―― 当初の予定では、HRが終った後まっすぐテニス部へ向かえるはずだったんです 被害者・さん(氷帝学園2年)による証言 その日掃除当番でもなかったし、委員会があったわけでもないし。でも、どういうわけか席の前に立ちふさがっていた笑顔の担任にそのまま引きずるように職員室に連れて行かれてしまいまして。部活にも入っていない(書類上は確かに帰宅部)(しかしいち早く帰宅できたためしなどない)私はどうも誰よりも暇にみえたらしいんです。 それからしばらくの間、担任の机の上に広げられた資料やプリントの山をせっせと片付けてました。いまごろ大掃除ですよ?遅れてきた大晦日ですかって話ですよね。 こんなことで遅れて跡部先輩から怒られるのも嫌だと思って夢中で頑張ったせいか、意外と早く終りました。 じゃあ先生失礼しますー、ってダッシュで部室に向かおうと思ったら、ついでにこれ資料室まで運んでおけなんて言い出して、1人で抱えるには結構な量の資料を持たされたんです。 職員室から資料室ですよ。全然「ついで」の距離じゃありません。資料室3階だし。 これだけの奉仕だってのに労働報酬がサクマのドロップひとつってちょっと人を馬鹿にしてませんか。しかもハッカ味って! ウチのクラスの担任って、表面上はすごく穏やかなんですけどさりげなく無茶なんですよね。あ、なんか鳳君みたい。 え?どういう意味って…自覚ない人に説明するのは不可能に近…や、まあ今その話はいいとして。 こういう時に限って知り合いともすれ違うことなく、結局1人でエッチラオッチラ運びましたよ。 資料室って3階の奥の奥じゃないですか。日当たりが悪いせいなのか妙にそのあたり暗くてじめじめしてて。 放課後だから人の気配もあんまりないしどことなく不気味だったんで、早いとこ資料室にぶち込んでしまうおうと扉を開けたら…飛び込んできたんです 「馬っ鹿もんがあぁ―――!!!」 鬼のような恐ろしい形相とそんな怒号が。 一瞬心臓が止まりました。冗談じゃなく。生まれて初めてですよ、怒鳴られて皮膚がビリビリと震えたのなんて。 それぐらい物凄い威力だったんです…ええ…声だけで、魂抜かれそうでした。 いや…もう2、3個は軽く抜けてましたね、多分。 だって、資料室に仁王様ですよ。歴史の教科書の写真と同じでしたもん。今にも誰かを噛み殺しかねないようなあの険しい顔。間違いなく金剛力士像です。 一睨みで餓鬼500匹抹殺する迫力をこの身で感じました。いやマジで。下手したら私も一緒に抹殺されますよ。 きっと頭を殴られたようなショックって…ああいうことを言うんでしょうね。あまりのことに、その時全身の血が凍りついた気がしましたよ。 ――― その後のことはあんまり覚えてません。 一体どう歩いてこの部室まで来たか記憶にないんです。あ、そういえば手にしてた資料……どうしたんだっけ…? とにかく、ひたすら恐ろしくて恐ろしくて恐ろしかったんです。もう怖さ大解放、ジャンジャンバリバリ出血大サービスでした(ここで宍戸が、それパチンコじゃねーかと突っ込む) …ホントに死ぬかと思いました。生きているのが今でも不思議なくらいです。 ―― 当初の予定では、時間に相当な余裕を持ってこの部室に辿り着くはずだったんだ 真田弦一郎容疑者(立海大付属3年)による自供 本日立海は職員会議のおかげで短縮授業でな。 合宿の打ち合わせでここ氷帝へ顔を出すには丁度良かったのだ。うむ。 幸い今日は幸村もいたことだしうちの部活の方は部長と柳に全面的に任せて、早々に学校を後にするつもりだったんだが。 直前になって、この後輩――赤也が自分もついていくと騒ぎ出した。 大方トレーニング中心の退屈な練習(幸村は妙に筋トレが好きだ)を体よくサボる口実なんだろうが(赤也、「違うッスよ!」と真田に抗議)どんなに駄目だと首を振っても諦めようとしない。 あんまり五月蝿いんで一発殴ってやろうかと思ったが、これでも一応立海の未来を担うエースだからな。 他校に挨拶に出向くというのもひとつのいい経験かも知れんと思って、諦め半分でつれて行くことにしたんだが。 結果としてそれは大いに間違いだった。 今日氷帝に乗り込むというのは前々から決めていたことだったので、一応乗車予定の電車の時刻等はすべて確認しておいたというのに、駅についた途端コイツはなにを勘違いしたのか「急がないと乗り遅れるッスよ!」などといきなり俺を引っつかんで止める間もなくホームに駆け込み、発車寸前の電車に滑り込んだ。 …その電車は目的地からは遠く外れた方向へと走り出した。 まあ、当然といえば当然だ。俺たちが乗るはずだったのはその一つ向こうのホームの電車だったのだからな。 すぐさま引き返したが、その電車にはまんまと乗り遅れてしまった。仕方なく次の電車を待って、乗ることにしたが…もうすでにここでかなりの時間のロスだ。 どうにか無事に東京に着いた後もこやつは渋谷に寄りたいだの、プリント倶楽部(プリクラのことらしい)を写したいだのと、やかましいことこの上ない。 まったく。男子たるものもう少し落ち着きを持って行動したらどうだ。大体他所の学校に出向くというのに、そのだらしない服装はなんだ。む、何度言ったらわかる!ズボンを下げて穿くな! …ああ、すまん。それでまあこの氷帝へ辿り着くことは出来た。ただここを訪れるのは初めてだからな。 校内のことまでは把握しておらんので案内図で部室の確認することにしたんだが……本当にこの馬鹿ッッ…!その数秒の間に姿をくらましおって…! あちこち探し回ったが…立海も充分学校の規模として大きいがここは更に広いだろう。キリがなくてな。 恥を忍んで職員室の榊監督に助けを求めたところ、たまたま居合わせた放送委員の男子生徒が親切にも呼び出しをかけてくれることになった。この年で迷子の案内とはつくづく情けない。 それで放送室のそばの資料室で待たせてもらっていたんだが。 俺はもう、怒り心頭でな。 俺だけならばともかく、人様 ――― 他校の監督や生徒にまで迷惑をかけてしまうとはと頭に血が上りきっていた。 だから…その、つい、無遠慮に扉が開いた瞬間 「馬っ鹿もんがあぁ―――!!!」 確認もせずに怒鳴りつけてしまった。 だがそこにいたのはうちの馬鹿ではなく、見知らぬ女生徒だった。 俺も驚いたが、彼女はもっとびっくりしていたようで…ほらあれだ、突然猫を叱った場合、びっくりしたような傷ついたような顔で一瞬動きが止まるだろう。 あんな感じで、目を見開いたまま硬直してな。全身凍りついてしまったかと思ったほどだ。 とにかく、人違いに気付いてすぐさま謝ろうとしたのだが、次の瞬間にはすさまじい勢いで逃げられてしまった。 こんな時になんだが、とんでもない速さだったぞ。とても女子の脚力とは思えんな。 あ、いや、もちろん俺だって追いかけようとはした。 だが、扉の前で彼女が撒き散らしたプリントやら本やらが行く手を塞いで…それに、もしこれが重要な資料だった場合のちのち困ることになるだろうから、放置しておくわけにもいくまい。 とりあえず拾っておくべきかと思ってな、急いでかき集めたんだが、それをすべて拾い終った時には、すでにその女生徒の姿はどこにもなかった。 探しに行こうにも俺はここの生徒ではないからどこに何があるのか把握しておらんし、部屋を空けている間に赤也が戻ってくるかも知れん。行き違いになっても困るだろう。もう充分遅刻しているというのに、これ以上遅れるわけにもいかん。そう考えると結局そこから動けなくてな。 で、その後のこのこ現れたこの馬鹿を一発ぶん殴ってやった後にこの部室を訪ねたら、その女生徒がいた…というわけだ。 …わざとじゃないとはいえ、あそこまで怯えさせしまうとは…ち、違うっ!本当に、泣かせるつもりなど毛頭無かっ…う…いや…結局泣かせてしまったようだが… しかし、この場でもう一度会えることができて助かった。 あんな振る舞いをしたまま、詫びのひとつ入れずに帰るわけにはいかんからな。誠に、申し訳ないことをした。 ・ ・ ・ 開け放たれた窓から、初夏の匂いを含んだ空気が柔らかく舞い込む。 風に撫でられたカーテンがゆっくりとなびく度に、カチリカチリとカーテンレールは無機質な音をたてた。 本来ならそれは聞き逃してもおかしくないささやかな存在であり耳障りに思うような騒音ではないはずだが、今に限ってはひどくけたたましく感じる。 静寂とは時にこの上ない安らぎをもたらし、時に耐え難い緊迫をもたらすもの。 そして現在の状況で当てはまるのは、悲しいかな断然後者なのだった。 事件の当事者である2名の事情聴取を終えた後、部室内はしばしの間呼吸すら許されない静けさに包まれていた。 あたりに漂うのは、本来部活動が行われる場であることを忘れさせてしまう法廷のごとき厳しさである。 いたたまれない様子で中央(被告席)に腰掛ける真田と赤也。パイプ椅子でそれを取り囲むように見張る(陪審員)氷帝陣。 原告であるは防波堤という名の(跡部に呼びよせられた)樺地の後ろで保護されている。 真田も忍耐強い男なので我慢大会のようなこの長い沈黙をしばらく耐え抜いてはいたが、いい加減しんどくなったのだろう。 突然意を決したように立ち上がり、目の前の氷帝レギュラーに向かって口を開こうとしたのだが、 「有罪です」 先に判決を下されてしまった。 「なっ…お、おいっ…!い、いきなり有罪はないだろう!」 行儀よく座っていた鳳長太郎から突然無情な言い渡しをされ、開かれた真田の口からは予定とは違う抗議の言葉が飛び出した。このままでは弁解の余地もなく前科者にされてしまう。弦一郎大ピンチ。 「確かに俺が悪かった!だが、決して悪気があったわけではない!いわば不注意から起こした事故のようなもので…!な?!」 焦った真田は部長である跡部に視線を向け、冷徹な部員の言葉を取り消すよう冷静な判断を求めたが。 「死罪」 残念ながらその部長はこの場で最も冷静さを失っていた男だった。 「ちょっとそれはヒデーよ!」 そう悲痛に訴えたのは被告人の弁護士的ポジションの赤也である。 いままでとんでもなく重苦しい雰囲気の前に沈黙してしまっていたが、さすがにここまで追い詰められた状況下で黙っているわけにもいかない。 大体、真田を引き渡して立海に1人で帰ったとしてもその後他の部員に何と報告したらいいのだ。 『ちょっと出先で色々ありまして、極刑に処されました』 とてもじゃないが、納得させられる自信がない。 それ以前に、先輩の(生命の)危機を黙って見過ごせるほど赤也も薄情ではない。 「副部長もこうして謝ってるじゃねーか!俺見たくねーよ副部長が首くくってジタバタするとこ!」 「いらん想像するな」 構わず赤也はパイプ椅子の上にだらしなく腰掛け、足を乱暴にブラブラと揺する。 「ほんと、勘弁しろっつの!こっちからわざわざ出向いてやってるってのにさァ、一体なんだっての?たかが女一人泣かせたぐらいで、」 「お前も死ね」 「え、ちょっ…いっ今のなし!言葉のあや!マジで忘れて!!!」 うっかり口を滑らせてしまったせいで、処刑リストに自分も加えられてしまった赤也。輝かしい立海の未来が急激に陰ってきた。 「もうさーなんでそこまでピリピリしんてんスかッ!?アンタら怖えーんだよさっきから!とにかく副部長にも謝らすくらいのチャンスやってよ。黙ってないでそこの…アンタ!…その後ろのっ…!あー!そこの衝立(多分樺地のこと)邪魔でゼンゼン見えねー!頼むからアンタも許してやってよ!」 アンタと直々にご指名頂いてしまったそのは、塗り壁のごとく立ちはだかる樺地の裏で、完全に休養態勢に入っていた。 申し訳ないがこっちも人生で5本指に入るほどの恐怖を味わったばかりで弱りきっているのである。出来ることならそっとしておいて欲しいのである。 しかしこのまま黙っていると真田とかいう人の命が散らされてしまいそうだ。 資料室で遭遇した時にはライフ3騎減らされるくらいダメージを受けたが、話を聞けばただの人違いだったという。 こんなことで両校の関係を悪化させるわけにもいかないので、は椅子にもたれかかった体をゆっくり起こした。 「…ウス」 「…うん、無理しない程度に頑張るよ」 いつの間にか跡部同様樺地語をマスターしていたは、温かい励ましにこたえつつ大きな彼の背中からそろそろと這い出る。 胸に抱いた勇気が、今にもすり減ってゆきそうだった。 |
← 戻 → |