見かけた4名が半数に分かれて椅子に腰掛けている。
(それ以外にも、ロッカー脇のソファでスヤスヤと熟睡している妙な生き物が一匹視界に入ったが構っている場合ではないので、とりあえず黙殺)
高い、人口密度高い。
  
それにしても、氷帝の星・テニス部レギュラー陣が一同に会したこの光景、圧巻である。
制服ではなく、テニス部のジャージに袖を通しているせいだろうか。
今朝、校門前で誘導などをしていた時にはまったく感じられなかったオーラらしきものが今の彼らからは惜しげもなく放出されている。
にとって、そんなものはありがたくもなんともないのだが。
しかも、そんな人種が揃いも揃って、へと視線を注いでいるのだからたまらない。
針のムシロだ。
  
「あー!なんや、キミだったんかいな!」

一番端に座っていたメガネが、を指差し立ち上がった。
いきなりの大声に、ビクリと体が縦揺れしたのは秘密だ。
  
「なんだ忍足、知ってんのか?」

あ、オシタリ…ってあのメガネだったのか、と、レギュラーの名前と顔が一致してないは(こんな時だと言うのに)今更知った。
これでもかというくらい偉そうに足を組んだままの跡部が、視線だけをそのオシタリへと投げる。
  
「いや、今朝俺らがサイズ調べとった時なあ…この子、
ものすごい怪しかってん

余計なこと言わんでくれ。

それを聞いた跡部は、ニンマリとした笑みを浮かべてを見る。
対しては、ロコツに視線をはずした。
今は、眼力勝負で勝てる気がしない。
完全に相手のホームグランドだ。
アウェイのには圧倒的に、不利。
 
「ここに呼ばれた理由は…もう分かってるよな?アーン?」
「…な、何のことでしょうか」
「お前、この期に及んでもシラ切るか」

飽くまで知らぬ存ぜぬを通そうとするに、跡部は呆れたような声を出す。
思いっきり顔を背け続けているの首は、そのままねじれそうな勢いだ。
軽く溜息をついた後、華麗な仕草で跡部は指をパチンと鳴らす。
(指の音にしてはずいぶんなデカい音だったので、密かには感心した)     
    
「はい部長」

飼い主に呼ばれた忠犬のように、跡部へと折りたたまれた紙片を手渡すロザリオの少年。
朝のミスタースマイリー”長太郎”である。
その笑顔は夕方でも変わらずサワヤカだ。
彼ならば、安心していいとも青年隊を任せることが出来る。
しかし、この切羽詰った場面ですら、輝くようなスマイルなのはいかがなものか。
  
「これ見てみろ」

跡部は受け取った用紙を広げて、へと見せ付けるように突き出した。
背けていた顔を正面に戻したは、それが今朝強制的に書かされたアンケート用紙であることを知る。
 
「そ…それが何か…?」
  
悪いが、本当にそれがどうした、という思いでいっぱいだ。
その回答に関しては、大いにハズした自信が有る。  

「全部、不正解なんだよ」
「え?は、はぁ(そりゃそうだよ)」
「オール不正解。5択の30項目、すべてだ…普通、有り得ないよな?」

顔の前に掲げている回答用紙から、跡部は片目を覗かせる。

「…あ…!」

跡部が言わんとする意味をようやく理解し、は短く声を上げた。
虚を突かれたようなの表情を見た跡部は満足そうに微笑み、握っていた用紙に目を落とす。
 
「これだけの多い質問事項、しかも回答は選択式…とくれば、最低ひとつかふたつは必ず正解を選んでくるはずなんだよ」

普通の人間は、と跡部は呟いた。  
  
「…本当の答えを知ってる奴以外は…な」


やられた
  

「金田一少年の漫画に載ってた方法やで!大成功やん!」

誇らしげにオシタリがメガネを押し上げた。
このはしゃぎよう、さてはあの寒いアンケートを作成したのはこの男とみて間違いなかろう。
途中から金田一を読むのを断念した過去の自分を責め、は下唇を噛んだ。

「く…」
  
身を守るつもりが、まんまと裏目に出たというわけだ。
しかし、はそれでもなお力を振り絞り、余裕顔の跡部をキッと見据える。

「そ、それは…きっと…たまたまですな!
「…なっ」

完全にKOを食らわせたと思った相手が、ファイティングポーズをとり続けることに跡部は驚きを隠せない。

「たまたまってテメェ…苦しい言い訳を…」
「偶然と言う奇跡ガ起きたニ違いありまセン」
「声、裏返ってんじゃねぇか」
「とにかく偶然です。偶然です。偶然です。奇遇です」
  
奇遇ってのは意味が違うんじゃないかと思いつつも、もはや後がないは低レベルな反論を繰り返す。
自分の考えが足りないばかりに、手痛い失敗をやらかしてしまったが、まだ物的証拠は上がっていない。
  
『ハッハッハ面白い仮説ですな…しかしそれは飽くまで推測に過ぎない…証拠はあるんですか、証拠は!!』

という、推理モノには欠かせないアレである。
その往生際の悪い犯人役ポジション=今の自分、という図式には泣けてくるが、この際なりふり構っていられない。
 
「なんつぅか、しぶといよな」
「あの部長相手に、たくましい人ですよね」
「ヤケクソと違うか?」
「唇噛み過ぎて、血が出そうだよあの子」
「なんのことだか分からんが…潔く認めたほうがいいぜ、

外野がうるさい。
くそう、完全に日吉もテニス部サイドか…!

唯一の顔見知りからの援護も、まずもって得られそうもない(もともと期待してないが)
とても孤立無援な戦地において、の戦いは続く。

「…じょ、状況証拠だけでは、裁判に勝つのは難しいですよ」
「ほ、法廷まで行くつもりかこの野郎…」

我ながら飛躍しすぎた科白だとは思ったが意外と跡部はひるんでくれた。
けっこうアホだ。

「そこまで言うなら目にモノ見せてやる…こっちも念には念を入れてあるんでな」

組んでいた足を下ろし、一気に跡部が立ち上がる。
  
「これの一番下に、お前が書いた自分の名前…」

跡部は机の上に用紙を置き≠ニ書かれた場所をトントンと指で叩いた。
  
「知り合いの鑑定士に筆跡確認済みなんだよ」

どんな知り合いだよ
普通は居ないよ、中3の知り合いに筆跡鑑定士。
なんでも持ってるなアンタ。
少しは義務教育中らしくしたらどうなんだ。
跡部景吾の驚異的な人脈には衝撃を覚えつつも、彼の発言に矛盾を感じた。

「筆跡鑑定…?」
「ああ、筆跡鑑定だ」
「ど、どうやって?」

アンケート用紙の名前だけでは何の意味もない。
照らし合わせる、もう一つの証拠がなければ。

「これ、使ったに決まってんだろ」

の素朴な疑問に対して、当たり前のように跡部は手にした解答用紙を広げる。
そうじゃなくて、とが言いかけたが。
  
「…あとは、」

跡部がさえぎるように口を開いた。

「これだ」
    
その時の跡部の表情といったら、もう…。
こういう顔のことを、満面の笑みというのだろう。
付き合いの長いレギュラー達でさえ、見たこともない最高の笑顔だったと後に絶賛するほどである。
その嬉しそうな跡部の手に握られていたのは、忘れもしない。
昨日跡部にたたき付け、今朝メガネに無理やり履かされた、あのシンデレラの黒い靴。

「お前、自分で気付かなかったのか?」

掲げられた靴の中敷には、黒いマジックで堂々と。






           
 ・ (右)
           





  

そういえば靴に、名前書いてたんでしたね。