熱烈歓迎タイフーン








その日、が部室に姿を現したのは、レギュラー全員(ジローですら)が集まった後という、ずいぶん遅れての登場だった。
跡部からの叱責を恐れ、毎回早め早めの出勤を心がけていた彼女である。こんな失態は非常に珍しい。
しかしどういう理由であれ、事前に何の連絡もなく大幅に遅刻してきたをご主人様がお許しになるはずもなく、苛立ちっぱなしだった跡部は待ってましたとばかりに立ち上がり、いつものように威勢良く責め立て始めたのだが、

「てめぇ、一体今までなにしっ………?」

その強い口調は、すぐに途切れることとなった。
視界に映ったのその姿から、何やらただならぬものを感じたせいである。 
全体的に佇まいが不吉で、妙に暗い。怒られるのを覚悟して、しょげているのとも違う。
見事に沈んだ雰囲気を纏い、伏せたその目はどこまでも淀んでいる。
青山墓地からやって来ました、とでもいうようなその陰湿なオーラは跡部のみならずその場にいた部員すべてをたじろがせた。

「おい…?」
「…どっ…どうしたっ?」

しばらく置物のように入り口に突っ立っていたは、部員達の戸惑った声でようやく部屋の中へと入ってきた。
しかしその足取りはお世辞にも軽やかとはいえるものではない。効果音で示すとすれば、ズルリズルリといったところか。
歩くというより這うといった様子で部員達の元へと辿り着いた彼女は、そのまま更に深く項垂れ、蚊の鳴くようなか細い声で囁いた。

「…た」
「なに?なんやて?」
「…に怒られた…」
「あ?」 
「金剛力士像に怒られた…」





 
え  っ  、  あ  の  国  宝  に  ? 
 




一瞬ポカーンと歴史の教科書に燦然と輝く「運慶作 金剛力士像阿形吽形」を思い浮かべてしまった一同だが、彼らの想像力にも限界というものがある。
堂々とした仁王尊がこの校舎内に佇む姿を脳内で搾り出りだしたところでやはり無理が生じ、明らかに会話として成立していないの発言にすぐさま立ち戻った。 

「…って、いやちょっと待て!全然意味がわかんねー!」
「一体どんな状況だよそれ!」 
 
普通に学校生活を送っている中で飛び出す単語としては、なにかが激しくズレが生じている気がする。いや、気がするどころではなく、絶対に間違っている。 
しかし問いただそうとする部員の言葉など耳に届かないは、よっぽど何か恐ろしいものでも見てしまったのか怯えた顔で「力士像が…力士像が怒鳴る…」と呟き続けるばかりで、

「…グスッ…」

終いには泣き出してしまった。
これには、さすがのレギュラー陣も顔色を変えた。
いつもお気楽な氷帝テニス部、未曾有の大事件である。
今までいくら跡部に虐げられて(愛されて)いても、忍足の奇襲を食らっていても、ジローに振り回されていても、へこたれることなく生き抜いてきたド根性ガエルであるが、いきなりこんな風に泣き出してしまうとはただことではない。
ボロボロと涙をこぼし続けるに部員全員動揺しきってしまい、どうしていいかわからないのでとりあえず彼女を取り囲んでみる(何の効果も得られそうもない)
岳人は妙な身振り手振りでなだめ、忍足は汗をかきながら眼鏡をかけたり外したりを繰り返したり、それぞれがそれぞれ無駄に激しく取り乱していたが、その中で最も気の毒なほどオロオロと慌てふためいているのはやはり跡部で、その顔は泣いている本人よりも青ざめていた。

「…おまっ…何でそんな、おい!泣くなっ!
…だっ、大丈夫かこの野郎っ!」

お前の方こそ大丈夫かという勢いでテンパッている跡部景吾(15)なわけだが、今それを冷やかす余裕など他の部員にもあるわけがなく。
何がなんだかさっぱり事態をつかめぬまま、子供のように弱々しいをあたふたと見守るばかりだ。
なす術もなく立ち込める焦燥と困惑にただ呑まれ、誰一人として大人の対応が出来ない氷帝レギュラー陣。
情けなくも今まさに大ピンチである。

その時、ひとつのノックが部室に響き、どうしようもない危機を迎えていたテニス部の空気を静かに破った。

「…失礼する」

ゆっくりと重厚な音を立てて、開かれた扉。
部屋の中央で立ち尽くしていた彼らは、下げていたアホ面そのままで突然の訪問者に振り向いた。  
その視線の先には、氷帝のカラーではないネクタイをキッチリと締めた帽子の男

――― 立海の真田が、驚きの表情を浮かべて立っていた。
 
「…っ、さっきの、」
「ギャア出たぁぁ ――!!」

真田が何か言いかけた瞬間、さっきまで泣いていたは全身の毛を逆立てて気がふれたように叫び出した。
アワアワと死に物狂いで逃げ出そうとして駆け出したが、部員が取り囲んでいたので(いい迷惑)それも叶わず、たまたま行く手をさえぎっていた鳳や宍戸に激突しただけに終った。
 
苛烈なまでの、のこの反応。
誰がどう見ても今回の事件に真田が関わっていることは間違いない。
接点がまるでない2人の間に何があったか見当もつかぬが、とりあえず原因である容疑者が浮上したことで一気にボルテージが上がった。
いわずもがなであるが、跡部の、である。

「…のこのこ自首しにでも来たか……アア?」

顔だけでポリスメンに連行されそうな恐ろしい形相の我らが部長様は拳からボキリボキリと穏やかでない音をたて、扉の前で立ち尽くしている真田へとジワジワと近付いてゆく。
響く声は妙にビブラートがきいており、殺ってやるぜという彼の強い意志が見え隠れしていた。しかし真田だって来た早々いきなり始末されてはたまらない。
 
「せ…先日、申し入れをしておいたではないか。先に行われる合同合宿の打ち合わせのために氷帝を訪れると」

待て、というように手の平で迫り来る跡部を制し、後ずさりたい気持ちを抑えて果敢にも意見した。さすがは皇帝。
だが、そんな言葉を快く受け入れるほど跡部も慈悲深い生き物ではない。

「その打ち合わせ前に、女1人泣かしたってきたってか…?」
「落ち着かんか跡部、これにはちょっとした行き違いが、」
「なにやってんスか真田副部長。さっさと進んでくれないと、俺いつまでも中入れないんですけどー」

今にも刃傷沙汰の事件がひとつ巻き起こりそうな雰囲気の中、ポンとこぼれた能天気な声。
多少気がそがれた跡部が視線を投げると、クシャクシャのクセッ毛が真田の後ろから覗いていた。
突っ立っている真田を押しのけるようにしてそのまま部室に入り込んできたそのクシャ毛は、真田とは対照的に制服をだらしなく気崩したいかにも今時な少年で、何故だか右頬が赤く腫れ上がっていた。
 
「氷帝のミナサン、どーもすんませんねっ。副部長の到着が遅れちゃったの俺のせいなんスよ」
「…ああ?」

が泣き出した衝撃で、すっかり立海の訪問自体忘れ去っていた跡部である(駄目だこの人)
時間通りだろうが遅れて来ようが、そんなこたぁどうでもいい。
いま問題なのは、この皇帝とか言われている若年寄りをどう料理してやろうか、ということである。
しかし残念ながらそんな跡部の心情も現在の非常に険悪なムードも、まだこの少年には見えていない。

「なんかー俺が迷ってウロウロしてる間に、どーも副部長がココの学校の女の子いじめちゃったみたいなんスよね、そんで、」
「赤也!」

ベラベラと喋る後輩を中三とも思えない迫力で一喝した真田だったが、彼の前にはそれ以上の迫力と殺気をみなぎらせる男が立ちはだかっていた。
 
「いじめちゃってくれたんだってなァ、オイ、真田サンよぉ…?」

これまでの灰色だった真田の容疑は、ここにきて一気に真っ黒。
疑惑は確信に変わり、それと同時に跡部も名門テニス部の部長から街のチンピラへと変わってゆく。

「えっ、何すかこのヤなフンイキ。もしかして…副部長が揉めた女って…」
「赤也っ!お前はもう何も喋るな、話がこじれる!」

この状況下において大変余計な情報を相手に与えてくれた後輩の存在に思わず青筋が浮く。
しかしこの男こんな強面だっただろうかと、鬼でも殺しそうな跡部の面構えについ真田は疑問を抱かずにはいられない。
 
「跡部、とりあえず遅れたことをまず謝罪する。申し訳なかった」 

それでも真田は遅刻したことを詫び、律儀に頭を下げた。
  
「それと、その…そこの女生徒にも、謝罪させてもらえないものか」

言いながら部室の奥へと目線を送る真田と、その所作にすくみ上がる『そこの女生徒』と推測される。そして、それを見守る(睨み飛ばす?)氷帝陣。
妙にスリリングな空間の中、位置的に中途半端な切原赤也は「よくわかんないけどなんかヤバそう」と早くも立海に帰りたい気持ちに襲われていたのだった。