大きな物音がして、その場の全員なにごとかと顔を向けると、赤髪の男がロッカーから雪崩を発生させていた。 滑り落ちた色とりどりの箱や袋が、埋め尽くすように足元に散らばっている。大半は菓子である。 だからあれほど片づけておけと言ったのに、と周りから散々非難の声が飛んだが、当の本人は「あーあ」と言うだけで特に反省の色はない。見かねたジャッカルや柳生が手伝ってやりながら、雪崩の残骸を片し始めた。 「あ、やべえ」 のやつ持ってきちまった、とブン太がひっくり返したカバンの中身からノートを一冊引っ張り出した。 彼は苦手な教科や宿題忘れなどがあると、隣のに拝み倒してよく見せてもらっている。今日の英語も先日出された課題が中心だった。おそらく借りたことを忘れて鞄に突っ込んでしまったのだろう。 もちろん全て聞こえているし、名前が出た時点ですでに耳が過敏になっているが、仁王はあくまで素知らぬ振りを通して適当に広げた漫画を読んでいた。 探してるんじゃないのか、早く知らせてやれとジャッカルが顔をしかめる。へいへいと気持ちの入ってない返事をして、ブン太はおむもろに携帯を取り出した。 「メールしとこ」 そこで不用意にも顔を上げてしまった。 どうしたんだい?と見透かすような幸村のまなざし。 なんでもなか。へらりとかわしたつもりだが、果たしてうまく笑えていたかどうか。 無反応を突きとおすべく、再び漫画に目を落としたが、内容などひとつも入って来ない。字が追えない。 ページをいつ、どのタイミングでめくればいいのか、それもわからない。 感じたことのない暗い炎が、ちろちろと底の方でくすぶっている。 とブン太がそれなりに仲がいいのは仁王も知っていた。 仲がいいとはいっても、ブン太の物おじしない性格がその関係を作っているといっても過言ではなく、男女の親密さではないことは誰の目にも明らかだった。 それでも、芯を焦がすようにざわりとした熱が走る。 から仁王にメールが届いたことは一度もなかった。逆に仁王からにということもない。電話も然り、である。 それ以前に、お互いのアドレスも番号も知らなかった。 愕然とする。 ブン太の方が、よほど彼女に近しいところにいるのではないか。彼氏であるはずの自分よりも、ずっと。 これは完全に二人の問題で、彼には全く非がない。それはわかっている。 頭ではわかってはいるが、理性とは別のところで感情が暴れ狂うのを止められない。 仁王は今まで、自分を嫉妬深い方ではないのだと思っていた。 腹が熱くなるような悋気に手を焼いたことなど、未だかつて一度もない。 もちろん目の前でキスでもされたなら話は別だろうが、基本的にはどうぞご自由にというスタンスを常に貫いていたし、実際それはやせ我慢ではなく、他の男と話そうが遊びに行こうが、仁王の胸の内にはなんら変化は起こらなかった。それが相手の自由を尊重することになるとさえ思っていた。 だというのに、メールひとつで。 当時の彼女が男と腕を組んで歩いている現場に居合わせた時も全く動じなかったというのに、こんなノートの所在を知らせるたわいないやり取りひとつで。 驚くほどはっきりと嫉妬を覚えた。 つまりは、そういう事だ。 「メアドおしえてくれんか」 いてもたってもいられず、翌日詰め寄るようにして仁王はの席の前でしゃがみこんだ。 まさか同級生がうじゃうじゃと群れている教室内で接近してくるとは思わなかったのか、「う」と言ったきりは目を白黒させてさせていた。 「実習で同じ班になったきに、もしもの連絡網ってことで登録することになったんじゃ」 流れるように嘘が出てくる。 班が同じなのは本当だが、他のメンツに聞いて回ってなどいない。理由などなんでもいいのだ。 仁王があつらえた口実に、はほっとしたように、なんだそうかと頷き応えて鞄から携帯を出した。 つややかな白いプラスチック。ストラップはない。 「番号もいる?」 「一応」 「了解」 淡々と番号交換は進み、じゃあ何かあったらと自然な素振りで席から離れた。 時間にしてたった5分。 こんなに簡単なことだったのに、今まで怠っていた自分に無性に腹立たしさを感じた。 来ることはないだろうと割り切っていながら、なんとなく携帯を意識して一日を過ごした。 下手すれば、昨日の受信に今日気づくくらい無頓着な方だというのに、その日に限ってはわけもなく何度も開いてみたり、携帯に触れて震えを確認するためにやけにポケットに手を突っ込んだりした。 これまでの動向から考えるに、まず彼女の方から用もないのにメールなど来るはずもない。 仁王はベッドに胡坐をかきながら、枕の上に横たわる携帯を睨んでいた。 来ないならこちらから、送ればいいだけのことだ。 そう思って開いてみたはいいが、いざとなるとなんと打てばよいのか浮かんでこない。 今まではどんな風にしていたものかと考えて、過去付き合った相手に自分からメールも電話もした記憶がないことにふと気付いた。 届くのは必ず向こう側からで、仁王はそれを受け取って返信するだけで良かった。 これでは浮かばないのも無理はない。 一度手にした携帯を、放るようにして枕へ投げた。 その途端、抗議の声を上げるがごとく受信音が鳴り響いた。 送信者:真田弦一郎 件名:スケジュール変更について お前かよ!!!! 彼には何の落ち度もないが、前回同様神がかった間の悪さである。タイミングとしては完全に嫌がらせの域に達している。 仁王はすぐさま削除したい衝動に駆られたが、なんとかなだめて携帯を閉じた。 間髪入れず、再び手の中で携帯が震えた。 仁王はまたかと思いながら、なんの希望も持たずに寝転がったまま開いた。 送信者: 件名:こんばんわ 思わず跳ね起きた。 妄想によるエラーかとすら疑った。が、何度見ても、液晶画面には間違いなく登録したばかりの名前が燦然と表示されている。 なにより心待ちにしていた着信。胸の奥に期待が広がってゆくのが自分でもわかった。 誰も見ていないのに、何故か人目を忍ぶように体を折り曲げ、ボタンを力強く押した。 『明日の調理実習、キッチンペーパー持参とありましたが、学校側で用意するので不要だそうです。メニューもムニエルからホイル焼きに変更。よかったね!松沢君にまわしておいて下さい』 本当に連絡網がまわってきた。 先ほどの真田のKYメールより、胸を躍らせた分はるかにダメージは大きい。完全なる肩透かしを食らい、仁王は潰れるようにうつ伏せに倒れた。キッチンペーパーって。 しかし、まさか口から出まかせだったあの時の言葉が、実際採用されて機能していたとは。 アドレスを手に入れる為の方便だったとはいえ、あまり下手なことはいうものではない。 落胆しつつも、送られてきた文面をもう一度ゆっくりと眺める。とても彼女が彼へ送る、記念すべき初メールの内容とは思えない。 事務的な連絡の中に、そっとたむけられた『よかったね!』が唯一の救いだった。何がよかったのか正直さっぱりわからないが(彼女の好物なのだろうか)、そこだけの声で再生された。 嬉しそうな気配に、よかったのう、と言って頭をなでたい気になったが、さすがにそれだけ返信するのもどうかと思う。 逡巡して、火傷しないよう気つけんさい、とだけ送信した。顔文字はなし。 数分後、うんありがとう、と同じく顔文字のないシンプルな返信が届いた。 それだけで十分満たされた仁王は、ようやく一心地ついて携帯を閉じた。 翌日、松沢君はひとりキッチンペーパーを持って登校した。 |
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