左内腿が異様に痛い。

軽く痙攣おこし気味な片足を引きずりながら、は静かに通学路を進んでいた。
毎朝、早朝マラソンをかっ飛ばしている彼女にしては珍しく物静かな登校風景である。
いつもは母親にたたき起こされるまで熟睡し、時間ギリギリに家を飛び出すのが常であるが今日は走る必要も急ぐ必要もない。
寝坊をしなかったのである。
正確に言えば、寝ていられなかったのだ。
恐ろしいほどの左足の筋肉痛で、は早々に目が覚めてしまった。
選手生命(何の)を絶たれそうなこの痛みの原因は、言うまでもなく昨日のケンケン全力疾走にある。

昨日あのあと、片足で帰宅した娘の姿に母はちょっと驚いていたが
「ブランコ乗って靴飛ばししてたら、川に落とした」
というの無茶な言い訳でなんとか納得してくれた(単純な人で良かった)  

「…うぃー…遠かった…」

いつもの3倍ほどの時間をかけて、ようやく校門前まで辿り着く。
走ればあっという間のはずの長い道のりに、は溜息を吐いた。
いつもはほとんど誰とも会うことはない(もう皆登校済み)朝とは違い、校舎の周りは通学中の生徒で溢れている。
なるほど、普通の登校時間はこのくらいか、とは今更ながら思った。
  
…それにしても混み過ぎではありませんか
  
昨日死闘を繰り広げた(出来れば忘れたい)正門前には、異常とも思える人だかりが出来ている。
通学ラッシュ時間とはいえ、いくらなんでも混雑しすぎだろう。
不思議に思いながらも少しずつ近付いてゆくと、門前に固まっている生徒はすべて女子であることに気付いた。

「なに?…ん、そんならこっち来てや」
「はいはい、君はいいよー。そのままガッコ行って」

丸メガネの関西弁とオカッパが校門前に立ち、何やら説明しながら女子をさばいている。
  
「えーとすいません、こっちに一列にならんでもらえますかー?」   
       
校門の奥には、整列を促している長身の銀髪(確か同じ2年だと思う)と面倒くさそうな顔をした帽子の男。

名前まではよく知らないが、彼らの顔には見覚えがある。
テニス部だ。
しかも、大して詳しくないが知っているということは、間違いなくレギュラー陣。
ピクリ、との眉間にシワが刻まれた。
なにしろ昨日の今日である。
テニス部に関して、いま現在非常にイメージが悪い。
なるべくならば関わりたくない。

…朝っぱらから、なにして…
  
通学だけで疲労困憊、という感じのは警戒しながらも校門の2人を見やった。
背の低さゆえ埋もれつつあるオカッパとは対照的に、人込みからヒョロリと抜け出ている背の高いメガネ。 
左手に何かを抱え、右手で大きなジェスチャーを交えながら忙しそうに仕切り倒している。 
は、そのメガネの男が手にしているものに視線が釘付けになった。
くるまれた布から隙間から見え隠れする、黒い物体。

どう見ても、靴に見える。
ローファー、に見える。
もしかして…いや、もしかしなくても。
昨日例の人に食らわせたアレではなかろうか。

それを裏付けるように、彼の手の中のその靴は片っぽだけである。
至近距離まで近づいてないので確認はしてないが、絶対にの右靴だ。  
もう二度と目にしたくなかった思い出深い品の登場に、は心で「ギャフン」とつぶやいた。
顔を引きつらせたまま突っ立ている彼女の意志とは無関係に、校門前でのやり取りが聞こえてきた。 
  
「そっちは…あ、マジ?侑士、この子そうだって」
「おー、ほんならコレ履いてみて」
「……なんだよ、入らないじゃん!」
「サイズ全然違うやないか。嘘言うたらアカンわー君。俺ら用があんのはセンチの子だけやで」


    
捜 さ れ て ま す 。



昨日の遺留品(靴)を使って、犯人(自分)をあぶり出そうとしてます。
しかもテニス部レギュラー総動員です。
かなり本気です。
  
なんという恐ろしい男か、跡部。
奴にとって部活とはなんなのか。
テニス部という名を借りた、跡部カンパニー(謎)か。
  
テニス部部長が持つ圧倒的な権力をむざむざと見せつけられ
はこのままクルリとUターンしてしまたいたい気持ちでいっぱいだった。
だが、この校門前で引き返すのは明らかに不審である。
自ら「わたくしです」と名乗りを上げているようなものだ。
気分は指名手配犯。 
そして、目の前は検問。
  
だ、大丈夫、そっと通過してしまえ。
ファイト自分。
必死で自分をそう激励してみる。
これだけの人数が押し寄せているのだ、1人くらい横切ってもわかるまい。   
みなぎる緊張感を気取られないよう、はあくまで自然に校門を通り過ぎようとした。

「あ、そこの彼女。ちょっと待ちぃや」
  
いきなり見つかってしまった。
めざといメガネだ。
そのレンズの奥には赤外線アイでも搭載されているのか。
しかしは、その声に気づかないフリを決め込んで、立ち止まらずに歩き続ける(早足で)(筋肉痛が超響く)
  
「ちょっとちょっと!ホンマに待ってや!」

逃がさんとばかりに、メガネはシカトを続けるの肩を掴んだ。
さすがにそれを振り切って逃げるわけにもいかず、仕方なくは振り返る。

「さっきから呼んどるのに、気づきへんかったん?」


お前こそ気付くなよ!


心でそう本音を語りながら、呆れ顔のメガネに対してはこわばった表情で頷いた。

「…なんかアンタ怪しいなぁ」
「ア、アヤシクナイデスヨアヤシクナイデスヨ」

背中に広がる冷や汗と脂汗。
あさっての方を向きながら、無機質な声では答えた。
背けた顔と棒読みの台詞が怪しさを更に煽っている。
そんなに対して、一瞬怪訝な表情を浮かべたメガネだったが、「まあええわ」と溜息をついた。

「今、ウチの女子に靴のサイズ聞いとるところなんやけど、足のサイズなんぼ?」

「32センチですが」

「ウソつけ!」

G馬場か!と突っ込まれ、どうにかこの場から免れようとするの作戦はまんまと失敗した。

「もーええから、コレ履いてみい!」
  
そう言って突然屈みこんだ彼に、半ばムリヤリスニーカーを脱がされ、はローファーを足に押し付けられた。  
強引なりメガネ。
初対面の人間(しかも女子生徒)の靴をいきなり脱がすとは、変態っぽくてなかなか出来る行為ではない。
さすがはあの跡部の手先である。
  
「お、ピッタリやん自分」

当たり前だ。
持ち主だ。

苦々しい想いを胸に秘めたをよそに、メガネは至って能天気に笑っている。
こっちは全然笑えないが。

「そしたら悪いけど、キミあっち。…長太郎!この子そっちで頼むわ」

彼は校門の奥へとを促した後、向こうでテキパキと働く銀髪の男の子を呼びつけた。
長太郎、と呼ばれたその彼は、朝日も裸足で逃げ出す爽やかな笑顔で駆けてくる。      
  
「おはようございます」

そう屈託なく微笑まれたので、挨拶なんてしてる場合ではないがもとりあえず頭を下げる。
これに記入お願いできます?と彼は柔和な笑みを浮かべたまま、抱えた用紙の束から1枚取り出し、に手渡した。

「書き終わったら、あそこに座ってる帽子の…宍戸さんって言うんですけど。ハイ、あの人に…あ、ペンですか?これ使ってください」
  
大変丁寧な対応をしてくれた(さっきのメガネとは大違いだ)”長太郎”は何も言ってないのに筆記用具まで貸し付け、春風のように去っていった。
呆然とするの手には一枚の紙とボールペン1本。
12本入って100円くらいの安そうなボールペンには、「テニス部」と書かれた細いテープが巻かれていて、妙に貧乏臭い。
まったくそうは見えないが、あの部活でも意外と節約しているのだろうか(監督までが派手なのに)
そんな想像をかきたてるしみったれたペンを片手に、は手渡された用紙を広げてみた。  
 
『足のサイズの乙女に聞いちゃうYO!正直に答えてネ!〜ドキ☆ドキ☆アンケート〜』

冒頭から、破り捨てたい衝動にかられる。
だが幸い、今朝牛乳を飲んでカルシウムを充分に摂取していたは、どうにか理性を保つことに成功した。
まさに、早起きは三文の得。
気を取り直して、再びが目を落としたアンケート用紙の内容は以下の通りである。


1、アナタはいつもどんな靴を履いて登校してますか?
A:ローファー B:スニーカー C:紐靴 D:サンダル E:その日によって違う

2、では、昨日は何を履いてましたか?
A:ローファー B:スニーカー C:紐靴 D:サンダル E:覚えてない

3、それは何色?
A:黒 B:茶 C:白 D:赤 E:それ以外

4、足は速いほうですか?
A:速い B:やや速い C:どちらともいえない D:やや遅い E:遅い

5、追いかけられると逃げたくなりますか?
A:逃げたくなる B:まぁ逃げたくなる C:むしろ追いかけたい D:どちらでもない E:わからない
  
6、昨日はテスト最終日でしたね!いつごろ帰りましたか?
A:テストが終ってすぐ(11時前には) B:少しだけ校内に残ってた(11時半前) C:ほぼ玄関は無人だった(12時半過ぎ)
D:学校を休んだ E:覚えてない

7、人にモノを叩き付けてしまいました。アナタはどうする?
A:すぐに謝る B:バレたら謝る C:わからない D:逃げる E:どこまでも逃げる

8・・・
9・・・


こんな調子で項目が30問まで続いていた。
すべて、昨日の事件に関わる問いである。
段々下に行くごとに、質問の内容もストレートになってきているのが怖い。
もはや、これはアンケートと呼べるのだろうか。
空恐ろしいものを感じ、手に汗をかきながらもはアンケート用紙を埋めていった。
こんなもの無視してそのへんのゴミ箱にでも捨ててもいいのだが、処分した瞬間に、またあのめざといメガネが飛んできても面倒だ。
それに、正直に回答などする必要はない。
なにしろ犯人は自分なのだから、すべて逆で答えればいいのである。
さすがに自分の名前までは嘘ッパチではまずいだろうと「2−G 」と最後の氏名記入欄だけ偽りなく記入して提出した。
  
「はい」
「そこ置いとけ」
  
宍戸さん≠ヘ机の上に重ねられたアンケート用紙の山を指差し、ぶっきらぼうにそう言った。
顔にはありありと「なんだって俺がこんなことしなくちゃなんねーんだよ」という気持ちが浮かんでいる。
正しい反応である。
この人は案外まともかも知れない、とは思った。

「あの、もう学校行っていいすか」
「あ?いいんじゃねーか?」
  
すごい適当な感じの返事だったが、ともかくお許しが出たのではいそいそとその場を離れた。
ようやく、釈放。  
二日連続で危機に直面したは、フゥと息を吐きながら校舎へと向かう。
とりあえず、なんとか乗り切った。
まさかあんな捜査網をひいてくるとは思わなかったが、それでも上手く誤魔化せたはずだ。
自分にとって不利な回答はひとつもしなかったし、あんなアンケート一枚で犯人が見つかるとも思えない。
  
…勝った…
    
あの成金テニス部への勝利を確信しながら、は自分の席に着いた。
(普段からは考えられない登校時間の早さに、クラスメイトはかなり驚いた様子だ)


だが。
平和に終るはずだった、今日という1日。
その校内放送が流れたのは、放課後の掃除時間のことである。

ピンポンパンポーン♪

「2年G組のさん、至急テニス部部室までお越しください。
繰り返します、2年G組の……

  
悪い夢なら、今すぐ覚めてくれ。