再び至近距離で相見えることになった両人の間には、なんとも和やかとは言いにくい空気が流れていた。
不自然なほど直立不動で立ち尽くす真田と
どちらも口を開こうとせず、ただ無言で見詰め合う
――― いや、睨み合うばかりで、和解というより対決ムードである。

どうしよう 怖いもんはやっぱり怖い
 
は拳の中でにじんだ汗をギュウと強く握り締めた。
一応双方の勘違いだったということで話に応じる気になったのだが、一度強く刻み込まれた恐怖というものは簡単に消えうせるものではない。
こうして再び直に対面してみれば、彼が金剛力士像ではないことは、とりあえず理解できる。
できるが、あの時ほどではないにしろやはりそのご尊顔は怯えるに充分な迫力だった。
固く厳しく、とてもこれから頭を下げようとしている人相とは思えない。
険しい瞳は今にもビカーッと光り出しそうで、ただでさえ及び腰のを更にすくませた。
 
もちろん真田とて、別に脅しをかけたいわけではない。
優しく、穏やかに、誠意を込めて謝りたい。そう心から思っている。
ただ、またさっきのように怖がらせてはいけない、泣かせてはいけないと、そう思えば思うほど全身に緊張が伝わってしまい、顔がどんどんと強張ってゆくのである。
普段から愛想がいいとはお世辞にも言えない真田のご面相だ。こうなると余計怖い。
しかも醸し出す雰囲気がとても中学生風情のものではなく、顔立ちのせいだろうか、どこか古く厳しい印象を与える。
重みがあるといえば聞こえはいいが、はっきり言ってしまえば大時代的なのである。
どう見ても戦前の男。
第二次世界大戦を潜り抜けてきた感がどうしても拭えず、今にも「お国のために」などと言い出しそうな勢いだ。 
立海の制服がブレザーで本当に良かった。これで学ランだったら確実に憲兵である。
彼が演出したいと思っているであろう「ザ・爽やかスポーツマン」からは100万光年ほど離れている。「ザ・富国強兵」が関の山だ。

みなぎる緊張感の中、自分が異常な迫力を放っていることなど露ほども気付いていない真田は、微妙に空いた2人の距離を縮めようと一歩足を踏み出した。
その距離に恐れをなしたのか、は前を向いたまま逃げるように一歩下がった。
更に真田が2歩近付くとも2歩後ずさる。真田、めげずに再び踏み出すが、または下がる。
再度近付く、はまたしても遠のく。真田進む退く。真田追う逃げる。

いつになっても距離が縮まない。
最初、お互いを伺うかのようにゆっくりだった足の運びは時間を重ねるごとにどんどんと加速してゆき、いまやどちらも小走りである。特に真田など、この果てしない追いかけっこに苛立ちを感じ始めたのか、はたまた変なテンションが上がってしまったのか、血走った瞳がなぜかランランと輝き始めていた。
これはすでにハンターの顔。いまや彼の頭で生き残っているのは「逃げる敵を捕らえる」項目のみである。 
追う行為自体にあまりに一生懸命になりすぎてしまったがゆえに、当初の目的を完全に見失ってしまったらしい。
 
(なんか笑ってる
――!!)

ただならぬ真田の様子に危険を感じたは身を翻し、ついに本気で逃げようとした。
 
「待たんか!」
「すいません待てません!」

が、すでにそこは壁だった。
慌ててその場から離れようとするも、背後から迫っていた真田は壁に両手を押し付け、を包囲するかのように両腕の中へ閉じ込めた。
その時、彼は最低5人は殺してますというような凄まじい顔でを見下ろしていたという。
 
「もう逃げられんぞ…」
「ヒ、ヒィ…!」


ついに少女は捕らえられた!
無念の死を遂げた怨霊の魔の手!
、絶体絶命! 


「アホか――!!」
  
 
跡部がぶん投げたテニスラケットは見事こめかみにクリティカルヒットし、さまよえる日本兵(真田)は真横にふっとんでいった。
その場にいた部員全員が一瞬「これは死んだな」と思ったほどだというから、その飛距離は最低2、3メートルのだったと推測される。トドメをさそうとしたのか(ひどい)跡部はすぐさま真田の元へ走りよって胸倉を掴んだが、彼の意識はすでになかった。召されてしまったのか。
 
「さ、真田副部長!」

遅れて駆け寄ってきた赤也は、気絶した真田を跡部の手から奪い取った。  
『皇帝、ここに死す!』みたいなアオリ文が横に並びそうな変わり果てた姿である。

「ひでぇ!ここで選手生命終ったらどうしてくれんだよアンタ!」
  
跡部は神妙な顔で一瞬黙った。
その態度からして、てっきりやりすぎたと反省しているのかと思いきや、

「真田の野郎がぶつかったせいでうちのロッカーへこんだじゃねーか!死んで詫びろ!」
「人んちの副部長ぶっ飛ばしてといてそれか……!(なんだこの学校!)」

自分から事故っておいて「どう落とし前つけてくれるんだ」的な逆ギレするヤクザと、こんなところで遭遇してしまうとは。
喧嘩とテニスじゃ他所の奴に負けないという自負があった赤也だが、間違ってもプロ(極道)とやりあってはならないということくらいは心得ているので、いつもの調子でケンカをふっかけることもままならず、白目を剥いている先輩に手を合わせるばかりである。
こんなことに巻き込まれるなら大人しく残って筋トレでもしてればよかったと、今更ながら彼は激しく後悔した。
一方その頃はというと、

「大丈夫かっ」 

宍戸に肩を揺り動かされても返事一つせず、腰が抜けたようにその場に座り込んだまま何かブツブツ呟き続けるばかりで反応が無い。
目の色はガラス玉のように空っぽに光り、視線は宙を彷徨っている。

、おいっ…?」
「…知らなくてあのスイカがお供えだなんて、仏様のスイカだなんて知らなくて・・・ごめんなさいもう食べたりしませんごめんなさ」
「なんか幼児期のトラウマ思い出してる!」
「フラッシュバックだフラッシュバック!」

再度襲った恐怖の波は、遥か遠い昔へと連れて行ってしまったらしい。
初めに受けた衝撃だけでも相当なダメージだったというのに油断しているところへそれを再び投下され、すでにガタガタに弱っていたは完全に心神喪失状態である。
彼女にとって今日は忘れがたい一日となるだろう。いや、拒否反応で自ら記憶から消し去ってしまうかもしれないが。

「真田この野郎…アイツ完全に廃人じゃねーか!どうしてくれんだ、あぁ?小僧もろとも埋めるぞ」
「ふっ…副部長!起きて起きて、今すぐ起きて!早くしないと次に目を開けたときは土の中ッスよ!」
 
本気がこもった跡部の台詞に心底戦慄を覚えた赤也は、未だ意識のない真田の顔を倍になるほど叩き始めた。
何しろ「小僧もろとも」だ。自分もセットで駆逐される。他校の芝の栄養素に成り下がるなんて勘弁してもらいたい。

「ふくぶちょ……こ、皇帝!皇帝!皇帝!」

追い込まれた赤也、真田の蘇生を願って1人皇帝コール。本当に必死だ。
善良な大人が見ていたら思わず涙してしまうようないじらしい情景だが、あいにくとここは氷帝学園、文字通り氷の帝が君臨する世界である。
味方1人得られぬまま、切羽詰った赤也の呼びかけは孤独に続いた。
しかし、その命の限りの声が届いたのか、閉じられたままの真田の瞳がかすかに開いた。

「う…」
「副部長ー!!」

真田は一瞬目を大きく開いたが、すぐに激痛を感じたのか顔を歪めた。

「大丈夫っスか!?こめかみにラケット食らったんスよ!この人ッ、この跡部っつう人が投げたラケットが!マジとんでもねー!」
「…やけに頬も痛むんだが」
「え……あ…そ、それもこの跡部サンの仕業っスよ」
「てめぇ」
 
全て跡部に被せてしまおうとするあたり、赤也も充分「マジとんでもねー」素質があると思われる。
真田はしばらく横たわったまま口中に広がる鉄の味に顔をしかめていたが、やがてハッとしたように起き上がった。 
復活した死人のような顔色だけでも恐ろしいのに、口とこめかみからダラダラと流れる血液が更にその効果を高めている(ちなみに口の中が切れたのも赤也の激しいビンタの嵐の産物である)
 
「さっきの女子生徒は…!?」

真田は慌てて振り返ったが、視界に入ったのは明らかに自我が崩壊してしまった女子生徒とその周りで対処に困った部員がへたりこんでいるというなかなかに切ない場面だった。 

「…す、すまん、一度ならずも二度までも…!次こそ、次こそは…!」

ようやく正気に戻った真田は、先ほどの自分の間違ったハッスルに対して激しく後悔し、謝罪の言葉を繰り返していたが、もはや目の焦点が合っていないにその声は届きはしないだろう。
それでも尚もう一度チャンスを!と懇願するガッツはさすが皇帝といったところか。この粘り強さこそが立海の強さの秘密なのかもしれないが、今はそんなことどうでもいい。
昔から仏の顔は三度までと決まっている。が、跡部の顔には三度もない。本来ならば一度限りで厳罰に処しているところである。今回与えられたこの二度目、跡部にしてみれば年に一度の大サービス、お客さん大ラッキーのワンモアチャンスだったのだが、それを外してしまった真田氏にはもう残された道がない。 
 
「大地へ還れ真田。ついでにそこのクセ毛も」
 
どこから持って来たのか、いつの間にか跡部の手には大きなスコップが握られていた。
穴を掘る気満々
――― いや違う、満々なのは埋める気だ。あの使い込まれた耕具から土と死の匂いがする。確実に忍び寄る、人柱の危機。
 
「ちょ…!やめてやめて!俺はまだ若いんス、副部長と違って未来があるんで生き埋めはカンベン!」
バッ…俺にだって未来くらいあるわ!跡部、もう一度…!」

懲りずにトライを要望する真田は抜け殻のようなと接触を図ろうとしたが行く手をさえぎる衛兵(樺地)に阻止された挙句そのまま跡部にキャメルクラッチを食らったりして、既にずいぶん消耗しているはずの体力を積極的に削り続けた。スポーツマンシップに乗っ取っているのか、正々堂々と全力で戦う跡部から手加減は期待できないようだった。
たすけて部長。
ありえない方向に体を曲げられつつも皇帝裏パンチを繰り出して抵抗を試みる副部長の姿を目に焼き続けながら、赤也は今頃8キロの鉄アレイをブンブン振り回しているであろう部長を想う。
夕暮れで茜色に染まる空とは対照的に、樺地に首根っこを掴まれた赤也の瞳はどんどん暗く濁っていった。
かたや生命の危機、かたや自我崩壊の危機、様々な混乱に巻き込まれたり巻き込んだりしている間も時はただ流れ、確実に日は傾いてゆく。
本来の目的である打ち合せの話題など何ひとつ出ないまま、若者たちは命の限り青春の時間を味わうのだった。




「赤也、どうだった氷帝は」
「…怖いっス」
「なんだ、らしくもないことを。しかし自分を過信せずに相手の実力を判断するようになるとは、少しは成長したということか?お前が言うとおりあの学校の技術と安定感は確かに油断できな…」
「そういんじゃないんスよ柳先輩…」
「?…ん、そういえば弦一郎はどうした」
「もしかしたら、こめかみヒビ入ってるかも知れないからレントゲンとって来るって…」
こめかみ?ヒビ?……一体何があったんだ、お前たちの身に」
「……」

「それから、持って行った合宿の資料の隅に『』と弦一郎の字で走り書きしてあったんだが、とは誰だ?」
「……」

道行く人が振り返るほどボロボロになって戻ってきた真田と、やけに無口になってしまった赤也。
多くを語ろうとしない2人に、一体氷帝で何が起きたのだろうかと柳はただ首を傾げるばかりだった。 

「おい赤也?」
「…柳先輩」
「どうした」
「氷帝との合宿やめましょうよ…」

そんな赤也の懇願も虚しく
――― この数週間後には合同合宿が幕を開けることとなる。
焼けつくような暑い夏はすぐそこだ。





 
 
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